*11* 美的感覚の違いです?
師匠の綺麗だけど男性らしさのある手で、自分の爪に重ねられていく鮮やかな色に心が踊る。秋もすっかり深まった十月三週目の定休日。
うっかり師匠の爪の色が新色に変わったから可愛いと言ったら、朝の身支度に三日ほど前から爪のお手入れまで入ってしまった。実のところ嬉しいより洗濯と掃除の時に引っかけて剥がさないか気が気じゃない。
畑仕事だってあるから土もつくって断ったのに、師匠の『だったらまた塗り直してあげるわよ』という言葉に負けた。そんなわけで今朝爪に乗る色は昨日収穫して夕飯に並んだカボチャと同じ色だ。でもだからこそ解せないことがある。
「今日こそはいてくれますよね、師匠」
「もう、飽きないわねぇ。またその話なの? 何回だって言うけど嫌よ」
勿論下着の話ではない。毎日腐海を発掘して洗濯しているのだから、着るものがないなんてことはないのだ。連れない発言に膝上で丸まっていたクオーツが「ギャウ、グアーウ」と非難がましい声を上げたけど、師匠はまったく相手にせずに筆先に染料を乗せた。
「どうしてそこまで抵抗するんですか~。可愛い弟子が一人と一匹で稼いだギルド依頼の報酬で買った贈り物ですよ? 私はこうして爪の手入れを受け入れてるのに不公平ですってば」
「あんたがくれた靴下は柄が幼すぎるのよ。縦縞……はまだ良いとしても、水玉や星はちょっとあたしの歳だと身につけにくいわ」
「そんなぁ、どの柄も可愛らしいじゃないですか。それに我が師匠なら何をお召しになっていてもお美しいです」
「嫌ったら嫌よ。あんたってそういうお世辞は上手くなるのに、どうしてお化粧の手順はこうも憶えないのかしらね? 間接的だけど美容系で食べてるのに」
意地悪く唇を歪めるその表情から、今日も贈った靴下の出番がないことを察して軽く落ち込む。贈ってから二週間経つのにあんまりだと思う。
こっちが一瞬言葉に詰まっていると、師匠の吐息が爪先に吹きかけられた。師匠にしてみたらすぐに触って塗料を剥がす弟子の失敗回避のためだけなこの行為に、私の心臓はバクバクしどうしだ。
爪の染料の匂いが苦手なクオーツは私の膝上から逃げ出して、ベッドの方へと飛んでいってしまった。枕カバーのトンネルがお気に入りなクオーツのせいで毎晩かけ直すのが地味に面倒なんだよね――と。
「そ……れは、すみません。だけど靴下はいてくれるくらい良いじゃないですか。多少師匠には可愛らしすぎる柄かもしれませんけど、ほとんど靴とスラックスで隠れちゃいますし。これ以上拒否するつもりならクオーツに手伝ってもらって、師匠の靴下全部洗って干しちゃいますよ?」
図星を指されてぼそりと脅し文句を口にしてみても、師匠は「だったら素足ですごそうかしら」と笑うばかりで、結局爪が乾くまで待っても新しい靴下をおろしてはくれなかった。
「せっかく着飾ることに興味を持ち始めたんだから、今日はあんたの冬物を色々買うわよ。コートは絶対必要だし、新しく作業用じゃないブーツもいるわね。手袋なんかの小物も見に行きましょう」
「うえぇ? そんなに張り切らないでいいですよ師匠。どうせ増えた分の片付けと洗濯の負担は私とクオーツにくるんですから。必要最低限で節約しましょう」
「却下よ却下。前もこんなやり取りしたわよ。服の一着や二着や……十着までなら同じようなものなの。それより遊びに行く前にギルドに一旦顔出すんでしょう? だったら身支度の邪魔しないでクオーツと遊んで待ってなさい」
あっけらかんとそう言ってのけた師匠に抗議したけれど、華麗に右から左に受け流されて。あっという間に美しく身支度を整えた師匠に急かされるまま、最近新しく作ったクオーツ収納籠を引っかけてズバッと魔法陣で飛んだ。
体感として瞬きひとつ。次に目の前に広がっていたのは、書類の山に辟易した表情を浮かべたジークさんのいるギルドマスターのお部屋。
訓練されたジークさんはともかく、その隣で秘書の役を任されている彼女はそうではなかったようだ。派手に手にしていた書類を床にぶちまけた彼女に駆け寄り、大慌てで書類をかき集めた。
クオーツもすぐさま籠から出てきて家具の下に入り込んだ書類を追いかけてくれる。モゾモゾと尻尾をくねらせてほふく前進をするレッドドラゴン。彼の大きな猫っぽさは日々更新中だ。
「おはようございます、レイラさん。驚かせちゃってごめんなさい」
「ふふ、おはようアリアさん。こちらこそ手伝わせちゃってごめんなさい」
屈んで互いに謝罪しつつも笑い合いながら書類を集める私達の背後では、ジークさんが師匠に向かって挨拶をしている声が聞こえる。ジュエルホーンの角を無事に両親と元婚約者に突き付け、ここで彼女が働きだして二週間。
未だに元婚約者に復縁を迫られたり、両親から貴族籍を捨てることを考え直すように言われてはいるようだけど、レイラさんは当初の約束と違うとその申し出を一切断って、このギルドで働くようになってから買った平民の服と、数冊の魔術書だけを持ってあの別荘を出た。
週に三日はここでジークさんの秘書役を務め、その他の三日は卒業した学園で、魔術書を集めた学園の書庫の臨時司書をやっているそうだ。私はそんな彼女の勇気ある決断を尊敬している。
「爪の色、可愛いわね。お洒落をして今日はこれからお出かけかしら?」
目敏く書類を集めていた私の爪に気付いてくれた彼女に頷き返すと、レイラさんは「貴方とベイリー様は本当に仲が良いわね。きっと好きな物も同じなんでしょうけれど、羨ましいわ」と、少しだけ寂しげに笑った。
「いいえ、そんなこともないんですよ。師匠ったら今日もまたはいてくれなくて」
「ほー下着をか? 自由もそこまでいくと風紀の乱れだぞルーカス」
「馬鹿、そんなわけないでしょう。分かってて下らないこと言ってるんじゃないわよジーク。アリアも含みのある言い方しないの。あたしが変質者みたいじゃない」
「おっと、そうだよなぁ。むしろ弟子の初報酬で買ったもんだからはけ――、」
「ジークちゃんったら、その髭むしり取られたいのかしら?」
そんな風に報酬で靴下を買ったことと、それをなかなか身に付けてくれないことはこの二週間ですっかり笑い話の種になっていたから、今度こそレイラさんも笑ってくれた……が。
その笑いも家具の下からクオーツが取ってきた会計報告書の内容に、ジークさんの私用会計(主に酒代)が紛れ込んでいたせいでぴたりと止んで。レイラさんの「ギルドマスター、少しお話があります」という冷たい声を聞いた直後、師匠とクオーツと一緒に魔法で部屋から脱出したのは言うまでもない。




