*2* 魔物の森で箱庭自給自足。
やる気のない師匠を送り出して朝食の後片付けをし、シーツを洗って陽当たりの良い場所に干してから採取ナイフと籠、農具を持って城の外へと出た。目指す先はここから十分ほどの距離にある師匠から任されている自家菜園と薬草園だ。
そこで育てた薬草で簡単な化粧水を作るのも私の仕事ではあるけど、本来師匠と私の住んでいるこのミスティカの森は人の立ち入れるような場所ではない。住居にしている城の周囲に師匠が結界を張り、私にお手製のお守りを持たせてくれているから生活が出来ているものの、ここは危険種と呼ばれる魔物の巣窟。
住んでいるのは汚城……じゃなくて、たぶん元は見張りに使われていた小さい古城だ。今となっては森への侵入者を防ぐ目的だったのか、危険種が外へ出ないために見張る目的だったのか分からない。
この城へは師匠の許可がないと、外部からは誰も入って来られない作りになっている。来ようと思った場合は正規の手順で魔物がウヨウヨしている森を突っ切って、尚且ここを特定しなければならない。実質到達不可能な場所。
私と師匠にとっての大切な住処であるし、蔦に覆われて少し見た目は古ぼけているけれど、存在意義なんてそれだけで充分だ。
「いやでも、流石に四月だから季節的に繁り方が目立ってきたけど……まだこれくらいなら剪定しなくても大丈夫、かな?」
実際見た目的に結構もっさりしてきたけど、ザッと本日この後に控えている仕事を頭の中で並べてみたら無理だという結論が出た。何事も諦めが肝心。きっと明後日か明明後日の私が何とかしてくれる。
「お城は今の姿が一番美しいよ、うん。自信持って」
冷たい城の壁を叩いて慰めてから再び籠と農具を担いで歩き出す。フカフカの森の土が足の裏を押し返してくる感触は、上等な絨毯の上を歩いている気分になる。実に愉悦。
私は七年前にどこかから逃げ出してきたらしく、うっかりこの森に迷い込んだところを師匠が拾ってくれた。らしくというのは、当時の生活が過酷過ぎたのか、私にはここで暮らした七年より前の記憶がないせいだ。
別になくても問題のないことだと師匠は言っていたので、それ以上のことは知らないし、考えないことにしている。当時からあまり見た目の変わらない師匠のことを、最初私は【魔術師様】と呼んでいた。
でも師匠が『響きが可愛くないからやり直し』という、何とも理不尽な言い分で却下したので口調から考慮して【魔女様】にしたら、今度は『そんじょそこらの魔女と同じ風に言われるのもねー』と気乗りしない様子を見せたので、次は【お師匠様】にしたら『年寄りっぽいから却下よ』と。
最終的に【師匠】に落ち着いたけれど、今にして思えば当時まだ十歳で訳ありそうな子供相手にとんでもない大人だった。名前で呼ばなかったのは、名前を呼ぶといつ追い出されるか分からないのに里心がついてしまうと困る気がしたから。
ランダード王国の王都バッセルに住むルーカス・ベイリーと言えば、街ではそれなりに名の通った魔術師だ。歳は今年で二十七歳。私という訳ありのコブつきで恋人はなし。
使ったものを元の場所に戻せない。気に入ったものはすぐに購入する浪費家。本や道具類の蒐集癖。料理は好きだけど作ったところで片付けはしない。極度の気分屋でやりたくない仕事はほぼ受けない。
そんな駄目な大人の見本みたいな師匠にも保護者っぽい気遣いはある。あの人の仕事内容を思えば、本当は若いご婦人達や貴族のいる街に住んで店を経営した方が良い。人の多いところであればあるほど評判は広がるからだ。
でも十四歳になった頃に一度だけ私がずっと世話になるのは忍びないので、どこかで住み込みのメイドとして働きたいと師匠に無理を言って、街に連れて行ってもらったことがある。結果は当時まだ広い範囲にあった顔の傷を嫌がられ、どこの斡旋場からも門前払いを受けた。
それからは一度も師匠が私を街に連れて行くことはない。私も行きたいとは言わなかった。現在は街でやっている師匠の店にお客がいない時に、足りなくなった美容液や化粧水を補充しに出たりしている。
今のこの生活は自給自足と言えば聞こえは良いけど実際は不便なことも多いし、師匠のことを師匠と呼んだところで、魔力のない私は弟子と名乗るにはあまりにも手伝えることが少ない。
良くて掃除婦か家事手伝いだ。しかも料理の腕はからきしない。一度だけゆで玉子を作るように言われた時に爆発させて以来、師匠は私を火の前に立たせてくれなくなった。だから化粧水を精製する作業も材料の重さを量って刻んだり、天日に干して乾かしたり、磨り潰したりするだけ。
いつかこの顔に残った傷も消してもらえた暁には、正式に師匠の元で掃除婦として雇ってもらえないかと考えている。拾われてからこの方、暇を見つけては師匠にせがんで読み書きや勉強を教えてもらったので、お金持ちの子が通う〝学校〟とやらで学ぶことは一通り履修済みだ。
断られても労働嫌いの師匠の代わりに働く馬車馬になりたいと申し出れば、追い出されることはない気がしている。そこまでするのだから勿論下心がないわけじゃないけど、傍に置いてもらいたいならこの想いはしまっておく方がいい。
今夜使えそうな食材に思いを巡らせるうちに辿り着いた大事な菜園。魔物避けの結界が施された囲いの門を開け、植える品種をどんどん増やして広げたここに足を踏み入れると、毎朝幸せな気分になれる。
「さてと、どれどれ……師匠と私の胃袋に入る野菜様と、生活費になる薬草様。本日も不肖この弟子めがお世話させて頂きますよ~」
大きめの独り言を口にしつつ地面に腰を下ろして、この季節たった二日ほどで伸び伸びと育つ雑草を抜き取りながら、食堂で師匠が口ずさんでいた鼻歌を真似て、午前中の作業に勤しんだ。