★12★ 胸を張りなさいよ。
ふと肌が粟立つ感覚がして、棚に商品を並べる手を止める。それに目敏く気付いたジークが「結界が反応したか?」と聞いてきた。嘘をつき慣れている相手に嘘をつくのは極めて無駄なことだと知っている。
聞かれて困るような内容でもなかったから「そうよ」と短く答えると、ジークは溜息と共に「あーあ……なぁんか騙し討ちしたみたいで気分が悪ぃな」と奥歯に物が詰まったような物言いをした。数時間前の下手な芝居のことだろう。
事前に今日の予定を報せておいたというのに随分お粗末な演技で驚き、同時に嘘をつくことを悪いと思う良心がまだこの男にもあったということにも驚いた。
「何よ、雇っている間にアリアに情でも移ったの?」
「まぁな。あれだけお前に懐いてる姿を見てりゃそういう気にもなるし、オレは直接仕事の依頼を持ちかけて給金払ってる。多少は情も移るだろうが」
「あら意外。金にがめつくて弱い奴はさっさと切り捨てるって有名なハーヴィーのマスターがそんなこと言うなんて。ねぇ?」
「言ってろ言ってろ。帰った時のアリアの反応が楽しみだぜ」
そう言ってすっかりあの子の保護者枠を気取った中年が唇をつき出す。その姿に思わず「オッサンが可愛い子ぶらないでよ、気色悪い」と悪態をつけば、ジークはすかさず「お前に言われたかねぇよ」と悪態をつき返しきた。
「大体何で宮廷魔導師を脅してまでアリアの能力を確かめる必要があるんだ? あいつに元々魔力がないのは師匠のお前さんなら知ってるだろ。ましてお前さんの魔力が多少蓄積されたくらいじゃ、掃除婦の仕事以外につける職なんてないぞ。下手に魔術師になれるかもなんて希望を持たせるのは残酷だ」
溜息をつきながら頭を掻くジークの言葉に多少の面倒臭さを感じつつ、一つの話題にここまで踏み込んでくるのは珍しいので邪険にするのも悪いかと考える。
そもそもの問題として、一番最初にアリアに魔術協会の掃除婦の仕事を持ちかけようとしたのはどこの誰だとも思うけれど、一応アリアの心配をしているようだ。だとしたらあの子の師匠としての観点で答えた方が良いだろう。
「あたしは別にアリアがこのまま掃除婦を続けようが、魔術師に憧れようが、そこは別に何でも良いのよ。ただ自己評価の低さは看過出来ない。いつまでも師匠のあたしの背中に隠れていれば良いってものじゃないわ。アリアに自信をつけさせたいし、同年代に負けて悔しいって感情を植え付けたいのよ」
その点で言えばあの宮廷魔導師の登場は都合が良かったとも言えた。勿論余計なことは出来ないように、アリアには気付かれないよう魔術防壁も施してある。それに彼にはきちんと脅しもかけた。
魔導師にとって一番恐ろしいことは己の魔術を模倣されることだ。彼の身体に直接彫られた暗号化された紋様から構築した座標は、全て頭に入れてあった。あたしが成り代わろうと思えば、彼は明日から宮廷魔導師ではなくなる。
そう脅した時の彼の表情を思い出していると、店の前で馬車が停まり、馴染みの客が下りてくるのが見えたから。店内にそぐわないジークに「嘘の片棒を担いでくれて助かったわ」と伝え、振り向き様にジークが投げた「今度酒でも奢ってくれ」の言葉には、頷きつつ中指を立てた。
***
「ひっっっどいですよ師匠、あんな迷惑な人を私に相談もなく手引きするなんて! 報連相って言葉知ってますか!?」
帰宅後にアリアからぶつけられた大音量の第一声に耳を塞ぐ。腰に手を当てて立腹しているアリアの隣では、クオーツまでもが生意気に「グルルル!」と同意するように牙を向いている。
「あの宮廷魔導師の人、また勝手に来たのかと思ってうんざりしてたら懲りもせずにクオーツを挑発するし!」
ただこちらが無言で荷物を差し出せば素直に受け取ってリビングに運び、今夜の夕飯に使う材料と備蓄分を仕分け、備蓄分は手際よく棚に片付けていく。最早本人の意識が介入しているというよりは、自動でそう動くようになっているようだ。
ひとしきり荷物の仕分けと片付けが終わると、アリアは再びこちらに向き直って眉をつり上げたまま口を開いた。
「こっちが必死で魔力を構築して助けてあげたら『三十点。構築に甘さと荒さが目立つ。咄嗟の判断としては悪くなかったが、最善ではない。あれだけの魔術師に師事していてこの程度となると、君は元の魔力がほぼない人種のようだ』とか……本当に何様なんですか?」
器用にあの宮廷魔導師に声と雰囲気を真似た一人芝居を見せたかと思ったら、その直後にはまた元のアリアに戻って荒れ狂っている。身ぶり手振りを加えて話すアリアを見て、クオーツもワイバーンの翼を撃ち抜いて墜落させる場面と、墜とされたワイバーンの両方を演じた。主従そろって面白いわ。
「ふぅん? 今のあんたの話を聞く分には、あの魔導師のことを助けた魔力の構築座標は籠……と言うか、ザルみたいな形状だったのかしら?」
「そ……そうですよ。だから馬鹿にされたし、今朝も言ったじゃないですか。どうせ私にはろくな魔力構築は出来ないって」
身ぶり手振りで伝えようとしていた情報を纏め、アリアの構築した魔術の形を言い当てると、自己評価の低いアリアは目に見えて項垂れた。その拍子に狐色の長い前髪の隙間から痛々しい傷跡が覗く。
床から飛び立ったクオーツがその顎を持ち上げなかったら、そのまま座り込んで膝を抱えてしまっていたかもしれない。褒める意味合いを込めてクオーツの眉間を指で引っ掻いてやると、気持ち良さそうに目を細めた。最早レッドドラゴンの威厳はどこにもない。
「違うわよ。咄嗟だった割にはまともに考えて構築したから驚いてるの。確かにあんたの編む籠の出来は良いわ。そんなあんたがあたしの模倣でなく自分で魔力を構築するとそうなるのね。使う時のイメージはあるの?」
褒める方に舵を切ってそう問えば、多少の戸惑いを浮かべつつ懸命に考え込むアリア。答えを焦らせないよう視線はクオーツに向けておく。アリアは説明の言葉を探して一瞬宙を睨んだものの、思い当たる言葉を見つけたのか口を開いた。
「え……今回はちょっと本来の用途とずれましたけど、たぶん防御、ですかね。こう、上からカポッと被せて外からの攻撃から護るような感じの」
「成程、良いわね面白い解釈よ。でもだとしたら術者を覆うための深さが足りないわね。もっと厚みのある構築をしないと、このままだと壁みたいにして横からの攻撃を防ぐ防御壁にしかならない」
「は、はい」
「それでくくりの公式は何を使ったの?」
くくりの公式というのは、駆け出し魔術師の手引き書に載っている数式の証明問題の求め方的なものだ。これを使えばどの術式に当てはめたか分かりやすくて想像しやすくなる反面、あてにしすぎると独自性にかけた面白味のない魔術師になる。
「最初は〝故に此れを貫く刃は在らず。溶け落ち果てよ〟にしようかと思ったんですけど、何となく〝編み目を封じ、彼の者達を掬いて留めろ〟って出てきてしまって。失敗したんだとしたらたぶんあの時だと思います」
クオーツのせいで俯けなくなったアリアの視線を真正面から受け、ふとこの子の練り上げる魔術を見てみたいと、本人に認めさせてやりたいと思った。だからつい口に出してしまったのだ。
「ちょうど良いわアリア、あんたもこの際レイラと一緒に今度の魔術師試験に出てみなさい。記念受験よ」
直後瞳が零れ落ちそうなくらいに目蓋を見開いたアリアを見て、己の正気と冒険心を垣間見た気がしたわ。




