*9* 一般人で良かったなぁ(棒)
真夏の青空からやってきた不審者との邂逅から三時間後。穏やかな世界から目覚めて震えるワイバーンと、悠々とその背中を尻尾で押さえつけるクオーツ。
私はそのクオーツの鼻の頭を撫でながら木陰で膝を抱え、目の前で繰り広げられる光景を興味深く眺めていた。彼の魔法陣は黒い蔓植物のように歪にうねり、空に向かって伸びる先から透明になって、ガラスが砕けるように粉々になって消えていく。本当に魔術の形は師匠が言っていたように人によって違うらしい。
師匠が監修する結界張り直し現場で手伝えることのない私は、黙って二人の作業風景を見つめることさらに一時間後。
「変ね……そこまで無理難題を言ったつもりじゃなかったんだけど、口ほどにもないじゃないのこの子。今の宮廷魔導師って広範囲の結界を張ったりするのは得意じゃないのかしら」
顎に指先を添えてそう言う師匠の前には、焚き付けられて結界を修復しようとした不審者、もとい若い宮廷魔導師様が倒れている。もっと透かした人かと思っていただけに、魔力切れまで頑張って倒れてしまったのは意外だ。
そしてやっぱり師匠は化物並の魔力を持っているということも分かった。宮廷魔導師といえば引きこもりの私でも本で読んで、海をレンズ状に凹ませて津波を止めたり、三ヶ月も居座った雨雲を蒸発させたりという〝超人〟として記憶している。
「またまた師匠ってば昔を知ってる風な言い方しますね~。というか、どうするんですかこの人。自力で帰らせるのはもう無理っぽいですけど」
熱中症ではないにしても、夏の陽射しの下で酷使して魔力切れを起こしている彼の顔をハンカチで扇ぎつつそう言えば、師匠は「あてがあるから大丈夫よ」とにっこり笑うや中空に魔法陣を展開させて。あっと思った時には、淡く青白い輝きがクオーツとワイバーンをおいて私達を包み込んでしまった。
――で、その転移先といえば……。
「すみませんジークさん。勤務時間中にお邪魔します~」
「おー……昼に店を閉めて帰ったっきりだったってのに、急にギルドマスターの部屋に直接訪問か。ったく、お前さん達が暗殺家業に手を出してたらとんでもない商売敵になってただろうな。ただな、こっちだって仕事ってもんがあんだぞ?」
どっしりとしたオーク材製の書き物机に片脚を乗せ、もう片方の脚を組んだ上に書類の束を抱えていたジークさんは、突然何もない場所から現れた私達を見てさして驚いた様子もなくそう言った。
師匠の魔法陣はこんな風に受信する魔法陣がなくとも、師匠がはっきりと像を結べるほど憶えている場所に行くことも可能なので、実のところこんな風に特に時間帯について問題らしい問題もなかったりする。
「いつもサボりに来るくせに急に真面目になったふりは止めなさいよ。昼間の情報提供助かったわ。ついでにちょっと預けたいものがあるから持ってきたの」
そう言うや師匠が小脇に抱えていた彼を床に転がした。師匠は細身で魔術師なのに意外と力持ちなのが解せない。
「あのなぁ……いくら何でも引き受けるのが売りのうちのギルドでも、流石に宮廷魔導師の死体処理は請けてねぇんだが」
「大丈夫です。ちゃんと生きてますよ」
「あ? そうなのか? じゃあ何でこんなにぐったりしちまってんだよ」
手にしていた書類を机に置いて席を立ったジークさんが、こちらにやってきて気を失った彼を覗き込む。その説明のために口を開こうとした私を師匠が手で制して「森の結界を破ったから、その弁償をさせたのよ」とザックリと説明してくれた。
それを聞いたジークさんがさも呆れた様子で「あのお前さんが張った頭がおかしい魔力量の結界を一人でか?」と言うのに、師匠は悪びれた様子もなく「最年少の天才宮廷魔導師様ですもの。あれくらい出来て当然よぉ」とのたまう。天才の言うあれくらいの範囲は広くて深い。
「気絶した奴見せられて言われてもな。そんで、何でオレがこの魔術師を預からなきゃならねぇんだ?」
「ギルドマスターじゃない。それにあんたが前から匂わせてた面倒な仕事って、大方魔術協会の案件でしょう?」
「そこまでバレてんなら仕方がねぇか。でもま、オレはちゃんと断ってたぜ」
「でも結局来たんだもの。防げてないわ。一般市民の安全を守れてなじゃないの」
胡乱な表情でジークさんが「一般市民」と言うと、師匠が私の方を指差して「これ」と答える。指を差された私が「善良な一般市民です」と頷いて見せるも、ジークさんは眉間に苦々しい皺を刻んだ。
もう一押し説得力が必要そうだったので「師匠みたいな超人と並べたら、一般的で善良な市民です」と胸を張れば、ジークさんは舌打ちと溜息を交互にくれた。
「一応目を覚ますまでは預かるが、こいつがまたお前さん達のところに行くっつっても、オレには止められねぇぞ。魔術協会の連中に目をつけられるのは面倒だ」
「それで良いわよ。今のところはね。じゃあ、後は頼んだわ。あたしとアリアはボロボロでツギハギだらけの結界を直しに戻らないと」
そう言ってやや強引に話を打ち切った師匠が「ほら、帰るわよ」と手を差し伸べてくれる。私は一瞬だけ床に転がったままの彼を視界に入れたけれど、すぐに興味を失くして師匠の手を掴んだのだった。




