*5* 森上空に異常あり。
「今日は店が終わった後レイラと今後の打ち合わせをしてくるから、あんたはクオーツとしっかり留守番しておくように。もしもおかしなことが起こった場合は覚えたての魔術を過信しないで、クオーツと一緒に城に隠れていなさいね?」
「も~……子供じゃないんだから分かってますってば」
白い絹のシャツと長い脚をさらに長く見せるスラックスを颯爽と着こなし、髪を緩く纏めた師匠は今朝も靴下を探し回らせたくせにそう保護者ぶった。今日は目蓋にのせた極淡い水色の化粧とサファイアの耳飾りで夏らしさを演出している。
その手には昨日あれからささっと完成させてしまった美容パックの完成品。恐るべきことにスライムパックは皮膚の表面に残った不純物だけを綺麗に溶かし、必要な部分はかぶれもしない夢のアイテムだった。
私の傷跡の表面は常に少しがさついているのに、スライムパックを一晩我慢してつけたところややしっとりとしている。これなら原材料を知らなければダロイオと同じく売れ筋商品になること間違いなしだろう。だから――。
「自分から申告するのは子供の証拠よ。ほら、良いからこっちにいらっしゃい」
口調の割に有無を言わさない感じで引き寄せられて、その唇が魔力を流し込むために傷跡へ触れて。いつもなら師匠の唇に傷がつかないかと冷や冷やするけれど、今朝はしっとりとしているから安心だ。まぁスライムのおかげというのが素直に喜べないけど。
時間にして三分ほど。じんわりと感じていた熱が離れて「じゃあ行ってくるわ」と言い残すや、こちらの答えも待たずに師匠は工房に行ってしまった。残された私の溜息と「人の気も知らないで……」という呟きを聞いていたのは、テーブルの上に残ったソーセージを囓るクオーツだけだった。
その後はすっかり人間のご飯に慣れ、ドラゴンとしての食生活を忘れたクオーツを急かして食後の後片づけと、やりかけだった第二図書室を掃除し、日が真上からややずれた頃に汚城で出た生ゴミとあるものを手に外へ出た。
誰も見ていないのを良いことに前髪をスッキリ上げて、傷の残る顔を八月の陽射しの下に晒す。正常な肌と異常な肌が平等に晒せるこの森は、やっぱり私にとって特別な場所である。
「えっとねクオーツ、ちょっとこの紙を見てくれる?」
足許に立っていたクオーツが私の言葉にどれどれとでも言う風に伸び上がり、簡単な図を描いた紙を覗き込んでくれる。しばらくその黄色い瞳がキョロキョロと紙の上を行き来して、やがて理解を示すように「ギュッ」と鳴いた。賢い子だ。
「ん、見たね? それじゃあ早速お願いなんだけど、今から大きくなってあの木から……あっちの木までの間にある雑木を尻尾で薙ぎ払って欲しいの。師匠が帰ってくるまでにある程度形にしておきたいから、一緒に頑張ってくれる?」
手を合わせてお願いの格好をすれば、クオーツは「ギャウッ!」と元気良く返事をしてから一度その場で蹲り、陽炎のような光を纏い始める。その間に私は近くの木の根元に座り込み、猫くらいだった体躯が遠近感の狂う変化を遂げて再び立ち上がるのを見ていた。
元の大きさよりほんの少し小さいくらいの大きさになったクオーツが、地上を見下ろして私の居場所を確かめる。
こっちも見つけてもらいやすいように木の根元から出て大きく手を振って見せると、クオーツは一つ頷き、次いで太い尻尾を使って地面を掃いた。それだけで人間の木こりが数ヵ月かけてこなしそうな仕事が一瞬で終わるのだから凄いものだ。
空を飛ぶなとは言われたけれど、森の中で暴れてはいけないとは言われていないし、出来れば化粧品には普通に草木系の材料を使いたい。
ベキボキと凄まじい音を立てて倒れていく木々。飛び立つ小鳥に混じって魔物もチラホラ。その轟音と土煙から私を護ってくれるのは、師匠にもらった耳飾り型の護符である。これがなかったら鼓膜が破れて土煙で肺をやられているところだ。師匠に感謝。
「良いね~、格好良いよクオーツ! それじゃあ次は薙ぎ倒した木を一ヶ所に集めてその立派な爪で樹皮を剥いたあと、ついでに地面を抉って欲しいな~?」
現場監督にしかなれない私は、森の中にある畑のさらなる拡大作業に着手するべく、無垢なレッドドラゴンをおだてて土木作業を頼む。まず必要なのは生ゴミを堆肥に作り替える穴と、その手助けをしてくれる腐葉土作りだ。
本当なら岩盤にも穴を開けられそうな爪で地面に穴を掘り、そこに生ゴミと掘り戻した土を混ぜ込む。
器用に座り込んでベリベリと生木から樹皮を剥くクオーツと、籠編みに向いている樹皮の選別をする私。けれど急に手許が暗くなって顔を上げれば、隣でクオーツが翼を広げて私を庇うようにして、空を見上げたまま喉の奥で唸り始めた。
翼の下から少し顔を出してクオーツの睨む先を見上げると、森の上空にワイバーンらしきものが一頭大きく旋回している。キラキラ光る様から何か金属的なものをつけている可能性大。ということは背に誰か乗せているっぽい。
「ね、クオーツ。何か分からないけどまずい感じがするから城にもど――、」
〝ろう〟と続ける前に、上空を旋回していたワイバーンが一声大きく啼いて。その直後にカパッと開いたクオーツの口から上空に向かって巨大な火柱が上がった。




