*4* 良質なパック(原料)を捕まえに。
レイラさんがクオーツのことで注意した方が良いと助言をくれた女子会から一ヶ月。特にギルドで見初められるといった甘い出会いがあるでもなく。
八月の気候は汚城の掃除と洗濯と畑仕事と細々した薬の調合に加え、現在二日に一度のギルドの掃除に精を出す私の体力と気力を奪っていくが、最近ではさらにそれとはまた別の試練が私を突き動かしていた。
それが現在相対している身体の九割が水で出来たスライムである。
スライムといえばギルドではお馴染みの低級魔物……と、戦闘力のない私にはとても言えないけど。奴等の特技は忍び寄ってからの強襲。ドプンとあの九割くらい水なんじゃないかという身体で飲み込んだら、あとは獲物の穴という穴から自身の一部を流し込み、窒息死させる。それから獲物の大きさによっては二時間から一日ほどかけて消化するのだ。
以前小型の魔物を飲み込んで消化されて白骨化する前の、半分肉が残った状態のやつを見てゾッとしたことがある。師匠にもらったお守りのおかげで魔物に感知されないと分かっていても怖い。しかも目の前にいる個体はさっきしくじったせいで、他の個体と合体して今や牛くらいの大きさに成長してしまっていた。
「ほらほら、どうするのアリア。あんたがさっき二重目の座標の組立をしくじったせいで、またそいつが大きくなったわよ。次に仲間を呼ばれて合体されたら手におえなくなるんじゃない?」
「わ、分かってます。えっと……十六、五十三、十五、引くこと三十……それから四十四の、じゅう……じゅう……」
術者の迷いを感じ取るように淡い輝きを放つ雪の形の魔法陣。その中でも一番弱くて小さい角板が私の唯一操れる術式なんだけど……。
「対象物が大きくなった場合は座標を重ねて結晶の枝を増やしなさい。今のだと威力が足りないわ。それからクオーツはアリアを庇おうとしないの。あんたが倒したら特訓の意味がなくなるでしょう」
師匠にぴしゃりと怒られて、私の足許で援護をしようとしていたクオーツが「グギュー……」と不満げに鳴いた。不甲斐ない飼い主でごめん。私も泣きたい。でも眼前にはグニグニと奇妙に形を変えて触手を伸ばしてくるスライム。早くあの核に届く攻撃をしないと飲み込まれる――!
「じゅ、十二、四百飛んで九十七、重ね十五の……ああもう! 然るに放ち、これにて留まれ!」
自棄糞になって叫んだ瞬間小さな角板が一つから三つになり、その中心から柱状結晶群が勢い良く噴き出した。だけど弾力のある表面に弾かれて核に届かない。焦って一度下がろうとしたら、いきなり背後から肩を引かれて。
気がついた時には樹枝六花の魔法陣から放たれた氷柱が、こっちに触手を伸ばしていたスライムの核を貫き通していた。核を失った途端にドロドロと形を保てなくなって溶け出すスライム。
その光景に緊張の糸が切れて腰が抜けそうになった私を、師匠がグイッと引き上げて立たせてくれた。膝が完全に笑っている。
「あんた本当に座標の組立が下手くそねぇ。今のだって最後まで構築しきれてないじゃないの。スライムの餌になるような弱い弟子とか嫌よあたし」
「ごめんなさい師匠……」
「まぁ元々スライムと初期の氷魔術は相性が悪いし? 今回はスライムの粘液が必要だったから核を狙わせたけど、本来は火をぶつけた方が手っ取り早いのよ。あとは敵と対峙する時に怯えない。戦闘は目を逸らした方が死ぬ。今の感覚を憶えて次に活かせば良いわ」
そんな師匠の言葉を聞いて、クオーツが知っているとばかりに小さく炎を吐く。戦闘力があるのに数に入れてもらえなくてご立腹みたいだ。擦り寄って慰めてくれるクオーツの頭を撫でれば、ツルリとゴツゴツの中間、冷たいと温かいの間の手触りがした。
何で掃除婦が戦闘訓練の真似事なんかしなくちゃならないんだとは思うけど、レイラさんの持ってきてくれた話の翌日から、クオーツが大きくなれない時や傍にいない時のことについて二人で話し合った結果がこれなのだ。
私としても知らず知らずのうちとはいえ、今まで師匠にもらっていた魔力が蓄積されているなら有用に使いたかった。だから師匠ほどの魔術師に魔力を分けてもらっていても実力が全然伴わない自分の無能さが悔しい――……と。
「それよりも今みたいに座標を叫ぶ方が問題ねぇ。もし森の外であたしの組み立てた芸術的な座標をばらしたりしたら破門よ。は・も・ん。だからさっさと無詠唱で魔法陣の構築が出来るようになりなさいね?」
何気ない風を装ったつもりでしょうが師匠、弧を描いてる唇と違って目がちっとも笑ってないです。けれどビクつく私のことなんてすでに師匠の眼中にはなくて。地面に吸い込まれ始めたスライムを前に膝をつき、服のポケットから小瓶を五、六本取り出すと、スライムを掬い取って瓶詰めにしていく。
あれの使い道が以前師匠が失敗した美容パックレシピ改良版に活かされるということと、その最初の被験者になる我が身の不幸。
要するに殺されかけた魔物の成れ果てに良い香りのする香油をぶち込み、美容パックとして生まれ変わらせたものを顔面に塗布するのだ。ひんやりしてて、この時期にぴったりの目玉商品になるのは分かっている。実際にお肌の状態もとても良くなるし、レイラさんの十月の予定までにさらに彼女を磨く手伝いもしたい。
分かってるんだけど……好奇心旺盛で更には努力を惜しまず、九月の昇級試験の勉強をしながら仕事にも手を抜かない努力家な彼女にあれの原材料を聞かれたら、どう答えれば良いものだろうか。そんな悩ましい思いを抱える私を振り向いた師匠は「あんたも早く掬いなさい。次は泥スライムを狩りに行くわよ」と。
無慈悲にそう言う師匠は、ええ、とても。とても輝いて見えたのでした。




