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*5* お姉さんだからね。


 小さなマリーナに手を握ってもらってついていった先はあの湖だった。今日も今日とて金色に輝く湖面は幻想的でありながら物悲しい。二人で湖の縁まで近寄り、マリーナがしゃがんだのでこちらもそれに倣って隣に膝をついた。そうして私の服の袖を引っ張った彼女が湖面を指差す。


 促されるまま覗き込むと、そこにはかなり不明瞭ではあるものの、薄っすらとオルフェウス様の姿が見えた。ただ周囲はぼやけて彼の肩から上くらいまでしか見えない。けれど――。


「もしかして……マリーナ、オルフェウス様の姿なら見せられるから、私が泣いてる間にここで頑張って映像を繋いでくれてたの?」


 両手を拳の形にしてコクコクと頷く彼女の姿に、せっかく引っ込みかけていた涙がまた滲んできた。こんな良い子があの嫌味な自信家と血の繋がりがあるなんて信じられない。でも彼がこの子の兄でいてくれたから、まだ少しでもあちら側の世界を垣間見れるのだ。


 労るように懸命に背中を擦ってくれる小さな掌。その淡い温もりにささくれた心が一気に丸くなる心地がした。そして見た目こそ急に私に出来た五人の弟子のうち、双子のアムラとメルラと同じ五歳くらいでしかない少女は、恐らく宮廷魔術師である兄の才能を上回っている。


 誰に教わったわけでもないのに、こうしてしっかりと自身の持つ魔力を扱えているのがその証拠。あのオルフェウス様が必死になるわけだ。この才能がここで終わるなんて信じられない。人類の損失だ。


 加えてオルフェウス様は師匠のお気に入り。意外とすぐにもう一回動いている師匠が見られたりするかもしれない。でも見られたら見られたで嫉妬の炎に心臓がやられそうではあるけど。


 そこまで考えてふと、今の今まで全然働いていなかった脳がピリリと信号を発した。狭間の世界に時間の概念はほとんどないという。マリーナの肉体成長速度を見てもそれは証明された。


 だとしたら私が消滅したあとも、この努力家な良い子が自分で研鑽を続けたら――……或いは。いつになるか分からないけど、諦めなければかなり夢見がちな発想ではあるものの、ここから出られる可能性もあるのではないだろうか? 少なくともゼロではない。


 それに私はオルフェウス様にマリーナを助ける方法を探す約束をしてたのに、自分の復讐に取り憑かれて全部放り出してきてしまった。これはあまりにもいただけない。希望を提示してからの放置は鬼畜すぎる。


「ねぇマリーナ。もしも良かったらなんだけどね? 本当に大したことは出来ないんだけど座学にはそこそこ自信があるっていうか、つまりですね、私が消滅しちゃうまでの間に魔術の扱い方を教えてあげたいって言ったら……どうすぅっ!?」


 みなまで言う前にさっきの比ではない衝撃が右半身を襲った。頬をバラ色に染めてこちらを見上げる美幼女。小さい子にここまで期待されたらお姉さん頑張っちゃうぞって気になってくるよね。


「よーし! それじゃあどれくらいここにいて教えてあげられるか分からないけど、よろしくね!」


 空元気でも元気は元気。意気込んで座り込んでいた状態から立ち上がろうとした私の手首を、マリーナのぷにぷにした手が掴んだ。そしてその短い指で湖を指差す。オルフェウス様の映像に変化でもあったのだろうかと視線をやるけど、さっきまでの映像と特に変化はない。神経質に眉間に皺を刻んだ余裕のない美青年が映っているだけである――と。


 こちらの視線が湖面の映像に向いていることに気付いた彼女が首を横に振る。どうやら他に伝えたいことがあるらしい。でも湖面に映っている情報はそれだけだ。小首を傾げて見せると、マリーナは湖面に身を乗り出してもっと奥を指差す。そして次に自身の手首を指差して金色の鈴がついた腕輪を〝リン〟と鳴らしてみせた。その動きにもう一度湖面ではなく、湖の中を覗き込んだ。


 湖にはいつの時代の誰の物とも知れない無数の腕輪が沈んでいる。でもそれはきっとどれも誰かが誰かに持たされた祈りの形だ。どこまでもどこまでも続くそれは黄金色に輝く絶望の絶景。


 けれど魅入る私の隣でまたマリーナが焦れた様子で〝リン〟と鈴を鳴らす。そこでふと狭間の世界にいる愛し子の条件を思い出した。ああ……成程。確かに褒められた行為ではないかもしれないけど一理ある。オルフェウス様の妹だけあって合理的な考え方だ。将来が有望すぎる。


「もしかして、もしかしなくても……その腕輪がここに存在するために必要な手形なんだ?」


 どうやら大正解だったらしい。途端に盛大な拍手をしてくれるマリーナ。手首の腕輪についた鈴が拍手に合わせて陽気に鳴り響いた。その姿は正しく精霊の愛し子と呼ばれるに相応しい可愛らしさだ。


 これは仮説だけど、精霊の悪戯によって押し込められた檻の世界。絶望からくる自我の摩耗と消失。湖に身を投げたことで腕輪との同調は解かれる。腕輪はここで抗う命の証。精霊達にとって愛し子の存在価値は狭間の世界の暇潰し。


 だとしたら――……腕輪の持ち主に個別の認識も思い入れもないのでは?


 正直これからやるのは遺品の略奪にあたる行為だ。気は進まない。緊張で冷や汗が滲む。でもこの腕輪の持ち主達は諦めてしまった(・・・・・・・)じゃないか。この子はまだ諦めていない。対する私はまだ諦めきれていない。褒められた行為でなくとも縋れるものなら縋る。いや、掴む。


「じゃあ、まずは実地……実際に魔力を使って何が出来るのか、やってみせるからよく見ててね」


 本当は狭間の世界で使えるかどうか分からない。けどやってやる。


 私はルーカス・ベイリーのたった一人の弟子だから。そう自分を奮い立たせて深呼吸をひとつ。神経を集中させて師匠に教えてもらったように魔力で極々細い糸を紡いでみる。


 もうほんの少ししか残っていない師匠の魔力の残滓で、小さな小さな籠を編む。すぐにあちらの世界の時とは比べ物にならない眩暈と吐き気が襲ってきたものの、それを無視して必死に魔力の籠を編んだ。


 途中で心配したマリーナが袖を引っ張ってきたけど、止めることなく両手を器の状態にしたくらいの大きさの籠と、それを引き上げるために取っ手と一体化したロープを編み上げた。ロープを長くするために籠の大きさと深さが犠牲になったけど致し方ない。


 そうして完成した籠に重しになりそうな小石を幾つか入れて、マリーナが見守る前でそっと湖面から水中に落とした。着水直後に小石が水の抵抗を受けて一つ二つと溢れたけれど、比較的湖の浅い縁部分に埋まっていた腕輪の一角に無事辿り着く。さてここからが肝心だ。この一角が崩れたら難易度が跳ね上がる。


 しかし私も伊達にずっとダロイオを釣ってきたわけじゃない。くっ、くっ、と小刻みにロープを手繰って籠を動かし、小石の重さを利用して少しずつ籠を腕輪の群れの中に食い込ませ、絡まった腕輪の山を一気に壊さないように最新の注意を払う。一気に崩れたらこの籠は重さに耐えられずに駄目になる。


 そーっと、そーっと、じわじわ、じっくり。


 腰を据えた釣りと同じ要領でどれくらい粘っただろうか? 魔力の操作に疲れて目が霞んできた頃やっとクンッと籠に重みが乗る気配がして。マリーナと二人、逸る心を鎮めてゆっくり引き上げた籠には、少しくすんだ金色の腕輪が一本入っていた。ちらちと隣のマリーナを見やれば両の手首に輝く腕輪。


 い…………よぉぉぉし、あともう、一本頑張れ私。

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