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◆プロローグ◆


 華美すぎず、地味すぎず。品の良いレースのカーテンが、開け放たれた窓から流れ込む朝の爽やかな風をはらんで翻る。


 パステルピンクの天蓋つきのベッドとダークブラウンで統一された猫足の家具は、部屋の主の乙女趣味な人物像を物語っていた。そんな窓辺の程近くにある大きな鏡台の前には、一目見れば誰しも目を奪われるであろう絶世の美貌を持った――……青年が座っていた。


 一瞬この部屋の主の恋人かもしれないと思えど、クリーム色のシルクで仕立てられたドレス風のネグリジェに身を包んだ姿に、その考えは儚い夢と消える。歳は凡そ二十代前後。座っているから分かりにくいが、組まれた長い脚から立てばかなりの高身長だと思われる。


「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番美しいのは誰かしらー?」


 耳に心地良いベルベットボイスで、ご機嫌な節回しと共にその唇から飛び出したのはまさかの……いや、もうこうなったらそうだろうなと予測が出来る言葉遣い。総合的に視覚と聴覚が見る者の期待と理想を真っ向から裏切ってくる仕様である。そしてその問いかけをしながらも、テキパキと元から手直しなど必要がなさそうな顔に化粧を施していく。


 シミ一つないどころか毛穴もなさそうな白い肌、長い睫毛に縁取られたつり気味な深紅の双眸、通った鼻筋に薄い唇。癖のある豊かな金髪を軽く結わえただけの寝起き姿も、退廃的で一種芸術めいた美しさがある。


 化粧が終わったのか、出来映えチェックをした彼が鼻歌混じりに髪をほどいて結わえ直そうとした次の瞬間、突然部屋のドアがノックもなく開いた。そこに立っていたのは顔の半分を包帯に覆われた痛ましい姿の少女だ。


 歳の頃は十六、七。無事な方の顔つきは至って平凡ではあるものの、クルミ色の丸いタレ気味の目は力強い光を放っている。彼女は後ろで一本にキリリと結ばれた狐色の髪を揺らしながら、白いエプロンを翻してズカズカと遠慮のない足取りで立ち入って来た。


「はいはい、おはようございます。今日も師匠が世界で一番美人ですよ~。それよりもまた靴下裏返したまま洗濯物に出しましたね? これをやられると、いちいち表に向け直して干すの面倒なんですってば」


 おざなりな挨拶と褒め言葉もそこそこに鏡台の前に座る彼の後ろに立つと、矢継ぎ早に文句を言いながらご立腹の元凶らしき靴下をエプロンのポケットから取り出し、鏡の中に映る青年に見せつけた。


「……んもぅ、人がせっかく爽やかな朝の支度を楽しんでるのに、あんたは本当にうるさい子ねぇ。情緒が足りないわよ?」


「はあ、情緒ですか。そんなものとっくに隣の汚部屋に放り込んでます。それよりも師匠、不必要な物を一つの部屋に押し込むのを片付けとは言わないって、何度言ったら分かるんですか~。いくら空き部屋が多いからっていつかはいっぱいになりますよ? この前一ヶ月全く使わなかった物は捨てるって約束したでしょう」


 とはいってもこの約束は大抵一月に一度は確実に更新される。そして師匠と呼ばれた人物がその約束を守ったことは、これまでただの一度もない。


 少女も無駄だとは理解しつつも、釘を刺しておかねばこれ幸いと侵食の速度が早まるので、言わずにはいられないのだ。しかし鏡の中に映る青年は涼しい顔で「だからよ」と答えた。


「はぁいぃ~?」


「分からない? 不必要じゃないから全部隣の部屋に押し込んだの」


「全く理解出来ないですね~。あと、今日は午後からご新規のお客が来るって言ってたじゃないですか。だから工房に脱ぎ散らかしてる靴下やら洋服を回収しときましたよ。本当にもう、美の伝道師の家が汚部屋だと次からお客が減ります」


「それを何とかするためにあんたがいるんでしょ」


「物事には限度があります。そして師匠のそれはとっくの昔に限度を超えてます」


「口うるさいガキはこれだから……」


「若作りの年増はこれだから……」


「――おいコラ、小娘。今なんつった?」


 軽妙なかけあいの最中少女の発した聞き取れるか否かの極小の呟きに、光の速さで飛び出す野太い声。美声には違いないが、完璧に男の声である。けれど少女は少しも悪びれた様子もなくシレッと小首を傾げた。


「いいえ何も言ってませんよ~。それよりも流石は美の伝道師。恫喝ですら腹に響く美声ですね」


「あら、ありがと……って、言うわけないでしょうが。あんたは人のことを師匠呼びするんなら、もう少しは師を敬いなさいよねー?」


「それは勿論。敬わせて下さる行いをしていただけたなら、私としてもとーっても嬉しいです。ええ。本当に」


 少女は敬う気皆無な声音でそう言いつつ、座ったまま振り向こうともせずにブラシを手渡してくる青年からそれを受け取り、手櫛でも整えられそうな指通りの髪を慣れた手つきで梳かし始める。


 これが彼と彼女……森の魔術師ルーカス・ベイリーと、その弟子アリアの一日の始まり方なのだった。

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