桜花の拠点
桜花の解放団は風原が通っていた大学を拠点として活動している。
次元災害以降、事実的に運営が崩壊し、施設が丸ごと放置されたところを桜花の解放団が借り受けた形だ。
大学関係者は全て一年前に安全な地域へ避難しており、現在利用するのは解放団の団員だけとなっている。
維持管理も団員が行っているが、団員の数は現在わずか20名。そのため使用しているのは敷地内にある学生寮と、講義棟を一棟、あとは食堂のみだ。
使われていない教室などは、時間が止まったように静寂に包まれている。
たった一ヶ月しか学生生活を送っていない風原には、既にかつての賑わいが思い出せないほどだ。
そんな大部分が放置された大学の中を、風原は荒崎と並んで歩く。目指す先は作戦本部として使用している多目的室だ。
帰還して早々だが解放団のリーダーである東郷へと、今日の出来事を報告しなければならない。
「報告が優先なのは分かるけど、あの子のことが気になるね。無事に目が覚めてたらいいけど……」
「報告がてら大将に聞いてみようぜ」
「そうだね」
少女の安否を気に掛けつつ、2人は目的の部屋へと辿り着いた。開け放たれたままの扉から荒崎を先頭に入室する。
「失礼するぜ。C班荒崎、風原。ただいま帰還だ」
荒崎は気安く片手を上げながら室内にいた人物達へと声を掛けた。
部屋の中にいたのは3人だ。
「おう。荒崎に風原。無事で何よりだ。不測の事態の中、本当によくやった」
1人目は、荒崎と風原の2人を歓迎するように屈託のない笑みを浮かべる東郷正樹。
風原の先輩で現在24歳。桜花の解放団の団長にして王。長身で筋骨隆々でありながら、威圧感よりも頼り甲斐と親しみやすさを感じる雰囲気をしている。
「ああ。別世界へ行って、怪我もないのなら最上の部類だ。2人ともよく帰って来た」
2人目は、落ち着いた表情で無事な2人を褒める副団長の橘徹。豪放磊落な東郷の補佐を務める22歳の秀才だ。
細面に浮かぶ双眸には、組織の運営を担う責任感が窺える。
「2人ともお帰りなさい。無事に帰って来てくれて良かった」
最後の1人は、荒崎と風原を見てほっとした表情を浮かべる橘茜。徹の妹で21歳。豪快な団長と、神経質な部分を持つ兄を支える補佐役だ。
穏やかな表情の中には芯の強さが垣間見える。
「どうも。ただいまです。皆さんもお疲れ様です」
風原は、部屋の中に入りながら3人に礼をする。別世界を往復した風原達も大変だったが、作戦後のイレギュラーにほとんど情報がないまま対応することになった3人も、精神的な疲労は重いはずだ。
その疲労も見せずに、東郷はニッ、と人好きのする笑みを浮かべる。
「2人とも座ってくれ。疲れてるだろうからな。さっさと終わらせよう」
東郷達3人に向かい合う形で、荒崎と風原は席に着いた。着席した2人の顔を見て、東郷は深く頷く。
「さて、まずは2人とも。さっきも言ったがよく無事に帰って来た。“穴”の向こうへはいずれ挑戦するつもりだったが、今回はあまりに突然の事態だった。そのイレギュラーを越え、五体満足で人命救助までして来たお前らを、俺は誇りに思うぞ」
「べた褒めだな」
「ども」
東郷の持ち上げぶりに、荒崎は軽く、風原は少し照れながら返した。
「これでも言い足りないくらいだ。何せ“穴”に入って帰って来た人間は、民間人ではほぼゼロだろうからな。自衛隊を除けば日本ではお前らだけの可能性もある。向こうの状況がどうであれ、偉業であることには変わりない。何より――」
東郷が真剣な目で荒崎と風原を見る。
「“穴”の向こうの情報は、千金に勝る価値がある。今の日本は空と海を封じられ、正真正銘の孤島となった。国外から資源を輸入することが出来ない以上、復興のためには魔獣を倒し、“穴”の向こうを攻略する必要がある。今日のお前らの活躍はその第一歩だ」
東郷の言葉には、この一年で物資の不足を実感した重さがあった。
桜花の解放団の目標は魔獣に奪われた土地の奪還だ。だが、土地を取り戻したとしても、元に生活に戻れる訳ではない。
一年前の次元災害により、空には翼を持つ魔獣が棲む、通称“竜の浮島”と呼ばれる空飛ぶ島が複数出現し、海は巨大な海獣が縄張り争いを繰り広げる魔の領域と化した。
日本は元来輸入大国だ。燃料のほぼ全てを輸入に頼り、その他の品種も輸入品が多い。現在は災害等に備えた貯蔵物資を放出することで国をギリギリ維持しているが、それも長くは続かない。
国が崩壊する前に燃料系の確保は必須だった。今は自衛隊がそのために活動しているが、いずれ桜花の解放団も別世界へと挑まなくてはならないだろう。
「まあ、とは言えそれも、まだ先の話だ。俺らには地下資源の有無が分かるような専門家なんていないからな。しばらくは“穴”の封印に専念することになるだろう。俺らは俺らが出来ることをやるのみだ。さて!」
パン、と東郷が両手を叩く。話題を変えるように、ニッカリと笑顔を浮かべた。
「脱線して悪かった。話を戻そう。まずはそうだな。報告を受ける前に、救助した子について話すか」
「どんな状態ですか?」
風原は身を乗り出す。“穴”の向こうから自分の腕で連れて来た少女。当然、容体は気になる。
「今も朝比奈が付き添っているが、意識はまだ戻っていない。福見が診断した分だと体には異常はないらしいが、ここで調べられる内容は限られているからな。明日の朝までに目覚めないようなら、病院に連れて行こうとは思っている」
病院の話題に対し、茜が表情を曇らせながら口元に手を寄せた。
「病院に、受け入れてくれる余裕があるといいんですけどね……」
現在は医療用品の不足も深刻になっている。医療設備のメンテナンスも難しく、重体ではない患者の受け入れは厳しい。たらい回しの末、どこにも受診できない可能性すらある。
そんな妹の心配を、兄の徹がフォローする。
「無理そうな場合は馬場さんの伝手を頼ってみよう。今回の功績を踏まえれば、一人くらいは融通してくれるはずだ」
徹の発言に、東郷はニヤリと笑う。
「あの食えない馬場さんのことだからな。俺らに貸し一つにしておいて、プロパガンダに使うくらいはやるかもしれん。『民間で初めて“穴”を封印した若者中心の組織。行方不明の少女の救出も果たす!』なんてな」
悪戯を思い付いたような東郷の視線を受けて、風原は控え目に笑う。確かにやりそうだとは思った。この苦境で働く大人達は強かだ。
それはそれとして、
「行方不明、と言えば、あの女の子の情報って何かありましたか? 家族から捜索願いが出てるとか」
風原の質問に、東郷が若干眉を寄せながら首を横に振る。
「いいや。俺らもさっきまで調べてたんだが、残念ながら行方不明者の名簿にはそれらしい記載はなかった。まあ、一年経った今でも情報は錯綜しているからな。単純に漏れている可能性もあるだろう」
「ま、そうだろうな。後は、本人が起きることを祈るだけ、か」
風原の隣で、荒崎が腕を組む。残念そうではあるが、仕方ない、という雰囲気だ。
「祈るべき神の名前も、俺らは知らないままだがな。……さて、謎の少女の話は一旦終わりだ。荒崎、風原。作戦終了から帰って来るまで、何があったのかを聞かせてくれ」
「おう。それなら代表して俺が話すぜ。まずは作戦終了後に――」
荒崎の説明を横で聞きながら、風原は時折説明を補足する。
絶壁の崖。金属の洞窟。水晶の少女。一面の巨大結晶。鉱物の獣――神の加護を持つ生命。
創造主の言葉が確かならば、魔獣は神の加護を得て進化してきた存在だ。そして、風原が持つ『領有の旗』もまた、神からの加護である。
だが、その神の名も、逸話も風原は知らない。
少女が無事であって欲しいと願う祈りは、名も知らない神に届くのだろうか。