“穴”の封印
A班とB班が到着し、朝比奈は少女を連れて一足先に拠点へと戻った。
日が傾き始め、影の伸びた荒廃した駅前には、封印を担当する灰田、打木、風原が真剣な表情で並んでいる。
全員の準備ができたことを確認し、封印班の中で年長の灰田が行動開始の音頭を取った。
「それじゃあ、打木、風原、始めるぞ。東郷さんの言っていた通り、“穴”に異常が出たら退避だ。小さなことでも、疑問に思ったらすぐに声を上げろ」
「はい」
「了解です」
返事をする2人の顔を鋭い目付きで見回し、灰田は頷く。
「打木は結界の構築に入れ。風原は“穴”を抑えつつ俺と打木の強化だ。手早く進めるぞ」
「「はい」」
封印に関する手順は事前に確認済みだ。3人は、自分の役割を果たすために行動を開始する。
風原は“穴”前のアスファルトに刺さった“旗”を握る。『領有の旗』は支配下に置いた領地に干渉する能力を持つ。
風原は灰田と打木の能力を強化しながら、“穴”を抑えにかかった。
「干渉範囲を限定……“穴”周辺に集中……」
数時間前は不意打ちを食らったが、心構えさえあれば“穴”の急な動きを押さえ込める。そう自らを鼓舞しながら、風原は“旗”を握る手に力を籠めた。
打木信也。線の細い、温厚そうな青年だ。打木は優し気な顔に緊張を滲ませながら“穴”を見つめ、細いフレームの眼鏡の奥で目を細める。
「ふう。始めよう」
小さく息を吐き、自らの加護を呼び出す。開いた右手に現れたのは、艶消しの黒で塗られたような、細く長い杭だ。
打木の持つ加護は『標の杭』。
風原の『領有の旗』と同じように領地を定める力を持ち、杭で囲んだ範囲を結界として区切り干渉することが可能な加護だ。
複数本の杭を埋めるという手間が掛かるが、風原の加護よりも干渉する力は勝る。
今回は“穴”の封印のために、東西南北で4本の杭を設置する計画となっている。
目視で場所を定め、打木は杭を打つためのハンマーを取り出す。左手で“杭”を固定し、ハンマーを持つ右腕を大きく振り上げた。
「ふっ」
ガッ、と打たれた杭が地面に突き刺さる。繰り返し叩き、より深く埋めて行く。右手に響く手応えと共に、黒い杭は半ばまで地面に沈んだ。
「……これでよし。あと3本」
新たな杭を生み出し、打木は次の地点へと向かう。
灰田希星は、予定通りに働く年下の2人を確認しながら自らの加護を呼び出した。
ダラリと下げた両腕の近くから、ジャラジャラと、鉄色の鎖がこぼれ落ち始める。アスファルトの上でとぐろを巻いて広がる鎖は、空間から溢れるようにその長さを増していく。
柳屋の加護は『停滞の鎖』。
鎖で縛った対象を停め、滞らせる。人も物も、加護の力さえも封じることができる、今回の“穴”封印の要となる加護だ。
「さあて、始めるか。ったく、鎖が勝手に動けば楽なのによ」
自らの加護を皮肉るように唇を曲げながら、柳屋は鎖を手に取って歩き始める。『停滞の鎖』がその能力を発揮するには、対象を縛ることが必要だ。
だが神の加護とは言え、鎖はひとりでに動いたりはしない。巻き付けるには人の手が必要だった。
灰田は打木が埋めた『標の杭』へと向かい、自らの“鎖”を巻き付けて固定する。それからジャラリジャラリと鎖の音を引き摺りながら“穴”の周囲を歩いた。
「力の流れは滞れ。存在の時間は停まれ。……そして全ては停滞に沈め」
口の端で歌い上げながら、灰田は触れることのできないはずの“穴”へと、何重にも鎖を巻き付けていった。
20分ほどで、3人は封印の準備を終えた。
“穴”の四方には打木の『標の杭』が立ち、その“杭”から伸びた灰田の『停滞の鎖』が幾重にも“穴”を縛り付けている。
その異様な光景の手前で、風原の『領有の旗』は桜の花が散る布地を揺らしていた。
「……この状態で、“穴”の動きは半減ってところか?」
「そうですね」
灰田の言葉に隣に立つ打木が同意した。風原も目を閉じて“旗”に集中する。“穴”から伝わってくる反発力のようなイメージは、確かに先程の半分くらいだ。
視覚的にも、縛られた“穴”の回転が遅くなっているのが分かる。
見た目でも、加護から伝わる手応えでも、“穴”がその活動を弱めているのは確かだった。
「さて、なら最後の一押しと行くか。打木。風原。一気に完全な封印まで持って行くぞ。カウントは3秒だ。タイミングを合わせろ」
「はい」
「了解です」
最後の仕上げをするために、3人はそれぞれ自らの加護へと集中する。
「カウント開始。3、2、1、今!」
同時に、3人は加護を強く発動させた。灰田は停滞の力で“穴”を縛り上げ、打木は区切られた結界の中で“穴”の活動を阻害する。
そして風原は2人の強化をしながら、“穴”を塗りつぶすように自らの力を注ぎ込んだ。
全力の行使により、3人の加護が白く光を放つ。
その光に押されるように、“穴”の黒い渦がガクリと回転する速度を落とした。無理矢理止められた歯車のように、空間を軋ませながら渦が止まっていく。
ギ、ギ、ギ、と、音にならない軋みを3人に伝えながら、不定形の闇が形を持ったように固定されて行き、ついには止まった。
停止した状態の“穴”に対して駄目押しとばかりに加護を行使し、再び動き出さないことをじっと確認してから、3人はようやく力を抜いた。
「ふう~。無事に封印できたみたいだな。初めてで一発成功なら上出来だろ。良くやった2人とも」
珍しく笑みを浮かべる灰田に、打木がほっとした様子で応える。
「無事に封印できて良かったです。はあ、緊張しました。風原君は大丈夫?」
打木の視線の先には、疲れた様子で“旗”に体重を預ける風原の姿。封印が終わり緊張が解けたのか、一日の疲れが重く肩へと圧し掛かっていた。
「……疲れた。ようやくやることが全部終わった。帰って寝たい……」
この町の開放作戦に従事し、未知の世界で少女を抱えて山を登り、戻って来てすぐに“穴”の封印を行い、と、今日の風原は大活躍だ。
いかに若く、鍛えているとはいえ、体力的にも精神的にも疲労が重い。
灰田が疲れた様子を滲ませる風原へと近づき、丸まった背中を軽く叩いた。
「お疲れさん。今日は災難だったな。大学まで車を回してやるから休め。着いたら東郷さんにはちゃんと報告しろよ。報告が終わるまでが仕事だからな」
「ういっす。灰田さん、ありがとうございます」
灰田に礼を言い、風原はふらりと立ち上がる。
西に視線を向ければ、太陽はもう赤く染まっているところだった。赤い夕陽が目に痛い。
――あの子はそろそろ起きたかな。
角の痛みが残る胸元に触れながら、風原は少女のことを想った。