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地球への帰還

 洞窟の外は崖の向こうと同じように、巨大な結晶が乱立する別世界だった。幻想的な光景ではあったが、乱反射した太陽光に全周から照らされるせいで、じっくりと観察するには眩し過ぎる。


「ていうか今更だけど、こっちの世界にも普通に太陽はあるんだね」


 薄目で見上げた空は快晴だ。空だけを見ていたなら、地球との区別はつかないかもしれない。


「自衛隊の話によると、酸素濃度とか気温とかは、地球とほとんど変わんないらしいぜ? まあ、ここも俺らの世界も、創造主サマとやらが創ったらしいからな。そこら辺は揃えたんじゃねえか?」


「2つの世界が対照実験の舞台だとすれば、環境的な条件はほとんど同じでしょうね」


「なるほど。創造主の意思ってやつかあ……」


 呟きながら、風原はちょうど一年前のことを思い出す。全人類が聞いた創造主の声を。

 この世界はシミュレーションだと、淡々と言った声のことを思い出す。


 世界が虚構ならば、その中に存在する風原達も当然虚構の存在だ。1と0で積み上げられた偽物。ただの幻想。超性能の演算装置が映す夢。


 それがどうした、というのが風原のスタイルだが、それでもアイデンティティに打ち込まれた楔のような事実は、たまに不愉快な胸の痛みを伝えて来る。

 じくじくと、この自意識さえも本物ではないと。胸が痛む。


「……まあ、今は物理的に胸が痛むんだけど」


 風原が下を向けば、そこには風原の胸元に顔を寄せる少女の姿。眠っていても周囲の眩しさは感じるようで、光から逃げるように首を動かしている。


 当然、顔が動けば角も動く。硬い角がゴリゴリと当たって痛い。


「地味に痛い……。早く起きないかなあ、この子」


 起きたとしても、たぶんこのまま運ぶことになるけど。と風原は思う。さすがに、靴も履いていない少女を歩かせることはできない。裸足では数歩進んだだけで傷だらけだ。

 今日(こんにち)では、医療用品は非常に貴重な代物なのだ。小さな傷であっても、なるべく避けたいところである。


「風原。今で半分くらいよ。もう少し我慢しなさい」


「りょーかい。頑張りますよっと」


 返事をしつつ、風原は少女を抱き直す。胸板に当たる角が痛いし、少女を抱えたまま割れた結晶が散らばる山道を歩むのは神経を使うが、少女を運ぶのは風原しかいないのだ。

 魔獣の姿は見えないとは言え、緊急時に備えて戦える2人の手を塞ぐ訳にはいかない。


「悪いな、優真。もうちょい頑張れ」


 交代できないと分かっている荒崎も、できるのは風原を応援することだけだった。




 山を登る3人の前には、大小様々な結晶が障害物として立ちはだかる。


 檻のように交差する結晶の柱を屈んで避け、壁のように進路を塞ぐ巨大結晶を回り込み、足元に伸びる小さな結晶を注意して跨ぐ。


 まるで小人になってしまったかのような錯覚を得ながら進むこと一時間。周囲を警戒しつつも急ぎ足で進んだ3人は、無事に山頂へと到着した。


 山頂から見る景色は壮観だった。全周に広がる巨大結晶の森は、太陽の光を浴びて一面が輝いているようだ。景色を見下ろす風原は、圧倒的な異界の自然に息を飲む。


 ただその景色の中に、結晶が存在しない場所が一つあった。山の中腹辺りだ。円形に土地が空いているせいで、周囲の結晶が巨大な鳥籠を作っているように見える。


「あれが鳥籠だったら、中に棲む鳥は数十メートルかな」


 まあ、地盤沈下か何かで出来たのだろう。と、風原はその場所から目を離す。見るべきなのは雄大な景色ではなく、帰るための道だ。


「あったわ。あそこよ」


 朝比奈が指差す先に、目的のものを発見する。“(ホール)”が存在するのは、山頂の端、崖の手前だった。

 駅前にあるものと同じように、光を飲み込むような闇が渦を巻いている。


「俺達はあの反対側から出て、崖に真っ逆さまに落ちた訳だ。とんだトラップだな」


「あれは本当に死ぬかと思ったよ……。今度はパラシュートでも持ってこないと」


「向こうで反対側から入ったら、こちら側に出て来ないのかしら」


「試す価値はあると思うが……命懸けの実験だな」


 話しながら山頂を進み、3人は“穴”の前へと着いた。つい数時間前とは違い、3人を前にしても“穴”に変化は見られない。このまま延々と、世界が終わっても変わらず存在し続けそうな雰囲気だ。


「にしても、またこれに入るのか……」


「けっこうキツイよね。途中吐くかと思ったんだけど……」


 ぐるぐると回る闇の前で、男2人は遠い目をする。急に視覚と聴覚を奪われ、全く状況が分からないまま運ばれるというのは、心が弱っていればトラウマになりそうな体験だった。

 というか、既に苦手意識を覚えている。


 そんな男2人を、チームの紅一点は呆れた顔で見た。


「どうせ入るのに変わりはないのだから、早く覚悟を決めなさい」


「さすが朝比奈。男らしいぜ――ぐほっ!」


 無表情で放たれた朝比奈のジャブが、荒崎の鳩尾に綺麗に入った。


「いいから行くわよ。風原は、その子をちゃんと抱き締めておきなさい」


「ういっす」


 意識のない少女を落とすような真似はできないと、風原は少女の体にしっかりと腕を回す。最悪、出た瞬間に体勢が崩れていたら下敷きになる覚悟だ。


 そう顔を引き締めた風原のベルトを朝比奈は左手で掴み、右手で未だに呻いている荒崎の襟元を掴む。


「行くわよ」


「うん」


「おい、ちょっと持つ場所――」


 男2人を力強く引っ張りながら、朝比奈は“穴”へと足を踏み入れる。その瞬間に、吸い込まれるように4人の体が引き込まれた。


 完全な闇。天地も不明な浮遊感。移動しているという感覚。あえて精神を摩耗させるような、二度目でも全く慣れない体験を経て、風原は再び人類世界へと帰還する。


 急に開けた視界。空の青。建ち並ぶ壊れたビル。急に迫って来るアスファルト――


「うおっと、と、とおっ!」


 重力を取り戻した肉体が反射的にバランスを取る。足を踏み出し、つんのめる体を操作る――が、少女を抱えているせいで重心がズレた。

 転ぶ。そう思った瞬間に、腰が後ろに引かれる。無事に着地。


「おおう。ありがとう。朝比奈さん」


「どういたしまして。その子にも……何もないようね」


 朝比奈が少女を見て頷く。世界の移動を経てもなお、少女は風原の腕の中で穏やかに寝息を立てていた。


「僕達は大丈夫だけど……源治郎は大丈夫なの?」


 風原の視線の先では、荒崎が青白い顔をしていた。


「……酔った」


 小さく聞こえた声。どうやら“穴”での移動は荒崎の体に合わないらしい。


 無事に帰って来たことで緊張感が抜けた3人へと、男の声がかけられる。


「おい! 3人とも無事か?!」


 風原が視線を向ければ、そこには走り寄って来る2人の若い男の姿。2人とも桜花の解放団の仲間だ。

 声を上げたのは、どこか荒んだ雰囲気を持つ目付きの鋭い男――灰田。もう一人は、温厚そうな顔で眼鏡をかけた男――打木だ。


 どちらも驚きが浮かんだ表情をしている。


「お前らが急に消えたって捜索中だったんだぞ。消える前に連絡くらい入れろ」


「……おおう、灰田か。それに打木も。心配かけちまったみたいでわりいな。急に“穴”に飲み込まれちまってよ。状況を伝える暇もなかった。まあ、とりあえず全員無事だ」


 灰田が眉間に皺を寄せながら荒崎を見る。


「……まあいい。まずは東郷さんに状況を説明しろ。って、あ? 誰だ、それ?」


 灰田の視線が風原に抱かれた少女に向く。灰田の目が細くなり、さらに人相が悪化した。


「向こうの世界で拾った。いつからかは分からねえが、水晶の中で眠ってたぜ」


「……ちっ、意味が分からん。それも含めて、まずは東郷さんに伝えろ。打木!」


「はい! 今、呼び出し中です」


 先に東郷へ連絡を始めている打木を見て、風原達3人も仕舞っていたイヤホンマイクを取り出す。

 電源を入れて耳を取り付けるのと、東郷の声が聞こえて来るのは同時だった。


『荒崎! 朝比奈! 風原! 無事か!?』


「心配かけた。東郷さん、3人とも無事だ。怪我もねえ」


『そうか。ならいい。いったい何があった?』


「俺達にもよく分かってねえ。急に“穴”の闇が広がったと思ったら、向こうの世界に引っ張られた形だ」


『……そうか。聞いたことのない事象だ。だが、そんな中で良く戻って来た。こっちはお前らが魔獣に襲われて場所を離れたのか、それとも“穴”の向こうへ行ったのか、判断がついていなかったところだ。A班とB班に周囲を捜索させていたが、戻って来るのがあと30分遅かったら、“穴”の向こうへ行く準備をするつもりだったぞ』


「そりゃ行き違いにならなくて良かった。あー、それで東郷さん。詳しい話をする前に報告なんだが、実は、“穴”の向こうで15歳前後の女の子を拾った。まともに会話ができてえねえから国籍も不明だが、ハーフっぽい銀髪の子だ。今は眠ってる」


『……生きた少女を? “穴”の向こうでか? ……いや、分かった。さっぱり分からんが分かった。福見を呼ぶよりは……その少女とやらを連れて戻った方が早いな。朝比奈。いるか』


「ええ。いるわよ」


『今からB班を呼び戻すから、少女を連れて一緒に拠点へと戻れ。車も回させる』


「朝比奈。了解よ」


『荒崎はそこで待機だ。灰田たちの護衛につけ。報告は後で聞く』


「おう。荒崎了解」


『そして風原。まだ動けるか?』


 東郷の声に、風原は自分の状態を確認する。自らの内側へと意識を向ける。大丈夫だ。“旗”はまだ振れる。


「問題ないです。まだ行けます」


『分かった。では、灰田、打木、風原の3名は“穴”の封印の準備に入れ。護衛としてA班を向かわせる。A班が到着次第、封印を開始しろ。“穴”に異変が見られた以上、速やかに実施する必要がある。だが、もしも何か異常を感じた場合には、速やかに退避しろ。お前らの安全が最優先だ』


「灰田了解」


「打木了解です」


「風原。了解しました」


 3人が了解を伝えたところで無線は切れた。東郷は他の班への連絡に移ったはずだ。


 封印の手順を思い浮かべながら、風原は、さて、と朝比奈に目を向ける。


「朝比奈さん。この子をよろしく。あっ、角には気を付けてね。普通に痛いから」


「分かったわ。風原も頑張りなさい」


 眠り続ける少女を朝比奈へと預ける。風原より小さく細い朝比奈は、『剛力の腕輪』のおかげで少女を軽々と抱き上げる。


「……ん」


 朝比奈の腕の中で、少女が小さく息を吐く。目を覚ましてはいないが、何かを求めているように不安そうな表情だ。


「風原じゃないと嫌みたいね」


「懐かれるような覚えはないんだけど……。なんでだろう、安心感とか?」


 風原は戦えないなりに鍛えている。腕の太さも、胸板の厚みも逞しい。それに比べて――と、風原は朝比奈を見る。


 少女を抱えた朝比奈は細身だ。モデル体型と言っていいくらいのスレンダー。だがそれは、言い換えると肉付きがあまりよろしくないということに――


「なにかしら?」


 朝比奈が非常にいい笑顔で小首を傾げた。絵になる微笑みだが、残念ながら目が笑っていない。


「な、なんでもないですよ?」


「あなたが敬語のときは、だいたい“なんでもある”ときよ。風原」


 ――うわ、やっべ。ミスった。


 焦る風原を見て、朝比奈は嗜虐的に微笑む。


「拠点に戻ったら、何を考えたのか詳しい話を聞かせてもらうわ。――だから無事に帰ってきなさい」


 最後の言葉は、とても真剣な色をしていた。


「――もちろん。ちゃんと帰るよ。みんなでね」


 全員無事で帰還する。それが桜花の解放団で最優先の行動指針だ。


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