懺悔ですらなかった
え?
あぁ、おとうさまのお話というのは、あの侯爵令嬢のお話でしたのね。
くすくす。
えぇ、無様でしたわ。本当に。
学園で、あれだけの人数の同級生たちを前に婚約破棄を言い渡され窓から身投げまでしたのに、失敗して生き残ってしまうなんて。
生き恥を晒すとはこの事ですわね。
本当に。惨めですこと。
ほほほ。でも、自業自得だと思いますわ。
私達がお声を掛けても、王太子殿下の婚約者だからと偉そうに無視し、嫌がらせを続けていたのですもの。
それだけでも鼻白むものがありますのに、いつの間にか上級生にまで虐めを行っていたのでしょう?
全然存じませんでした。
すべてが身から出た錆、当然の報いということですわね。
それにしても。本当に怖ろしい方でした。
睨まれると動けなくなるんです。傍にいるだけで圧が凄くて。
すこしばかり勉学ができて、すこしばかり美しい髪と瞳を持っているというだけでなく。
えぇ、えぇ。
すこしばかり、という言葉には語弊がありますわね。
あの方は本当にお美しかった。本当に賢かった。
あの方の前に立たされていると、それだけで誰もが自分の未熟で隠しておきたい部分を暴かれ突きつけられている気持ちになるのです。
なにも言われなくとも。
纏めるのも難しいのだと言わんばかりに背中に流されたままでいる、内から輝いているかのような艶と光沢のある髪がさらさらと風になびく音が聞こえるだけで、癖の強い巻き髪をした令嬢は唇を噛み締めその瞳に悔し涙を浮かべました。
深みのある色合いの瞳に見つめられれば、心の奥深くにある隠しておきたい何かを暴かれている気になり、その視線から逃れようと後ずさり転んでしまう令嬢もいました。
あの方は、その場にいるだけで誰かに劣等感を植え付けずにはいられないのです。
えぇ、確かに。間違いなく、あの方は別格で、非凡で、際立って、格別で、特別で、超絶的に、飛びっ切りの、傑出して優秀な御方でしたわ。
そうしてそれを遍くひけらかし、まったく隠すこともしなかった。
だからこそ、あれほど冷酷な方は他にはいないと私は思うのです。
授業中、新しく同盟国となるという国の言葉での挨拶を教えていた先生は、あの御方から『その文法は男性形です』『そもそも発音も違います』という冷静な駄目だしを次々とされたことで自信を失い、ついには声が出なくなってしまいました。
美術絵画への造詣の深さを謳われていた父親が手に入れた絵画について、食後のひとときに周囲へ自慢していた令嬢は、あの御方から『弟子の手による模写である可能性』について示唆を受け、実際にその言葉通りの模写の証を見つけたことで学園に出て来れなくなりました。
誰とも馴れ合わず、孤高を気取る。
誰が話し掛けても冷たく無視をし、誰かのほんの少しの失敗も笑って流す事すらしない。
ただ、訂正をされるばかり。冷静に。表情ひとつ変えずに。
それをされた相手が、どれほど惨めな気持ちになるかも判らないのです。あの方には。
きっと自分以外の人間の価値などお認めになっていないのだと思いますわ。
だから、嫌われるのです。
嫌われまくっておりましたわ。
えぇ、私も、嫌いでした。心の底から。
だから。
あんな方では王太子殿下の御心を癒すなどできませんもの。
王太子殿下の御心をたかが子爵家の小娘に奪われても仕方のないことだと思いますわ。
皆さんもそう言っていらしたもの。
え? なぜ王太子殿下にお前が選ばれなかったのか、ですか。
それ、は……私達の様にきちんとした教育を受けた令嬢には、あの不遜で傲岸で恐ろしい、王太子殿下の婚約者たる侯爵令嬢に目を付けられては対抗できないから、ですわ。
あの圧に屈することなく王太子殿下に侍るなど。
私達にはできません。怖くて、無理です。
王太子殿下はお優しく分け隔てをされない素晴らしい御方です。
でも、だからこそ。
あのような身分の低い女に対してすら気を配られ、あの侯爵令嬢の傍に立つことに疲れ果てた御心……いえ、お身体が絆されてしまったのだと思います。
だって。身体を使って王太子殿下を落とすなんて破廉恥なことなど、淑女教育を受けた私達にはできませんわ。そんな恐ろしい。
えぇ、えぇそうです。あの子爵令嬢は、身体を使って王太子殿下の御心を掴んだに違いないのです。
それ以外に、あの御方……いえ、私達があの女に劣ることがある訳が無いのですから。
そうですわね。あの子爵令嬢は早めに対処しなければなりませんね。
あのような不埒な女を、未来の王妃として仰ぐ事などおぞましいことですもの。
あの阿婆擦れ。絶対に追い落としてやりますわ。
絶対に。
あんな阿婆擦れ女に、あの御方の後釜は務まりませんもの。
そんなこと許せない。
楽しみにしていてくださいね、おとうさま?
あぁ。でもその前に、私のあの婚約もなんとかしないといけませんわね。
だって、さすがに婚約者を持つ身で王太子殿下の寵愛を受ける訳にはいきませんでしょう?
それはさすがに不謹慎ですもの。ふふ。
大丈夫ですわ。婚約者の有責で破棄できるよう、捏造でもなんでもして証拠を作ればいいだけでしょう?
それ位の才覚は私にもありましてよ。ご安心くださいませ。
……え?
どういうことですか? 私には、婚約者は、……いない?
そんな。おとうさま、なにを仰っているのですか。
私にはもう10年も前から婚約を交わした相手が…… え? すでにあちらから破棄されている、ですって?! そんな馬鹿な。わ、私が何をしたというのですか!
なぜ……?
え? わ、私はそのようなことをしておりませんわ!
そんな。私が、あの御方の名前を笠に着て、下級貴族クラスで虐めを行っただなんて。
ありえません!
そんなことを私がする訳がありませんわ。
誰がそんな嘘を。
あぁ。婚約者の御父君はこの国の宰相であられるのに。そのような嘘に惑わされるなんて……。
本当です! 嘘なんか吐きません。私はそのような事をしておりません。おとうさま、信じてください。
そんな。いいえ。いいえ違います。
あれは虐めなどではありません。
あれは! あの御方を差し置いていい気になっていたあの子爵令嬢に対して窘める為に必要な事だったのです。
そう、助言とでもいうべきものです。
淑女として正しい姿を教えて差し上げただけですわ。
身の程知らずな事ばかりする子爵令嬢も、それを諫めようともしない下級貴族クラスの方たちにきちんと身の程を知らしめる為に必要な行為だったのです。
ですから!
え?
……へ、陛下からの、叱責? そんな。
お、おとうさま? 嘘ですわよね。そんな。
そんな……。
『もう父ではない』なんて。嘘ですわよね?
今すぐ出ていけ、だなんて。
いやっ。無理です。
いやですっ。へ、平民になるなんて無理です。むりっ。
やっ。
ぃ、いやあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!!
今度こそ、このお話も成仏してくれるでしょう。
お付き合いありがとうございました。