奇術師
ふたりの男は退場し、血の流れた広場は白砂で掃き清められた。
ラナは血にまみれた手を濡れた布で拭き、ふたたび広場の中央に立った。
彼女が審判をつとめるらしい。
勝敗は、どちらかが死ぬか、本人もしくは付添の者が負けを認めるまで。
武器は何を使ってもかまわないが、自分自身の力で広場まで持ち込まなくてはならない。
付添の者は、試合中は手をだしてはならず、助言することも許されない。できるのは、本人の代わりに降参を宣言することと、戦士が広場に入る前に、準備を手伝うことだけだ。
ルールは、それだけである。
試合の組合せは、ラナがその都度きめる。基本的には、負けたものが抜けてゆく、勝ち残り方式である。
8人の戦士がいるから、順当にいけば、3回勝利すればよいことになる。
もっとも、ラナはそこまで明言しなかった。
最初の試合は、エマ=ナンラとケイ=バムン。
螺旋闘術の達人、といわれた若い女と、顔を隠した奇術師の男である。
エマは、メイと同じくらいの年ごろである。雰囲気もどこか似ていて、するどい目に、大人びた顔立ち。ただし、髪は短く刈り上げて、長身で筋肉質な体つきは男のよう。昼間よりもずっと軽装で、半袖に半ズボン。メイの目からみると、まるで下着姿のように心もとない。
裸足である。
ぐっ、と脚を高くあげて、地面に振り下ろす。
震!
空気が、ふるえた。
試合場の外にいるメイたちのところまで、震動が伝わって来る。
そのまま、半身で右手を小さくあげた構えをとる。
エマの付添である、パナンという老人が、くつくつと笑うのが聞こえた。
さて、試合はまだ始まってはいない。
むかいに立つケイは、身じろぎもしない。布で全身を覆っているので、表情も読めない。
ただ、枯れ木のようにしずかに立っているばかりである。
「それでは──」
ラナが手をあげて、大きな声で、
「はじ、め……」
叫ぶ、が、さいごの一音は、なぜか小さくなって消えた。
「……いま、なにか。」
モリスがつぶやくのが耳にはいった。「なにか、聞こえませんでしたか。」
「なにか、とは?」
聞き返す。が、いらえはない。
試合場では、ラナがきょとんとした顔で、あたりを見回している。
エマも、動かない。それどころか、構えをといて無防備に突っ立っている。なんとなく不機嫌そうな顔で、腕組みをしながら。
ケイだけが、動いていた。
奇術師の男は、すたすたと無造作にエマの近くに寄り、すっと首に手をやった。
エマは抵抗しない。まるで、触れられていることに気づいていないようだ。
そのまま、数秒。
エマの膝が、がくんと折れて、前のめりに地面に倒れた。
動かない。気絶しているようだ。
ケイが、くるんとラナのほうに向きなおって、「おれの勝ちだ。」と言った。
ラナは、しばらくきょとんとした後、ちいさく首をかたむけて、言った。
「ケイ様、……早速、つかわれましたね。」
「なんのことだ?」
ケイは低い声で、
「それよりも、……これは、おれの勝ちでよいのだろうな。」
「いいえ。」
ラナは小さく笑って首を振った。
「なに!?」
「……相手が死ぬか、降参するまでと申し上げましたでしょう」
「いや、それは……ならば」
ケイは、エマの付添であるパナンにむけて、大声をあげた。
「聞いたろう! こいつは失神している。負けを認めよ!」
「ほォ」パナンは、人のよさそうな顔でにやにや笑いながら、はげ頭をかるく叩いた。
「わしが、かね。まだ弟子がそこにいるというのに!」
「まだ戦えるとでも?」
「知らんよ。わしゃあ、ただの野次馬よ。そこに立った以上は、最後まで闘うのが武術家のさだめよ」
「たわけたことを、」
ケイは、ラナのほうに顔を向けた。ラナは、ケイのことばの先を読むように、
「ケイ様、とどめを刺されませ」
「なに!?」
「殺してしまえば、文句なくあなたさまの勝利。……ご心配なさいますな。決着がつきましてから、わたくしが生き返らせてさしあげます」
ケイは黙ってしまった。布で顔を隠してはいたが、歯噛みする音が聞こえるようだった。
やがて、ケイは身をひるがえして、
「……おれの負けでよい。」
ぼそりと、そう云うと、すたすたと歩いて広場を出てしまった。