道場破り
モリスの剣は、まるで舞うようだ。
メイは、モリスが稽古をするのを見るのが好きだった。型稽古をしているとき、わきに座ってじっと眺めていることもあった。技を盗むのだ、といいわけをして。当時は、モリスがサラン家の武術を継ぐことになっていた。そうなれば、自分はきっとモリスと結婚するのだ。誰に言われたわけでもないが、そう思っていた。
オツペルはもう半ば引退していて、モリスの稽古はもっぱらメイが相手をしていた。メイが打ち込むと、モリスはことさらゆっくり動いているように見えるのに、剣先は空を切っていた。一見、隙だらけに見えるゆったりとした動きで打ち込みを誘っておいて、こちらの意識が剣先にむいた瞬間に、モリスの剣が身体にそっと触れてくる。それを何度か繰り返して、実戦稽古は終わる。いつも、そんなふうだった。
道場破りは、たまにやってくる。こんな辺鄙なところでも、武術家を名乗っていれば。そういうときはただでは帰すなと、オツペルにきつく言われている。もっとも、最初から道場破りだと名乗ってくる者は、そうはいない。稽古をつけてくれとか、高名な武術家と聞いてご挨拶をとか、そういう言い方をしてくる。だから、最初はこちらも丁寧に応対し、稽古を見学させたり、型をなぞるだけの打ち込み稽古に参加させたりして、様子をみる。それで、おとなしく帰るようなら、別に問題はない。三人に二人くらいは、それで終わる。
あのときの男は、そうではなかった。
打ち込み稽古の最中、何度も、型をくずして、喉や頭を狙ってきた。モリスは、涼しい顔をして受け流していたが、しまいに、いらだった男は、
「ここまでされて本意気で打ち込んで来ないとは。この家は腰抜けの集まりか。」
と、暴言を吐いた。
こうなると、もう、きちんと相手をするしかない。
「ならば、あらためてお相手つかまつりましょう。」
モリスがそう言って、立ち会うことになった。
立ち会うといっても、木剣である。相手が真剣でと言えば、モリスは躊躇なく応じただろうが、そうはならなかった。しかし、木剣だから安全というわけではない。
立ち会いは、一方的に終わった。男が打ち込んだ剣は、一度もモリスの体に触れなかった。モリスは、何度か様子を見るように木剣を男の肩や胴に当てておいて、あいてが無理な打ち込みに出た瞬間に、右肘にむけて、外側から思い切り打ち込んだ。
男の剣が床に落ち、右手がだらりと下がった。
骨が折れたか、痛めただけかはともかく、もう剣は握れない。
立ち会いが終わり、片手で帰り支度をすませた後、男はまた余計なことを言った。
「立ち会いに負けて、こうして無事に帰してもらえるとは、ありがたいことです」
おそらく、他意はないであろう。
しかし、この言葉が、オツベルの逆鱗に触れた。
もう一度、今度は真剣で立ち会えと、オツベルは男に強いた。モリスも、オツペルの命令に従って、抜いた。こうなると、どちらも逃げるわけにゆかない。
立ち会いは、やはり一方的であった。モリスは、刃を立てこそしなかったが、容赦なく男の体を打ちすえた。左手で剣を持っていた男は、その剣が手から離れる前に両足を打たれ、喉を叩かれ、唇から血を流して前のめりに倒れた。
「これで、理解なされましたでしょう。」
モリスは、男にというよりはオツペルにむけて、そう言った。しかし、オツペルは納得しなかった。
「殺せ。」
そう、命じた。
「できません。」
「やれ。」
モリスは、倒れた男の頭を、もう一度、剣の腹で強く打ちすえた。
「これで、ごかんべんを。」
男は、動かない。今は生きていても、放置すれば死んでもおかしくない状態である。それでも、オツベルは納得しなかった。
「殺せ。流れ者に舐められて、道場がたちゆくか」
モリスは、土下座をした。「どうか、これで。」「ふざけるな。」オツペルはモリスの頭を踏みつけた。
しばらく押し問答を繰り返したが、モリスはどうしても、男を殺すことができなかった。
そして、ついに、
「ならば、お前がやるのだ」
オツペルは、メイのほうを見て、そう言ったのだ。
*
それ以来、モリスは笑わなくなった。