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「メイ、こっちへ!」

 モリスは、手をつきだしてそう言った。メイは凍りついたように動かなかった。

 汗ばむ手で剣を握ったまま、ただ立っていた。



 ザジの剣が、電光のようにひらめく。

 ラナは、竜鱗と、指から生やした鉤爪で応じる。

 打ち合う。


 打ち合う。


 ラナは、脇腹から血を流したままだ。かといって傷口をかばう様子もない。治癒術を使う間もないのかもしれない。

 いちども、ラナの手は、ザジの体に触れていない。すべて、剣でさばかれている。


 金属音がやかましく響くなか、ラナのうごきがちょっと変わった。

 焦れた、ように見えた。

 唇が動く。



 モリスは、メイに何か言おうとした。

 間に合わなかった。



 ザジはふっと剣をとめて、体をひねった。脇腹の横を、なにかが通りぬけていった。剣であった。メイ=サランの剣。なぜ、と自問する。また新たな術か。

 ラナ=デミギアの胸に、読めない文字が浮かび上がっていた。

 ともかく、避けた。剣は、ラナ=デミギアに向かって、飛んでいく。そう認識した瞬間、ラナの姿は消えていた。いや、もぐり込まれたのだ。吐息がかかるほど近くに。

 吹っ飛ばされた。

 触れた状態から、なにかを送り込まれた。体内ではじけて暴れる、なにかを。


 ザジ=ダームは、倒れた。



 メイの剣が宙をとんで、奪われた。

 いや、奪われたのは、そんなものではない。


 盗まれたのだ。魔剣術を。


 そう認識する直前、気づく。ラナの左手。弩の生成が終わっている。ゆっくりと、こちらを向く。いや、ゆっくりに見えただけだ。実際には、一瞬。

 メイが不安そうな目でこちらを見る。

 考えるより先に、指が動いている。かくしから、薄布を引き出す。びっしりと魔術文字が縫われた、蒼い絹布。空中で大きく広げる。ラナの手を見る。ほんの少し、戸惑うように指先が踊る。その隙に、呪文を。

 小さな歯車がまわる音がする。

 弩が最初の矢を吐き出すのと、モリスが呪文を唱えはじめるのが、ほぼ同時だった。

 かかかかかかか、と一連の乾いた音がして、血がしぶく。だれの悲鳴かわからない。最初に狙われていたら間に合わなかった。薙ぎ払うように、ラナは矢を飛ばし続ける。また悲鳴。だれかの走る音。血。

 布がゆれ、回転する。

 数本の矢を巻き込んで、布は絡まり、止まった。

 キュナが飛び出した。大きく跳んで、ラナの頭に拳を叩きこもうとする。直前で、なにかが脇腹ではじける。ラナの拳であった。ふたたび倒れたキュナに、追い打ちの矢を叩きこむ。鈍い音。血しぶき。鉄のようなにおい。

 メイは薄布のむこうで、影絵のようにそれを見ていた。そうして、もう一度モリスと目を見かわして、震えながらちいさく、ささやいた。


 ──行って!


 布が落ちた。メイは地面に伏せて、もう一度布を浮かせようとした。できなかった。モリスの呪文をなぞることさえ。オツペル=サランならできただろうか? しょせん、自分は後継者の器ではなかったのだ。仕方がない。

 ここで、死んでも。

 ラナがこちらに弩をむけた。メイは目をつむった。けれども、矢は発射されなかった。そのかわり、ラナの頭上から、なにかが降ってきた。流星のように。

 モリスの剣であった。

 一瞬遅れて、当人が着地した。剣は、ラナの手元をかすめて地面に刺さった。弩をひっかけて、いくつかの部品を砕いた。それからすぐに、ひとりでに地面から抜けてモリスの手元に戻った。まるで歌うように、呪文が続いていた。

 モリスは、ラナの胸に浮かぶ文字をじっと見た。ラナの唇も動いている。たがいに、呪文を唱えているのだ。モリスは剣を操るために、ラナは自分の肉体を強化するために。

 さっきの、ケイとラナのやりとりを思い出した。ラナは、ぼくたちの術を盗んだが、ほんとうに理解したわけではない。理解していたら、絶対にこんなことはしない。なぜなら──、

 ラナが、目にもとまらぬ疾さで拳を打ち込んで来る。その一瞬前に、モリスは地面を蹴って、後ろへ跳んでいる。あとから、剣がついてくる。拳がモリスの胸に触れる直前に、体が伸びきってしまう。地面を蹴って、さらに先へと打点を伸ばす。が、タイミングがずれたせいで、収束した気は散ってしまっている。これでは、ただの拳だ。螺旋闘術の技ではない。

 モリスの剣が、ラナの肩を浅く切って、手にもどる。一瞬だけ血がにじむが、傷はすぐ消える。ラナが早口で唱える呪文に、治癒術が加わった。これでは、いたちごっこだ。

 十分だ。

 モリスは剣をにぎりなおした。呪文をきりかえる。ル=サーシャ。ラナは魔術文字で胸にでかでかとそう書き、呪文を唱えていた。これでは──、

 封じてくれと、言っているようなものだ。


 ル=サーシャよ、戦神よ、なんじの腕は地面に堕ち、脚は萎え、倒れる。二度と起き上がることはできない。なんじの体についた傷は、癒えることはない。永遠に──、


 ラナ=デミギアは倒れた。空気におぼれたように痙攣し、喉をふるわせていた。モリスは間髪をいれず、剣をふりあげた。胸の魔術文字は普通に描いたものではないようだ。獣化術の応用か、他の技か知らないが、この状態でも消せるのかもしれない。そうしたら、もう同じ手は通じなくなる。

 魔術で剣の重みを増しながら、突き下ろそうとする。一撃で終わる。たとえ、竜鱗や螺旋の気で防御しても、この重量の刃に耐えられるはずがない。眼窩の骨が、眼球が、その奥の脳が。

 ラナの唇が、動いた。呪文ではなかった。


 た・す・け・て。


 モリスの剣が、止まった。呪文も。そのまま、数秒。まだ、何もわかっていない。ラナ=デミギアが、何をしようとしていたのかも。このまま殺していいはずが、

 ……ラナの右手が、変化していた。竜鱗と、鉤爪。静かに、すばやく持ちあがる。モリスの喉元にむけて。ほんのわずかの間に、爪の先が、


 ラナ=デミギアの喉に、なにかが刺さっていた。

 短剣であった。


 ザジ=ダームが、わずかに身をおこしてこちらを睨んでいた。ラナの喉を裂いたのは、ぶきみな色に輝く短剣。よく見ると、なにかの液体が塗られているようだ。毒か。

「……甘すぎる!」

 ザジは、吐き捨てるようにそう言ってから、意識を失った。

 そして、ラナ=デミギアは、絶命した。

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