決着
「メイ、こっちへ!」
モリスは、手をつきだしてそう言った。メイは凍りついたように動かなかった。
汗ばむ手で剣を握ったまま、ただ立っていた。
*
ザジの剣が、電光のようにひらめく。
ラナは、竜鱗と、指から生やした鉤爪で応じる。
打ち合う。
打ち合う。
ラナは、脇腹から血を流したままだ。かといって傷口をかばう様子もない。治癒術を使う間もないのかもしれない。
いちども、ラナの手は、ザジの体に触れていない。すべて、剣でさばかれている。
金属音がやかましく響くなか、ラナのうごきがちょっと変わった。
焦れた、ように見えた。
唇が動く。
*
モリスは、メイに何か言おうとした。
間に合わなかった。
*
ザジはふっと剣をとめて、体をひねった。脇腹の横を、なにかが通りぬけていった。剣であった。メイ=サランの剣。なぜ、と自問する。また新たな術か。
ラナ=デミギアの胸に、読めない文字が浮かび上がっていた。
ともかく、避けた。剣は、ラナ=デミギアに向かって、飛んでいく。そう認識した瞬間、ラナの姿は消えていた。いや、もぐり込まれたのだ。吐息がかかるほど近くに。
吹っ飛ばされた。
触れた状態から、なにかを送り込まれた。体内ではじけて暴れる、なにかを。
ザジ=ダームは、倒れた。
*
メイの剣が宙をとんで、奪われた。
いや、奪われたのは、そんなものではない。
盗まれたのだ。魔剣術を。
そう認識する直前、気づく。ラナの左手。弩の生成が終わっている。ゆっくりと、こちらを向く。いや、ゆっくりに見えただけだ。実際には、一瞬。
メイが不安そうな目でこちらを見る。
考えるより先に、指が動いている。かくしから、薄布を引き出す。びっしりと魔術文字が縫われた、蒼い絹布。空中で大きく広げる。ラナの手を見る。ほんの少し、戸惑うように指先が踊る。その隙に、呪文を。
小さな歯車がまわる音がする。
弩が最初の矢を吐き出すのと、モリスが呪文を唱えはじめるのが、ほぼ同時だった。
かかかかかかか、と一連の乾いた音がして、血がしぶく。だれの悲鳴かわからない。最初に狙われていたら間に合わなかった。薙ぎ払うように、ラナは矢を飛ばし続ける。また悲鳴。だれかの走る音。血。
布がゆれ、回転する。
数本の矢を巻き込んで、布は絡まり、止まった。
キュナが飛び出した。大きく跳んで、ラナの頭に拳を叩きこもうとする。直前で、なにかが脇腹ではじける。ラナの拳であった。ふたたび倒れたキュナに、追い打ちの矢を叩きこむ。鈍い音。血しぶき。鉄のようなにおい。
メイは薄布のむこうで、影絵のようにそれを見ていた。そうして、もう一度モリスと目を見かわして、震えながらちいさく、ささやいた。
──行って!
布が落ちた。メイは地面に伏せて、もう一度布を浮かせようとした。できなかった。モリスの呪文をなぞることさえ。オツペル=サランならできただろうか? しょせん、自分は後継者の器ではなかったのだ。仕方がない。
ここで、死んでも。
ラナがこちらに弩をむけた。メイは目をつむった。けれども、矢は発射されなかった。そのかわり、ラナの頭上から、なにかが降ってきた。流星のように。
モリスの剣であった。
一瞬遅れて、当人が着地した。剣は、ラナの手元をかすめて地面に刺さった。弩をひっかけて、いくつかの部品を砕いた。それからすぐに、ひとりでに地面から抜けてモリスの手元に戻った。まるで歌うように、呪文が続いていた。
モリスは、ラナの胸に浮かぶ文字をじっと見た。ラナの唇も動いている。たがいに、呪文を唱えているのだ。モリスは剣を操るために、ラナは自分の肉体を強化するために。
さっきの、ケイとラナのやりとりを思い出した。ラナは、ぼくたちの術を盗んだが、ほんとうに理解したわけではない。理解していたら、絶対にこんなことはしない。なぜなら──、
ラナが、目にもとまらぬ疾さで拳を打ち込んで来る。その一瞬前に、モリスは地面を蹴って、後ろへ跳んでいる。あとから、剣がついてくる。拳がモリスの胸に触れる直前に、体が伸びきってしまう。地面を蹴って、さらに先へと打点を伸ばす。が、タイミングがずれたせいで、収束した気は散ってしまっている。これでは、ただの拳だ。螺旋闘術の技ではない。
モリスの剣が、ラナの肩を浅く切って、手にもどる。一瞬だけ血がにじむが、傷はすぐ消える。ラナが早口で唱える呪文に、治癒術が加わった。これでは、いたちごっこだ。
十分だ。
モリスは剣をにぎりなおした。呪文をきりかえる。ル=サーシャ。ラナは魔術文字で胸にでかでかとそう書き、呪文を唱えていた。これでは──、
封じてくれと、言っているようなものだ。
ル=サーシャよ、戦神よ、なんじの腕は地面に堕ち、脚は萎え、倒れる。二度と起き上がることはできない。なんじの体についた傷は、癒えることはない。永遠に──、
ラナ=デミギアは倒れた。空気におぼれたように痙攣し、喉をふるわせていた。モリスは間髪をいれず、剣をふりあげた。胸の魔術文字は普通に描いたものではないようだ。獣化術の応用か、他の技か知らないが、この状態でも消せるのかもしれない。そうしたら、もう同じ手は通じなくなる。
魔術で剣の重みを増しながら、突き下ろそうとする。一撃で終わる。たとえ、竜鱗や螺旋の気で防御しても、この重量の刃に耐えられるはずがない。眼窩の骨が、眼球が、その奥の脳が。
ラナの唇が、動いた。呪文ではなかった。
た・す・け・て。
モリスの剣が、止まった。呪文も。そのまま、数秒。まだ、何もわかっていない。ラナ=デミギアが、何をしようとしていたのかも。このまま殺していいはずが、
……ラナの右手が、変化していた。竜鱗と、鉤爪。静かに、すばやく持ちあがる。モリスの喉元にむけて。ほんのわずかの間に、爪の先が、
ラナ=デミギアの喉に、なにかが刺さっていた。
短剣であった。
ザジ=ダームが、わずかに身をおこしてこちらを睨んでいた。ラナの喉を裂いたのは、ぶきみな色に輝く短剣。よく見ると、なにかの液体が塗られているようだ。毒か。
「……甘すぎる!」
ザジは、吐き捨てるようにそう言ってから、意識を失った。
そして、ラナ=デミギアは、絶命した。




