魔剣
魔剣、と云う。
オツペル=サランが、メイとモリスに教えた武術のことである。
ベーマント帝国が、版図を広げるずっと前から、サラン家に伝わる技だという。
メイは、ひざまづいたモリスから剣を受け取り、握りをたしかめた。
木剣である。が、刃にあたるところに、墨で銘が記してある。
真剣ならば、柄に覆われた内部、茎に刻むところである。
「……なんと付けました?」
そう尋ねる。古代文字である。自分で読めないこともないが、時間がかかる。
「サーリ、と」
モリスが、そう告げる。メイは、
「わかりました」
とだけ言った。名前の意味は問わない。メイには必要がないからだ。
「……準備は、わたくしがやりましょうか。」
「いいえ。だいじょうぶ。」
低い声で、そう問答する。
準備というのは、呪文のことである。
リ、リ、セカラマス、ラァイ、マリナ、クラトリェナス。
メイは、低い声で3度、そう唱えた。
古い言葉で、おおよそ、『軽くなれ、軽くなれ、マリナの身体よ、何よりも軽くなれ』というほどの意味である。
マリナというのは、メイのことだ。
人間社会で使う名と、まじないのためにつける名は、別である。そして、メイの体には、古代文字でまじない用の名が入れ墨してある。剣に銘を刻むように、だ。
そのようにして、古代語の名前をつけ、その名で呼びかけることによって、ものを自在に操るのが、魔剣術の極意であった。
とんとん、とメイは片足で跳ねて、体の動きを確かめた。
まじないの効果で体重が軽くなっても、筋力は変わらぬから、身軽に動くことができる。もっと軽くすれば浮くこともできるが、剣撃の威力がなくなるので、そこまではしない。
少し迷って、剣の重さはそのままにした。本当なら、木剣のまま、真剣なみの重さにして威力を出したいところだ。しかし、それでは木剣にした意味がない。あくまで試合である。
今回は、防具もつけない。
「……よろしいのですか?」
ぼそりと、モリスが呟いた。
メイは意味をとりかねて、曖昧にうなずいた。いや、言いたいことは見当がつく。試合の質を間違えてやしませんか、ということだろう。変わり者の都会人に軽くデモンストレーションして喜ばせてやればよいのか、尋常の他流試合であるのか、
あるいは、死合なのか、ということだ。
モリスがどう考えているのか、知りたかった。少なくとも自分は、命のやりとりをするつもりはない。ないが……、
心臓が、ばくんと鳴った。
「準備は、できましたか?」
相変わらずにやついたまま、ラナがそう投げかけてくる。
ラナは、素手である。着替えもしていない。常在戦場、といった雰囲気でもない。単に、はねっかえりのお嬢が田舎武術を珍しがっているだけ、というふうに見える。先程の握手がなければ、疑うことすらなかっただろう。
「……結構、」
道場の中心に、5歩ほど離れて、むかいあう。メイは、両手で剣を握っているが、まっすぐに相手に向けるわけではなく、かすかに左にそらしている。
右足をわずかに前に出して、きっかり60度の角度で剣をたてる。盾の構え。魔剣術の、基本の構えのひとつである。左に傾けるのは、相手の剣をとらえて防ぐためだ。本来は、あいての構えをみて微妙に傾きを変える。もっとも、この場合は必要ないだろうが。
そもそも、剣と拳では、あまりにも間合いが違う。勝負になるはずもない。
はじめ、とモリスが叫ぶ。
構えすらしていないラナにいらだって、メイは一気に間合いをつめて剣をつきだした。いちおう、基本の型にのっとってはいるが、あまりにも無造作で、粗い。
狙いは、喉。木剣であろうが、体重が乗っていなかろうが、まともに入れば大怪我をする部位である。かまうものか、と思ってはいたが、こちらが踏み出しても手をだらりと下げたまま反応しないラナを見て、かすかに迷いが生じる。
その迷いが、剣先に伝わったか。
瞬間、ラナの姿が消えていた。
身を沈めたのだ、ということはすぐわかった。ただ、その速さが慮外であった。突き出した剣を引くいとまもなく、みぞおちに衝撃が走る。
掌底。
頭が理解する前に、脚が反応している。自然と、ラナから距離をとるように跳ねて、宙をとぶ。掌底の衝撃を殺すまではいかず、内臓が引き裂かれるように痛む。それでも、魔術で体重を削っているおかげで、ずいぶんと軽減されているはずだ。
ふわりと、飛ぶように動いて、着地する。
「……これが、魔剣というやつですか。」
ふらふらと首を左右に傾けるようにしながら、ラナは興味深げに呟いた。
「まるで、紙を突いているようですね。……でも、これでは、剣に重みが乗らないのではありませんか。」
そのとおりである。
メイは、眉をきつくして唇をかんだ。剣をふりおろす瞬間にだけ体重を増やすような技もあるが、メイはまだ十分に体得していない。
メイは、構えをかえた。
頭上に、大きくふりかぶるように剣をあげる。攻撃の構えである。そもそも、『盾』の構えは、鍔迫り合いを前提とした型である。体重を削った今の状態には適していないし、そもそも相手に剣がない。
これは、『槍』の構えだ。……いや、それはおもてむき。
本当は、『弓』の構えという。秘伝だ。
さて、メイは、ふたたび踏み出す。十歩ほどの距離を、たんたん、と二歩でふみこえ、飛ぶ。
はるか頭上に。
ラナからすれば、目の前で相手が消えたように見えたはずだ。空中で半回転して、軽い体重をすべて剣に乗せて、後頭部を叩く。
『弓矢』の秘伝。派手な技であるが、知らなければ反応できない。
が、ラナはくるりと身をひるがえして、落ちてくる木剣を片手で握り止めた。
白刃取り、ではない。ただ無造作につかんだように見える。いかに軽いとはいえ、空中から落ちてくる衝撃は、痩せた女が片手で殺せるようなものではない、はずだ。
力をこめているようには見えない。腕が震えてすらいない。
メイは、なすすべもなく、木剣をつかまれたまま着地するしかなかった。木剣を奪いかえそうと力をこめる。が、微動だにしない。さっきの握手のときと、まるで同じだ。
「……軽いでしょう。今のあなたは、私よりずっと軽い。それでは、取れません。」
かんでふくめるように、ラナが云う。だが、それだけか。
「それにね、力の入れ方に、少しコツがあるので……」
すっと、ラナが突き放すように手を放して、両手を上にあげた。メイはバランスを崩して倒れそうになる。まるで素人のように。
「ごめんなさい、わたしの負けです。降参します。」涼やかな声で。
「なぜ、」大きく息を乱して問い返すと、
「だって、……真剣だったら、あんなふうには掴めないでしょう? だから、わたしの負け。ご指導、ありがとうございました」
ぺこりと、行儀よく礼をして、二歩、下がる。
メイは、息も姿勢も乱したまま、ただ、ぎりりと唇を噛みしめるしかなかった。