隠し扉
パナンが先を歩いた。ずけずけと、無造作に歩いているようにみえたが、音も、気配も全くしなかった。歩いているのが見えるのに、足音がしないのだ。衣ずれの音も、空気が動く気配も、もしかすると、体温さえも。
「きみは、うるさいからな。少し、後ろにいてもらおう」
にやつきながら、そう言われて、モリスはちょっと眉をしかめた。だが、全くその通りだ。
廊下のある地点にきて、パナンはふと足をとめた。しゃがんで、ちょっと手をかざすようなしぐさをし、それからまた立ち上がった。
「ちょっと、そこの部屋に入ろうか。」
そういって、すばやく右側のドアをあけて中に入った。狭っくるしい部屋に、見上げるような小窓。木箱がいくつかと、書類棚。物置らしかった。モリスはいぶかったが、とにかく従った。少しだけすきまを残して、パナンはドアを閉めた。
それから、ぎしりとなにかが軋む音。
すきまから廊下をのぞくと、……しばらくして、白いものが見えた。それは髪の毛であった。頭。かなり低いところにある。しゃがんでいるようだった。それが、立ち上がった。トガをきた男。さっきまで、そこには誰もいなかったはずだ。
次の瞬間、モリスは部屋からすべり出ていた。今しかない、と思った。男が背中をこちらに向けていたからだ。パナンのようには気配を消せないが、できるだけ足音を忍ばせて。
男がふりむく前に、とん、と中指をとがらせた拳で背中に触れる。
男は、げっぷのような音をたてて、膝からくずれおちた。
肝を突いたのである。
パナンは黙ったまま、感嘆の目をむけた。モリスは男の手首を後ろからつかんで、固定した。それから、耳元でささやくように、
「……あなたが出てきたところについて、」
といいかけて──、
がちり!
ぶきみな硬い音、同時に、なにかが切断される音。
ごぼり、と固く閉じられた歯のあいだから、血がこぼれた。
男は白目をむいて脱力していた。モリスは男の手首から手を放して、立ちつくした。まさか。ありえない。
ぼとりと床に落ちた、男の舌の一部を凝視して。
パナンが厳しい目をしてひざまづき、男の背中に手をあてた。右手から、ぼんやりと光るなにかが放出され、男の体に入っていった。不可視の流体だったが、モリスにははっきりと『見え』た。メイたちを蘇らせたものによく似ていた。
「……それは、」
「治癒術はあんたらの専売特許ではないよ。まぁ、見ておれ」
しばらくして、男はゆっくりと瞼を閉じた。眠っているように見えた。
「これで大事ない。が、話を聞くのは無理だな。」
「……強引すぎました。」
「イヤ、気にするな。」
そういいながらも、パナンの目は笑っていた。いや、口元さえ。
「しかしこれは、大したことだな! この男は武人だろうか? おれたちよりよっぽど、命を捨てる覚悟ができているとみえる。なあ、こんどこそ興味がわいてきたろう。こうまでして守られる秘密が、いったいどれほどのものか!」
*
地下──。
隠し扉の下には、長い長い廊下が続いていた。
石積みの壁、ひんやりして冷たい。
明かりはない。真っ暗だ。入口をとじてしまえば、目をとじたように。
いや。
遠いところに、ボンヤリと光がみえる。
昼日中に、ほんの少し、まぶたを開いたような、するどい──
「……あれァ、扉だ」
ぼそりと、パナンが呟く。
人の身長の倍はあろうかという、大扉である。
その扉のすきまから、光が漏れているのだ。
ふたりは足音をしのばせながら、扉に近づいた。
そっと、触れてみる。鉄か。なにやら複雑な模様が彫られているようだ。
扉のむこうから、呪文のような声がきこえる。
『ラ・ターク、シーサ、ラ・ターク、シーサ、ルゥ、ル=サーシャ』
大勢でそれを繰り返しているようだった。
パナンは、ドアのノブに手をかけて、そっと引いた。
動かない。鍵がかかっている。
モリスが、筆をとりだした。
暗いなか、手探りで扉に魔術文字を描く。大きく、二文字。それから、その下に、小さく一文。
一歩さがって、唸るように呪文をとなえる。
ぎしり、と扉が音をたてた。
蝶番がぎりぎりと呻く。けれども、開かない。
呪文を続ける。
目に見えない力が、いっそう強くなって扉を押す。
開かない。
「……ふむ。」
パナンが小さく首をひねって、ちょっと下がった。
構える。
モリスは呪文を続けている。
くるん、とパナンが体を回転させた。
エマ=ナンラが試合のときにしていたのと、同じ動きである。
ぞわり、と筋肉がふくれあがる。
まるで、別人のようであった。
半身に右足をつきだして、てのひらを開いて。
すっ、と左足を踏み出す。
無音の衝撃、であった。
てのひらが扉をうった瞬間、しずかな振動が空気を揺らした。強い力だけが、扉をつきぬけてあたりに散った。音はなかった。
蝶番がふるえた。
それでも、少々浮いただけで、壁からはずれはしなかった。……が、モリスの呪文はまだ続いていた。ぐ、ぐ、と少しずつ力が加わり、扉全体が傾いていく。
最後に、ばき、と音をたてて、蝶番がはじけてとんだ。
扉が全部倒れたところで、ようやく、モリスは呪文をやめた。




