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古井戸

 地下への入口といっても、目に見えるところにあるとは限らない。

 廊下をすみずみまで歩いてみたが、下向きの階段はない。

 どこかの部屋に、入口があるのかもしれないが、そうなると簡単にはいかない。

 下人をひとり、捕まえて、聞き出してみるか──

 そう、思い始めたころ、モリスがいったのである。

「外は、いかがですか。……たとえば、井戸は。」



 裏庭の、すみ。

 うっそうと茂る広葉樹、月光をかくすように幾重にもかさなった木の葉のかげ。

 裸井戸が、ぽつんとあった。

 この屋敷の規模には不似合いなくらい、小さく、古い井戸。赤茶けた煉瓦づみの。


 それから──


 異臭。いや、金属臭と、かすかな腐臭。

「……鉄くさいな」

 ケイが小さくいった。モリスは鼻をおさえて、頷いた。全身に薄い緊張をまとわせながら、あたりを見回す。二人のほかには、誰もいない。西と南には壁、ほかは密集した木のかげで、視線は切れている。

 モリスは、腰につけた矢立を外して、筆をとりだした。ぴっと墨をきって、左手の指先にちいさな文字をふたつ描く。

 それから、呪文。ぴいんと、弦をはじくように張り詰めた呪語。


 薄紙にとじこめた蛍のような淡い光が、指先にともった。


 井戸のなかに手を入れる。ボンヤリと、砂埃にまみれた空気が照らされる。それに覆いかぶさるように、より強い異臭が。

 何も見えない。

 もう一度、唱える。少し長い呪文を、かさねて。


 ぱあっと、光量が増した。

 井戸のなかには、真新しい血でべったりと覆われた死体が、山のように積まれていた。


「……やはりか、」

 と、誰かの声がした。


 モリスとケイは、大きく身をふるわせて振り返った。さっきまで、誰の気配もなかったはずだ。いや、今もだ。

 気配のない男。

 人のよさそうなはげあたま、両脇に少しだけ白髪を残した小男だった。にやつきながら、右手でぽかんと自分の頭を叩いて、

「ほォ、何かあると思うて、気をさぐりさぐり追ってきたらよ。案の定」

 そう、言ったのは、エマ=ナンラの仲間。パミリス人の男、パナン=ミムルであった。

「あんたたちの目当ては知らぬが、こりゃ容易ならぬのう。殿上人の屋敷に、これほどの血の匂いとは! しかもこれァ、新しいぞ。ゆうべか、その前の昼間か。念入りに掃き清めてあるが、屋敷からここまでの道にも、ずっと──」

「あら、」

 それから、すっと、ごく自然にさしこまれたのは、ラナ=デミギアの声であった。

 モリスはぞっとしてもう一度、あたりを見回した。井戸のこちら側に、ケイ=バムンとパナン=ミムル。右はすぐ壁。左は木々にさえぎられている。頭上はむろん何もない。

 ふたたび、正面を見る。井戸のすぐむこうに、ラナが微笑んでいた。

 ばかな。

 さっきまでは、──絶対に、いなかった筈だ。

「……ラナ=デミギア」

 モリスはかわいた声で、つぶやいた。

「なんです?」

 ラナはころりと頭を振って、かわいらしい声で聞き返した。

 しばしの沈黙のあと、口を開いたのは、ケイであった。

「ちょうどいい。……説明してもらおう。この井戸の中に、」

「盗賊です。」

「なに!?」

「昨夜、この者たちが、デミギア家を襲いました。物取りです。ですから、返り討ちに」

 すらすらと答えるラナに、ケイはぐいと踏み寄って、

「それで、井戸に投げ込んだと? そんな無法があるものか。」

「あらあら、無法。」

 ラナはたのしそうに目をくるくると動かして、「それはまた、」と嘲るようにいった。

「ケイ様に、それをいう資格がおありでしょうか。」

「なに!?」

「10年前、あなたは法も、責任も、なにもかも放り出して宮廷を出たではありませんか。覚えておりますよ。夫のある女性と恋に落ちたあげく、それが公になるや否や、家も爵位も、あいての女性すらあっさりと棄てて──」

 わざとらしく、小さく手ぶりをくわえて。

 ケイは、顔をしかめるように身じろぎをした。覆面で表情はわからないが、声だけで、苛立っているのはじゅうぶんにわかった。

「……きさま、あの時はまだほんの子供ではないか。」

 モリスは、ちょっと身をひくようにして、ふたりの会話をきいていた。

 パナン=ミムルが横目にこちらをみる。やわらかい顔であるが、表情は読めない。

 いったい、何が始まったというのか。

「16は子供ではございませんよ、若様」

「嬲るのはよせ。……そういうことを言うなら、きさまこそ、素性をかくしているではないか。どういうつもりだ。」 

「とは?」

「しらじらしく、デミギア家の家人などと名乗りおって、きさまがデミギア家の当主、武術指南役その人ではないか。なぜ、隠す」

 そう、ケイが指摘しても、モリスは驚かなかった。


 むしろ、──そうでなくては。


「あらあら、ご存じでしたか。」

「おれが知らんわけがあるか。……いずれにせよ、きさまはただの武術家であろう。死者を蘇らせるなどと……どういう茶番だ。答えろ!」

「明日の朝、お答えしましょう。今は、──まだ。」

 ぱちぱちと、長いまつげを見せつけるようにまばたきをして、

「さァ、……これより、敗者復活戦を行います。」

 ことさら、ゆっくりと、微笑みをたたえながら。

「みなさま、すぐに中庭までおいでください。……よしなに。」

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