螺旋闘術
次の戦いは、メイ=サランとエマ=ナンラである。
メイの武装は、緒戦とはすっかり変わっていた。板金の部分鎧をはずして、かわりに鉄の小札を重ねた鎧を身につけている。
武器も、先ほどまでとは違う。右と左に一本ずつ、短い両刃の剣をさしている。
どちらも、魔法で軽くしてある。鎧は布のように軽く柔軟であり、剣も、針ほどの重さしかない。
魔法をかけたのは、モリスである。
小札の一枚一枚に、古代語で名が刻んである。そのすべてを一度に軽くするような高度なまじない術は、メイには使えない。
自らの力だけで戦うつもりであったが、考えなおしたのである。
戦う前の準備を手伝うだけであれば、反則にはならない。少なくとも、ラナはそれを明確に禁じてはいない。
双剣を針のように軽くするについては、モリスは実は反対していた。
剣というのは、刃物である以前に、鈍器である。
その重みでもって守り手をはじきとばし、おしのけ、衝撃を与える武器なのである。
当然、軽くすればするほど、攻撃力は下がる。
それでも、メイは、軽くすることにこだわった。
あいては、鎧を着ているわけではない。とにかく、素早く武器を動かして、刃をさしこんでしまえば、こっちのものだ。見かけの重みをごまかしてあいてを翻弄するのは、サラン家の魔剣術の本領でもある。
さて──
対するエマ=ナンラは、一回戦とおなじ軽装である。
キュナが身につけていたような、拳につける武器のようなものもない。完全に素手だ。
かるく腰を落として、右手をつきだした半身のかまえで、メイに相対している。
ふたりの間合いは、近い。さきほどの試合では、キュナとガルが、ほぼ試合場の端と端に立っていたが、今は、ふたりとも中心に近いところにいる。
開始線がひいてあるわけではない。ラナも、特に指示はしない。ふたりが自然に立った結果、そうなったのである。
「はじめ!」
ラナの声。
エマは、ふっと身をしずめた。
たん、……たん、と大きく二歩。頭を低くした独特の姿勢で、間合いをつめる。
メイは、左手の剣を前につきだして牽制しかけたが、エマのほうが速かった。
いや、速いというより、うまいのかもしれなかった。
タイミングのとりかた、呼吸のはずし方といってもいい。
とにかく、メイが左手の剣を動かそうとしたときには、もう、エマは拳のとどく距離まで近づいていた。
たん、
乾いた音がした。
掌底であった。
メイの胸の中心に、エマの右手が当たったのである。
斜めに打ち上げるような角度である。きれいに、体の芯をうちぬくように。
普通なら、衝撃で悶絶するところだ。だが、そうはならなかった。
メイは、ふわりと飛んだ。
自ら跳んだというよりは、エマの打ち出した掌底の勢いにのって宙を舞っているように見えた。エマの手には、紙を打ったていどの感触しか残らなかった。
メイは、空中におよそふた呼吸ほども留まってから、試合場の端に降り立った。
宙を舞う木の葉のように、軽くなっているのだった。
たん、ともう一度、乾いた音がした。
エマの右足が、地を叩く音であった。
右拳を、ぐっと前につきだして、半身のまま腰を深く落とした。
それから、左足の爪先を軸に、くるりと回った。
たん、ともう一度、右足の音。
奇妙な動きであった。
メイは、一瞬だけきょとんと目をしばたかせて、それから両手の剣をかまえなおした。
右足が、地面を蹴った。
ふわり、
と、舞うように跳ぶ。
空中で、すっと右手の剣をひるがえして、エマの肩口を狙った。
すっ、とエマが半身をひねってかわす。
地上にメイの脚がつく。その瞬間をみはからったように、エマが足払いをかける。
かっ、
小さな音がして、メイが体勢を崩した。
そのまま、頭から地面に倒れこむ。と、見えた。
くるん、
頭が落ちきるまえに、メイは縦に一回転して、足を地面につけた。エマは、右足を軽く動かしかけて、ためらった。メイの奇妙な動きに、戸惑っているようだった。
ひゅっ、
と、剣が動いた。
二本の剣が、いちど空中で交差するようにフェイントをかけて、両側からエマを襲った。エマはのけぞって逃れたが、右手の剣が、するりと這うように追いかけてきた。
メイの両足は、ほとんど地面についていなかった。
空中を、滑るように。
幽鬼のような、えたいの知れない動きであった。
剣先が、エマの左腕をひっかけるように突いて、朱い血をしぶかせた。エマは構わず、さらに手をのばして、メイの腕を掴もうとした。
が、掴めない。
指先が、メイの袖に触れるか触れないかのところで、まるで風に流されるように、すっと逃げてしまうのである。
エマの顔に、一瞬だけ焦りの表情がうかんで、すぐに消えた。
たん、
と地面を蹴る。
エマは身軽にうしろへ跳んで、距離をとった。
ふたたび、拳をつきだして構える。
エマはもう一度、左足の爪先を軸に、くるりと回った。
メイは、おどろいて目をしばたかせた。
エマのからだが、一回りも大きくなったように見えたのである。
両腕と脚の筋肉が、さきほどよりも太くなっている。
いつのまにか、腕の出血も止まっていた。
あきらかに、普通の状態ではない。
「メイ、冷静に」
モリスが、ちいさな声でいった。メイの耳には入らなかった。
メイは額に汗をにじませて、ふたたび滑るように間合いをつめた。左の剣をすばやくエマの眼前にふりおろし、それをフェイントにして、右の剣をまっすぐに突きだす。
心臓にむけて。
くるり、とエマが身をひるがえした。
さきほどの、奇妙な動きに似ていた。
こんどは、右足を軸に。
回転すると同時に、たん、とメイのみぞおちを叩く。
疾い。
メイのからだに衝撃が走った。チッ、とちいさく音をたてて、のけぞりながら呪文をとなえる。同時に、両手が剣から離れた。
呪文とともに、空中で剣が踊った。
双剣がくるりと回って、エマの背中を襲った。死角であった。
が、それが突き刺さる前に、エマの腕が、ふたたび動いた。
拳が螺旋を描いて、きれいに突き刺さる。
強い、はげしい音が空気を裂いた。
紙のようにふわりと、メイは倒れた。
ラナが、しずかに歩みよって、メイの胸に手をあてた。
「……エマ=ナンラ様の勝利です」
*
心臓に、突き刺さるような打撃であった。
ラナが決着を告げると同時、モリスが飛び出していく。
小川をとびこえ、倒れたエマの胸に手をあてる。異様な感触がした。早口に呪文をとなえつつ、壊れた鎧を力づくでぬがせ、素早く前をひろげる。
ぼこりと、胸がへこんでいる。泥のなかに拳を打ち込んだように。乳房は無残にひしゃげて、あばらも筋肉もないように、胴のなかばまでみごとに陥没。
いったい、どれほどの力で叩けば、このようになるのか。
すばやく、脈をとる。反応はない。呼吸もない。目は見開いたまま、動きもしない。
しばらく呪文をとなえてから、モリスはあきらめて目をとじた。死者を生き返らせる魔術はない。少なくとも、サラン流の魔剣術には。
ふと、顔をあげる。エマ=ナンラがこちらを見ている。
するどい、切れ長の目を、すこし伏せて。
モリスはいたたまれなくなって、目をそらした。急いでメイの衣服をもどし、抱きあげる。
生と死は、武芸者のならいだ。
ラナ=デミギアの蘇生術が本物であろうと、そうでなかろうと。




