精霊使い
さて──
つぎに進み出たのは、ガル=デミウとキュナ=ナルパである。
ガルは、筋肉質の中年男。対して、キュナは、まだ十代も半ばほどの少年である。
恰好も、対照的だ。
ガルは、ダージ人らしく、あざやかに染めぬいたトガに革靴。手首には飾り紐をつけて、きれいな金髪を後ろで縛っている。
一方キュナは、半裸である。さきほどまでは、パミリス人らしい上着とズボンをちゃんと身に着けていたはずだが、いつのまに脱いだのか、短い下ばきを残しただけで、靴すら履いていない。
いや、もうひとつ、身に着けているものがあった。
両手の指のところに、奇妙な棘のついた、金属製の装飾のようなものが。
4つのリングに指を通して、ぎゅっと握りこむような構造になっている。ちょうど、リングについた棘が、殴った相手をえぐるように。
拳闘士の武器であった。
いっぽう、ガルは、武器らしきものは何も持っていない。
剣はおろか、小さな刀子さえ、腰にさげていない。
これで、勝負になるのか。
「はじめ!」
ラナ=デミギアの声がひびく。
キュナは、姿勢を低くして、両こぶしを顔のまえに構えて、走った。
ふたりの距離は、二十歩ほど。走れば、すぐ間合いはつまる。
ガルが、にやりと笑った。
なにかが光る。いつのまにか、にぎりこまれていたガルの手元の小瓶から、紅いものがするりと飛び出し、キュナのまえに立ちふさがる。するどい熱をもって。
それは、炎でできた大きな蛇のようであった。
「おれが、精霊使いと言われていたのを、聞いていなかったかな。」
蛇は、大きくとぐろをまいて、キュナを睨んでいる。
目も口も鼻もないが、ちょうど、そのように見えた。
キュナは足をとめた。たんたん、とリズミカルに跳んで、さがる。
炎で赤くてらされた顔は、おびえの影もなく、ただ、じっとガルを睨んでいた。
「ゆけ、炎の精よ」
ガルが短く命じると、蛇はとぐろを解いて、ぐんと鎌首をもたげた。そのようにすると、キュナの頭と、蛇の頭は、だいたい同じ高さになる。
キュナは、さらに二歩、退がる。
蛇が追う。
逃げる。
追う。
キュナは、退がりすぎるのをきらって、右にまわりこむような動きをした。
すると、蛇は、すっと左に動いて、それをふせぐ。
左にゆけば、右に。
積極的に攻撃してはこないが、ガルに近づかせぬよう、あいだに入ってくる。
キュナの表情に、あせりが見えた。
それを見てとってか、ガルは、ふたたび笑って、もう一本の瓶をとりだした。
透明な小瓶のなかに、はげしく光る星屑のようなものが見える。
「雷の精よ!」
栓がぬかれる。
とたん、中庭を閃光がおしつぶした。
電光!
戦士たちが、ようやく目をあけると、キュナはうつぶせに倒れていた。
かすかに、肉が焦げるようなにおいがする。
ガルは、かすかに笑って、降伏をうながすような手つきをした。
キュナの相方は、モス=アマリという若い女である。
モスは、切れ長の目をきゅっと細めたまま、黙っている。
「なれば……、」
ガルは、手をかるく振って、炎の蛇にむかってなにか言いかけた。
その、瞬間であった。
キュナが、がばと跳ねおきた。
ガルは、何かいいかけて、口をつぐむ。
キュナの目つきが、あきらかにおかしかった。
まちがいなく、こちらを見ているのだが、どこか、遠くを見ているようである。
まだ、朦朧としているのかもしれなかった。
モスは、何も言わない。
次の瞬間、キュナは、跳んだ。
真正面に、である。
炎の精が、首を動かして前をふさごうとするが、キュナは、左手を炎の精の胴に叩きつけるようにして、さらに跳ぼうとした。
が、左手は、蛇のからだをつきぬけた。
実体のない炎のようだった。
キュナはバランスをくずして地面に堕ちた。髪と左手が焦げている。それに、炎のなかをつきぬけたために、下履きに火がついている。
炎の蛇が、キュナの後ろから迫る。
が、遅い。
キュナのふりかぶった右拳が、ガルの顔にめりこんだ。ガルが倒れきる前に、こんどは左拳。炎で赤黒くただれている手で。
骨が折れるような音がした。ナックルの棘から鮮血が散る。
殴る。
もう一度、殴る。
さらに、もう一度。
ガルの背中が、ようやく地についた。ガルの相方であるマード=グヌスが、ひっ、と小さく息を吐く。降参と叫びたいが、口が動かないようだった。
地面におちたガルの顔を、もう一度、体重のかかったキュナの拳がおそった。
ぐしゃりと、いやな音が響いた。
「降参だ!」
マードが、かわいた声でさけぶ。
しかし、キュナの拳は止まらなかった。
仰向けに倒れたガルに馬乗りになって、キュナは攻撃を続けようとした。
ふたりから少し離れて立っていたラナ=デミギアが、動く。キュナの肩に、ラナが手をかけようとした瞬間、ぴたりと拳が止まった。
ガルに馬乗りになったキュナの前に、モス=アマリがひざまづいていた。
モスは、キュナの顔に、そっと両手をそえて、
「……キュナ。眠りなさい」
りんとした声でいうと、ゆっくりとキュナは脱力して、目を閉じた。
*
デミギア家の家人たちが、桶で水をかけて、キュナの下履きについた火を消した。火傷は、モリスが治療した。キュナは、その間、ずっと眠っていた。
ガルは死体のまま、中庭の端に寝かされた。
その脇に、しばらく炎の精がとぐろを巻いていたが、やがて消えた。




