獣
二試合目──
メイは、試合場に立っていた。
対戦相手は、マテル。色白の、線の細い長身の男である。
自信にあふれた顔つき。モリスとは正反対だな、とメイはおもう。だからどう、ということでもないが。武器は持っていないようだが、さきほどの試合の例もある。油断はできない。
「ちょっと待ってくれ」
マテルは、にやつきながら、手をあげてラナにそう言った。
「準備をする」
「どうぞ」ラナは、メイがうなずいたのを確認してから、そう答えた。
マテルは、「すまんな」と言って、おもむろに帯をといて、ズボンをおろした。
(何を!?)
メイは思わず叫びごえをあげかけて、こらえた。
ラナは平然と横目で見ながら、だまっている。
マテルは、そのまま上着を脱ぎ、下履きもおろして、全裸になってしまった。
さいごに靴を脱ぎ、脱いだものをかるく蹴飛ばして、
「またせたな。」
均整のとれた肉体を見せつけるように手をひろげて。
メイは、かっと頭に血がのぼるのを感じた。
「はじめ!」
ラナのかけ声。
メイは、『弓の構え』をとった。大きく、頭上に剣をふり上げる構えだ。
そのまま、すっと右足を出して、距離をつめる。
独特の歩法である。ほとんど、すり足に近いくらいに足を浮かせて、音もなく。
滑るように、淀みなく。
尋常の剣術しか知らぬ相手には、まるで、歩かずして動いているように見える。
マテルは、メイが間合いを詰める数秒のあいだ、ただ突っ立っていた。
ひゅっ──、
メイが、剣をふりおろす。
無造作に、とみえるが、まっすぐにマテルの脳天、かわしようもない精確さで。
「おっと、」
がきぃんと、ふりおろした剣が、なにか硬いものに当たって止まる。
マテルが、右腕をあげて受け止めたのである。
(小手……?)
そんなはずはない。防具どころか、素っ裸だったはずだ。
といって、真剣を素手で受け止められるはずもない。
よく見ると、マテルの腕に、緑色の鱗のようなものができている。
「竜鱗さ」
いいながら、マテルは空いた左手をむぞうさにふりおろした。
金属音!
メイはとっさに後ろに翔んだ。鎧に衝撃。体に痛みはない。斬りつけられたようだ。しかし、どうやって?
「大熊猿の爪だよ。」
マテルが、笑いながらつぶやく。
左手から、二の腕ほどもある巨大な鉤爪が生えていた。腕そのものも、いつのまにか丸太のように太くなり、灰色の剛毛が生えている。
メイは、ぎりりと歯噛みしてマテルをにらみながら、ふわりと着地する。
「おまえも、妙な動きをするようだ。だが……、」
低く腰を落として、両手を地面につける。
「俺の獣化術に、捕らえられないものは、」
脚の形が変わっていく。四足の獣のように。全身に明るい色の毛が生え、力強く、しなやかな体にかわっていく。頭が少し小さくなり、長いひげが生え──
「どこにも、ない!」
豹だ!
大きな豹と化したマテルは、ごうと鳴いて、ひととびにメイにとびかかった。
するどい爪をそなえた前足を、思いきり叩きつけると同時に、大きく口をあける。
が──メイの姿は、もう、そこにはなかった。
空!
四つ足のまま、相手をみうしなって目をさまよわせるマテルを、メイは空中から見下ろしていた。ふわりと、宙に浮いたまま姿勢をととのえ、そのまま体ごと剣を叩きつける!
ずぶりと、肉に刃がめりこむ音がした。
その感触の異様さに、メイは顔をゆがませて剣をひいた。人を斬ったことは一度しかない。が、老いた牛や犬で試し切りは何度もやった。肉とは、……こんなふうに、剣をとらえて絡みついてくるようなものだったろうか?
手元にもどしたメイの剣から、竜鱗がぱらぱらと落ちた。
マテルは、また姿をかえようとしていた。傷ついた肩口が大きくふくれあがり、全身に黒い毛皮。猫のような顔つきもかわって、目は少し小さく、鼻はつきだすように。体は倍ほどに太くなり──
羆!
姿をかえても、傷がすぐに治るわけではないらしい。左腕はあがらないようだ。けれども、メイの倍はありそうな背丈と、10倍はありそうな重さ。これだけの体格差があれば、怪我も、武器も、技術も、剛力で吹っ飛ばしてしまうだろう。
まして、メイの体は今、普段よりずっと軽くなっている。動きが速くても、力の差が大きすぎる。
ごお、と羆が鳴いた。メイはためらわず、剣をふりかぶった。姿勢を低くして突っ込んでこようとするマテルの前頭部に、剣先を思い切り叩きつける。
硬い。そして重い!
巨大な頭蓋に剣がはじかれ、そのまま押し返されそうになる。そのとき──
「……ラテ、ラテ、ミリ、スーサリ、カーラ!」
すばやく、一息に、メイは呪文をつぶやいた。とたんに、メイの剣の刃から、炎の渦が勢いよく巻きおこる!
──がああっ!
羆は大きなうめき声をあげた。すでにその全身は炎に包まれている。メイは反射的に飛びすさって、距離をとった。マテルはもう一度、大きく叫んで、転げ落ちるようにして広場をかこむ小川にとびこんだ。
「あら、」
のんびりとした声で、ラナがつぶやく。
「そういえば、……場外については、定めていませんでしたね。
……今すぐ上がってくれば、そのまま続行としますが、どういたします?」
人間の姿にもどったマテルは、真っ赤に腫れ上がった背中をかばうようにして水からはいあがって、低い声でこたえた。
「……やめとく。火はきらいだ」




