8月10日。私は死んだ。
8月10日
午後0時48分
両親は仕事。
兄は部活。
妹は買い物。
私は夏休み。
退屈な宿題に飽きて、自分の部屋から出る。
電気はついていない。窓から差し込む日光は黄色く、床を染めて、部屋全体を柔らかく照らしている。
「何をしよう」
テレビもラジオも聞く気にならない。
なんというか、暇。
「みーんみーん……」
セミが鳴いている。うるさいけど、夏を実感できる。
縁側の床に座り込み、窓の外を眺める。
でっかい雲が左右に1つずつ浮かんでる。
青い空を飛行機雲が斜めに切り裂く。
そこから少し目線を下げると、地平線に名前も知らない山脈がそびえ、
手前には青い森。所々に電波塔。
さらに手前には田んぼ。
さらに手前にはうちの庭。猛省の物干し竿で洗濯物が揺れている。
風は弱くそよそよと、そして地面の草を撫でる。
私のところまでやってくると、髪をなびく。
私は縁側で9分間、風に吹かれながら外を眺めていた。
暇ーー。
「ニャーー」
「あ、」
よくこの辺を彷徨いている白猫だ。
知ってる。三井さんとこの猫。いつもうちの前を通る。
確か名前は、、、イト丸だったような気がする。
そうだ。
私はふっと立ち上がる。縁側から降りて、日に照らされてあたたまったセッタを履いた。
「みーんみーん…」
セミの声が一層大きく聞こえる。
「おーい、イト丸くんー」
オスだよね…確か。
私はイト丸のいる方へ庭を進んでいく。
「ニャーーーー…」
イト丸はあくびをして、白い毛をなびかせている。
かわいい。
ようやくイト丸のそばまで来ると、私はそこにかがみ込み、彼の背中をそっと撫でた。
あたたかく、ふわふわしている。
イト丸はまるまると大きく、太っているので、歩くのが遅い。
私に背中を撫でられて、イト丸はその場に寝っ転がり、その体を私に委ねている。
「よしよし」
白い毛で草を潰して、ゴロンと仰向けになる。
やっぱりオスのようだ。
私はイト丸の肉を掴んでゆらゆら揺らす。
暑い。
黒い髪の毛が日光を集めて触ると熱い。
白いワンピースもそのせいで汗に濡れている。
思わず空を見上げると、青い空とともにギラギラ輝く太陽が視界に飛び込んでくる。
一通りイト丸をなで終わると、私は屋根の下に入ることに決め、立ち上がった。
「ニャーーーーン」
もっと撫でてほしそうにイト丸は寝っ転がっている。
「ごめんね。暑すぎるから。またね」
私は三歩後ずさりすると、家の方へ歩き始める。
「あ、」
その時私は、
庭の真ん中を不意に見て、
布のような物がが一つ、落ちているのに気づいた。
洗濯物のようだ。
風に飛ばされたんだ。
草はそよそよと揺れ、
白日が照らし続け、
その向こうには森と青空が広がっている。
でっかい2つの雲と飛行機雲は変わらずそこにある。
私は15秒それを見ていた。
拾いに行こうか、このまま家に入ってしまおうか迷っていた。
ちょっとめんどくさかったからだ。
別に拾わなくてももうすぐ家族の誰かが帰ってきたら、この庭を通るし、
私はそう思ったけど、ま、拾いに行こうかと、そう決めた。
私のその地点から落ちている洗濯物まで17歩。
ゆっくりそこまで歩いていく。
日光はどんどん強くなる。
庭の真ん中まで来ると真下には洗濯物が落ちている。
白い布。Tシャツかな。見たことないから、たぶん家の物じゃないようだ。
私はそこに立って、一度振り返る。
一階建てのうちの屋根は日光でギラギラと輝いて、庭の裏には雑木林が見える。
その傍らにはイト丸がゴロンと横になって、こちらをみつめている。
360°、周りには家はない。田畑の向こう側、50メートル以上離れた地点に三井さんの家が見えるが、それ以外には……
何もない地平線と山脈が並んでいる。
そして私はもう一度地面を見た……
そこには先程まであった洗濯物がなくなっていた。
「あれ?」
ちょっと見回すと、すぐに見つかった。
ここからさらに3メートルほど先。それでも庭の真ん中にはかわりはない。
きっと、また風に飛ばされたのだ。
私は再びそこまで歩いて、洗濯物の真上まで来た。
「暑い……」
私はようやく洗濯物にたどり着き、今度は周りを見回さずにその洗濯物に手を伸ばした。
明るくきつい日光は洗濯物に反射して私の目に差し込んでくる。
さらに背中にはミチミチと夏の暑さがのしかかり、ますます汗が吹き出してくる。
グーッと背骨を曲げ、洗濯物を掴んだ。
その途端……!!
真っ白な洗濯物は日に照らされて熱くなったその布の体を翻し、私の首に巻き付いてきた。
「わっ……!!」
驚き、思わず声が出た。
瞬間、風に煽られて飛び上がったのかと思った。
しかしその動きは生き物のようにブルブルと震え、私の首を締め付ける。
私はよろめき土草の上に倒れ伏す。
なんとか布を首から外そうともがく。
しかしそれは容赦なく私の首を締め付ける。
まるで誰かが両手で引っ張っているかのように、引き締め、喉を塞いでいく。
「うっ……うっ………」
助けを呼ぼうとするが、声が出ない。
かわりに涙が溢れて、
太陽はますます強く私を照らす。
私の頭は酸欠と熱中症でクラクラとのび上がり、うまく思考できない。
私は家の方向を見ると、イト丸がこちらを見ている。
「た……すけて………」
ニャーーンと泣いているようだが、聞こえない。
私は薄れゆく意識の中で、草を掴み、土を掴み、脚を伸ばしたり曲げたり、
とにかく、なんとか動こうとした。
そしていずれ空を見上げていた。
丁度先程のイト丸のように。
体は動かない。
布はまだ首を締め付けているのだろうが、もう感覚はない。
両手、そして白いワンピースは、土と草で汚れているだろうが、今の私にはそれを見ることはできない。
ただ仰向いて私は倒れている。
空は青く澄み渡っている。
雲は大きく広がり、飛行機雲が縦断している。
その景色が、私が最期に見たものになった。
8月10日、午後1時2分。
自分の家の庭の真ん中、
私は窒息で死んだ。
お読みいただいた皆さん。ありがとうございました
ぜひ、評価、感想、レビュー、お願いします
また、作者の他作品もよろしくお願いします