明星の光-アシェイン-
「殿下……もう逃げられませんよ?」
リーダー格の男の言葉で1人の女性の動きが止まった。
そして自分を取り囲む屈強な男達を見て歯噛みする。確かに逃げられない……
壁のように行く手を遮る男達、そして自分の背後には甲板に設けられた落下防止用の手すり、その向こうに広がる景色は地上から遥か上空の雲海であった。
ここは地上から遙か上空、雲海よりも高い場所を航行中の飛行船の甲板である。
さすがにここから地上へと飛び下りて逃れるわけにもいかない……
(どうする? もう従者も護衛の者も全員殺された……もう逃げ場がない!)
そんな絶望的な状況に、しかし遠くから女性を取り囲んでいる屈強な男達とは違う者の声が聞こえた。
「あぁ~何かお困りみたいですけど、よければ手を貸しましょうか?」
その声に自分を取り囲んでいた男達も一斉に声のした方を向く。
そこには3人組みの少年少女がいた。
「ちょ、ちょっと! やっぱやめといた方がいいんじゃ……」
3人のうち、気の弱そうな金髪の少女が少年へと慌てふためきながら声をかける。
声をかけられた少年は気にした風もなく。
「ここは儲けどころだぜ! 積極的にアピールしないと仕事も得られないんだから!」
そう少女に力説する。
「それに俺たちの基本理念って何だっけ?」
「えっと……人助け」
「そう! 窮地に追い込まれた人を助けるって、まさに人助けだろ?」
「身分を見て出てきた感じだけど……」
言う少女を無視して少年は一歩前へ出る。
「で、どうします?」
言われて女性は一瞬迷ったが、もはや後はない。
あのような少年に頼るとはなんとも情けないが背に腹は変えられなかった。
「では……お願いします」
その言葉に女性を取り囲んでいた屈強な男達が一斉に腹を抱えて笑い始める。
「くはははは! これは傑作だ!! まさかあんなガキどもにすがるとは!!」
「ほんとだ、腹痛てー!!」
何とも屈辱的ではあったが、女性は奥歯を噛み締めることしかできない。
一方、そんな男達を少年は呆れた顔で見つめた。
「別に屈強な体つきだから強いってわけでも数が勝れば圧勝ってわけでもないのにな……」
そんな少年に続くように3人の少年少女のうち、今まで一言も発していない少女、甲板の落下防止用の手すりの上に乗っかっていた少女が始めて口を開いた。
「無駄口はいい……仕事なら早く済ませるべき」
その無愛想な言葉に少年は苦笑して。
「へいへい」
それだけ言うと次の瞬間には屈強な男達へと腰にぶら下げていた短刀を手にして斬りかかっていた。
その少年の強さは圧倒的であった。
革のベルトに吊り下げた2本の短刀を引き抜き、目にも止まらぬ速さで駆け抜けると、次々と屈強な男達を斬りつけ、倒していく。
2本の短刀を長い紐で結んでまるで鞭のように振り回して斬りつけ、結んだ紐の中心点を掴んで勢いよく紐を回し、その遠心力で結んだ短刀の威力を上げ、屈強な男達を次々とバラバラに斬り裂いていく。
さきほどまで女性の護衛をしていた騎士達とはまったく相容れぬ戦い方であった。
「くそ!! ガキ一人に何手こずってやがる!」
屈強な男たちのボスが苛立った声を上げたが、形勢が逆転する様子はない、それどころか……
「ぐわぁ!」
「ど、どうした!?」
振り返ればさきほどまで落下防止用の手すりに座っていた少女が立っていた。
身長が低く、まだ幼い体つきと顔つきにも関わらず、少女の実力は相当のものだった。
少女の周囲には倒された男達が転がっている。
「な……こんなガキに!?」
ボスの男は信じられないといった表情で少女を見る。
服装はここらで見かけぬ珍しい衣装であった。
ボスの男の記憶が確かならば東方の国の戦闘装束、それも表沙汰にはできない隠匿すべき事項に対してのみ出撃する隠密集団のもののはずだ。
幼いながらもその手には自身の身長とは不釣合いの長さの大刀が握られている。
「ふざけやがって!!」
ボスの男は自分を守るように展開している部下達に指示を飛ばし攻勢をしかける。
だが、彼らは一瞬にして少女の大刀の餌食となった。
たまらずボスの男は後ろへと後退する。
「くそ! この俺がこんなガキ相手に!!」
悪態をつく男の視線の先では少年が部下達をほぼ壊滅させていた。
その向こう側ではもう一人の少女。
最初に首をつっこむのは止めようと言っていた、気の弱そうな金髪の少女が男達に取り囲まれて慌てふためいていた。
「ちょ、ちょっとハンス!? 助けてよ!!」
言うより先に男達が少女へと襲い掛かる。
「きゃ!」
咄嗟に腰に差してあった護身用の短剣を引き抜き男を斬りつける。
斬りつけられた男は痛みで顔を歪めながらも、倒れたりはしない。
「そ……それ以上近づかないでください! で、でないと取り返しのつかないことになりますよ?」
声は裏返り、明らかにビビっているのがわかる少女の言葉に取り囲んでいた男達は互いに顔を見合うと一斉に腹を抱えて笑い出した。
「ははは! そりゃーいい! 何がどう取り返しのつかないことになるってんだ? えぇ?」
そんな笑い声が響く中で少女は涙目で口をへの字に結ぶと、右手に握った短剣を前へと突き出したまま左手で腰のベルトに差してあるもう一つの武器、本来の彼女の武器たる馬を調教するためのムチ程の長さの杖を引き抜く。
それを見て少女を取り囲んでいた男達の表情が一変した。
「な!?」
「杖だと!?」
「こ、こいつ……まさか貴族!?」
驚く男達を無視して少女は呪文を詠唱し杖を振り上げる。
すると杖の先に火花が飛び散り、やがてそれは燃え上がる炎の鞭へと姿を変えた。
杖を振り下ろすと同時、炎の鞭は少女を取り囲んだ男達へと襲い掛かり、彼らは爆炎とともに吹き飛ばされた。
「な、なんなんだよ! このガキどもは!?」
屈強な男たちのボスは自分以外が全滅した光景を見て愕然としていた。
嫌な汗が額を伝う。
奇妙な剣術を使う少年に、東方の隠密集団出身のような少女、そして貴族の少女……
そんな連中に自分たちがやられるなど一体何の冗談だろうか?
男はとにかく逃げようと考えた。
ガキ相手に逃げを選択するとは屈辱以外の何者でもなかったがこのままではまずい……
一度態勢を立て直さなくてはならない。
しかし、男が逃げることはできなかった。
「そんなに血相変えてどこに行こうというんです?」
甲板から船内へと入る扉の前に新たな人影が立ていたのだ。
それだけならまだいい、たとえ少年達の仲間であったとしても所詮は子供だ。
しかし、問題はそこではない……
「な、なんで……なんでエルフがここに!?」
長く尖った耳が特徴の人間社会では畏怖される種族、美しくしかし冷徹な種族であるエルフがそこに立っていたのだ。
「あぁ、私も彼らと同じギルドの者でしてね? ちなみに私みたいな”はぐれエルフ”はドルクジルヴァニアの街ではそう珍しくありませんが……」
「ドルクジルヴァニアだと!? そうかお前ら、ジルヴァニア傘下のギルドか!!」
「えぇ、団員数4人の弱小ギルドですがね……そういうあなたは空賊連合の方ですね?」
言われて男は舌打ちした。
ギルドの街ドルクジルヴァニアと空賊連合とは対立関係にある。
現在は表面上は表立った抗争はないものの、一触即発の事態には変わりない。
そんなわけで空賊連合はいずれ訪れるであろうドルクジルヴァニアとの全面対決に向け勢力基盤を伸ばそうとしている最中なのだ。
「へ! なるほどね、納得だ……ガキ4人でもやっていけるだけの実力は確かにあるわな! でもよ、上ががら空きだぜ?」
男が言うや上空から1匹の竜が急降下してきた。
この世界ではオートドックスな空を高速で翔ぶ風竜だ。
風竜は男の襟元を口で加えるとそのまま背中へと放り投げて男を背中に乗せ、再び上空へと猛烈なスピードで飛び去っていく。
そんな風竜を見つめてエルフは溜息ひとつ。
「風よ、かの者を切り裂け」
言葉を発した。
同時、上空の風竜とその背に乗る男は無数の風の刃にバラバラに切り裂かれ、無残に地上へと落下していく。
その光景を甲板の上で確認した一同はようやく戦闘態勢を解除した。
「ったく、おいしいところは全部イワンに持っていかれちまったぜ」
「そう拗ねるな……ギルドマスターなら団員の活躍を労うものだろ?」
そう言ってエルフは少年たちの元へと歩いて行く。
そんな光景を見て女性は頭がついていかなかった。
あの少年はまるで友人に話しかけるかのような自然さでエルフと話をしている。
エルフが怖くないのだろうか?
そんな疑問を女性が抱いてると感じ取ってか、女性の隣に先ほど魔法を使った少女がやってきた。
「驚いてますか? エルフと人が共に行動してること」
「え?」
「そうですよね、私も最初は驚きました。でも今は気にしてません」
「あの……聞いてもよろしくて?」
「はい、何なりと」
「あなたは魔法を使っていましたよね? つまりは貴族ということでしょ? どこのご令嬢かは存じませんが、エルフを雇っているという事なのですか? 私には信じられないのですが……」
その質問を受けて、今まで笑顔だった少女の表情が一瞬曇った。
「私は……もう貴族じゃありません。家も領地も身分も家族も失いました。親戚を頼れば貴族という身分は取り戻せるかもしれませんが、考えてません」
「なぜです? 没落した理由は聞きませんが、身分を取り戻せるなら親族を頼ればいいのではなくて?」
「貴族という身分よりも大事なものが今ここにあるから……だから私は親族の元に行くよりもギルドの一員となることを選んだんです」
少女は揺るぎない声でそう語った。
その眩しすぎる答えに女性は返す言葉がなかった。
そして少年の方を向く。
「教えてくださる? あなたがギルドに入ろうと思ったきっかけって……もしかして彼?」
言われて少女は顔を真っ赤にさせる。
しばらく思考が停止していたがやがてゴホンと咳を入れると。
「はい、そうです……ハンスは私を救い出してくれました。だから私はハンスに恩返しをしたいんです」
言う少女の表情はまさしく恋する乙女のものだった。
それを見て女性も少年の方を向く。
2人の視線に気付いてか少年とエルフはこちらに駆け寄ってきた。
よく見れば元貴族の少女の横にはもう1人の少女も立っていた。
あまり喋らない性格なのか、戦闘終了後から一言も発していない。
「甲板にいた連中は片付けましたけど、まだ船内に残党がいる可能性がありますので、安全が確認できるまでは我々のそばから離れないようにしてください」
言う少年は船内へと向かうため甲板から船内へと入る扉へと向かう。
「あの……よろしくて?」
「はい、なんでしょうか?」
「まだ名前を聞いてませんでしたね。教えていただけませんか?」
言われて少年はにっと笑うと胸を張って答えた。
「俺はハンス=ビストリツァ=ドルクジルヴァニア。そして俺たちはギルド<明星の光>。まだ弱小ギルドですが、いずれはドルクジルヴァニアを代表する大きなギルドになる予定なんでよろしく!!」
ドルクジルヴァニア。
治安があまりよろしくないというのは聞いたことはあるが、一体どんな街なのか女性は知らない。
姓に街の名を名乗ってるところからしてドルクジルヴァニアの領主と関係があるのだろうか?
しかし、あのあたり一体は確か明確な領主が存在しない、むしろどの国にも属さない無干渉地帯だったはずだが……
「そういえば、まだ報酬の金額を決めてませんでしたね」
「へ?」
「豪富のご令嬢だと報酬の額は出来る限り高く請求するんですけど、平穏な一国の王女となると使える額も限られてくるからでしょうからなんとも難しいところなんですが……」
「え? ちょっと……」
「メルホルン公国の姫の時は確か……で、メーカのエルフの姫の時は……だから大体お姫様相場はこれくらいで」
「あ、あのー?」
「はい、とりあえずは前金としてこの程度請求させていただきます。すぐには全額は作れないでしょうから残りはアルティア王国の王都に着いてからということで!」
ハンスが羽ペンで羊皮紙にサラっと書いた金額を見て、アルティア王国第二王女であるシータは卒倒してしまった。
「……というわけです。依頼遂行報告は以上です」
ハンスは言って姿勢を正す。
そこは薄暗い空間であった。
床や壁、天井は石で出来ており、室内の明かりも壁にかけられた蝋燭の火と窓から入ってくる光だけが頼りという暗い印象の部屋である。
ハンスは部屋の中央に立ち、今回の依頼についての報告をおこなっていた。
目の前には豪奢な作りの机と椅子があり、そこには一人の男が座っている。
髪の毛は白くなり、全盛期に比べると老化が目立つ形となっかたが、その瞳には今だ威圧感が漂い、まだまだ野心は捨てていないと主張していた。
そんな男の横には別の男が腕組をして立っていた。
まだ30代後半に差し掛かったところだろう男は眼鏡をかけ、長く伸ばした髪を頭の後ろで一括りにしている。
「なるほど、依頼は滞りなくこなしたようで何より……」
眼鏡をくいっと指で持ち上げると男はハンスを見据える。
「しかし、報告事項はそれだけではないはずですが?」
「……何のことでしょう?」
無表情で言ってハンスは心の中で舌打ちした。
「とぼけるのは大いに結構ですが、あなたのギルドへの仕事の斡旋が減ることになりますよ?」
「……」
「ルールは守ってもらわないとね? 受けた仕事に関してはすべて包み隠さず我々に報告すること、それがこの街の……ドルクジルヴァニアの規則です。たとえ、我々を通さない依頼人との直接の仕事であってもね?」
部屋の中の空気の質が変わる。
椅子に腰掛ける老人は一言も発していないがハンスを睨みつけるその表情は充分に相手を威圧する。
ハンスは溜息をつくと観念して口を開く。
「途中、空賊連合の一派に絡まれてるアルティア王国王女の救助及び護衛の依頼を受けました。一刻を争う事態だったのでこちらには一報は入れてません」
「それは……後に報告するつもりだったのか? それともこちらに隠して個別提携を結ぶつもりだったのか?」
老人は初めて口を開く、その声には抗いがたいものがあった。
長年に渡り、曲者どもを束ねてきた者の凄み、老人が今だ現役たる証だ。
「少なくとも……空賊連合に首を突っ込んだことを隠そうとしたわけじゃないとだけ言っておきます。アルティア王国の王女殿下から仕事の依頼があったとわかれば、他のギルドがこぞって彼女に仕事を要請しようと集る危険性がありますので、できれば公にはしていただかないでいただきたい」
「ほう……それはつまりは彼女に近づくなと?」
「彼女をこちらの世界に引き込みたくないだけです。世界の影の部分が多いギルド社会に関わらせたくない人だと思いましたので」
「……なるほどな」
老人はそこで肩の力を抜くと笑い出した。
「お前がそう言うならそうしよう。しかしなハンス? そう言いながらお前が関わるお姫様関連の事件はこれで何件目だ?」
「……別にお姫様が好きなわけじゃありません」
「どうだかな? まぁいいさ……下がって良し。今回の件もいつも同様非公式の非公開としておこう」
老人の言葉に隣に立つ眼鏡の男は溜息をつく。
「普通は王女クラスの身分の者から直接依頼を受けたとなればギルドとして箔が付くから公開したがるものだがな?」
ハンスが部屋を出て行った後、しばらく老人と眼鏡の男は黙っていたが、やがて老人がポツリと呟く。
「今度はアルティア王国か……」
老人が唇の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべているのを見て眼鏡の男は老人たずねる。
「予想の範囲内で?」
「それ以上の出来栄えだ。もう少し時間がかかると思っていたが、短期間の間にメルホルンにメーカのエルフ、そしてアルティアと、あいつを通してパイプラインが生れたわけだ」
「正直、私には彼がどうしてそこまでお姫様に人気なのか理解しかねますがね……」
「まぁ、なんだっていいさ。大事なのは周辺国家をあいつを通して引き込める地盤が生れたってことだ」
老人の表情は邪悪なものとなる。
今だ野心を捨て去っていないこの老人の名はヨランダ=ギル=ドルクジルヴァニア。
ギルドの街ドルクジルヴァニアを統治する統括市長であった。
建物を出てハンスは大きく伸びをした。
いつまで経ってもここは慣れることはない。
陰謀と欲望と野望が拮抗し、渦巻くドルクジルヴァニアの中枢……
世界で最も穢れた場所と言っていい。
「さて、報告も終わったしホームに帰るとするか」
ハンスは歩き出そうとしてその足を止めた。
目の前に少女が立っていたからだ。
「マリ……」
「お疲れ様、どうだった報告は?」
金髪の髪の少女は笑顔でハンスの元へと駆け寄ってくる。
「まぁ、何事もなく終わったよ。それより皆と先に帰ってればよかったのに」
「イワンさんは食料の買出し、フミカは欠けた刃の砥だって」
「そっか……ま、ここしばらく遠征続きだったからな」
「久しぶりのホームだもん、ちょっと遠回りして帰らない?」
言ってマリはハンスの手を取って大通りへと歩き出す。
「たまには散歩にも付き合ってよね!」
言うマリの顔は夕陽にかぶさってよく見えなかった。
ハンスは表情を和らげるとマリの隣を歩くように歩調をあわせる。
「あぁ……そうだな、散歩も悪くない」
2人は夕刻になり人通りが増し始めた通りへと進む。
また今日もドルクジルヴァニアの街は賑わい、地平の果てに夕陽が沈む。
世界の穢れが集うと言われるこの街で、彼らは明日も己が道を探し続ける……




