ケティーと異世界デート(前編)
早朝、窓から室内に入ってくる光はまだ薄暗い。
とは言えここは次元の狭間の空間、1日の流れの中で日が昇り落ちるという現象は本来発生しない。
そもそも常に暗闇なのが次元の狭間だ。
そんな時間の概念など存在しないここで、1日の流れを忘れないためにメンテナンス施設で時間の経過に沿って次元の狭間の空間内の明るさが変化するように明暗を設定している。
これは数ヶ月も海を渡り船上生活を送る海軍の船乗りが、曜日感覚を忘れぬために金曜日にカレーを食べるという習慣に近いだろう。
そんなわけで窓の外からは人工的な日の灯りが入ってくるが、まだ完全な夜明けの明るさではない中、意識が徐々に目覚め出す。
薄らと開けた目から視える景色は見慣れた自室の天井、そう次元の狭間の空間内で最もプライベートな空間である自室である。
とは言え、この自室も完全に再現された模造空間であり、本物の自室は遙か次元の彼方の故郷で今も主の帰りを待っているはずだ……ジムクベルトに破壊されてなければの話だが……
そんな模造空間のベッドに横たわっていたが、徐々に意識が覚醒していく。
今日の朝飯は何を作ろうかな? とぼんやり考えながら起き上がろうとして、右手が何やら柔らかいものに触れた。
「ん? 何だ?」
まだ寝ぼけているのだろうか?
一度右手を動かしてみるとやはり何か柔らかいものがある。
試しに握ってみると揉みごたえのある弾力が手のひらに感触として伝わってきた。
「あっ……やん!」
ついでに何やら女の子の声も耳元で聞こえた。
「……何だ?」
寝返りを打って右手が触れた方に顔を向けると、そこには添い寝するような形で顔を真っ赤にしたケティーがこちらに顔を向けて寝転がっていた。
「川畑くん……いくらまだ寝ぼけてるからってそんなに力強く胸揉まないでよ、エッチ」
「……って何でケティーが俺のベッドにいるんだよ!!」
思わず叫ぶと乱れた寝間着姿のケティーが体をクネクネさせながら。
「そんな……昨晩あんなに激しく抱いてくれたのに」
などと言い出したがため息しかでなかった。
「いや、ケティー昨日まるまるどっかの異世界に商売に行ってていなかっただろ……いつ帰ってきたんだよ? というかどうやってこの部屋に入った? 鍵はかけてから寝たはずだが?」
そう言うとケティーは。
「つい数時間前帰ってきたばかりだよ? 夜明け前で暗いし誰も起きてないし寂しいから川畑くんのベッドに潜り込んで抱きついちゃった! 鍵はまぁ、色々と侵入方法はあるよね」
などと供述しだした。
色々と侵入方法はあるって恐ろしい事言うな……フミコも同様の手段を用いれたら大変な事になりそうだ。
「まったく……こんなとこフミコに見られたら何が起るかわからないぞ。はやく出て行ってくれないか?」
そう言ってベッドから起き上がるとケティーは不満そうに頬を膨らませる。
「川畑くんなんだか冷たいな、朝一で部屋に押しかけたことは謝るけど、そんなぞんざいに扱わなくてもいいんじゃない?」
「いや、さすがに朝一で突然ベッドに潜り込まれてたらそうなるだろ!」
「胸揉んどいて?」
「ふ、不可抗力だと思いますけど……」
「そんな言葉で済ますつもりなの? 胸ガッツリ揉んどいて?」
「……ほんとにごめん」
「よろしい、許してあげます。ところで私の胸を揉んだ感想は?」
頭を下げて謝るとケティーが意地悪そうな顔で聞いてきた。
これ完全に楽しんでやがるな……下手に謝らなければよかったか? 不可抗力なんだし……
いや、それは道徳的によろしくない……
そんな事を考えてるとケティーがニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。
「ねぇねぇ感想は? このままじゃ私揉まれ損だし、フミコとどっちが揉みごたえあったかはやく聞かせて」
「言わねぇし、フミコの胸揉んだ事ねぇよ!!」
思わず叫ぶとケティーは腹を抱えて笑い出した。
くそ! 朝からまったく最悪な気分だ。
まぁ、絶対に口にはしないが揉みごたえがあったのは確かではあったが……
「で、朝から何なんだ一体? 朝飯早く作れってんならもう少し待ってくれ。今から準備すっから」
そう言って寝間着から着替えているのだが、ケティーはいつ部屋を出て行くのだろうか?
なんか気にせず着替えていいよと言っているが、こっちが気にするのだが?
「あぁ、朝ご飯なら大丈夫だよ? それよりも川畑くんに頼み事があるんだ」
「頼み事?」
そう言うとケティーは懐からムーブデバイスGM-R79を取り出した。
「ちょっと付き合ってほしいんだ」
ガラケーのようなガジェットのムーブデバイスを開くとケティーは着替えが終わった自分の手を握ってきた。
そしてムーブデバイスのボタンを押す。
直後、自分とケティーはどこかの世界の街中に立っていた。
「って! どこだよここ!!」
「ん? リマって街だよ? サンジャシア王国東部の交易都市」
ケティーはそう言うと乱れた服装を正し始めた。
いや国名や都市名言われてもさっぱりなのだが?
「川畑くん、もうそれなりの異世界巡ってるんだからいい加減慣れたんじゃないの?」
「こんな形での異世界訪問は初めてだ。というかそのムーブデバイス俺でも移動できるんだな?」
そう言ってケティーが手にしているムーブデバイスGM-R79を指さす。
ケティーは笑顔でこちらにムーブデバイスを見せてくると。
「そう、使用者の私と触れ合っていたら移動は可能だよ。私以外の人が単体で使ったら無理だけどね」
そう言って「他の人には内緒だよ?」と顔を近づけて小声で囁いてきた。
内緒も何も、フミコ以外に喋る相手はこの旅でいないのだが……あぁ自称神のカラスがいたか。
ケティーはムーブデバイスを懐にしまうと自分の手を取って引っ張ってくる。
「それじゃあ行こうか!」
「おいちょっと待てよケティー! 行くってどこに? ていうか一体どういう理由で俺を連れてきたんだ?」
これは当然の疑問だ。
言うなれば自分は拉致されたのと同じなのだ。
異世界召喚者や転移者って異世界に来た時こういう気持ちだったのか~とも思ってしまう。
ケティーはそんな自分の問いかけに笑ってこう答えた。
「どういう理由ってそんなの決まってるじゃん! デートしよ?」
そう言って笑顔を向けてくるケティーは思わずドキっとしてしまいそうなほどに魅力的に見えた。
なので自分の手を引くケティーの力に抵抗しようとは思わなかった。
とは言え唐突な展開に少し頭は混乱する。
「デートって……何でいきなり」
「いきなりとは酷いな~やっぱり忘れてるよね? 以前手伝いする代わりに今度デートしてって言ったじゃん」
ケティーはそう言ってふくれっ面を見せた。
もちろん本気でそんな顔をしていないのはすぐにわかったが、そんな約束したっけ? と思い返して、極寒の異世界に行った際防寒具のアノラックの提供以外に地図情報をもらった時の事を思い出す。
あの時は冗談でからかってるんだと思っていたのとフミコの怒りが爆発しそうだったので軽く流していたが、ケティーは忘れてなかったらしい。
「まさか本気だったとは……ていうか一旦戻って朝ご飯作ってからのほうがよくないか?」
そうケティーに提案する。
朝起きたばかりで何も準備していないのだ、もし今次元の狭間の空間でフミコが起きてきたら朝ご飯がない事に怒るかもしれない……
まぁ、それ以上にケティーと一緒に異世界に出掛けてる事に怒り心頭になるだろうが……
しかし、ケティーは一切気にせずにこう言った。
「フミコに朝ご飯作ってあげないとって思ってるなら大丈夫。次元の狭間の空間内での時間と川畑くんの故郷の世界とその他の世界の時間の流れが違うように、私達の今の時間も次元の狭間の空間とリンクしてないから」
「それ本当なの?」
「うん、そうだよ? だからフミコの事は忘れて私とのデートを楽しもう!!」
そう言うとケティーは引っ張っていた自分の手を放して、直後手の繋ぎ方を恋人繋ぎに変更してきた。
「ちょっ……ケティー?」
「何? 恥ずかしいの? 川畑くんほんと硬派だね」
「いや、そうじゃなくて」
「照れなくていいから!」
そう言ってからかうように笑いながらケティーは自分に身を寄せて石畳のメインストリートを歩き出す。
「この先にモーニングセットが美味しいカフェがあるの! まずはそこで朝食をすませましょう!」
「……わかったよ」
観念した。
次元の狭間の空間が桟橋から繋いだ異世界でない限り、自分は異世界渡航者でありながらも自由に異世界を行き来できない。
今はケティーから離れた所で戻る手段はないのだ。
「で、本当の目的は何だ?」
「目的?」
「何か理由があって連れてきたんだろ? まさか本当に俺とデートしたいってわけじゃないだろうし」
そう聞くとケティーは上目遣いで見つめてくると。
「とりあえずはカフェで朝食を摂りましょう。話はそこで」
そう言った。
やっぱり何かあるんじゃないか……なんだかため息がでそうになった。
サンジャシア王国東部の交易都市リマ。
多くの商人や観光客、亜人で賑わうこの街は、通りに多くの魔法具店が建ち並んでいる事や空に魔法の力で浮いている浮島や遺跡がある事を除けばまさに中世ヨーロッパの雰囲気漂う観光都市といった感じであった。
そんなリマの中にあってメインストリートの一等地に店を構える人気のカフェがあった。
お洒落な雰囲気に店の外、通りに面した場所に設けられたテーブルはカップルに人気なんだとか……
そんな人気の席に腰を下ろして、リマでは人気という(この異世界の人間ではないのだから当然だが)聞いたこともない郷土料理を口に運んでいるのだが、料理の名前が一切頭に入ってこなかった。
まぁ、日本でも呪文のようなよくわからないメニューは存在するからそういうもんだろうと自分を納得させる。
しかし、案外美味しいので後でこっそりレシピを入手できないか? と考えてしまう。
ケティーに頼んだらなんとかなるだろうか?
いや、料理の材料が聞いたこともないこの異世界独自の素材だった場合、色々と面倒か……
ケティーにここの食材も仕入れてもらわないといけなくなるし……
そんな事を考えてると、ケティーが目を細めて不機嫌そうにこちらを睨んでくる。
「川畑くん、デート中に彼女放置して思考に没頭するって失礼だと思うよ?」
「あぁ、ごめん……ていうか彼女じゃないでしょ」
「その返答は最低なメンズ発言TOP10の殿堂入り文言だよ? 今、この世界では私と川畑くんは恋人なのだから私を放置して別の事考えたり、私以外の女の子……特にフミコとか。そんなのの事も考えない事!! いい?」
「あ、あぁ……わかったよ」
ケティーが鬼気迫る勢いで言ってきたので押されるがまま頷いた。
その返事にケティーは満足すると「よろしい」と言って笑顔に戻った。
そして……
「では、改めて川畑くんの意識も恋人の元に戻ってきたところで、このカップル限定ラブラブシェアジュースを飲みましょう!」
ノリノリでケティーがよくわからない飲み物が注がれているグラスをテーブルの真ん中に移動させた。
1つのグラスに2本のストローが刺さっている。よくある定番のあれだ。
うわー、異世界でもあるんだこれ……
「川畑くん、飲みましょう?」
「……喉渇いてないのでいいです」
「……川畑くん?」
「…………」
「の・み・ま・し・よ・う」
「……はい」
圧に押されて謎のジュースをケティーと一緒に飲む羽目になった。
うむ、この事フミコにバレたら世にも恐ろしい事になりそう……
さて、なんだかんだで朝食も済ませたところで会計を済ませ、席を立とうとしたところで本題を聞こうと切り出す。
「で? そろそろ教えてくれないか?」
「ん? 何を? 次に向かうデートスポットの事?」
「……そうじゃなくて本当の目的だよ」
真顔で聞くとケティーも真剣な表情となって本来の目的を話しだす。
「実はね……この後正午前から、このリマの街では一区画だけじゃなく街全体でバザーフェスティバルが開催されるの! 掘り出し物がザックザク出展されて、商人たちがもっともウキウキする日なのよ」
「……は?」
真剣な表情で語るケティーの言葉の内容が一瞬頭に入ってこなかった。
「いつもなら数点買って、売るためにもってきた出展品がある程度なくなったら切り上げて退散するんだけど、今回は噂では今まで市場にでなかったレア物が多数出展されると聞いてね、これは今回は売りはいいから買いに奔走しないと! ってなったの」
「……はぁ、なるほど?」
「でも、いくら買いまくっても私が一度に持ち歩ける数には限度があるじゃん? いちいち異世界から次元の狭間の空間に戻ってたら時間差でバザーフェスティバルが終わっちゃうし……だから」
そこまで聞いてなんとなく想像がついた。
「おい、まさか……」
「力持ちな荷物持ちの男の子がいたらいいな~助かるな~って思って川畑くんに来てもらったの! って事で頼りにしてるよ!」
ニッコリ営業スマイル純度100%でケティーが言ってきた。
OH……そんな事だろうと思ったよ……思ってましたよ!
「では川畑くん! さっそく行きましょう! 最初の私達の戦地へ!!」
こうしてデートという名の地獄の荷物持ちバザーフェスティバルが幕を開けたのだった……




