運命の乙女(13)
人影はラピカと名乗った後、羽織っていた黒いローブを脱ぎ捨てた。
すると黒いローブは空中で分解して無数のベルトへと変異した。
それらのベルトはシャルルの時と同じくまるで生きた蛇、もしくはウナギのようにうねうねと動きながらラピカの体に巻き付いていく。
背徳の女神直属の部隊「トリニティブラッド」に属する者共通の戦闘着なのか、シャルルやソナタと同じく体のラインがわかるピッタリとしたタイトな黒いインナースーツを纏っていたラピカは、そのインナースーツの上に何重にもベルトのようなものを巻き付けた格好となる。
ベルトはラピカの体に巻き付くと、ベルトについていた無数のホルスターから蒸気が噴出する。
蒸気がラピカの体を包み込み、その姿を蒸気の中に隠す。
すると、蒸気が紫電を迸らせて眩しく輝く。
あまりの眩しさに思わず手をかざして目を瞑る。
しばらくすると光は収まり貨物室は薄暗い空間に戻る。
蒸気は消え去り、ラピカが再び姿を見せると体中に巻き付いたベルトからホルスターは無くなっており、変わりに小さな金属製の丸い輪っかが無数にベルトに張り付いていた。
「さて、陣営不明の2人はどうしてくれようか? 正直判断に困るところだが……”氷結”のクラウス、お前はわたしと一緒に来てもらうぞ?」
銀髪の長いストレートヘアーをしたラピカはそう言って口元を歪める。
しかしクラウスはその提案をメガネをくいっと持ち上げながら鼻で笑う。
「ふん、お断りだ。背徳の女神の元にお前と一緒に行くなど反吐が出る」
「そうか……なら無理にでも連れていくしかないな?」
そう言ってラピカは両手の拳を握ると胸の前で交差させ、そのまま勢いよく両手をそれぞれ真横へと振って広げた。
直後、ラピカから目に見えない何かが空を切ってこちらへと飛んでくる。
「かい君危ない!!」
「あぁ!! わかってる!!」
懐からアビリティーユニットを取り出し、レーザーの刃を出して目には見えない何かを、空を切って迫る音を頼りに斬り落とす。
フミコも銅剣を構えて、目には見えない何かを弾いた。
「一体何だ!?」
「恐らくは刃物の類だな……スキルで生み出した刃ではないような気がするが……」
そう言うクラウスはその手に氷の剣を握っていた。
これがクラウスの能力らしい。
スキル『氷剣』、どのような環境であろうと即座に溶けることのない氷の剣を生み出すことができるという。
ゆえにクラウスの二つ名は”氷結”なのだとか……
クラウスが氷の剣で目には見えない何かを斬り落としたからなのか、クラウスの周辺には砕けた氷の塊が転がっていた。
「その氷の剣、周りの人間も巻き込むとかないよな?」
不安になって聞いてみると、クラウスは鼻で笑うだけだった。
あ、これはちょっとクラウスとは距離を取ったほうがよさそうだ……
そうこうしてるうちにラピカは真横に大きく伸ばし広げていた両手の手のひらを握ると、再び胸の前で交差させ、そのまま勢いよく両手をそれぞれ真横へと振って広げた。
直後、再びラピカから目に見えない攻撃が放たれる。
目に見えない何かが空を切ってこちらへと飛んでくるが、今回も問題なく対処できた。
とはいえ、この攻撃の本質が掴めない限り安心はできない。
「やはりこの程度は普通に対処されるか」
考え込むようにラピカは言って広げていた両手を下げる。
そんなラピカに向かってクラウスは氷の剣先を向けて言い放つ。
「随分と舐められたものだな? 俺がこの程度の攻撃で右往左往すると思ったか?」
冷気を漂わせるその剣先を見てラピカは鼻で笑う。
「そうか……なら少しペースをあげるか」
そう言ってラピカは今度は胸の前で両手を交差させず、両手を下げた状態から上へと振り上げる。
するとラピカから無数の見えない何かがこちらに飛んでくる。
目には見えないため、一体何が飛んできているかは不明だが、空を切る音で理解できる。
明らかに今回は飛んでくる数が多すぎる。
これはどう考えても個別に斬り落とすのは不可能だ。
「かい君!!」
「わかってる!! おいクラウス!!」
「俺の心配より自分の心配をしろ!!」
クラウスはそう叫ぶと氷の剣を横一閃、周囲に無数の氷の礫を発生させる。
それを見て、こいつはこいつで対処するだろうと思い、懐からアビリティーチェッカーを取り出してすばやくグリップに装填する。
聖剣の能力を迷うことなく選択し、出力が増したレーザーの刃を床に突き刺す。
床に亀裂が走り、そこから光の竜が出現し自身の周囲を取り囲む。
フミコも銅剣をもう1本取り出して2本の銅剣を重ね合わせ枝剣にすると緑色の6匹の大蛇を出現させる。
6匹の大蛇はフミコの全周囲をカバーする形で展開して、見えない攻撃を受け止める。
こちらも光の竜が目には見えない何かを弾いていく。
光の竜にフミコの大蛇にクラウスの氷の礫、これらでなんとか無数の見えない攻撃をしのぎ切るが、間髪入れずにラピカは両手を振るって目には見えない無数の何かを放ってくる。
「くそ!! 攻撃は防げても、この攻撃の正体を掴めなきゃどうにもならないぞ?」
「そんな事、言われなくてもわかってる!」
そう言ってクラウスは氷の剣を持っていない手でメガネをくいっと持ち上げると深呼吸して氷の剣を掲げる。
そして勢いよく振り下ろすと叫んだ。
「コールド・ブレス!!」
振り下ろされた剣先から貨物室中に強力な冷気の波動が放たれる。
その威力よりも、冷気の波動が放たれたことによって生じた温度の低下に思わずくしゃみをして、寒さからブルブルと体を震わせてしまう。
「お、おい! クラウス! そういう技使うなら先に言えよ!!」
「なんだ? 元よりここは上空だぞ? 船内にいるから気付かないだけで外も十分に寒い」
「いや、ここ船内だからそれ関係ない……というか凍った影響で飛行船墜落したらどうするんだ!?」
「飛行船の床に亀裂を生むような攻撃をするやつに言われたくないな?」
そんな言い合いをする横ではフミコが鼻水を垂らしながら「前の異世界を思い出す」とつぶやいていた。
しかし、おかげでラピカの放つ攻撃の正体はわかった。
クラウスがコールド・ブレスを放った後、貨物室は床も壁も氷漬けとなってしまった。
とはいえラピカは無傷で平然としていたが、ラピカと自分達の間の空間に無数の丸い輪っかのようなものが次々と氷漬けとなって床に落ち、ガシャガシャと音を鳴らす。
氷漬けとなったその丸い輪っかは持ち手以外がすべて外側が刃となった刃物。
回転させて投擲し、相手を斬りつける武器であるチャクラムだった。
それが何十本も氷漬けとなって床に落下したが、両手を使っているとはいえ、とても人ひとりが1回の投擲で投げられる量には思えなかった。
「さすが”氷結”だな? わたしのチャクラムをただの冷気で無効化するか」
「ふん……そっちこそ、本来ならコールド・ブレスですべて片がついてるはずだったんだがな?」
言ってクラウスは小さく「予定が狂ったな……」と漏らした。
どうやら、さきほどの攻撃は奥の手ではないだろうが、クラウスにとってそれなりに強力な技だったようだ。
それを使って勝負を一気に終わらせる魂胆だったようだが、ラピカ本人には効かなかったというわけだ。
ラピカは一歩前に踏み出すとベルトに無数についている小さな金属製の丸い輪っかを引きちぎって握る。
すると小さな金属製の丸い輪っかは大きくなってチャクラムとなった。
直後、引きちぎった箇所のベルトに小さな金属製の丸い輪っかが再び現れる。
シャルルの時と同じく自動装填というわけだ。
あれが背徳の女神の加護というものなのだろう。
「まぁ、さきほどの冷気でどこまでこちらの攻撃を無効化できるか、試してみるのもありだな?」
言ってラピカは完全に隠す素振りも見せず、投擲のモーションをとってこちらに両手に握ったチャクラムを投げてくる。
さきほどまでと違って、タイミングが取りやすくなったかのようにも思えたが、こちらが構える前にチャクラムはすでにクラウスの肩を斬り裂いていた。
「ぐはぁ!?」
「な!?」
クラウスの肩を斬り裂いたチャクラムはそのまま後ろの壁に突き刺さる。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
というより投擲されたチャクラムが速すぎて見えなかった。
先程までのチャクラムの姿が確認できないという話ではない、投擲後の加速が速すぎて目で追えないのだ。
(おいおいまずいぞ? こんなの反応できないじゃねーか!?)
両肩をチャクラムで斬り裂かれたものの、傷は浅くクラウスはまだ両腕を動かすことができた。
とは言え、反応は鈍くなるだろう。
「クラウス大丈夫か!?」
「黙れ! 人の心配より自分の心配をしろ! あれを防げないとやられるぞ!」
そう言ってクラウスは氷の剣をなんとか構えるが、さきほどのコールド・ブレスとやらを放てるような雰囲気ではなかった。
そもそも、あの速さに対応して放てるとも思えない。
「フミコ、さっきの攻撃見えたか?」
フミコは首を振る。
「ごめん、まったく反応できなかった。さっきの攻撃が次こっちにきたらたぶん対応できない」
「……だよな」
フミコの返答に焦りを覚える。
今の自分たちは高速戦闘や超高速の攻撃に対応できない。
シャルルやソナタ相手ではまだ辛うじて対応できた。
しかしスチームボールを使ったソナタの動きはもう確認することすらできなかった。
そしてラピカはまだチャクラムを投擲しているだけで一歩も動いていない。
仮にラピカがスチームボールを使ったらどうなるか? 考えたくもなかった。
今の自分たちでは実力差がありすぎる……まともな戦闘すらさせてもらえないのだ。
とはいえ、ここを乗り越えなければ先には進めない。
やはり鹵獲したスチームボールを使うべきか?
そう考え、いきなり実戦で未知の要素を使うのは危険だと頭から振り払う。
やはり、ソナタ相手に仕掛けようと考えていた作戦を決行すべきか? と思い至るが……
(あの作戦は現時点でおそらく唯一自分が今取れる高速戦闘対策だが……ここでするにはリスクが高すぎる)
そう、ここは移動中の飛行船内。
つまりは上空、下手をすれば飛行船が墜落する危険がある。
そうでなくとも、あの作戦を実行するには誰かが注意を引きつけて時間を稼いでくれる必要がある。
つまりはフミコかクラウスを危険に晒すことになるのだ。
(あぁ……くそ! まったく自分が嫌になるな……こんな時、フミコを優先して異世界の住人を危険に晒せばいいって考えが浮かんでしまうことに)
そう思いながらも、迷う事なくクラウスに提案を持ちかけていた。
「おいクラウス! 何か打開策はあるのか?」
「……お前にはあるように見えるのか?」
「ないんだな?」
「……ち! お前はどうなんだ?」
「策はある……ただ、時間がかかる。だから時間を稼いで欲しい」
そう言うとクラウスは驚いた顔を一瞬見せたが、すぐにぶっきらぼうな顔に戻りメガネをくいっと持ち上げる。
「どれくらい稼げばいい?」
「稼げるだけ」
「……ふざけてるのか?」
「悪い、確実にこれだけの時間で準備が終わるとは確約できない」
クラウスは睨んできたが、こちらの言葉と表情を見るとため息をつく。
「そうか……その策は確実にやつを倒せるのか?」
「どうだろうな?」
「おい! そんな不確かなものに賭ける気はないぞ?」
「だろうな? ただ、退けることはできると思うぞ?」
「お前、一体何を考えている?」
「そうだな……作戦はこうだ」
クラウスに作戦を打ち明けると、クラウスは呆れた顔をした。
「それはほとんど博打じゃないのか?」
「かもな? でも、今はこれが自分ができる最善策だ」
言うとクラウスが鼻で笑った。
しかし、それは今までの小馬鹿にしたものではなかった。
「ならその博打に乗るとしよう。できるだけ時間を稼いでやる! だからしっかりやれよ?」
そう言うとクラウスは氷の剣を持っていない方の手をこちらに向けてきた。
一瞬なんだ? と思ったが、すぐにハイタッチを求めてるのだなと気付く。
(なんだ、意外とこういうノリもできるんだな)
なのでこっちも手を出してクラウスの手を叩いた。
「あぁ、しっかり時間稼ぎ頼むぜ!」
「ふん」
クラウスは氷の剣を構え、こちらは下準備に入る。
勝てずとも最善を尽くすために。