これはとある騎士の追憶(4)
裏切者の烙印を押され、ダヤン殺害の罪を押し付けられたリュカルは騎士団に拘束された後、そのまま軍事裁判にかけられ、弁明する機会も与えられず王家に対する反逆罪での処刑が確定した。
死刑の執行は1週間後、あまりにも速すぎる流れだ。
とはいえ、王族殺しの咎を背負ったものを牢の中とはいえ長く生かしておくと後々碌な事にならない。
例えば王城内の権力争いに利用されたり、実は無実でしたという証拠が世に出回って、ただちに釈放せよという声が国民から沸き上がり、やがてそれは特権階級への不信感と嫌疑となり権力者への反旗の狼煙となってしまったりもする。
ゆえにこういった死刑囚はさっさと処刑してしまうに越したことはないのだ。
反乱分子にとっての象徴的存在を生かしておくのは王国にとってリスクでしかないのだから。
軍事裁判後、リュカルは王城の地下深くに存在する地下牢に投獄されていた。
処刑を3日後に控えたある日、そんなリュカルの牢を一人の少女が訪ねた。
地下牢を見張る兵士に連れられてやってきたその少女はダヤン第三王女の侍女であったリリの妹であった。
彼女は牢の前に立ち、牢の中で壁に背を預けて床に座り込み、魂の抜け殻のような状態になっているリュカルの姿を確認してため息をつくと。
「すみません、彼と少し話がしたいのですが」
そうここまで自らを連れて来た見張りの兵士に声をかけた。
これに兵士は小さく頷き。
「話は手短にな」
そう口にするが、その場から動こうとはしなかった。
そんな兵士をリリの妹は睨みつける。
「あの? 彼と少し話がしたいのですが?」
リリの妹に睨みつけられた兵士は軽く舌打ちすると踵を返し階段の入り口の方へと歩いて行った。
そんな兵士の後ろ姿を見てリリの妹はため息をつくと。
「まったく……やはりこの国の兵士の質は最低レベルですね。デリカシーがないです」
そう悪態をついた後、牢の中に目をやり。
「それはあなたもですよリュカル。一体何をやってるんですか」
そう糾弾した。
しかし、もはや魂の抜け殻と化しているリュカルはリリの妹の言葉に反応を示さない。
目も焦点が定まっておらず、天井を見ているのか、それとも宙に浮く別の何かを見ているのか他人には判別できない状況だ。
そんなリュカルを見てリリの妹は大きくため息をつくと。
「正直、私にはあなたが殿下と姉さまを殺したとは到底思えません。あなたがそうする理由がないですからね。ですが、こうして投獄され処刑の日程も決まった以上、ただの平民の町娘にはどうする事もできません。抗議したところで結果は覆せないですし、聞く耳も持ってもらえないでしょう。だから、せめて最後にあなたにこれだけは伝えておきます。あなたが多分、殿下から聞かされていないお話を」
そう言ってある真相を語った。
それは……
「あなたがまだ殿下付きの騎士になる前の話です。殿下は庶民の暮らしが見たいと姉に無理を言って城を抜け出し、姉と共に私の住んでいる寮へとやってきたんです。その時に殿下は仰っていました。どうして貧民街でその日暮らしをしていた平民のあなたを選んだのか」
リリの妹が語ったその話にリュカルは反応し、牢の前に立つリリの妹へと視線を向ける。
「あれは神託で告げられていたからですよ。洗礼の際、殿下はすでに自身が王位継承権のゴタゴタで暗殺される未来にあるとはっきり知らされていたんです。そして、そんな未来を回避する鍵があなただって事も……まぁ、正確には殿下が選んだ人物が殿下を護る剣となり、数多の危機から救ってくれるであろうって神託だったらしいけど」
「なっ……」
今まで魂の抜け殻のような状態だったリュカルはリリの妹から語られたその真相に驚愕の表情を浮かべた。
そして、ある言葉を絞り出す。
「なんだ、それ……それじゃあ……それじゃあ、ヤンをみすみす殺させてしまった俺は……俺は……信託で告げられていた殺される未来を回避する鍵でもヤンを護る剣でも何でもなかったって事じゃないか! まったくの別人をヤンは選んでたって事じゃないか! 俺を選んだがためにヤンは殺されたって……そういう事じゃないか!」
リュカルはそう口にすると力いっぱい拳を握りしめ、怒りのままに地面を叩いた。何度も叩いた。
拳が血で染まるまで何度も……
そんなリュカルを見て、リリの妹はため息をつくと。
「それはちょっと違う気がするけどね。殿下はあなたをはじめて見た時、直感で運命を感じたって言ってたし、それに神託で告げられた暗殺されるって時期はもっと早い時期だったし、そういう意味ではあなたは殿下の未来を確かに変えたんだよ。まぁ、暗殺される未来を先延ばしにしたってのが妥当な評価だろうけど……」
そう言って少し考え込んだ後。
「だから殿下は、あなたを選んだ事を後悔はしてないと思うよ」
リュカルにそう告げた。
その言葉を聞いたリュカルは顔をあげ、リリの妹の顔を見る。
そして、その目に大粒の涙を浮かべた。
そんなリュカルを見て、リリの妹は一息つくと。
「けど……だからこそあんたに言いたい事もある。それはもう色々ね。だってそうでしょ? 私だって姉さまを失って消沈してるんだ。侍女でも何でもない私まで気にかけてくれていた心優しい殿下を失って心にぽっかり穴が開いてるんだ。それなのに、あなたは何なの? 抗いもせず、殿下殺しの汚名を払拭しようともせず! 何処刑を受け入れてるの!? 何で訴えないの? 自分は無実だと! はめられたんだと! なんで主張しないの? そうすれば、あなたに味方した、手助けした人はいっぱいいたはずなのに!! なんで姉さまと殿下を殺したやつらの思うがままになってるのよ!! ふざけないで!! そもそも、なんで殿下の元を離れたの? あなたの役目は殿下の傍で殿下を護る事でしょ? それがなんで席を外したの? そこがまず理解できない!! とてつもない凄腕の戦士が相手で歯が立たなかったって言うならわかる。まだ納得できる。けど、そうじゃないでしょ? 護衛が護衛対象から自ら離れて、その隙をつかれた。こんなの素人以下の対応だよ!! 何考えてるの!?」
そうまくし立てた。
まったくもって返す言葉もない……リュカルはうなだれ、涙声でただ一言こう告げた。
「ヤンが言ったんだ……ここはいいからと……皆の救援に向かってと」
それを聞いたリリの妹はより怒りに満ちた声でリュカルを怒鳴りつける。
「あんたねぇ! それでも殿下がもっとも信頼する護衛だったの? 常に一緒に、隣に立つ恋人だったの? なんで殿下の声と偽物の声を聞き分けられなかったの? 普通おかしいって気付くでしょ!」
その言葉に何も言い返せなかった。
己の未熟さを改めて思い知らされたリュカルはその後も続くリリの妹の罵倒を批判をただただ受け止め続けた。
そうしてひとしきり言い終えたリリの妹は目に涙を浮かべると。
「……けど、今更あんたに何を言ったところで殿下は戻ってこない……姉さまも帰ってこない……そしてあんたはもうすぐ処刑される……だったら、この感情はこれから先、私は一体誰にぶつければいいの? 誰に文句を言えばいいの? ねぇ! 何とか言ってよ!!」
そう怒鳴って鉄格子を蹴りつけた。何度も何度も蹴りつけた。
その度に大きな音が通路に響き渡り、階段の入り口にいた兵士が慌てて駆けつけてくる。
そんな兵士を見てリリの妹は鉄格子を蹴るのを止め軽く舌打ちすると。
「もうどうでもいいや……どうせあんたはあと数日で処刑されるんだし。せいぜい残された時間でしっかり己を見つめ直して自問自答する事ね。あの時どうすればよかったのかって……それじゃあね、さよなら」
そう言い残し、リュカルの牢の前から離れた。
通路を歩く足音がどんどんと遠くなり、やがて足音が聞こえなくなって静寂が戻ってくると、誰もいなくなった鉄格子を見ていたリュカルが頭を抱えて発狂しだした。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして、そのまま叫びながら床に何度も頭を打ち付けた。
すぐに額から血が飛び出し、床を真っ赤に染めるが気にせず何度も頭を打ち付け発狂する。
自分は何て愚かな事をしたんだと、後悔と悔恨の念が心と体のすべてを支配し、自傷行為を加速させた。
そうしてリュカルは刑が執行されるまでの残された日数すべてを自分自身を痛めつける事のみに費やし、リュカルが処刑される当日を迎えた。
当初、王家と騎士団は第三王女付きの護衛騎士であるにも関わらず第三王女の暗殺に加担するという、前代未聞の裏切り行為を行ったリュカルを大衆の前で見せしめとしてギロチンにかける予定でいた。
この提案を行ったのは他でもない、リュカルとは別の師団に所属する騎士であるリュカルの叔母の息子であったが、思いのほかリュカルを擁護する国民の声が大きく、公衆の面前で処刑を決行すれば市民の反発と暴動を招きかねない事態にまで発展していた。
これはダヤン第三王女の生前の国民からの好感度の高さと、本人たちはあくまで隠し通しているつもりでいたが、平民、特に城下町の市民たちにはふたりが恋人である事がとっくにバレており(これは毎度クオリティーの低い変装でデートを城下町でおこなっていたため当然といえば当然なのだが)それゆえに王家並びに騎士団が発表したダヤン第三王女の暗殺はリュカルの犯行だという真相に市民の誰もが納得しなかった主な理由である。
なので仕方なくリュカルの処刑は市民の目の届かない場所で秘密裏に行われた。
処刑の方法もギロチンによる斬首刑から絞首刑へと変更され、誰にも見送られる事なく絞首台からぶら下がったリュカルはその一生を終えた。
そんなリュカルであったが、しかし気が付けば見知らぬ場所で目を覚ましていた。
そこはほの暗く、ゴツゴツとした岩に囲まれた空間であった。
わけがわからず周囲を見回すリュカルは自身の異変に気が付く。
どういうわけか、全身が硬質な鱗に覆われていたのだ。
何が一体どうなっているのか? しかし、目に見える範囲の変化だけ見ただけでは判断できない。
全身がどうなっているかを見ない事には始まらないと、リュカルは鏡、もしくは代替できる何かを探してほの暗い空間を探索しだす。
やがて、それなりに大きな池(地底湖ではあるのだが、リュカルはここが洞窟の中だと気付いていない)を発見した。
そして水面を覗き込み、自身の姿を確認する。
すると……
「な、なんだこの姿は!?」
そこに映っていたのは変わり果てた自身の姿だった。
そう、それは見た事もない魔物の姿だったのだ。
それを認識したと同時、今自分がいる場所が洞窟の中だという事も自然と理解できた。
それだけではない、自分が置かれている状況も、自分の身に起きた事もどういうわけか理解する事ができた。
そう、これはつまり……
「そうか……俺は化け物に生まれ変わったんだな……しかも見知らぬ世界の見知らぬ化け物に……」
リュカルは周囲を見回し、人間ではまずもってあり得ない感覚を確認するとその場にしゃがみこみ、そして頭上を見上げた。
真っ暗な洞窟の中であるにも関わらず、天井から伸びる棘のように細い無数の岩をはっきりと視認できる。
その事にリュカルは自然と口元を歪め。
「くっく……くくく、あーはっはははは!!」
自然と笑っていた。
それがどういった感情からきたものなのか、自分にはわからない。
そう、わからない。
自分が一体何者なのかもわからない。
こんなバケモノに生まれ変わり、これから自分はどうすればいいのか?
まったくわからなかった。
そんな時だった。
「ん? なんだ? 誰かが俺を呼んでいる?」
誰かに呼ばれたような気がした。
行く当てもなく、何をすればいいかもわからないリュカルは、とりあえずその呼びかけに応じる事にした。
どこに行けばいいのかわからないが、しかし体は自然と動く。
そうしてある場所へとたどり着き、リュカルはスタンピードに取り込まれた。
その場所には魔物がこれでもかと言わんばかりにひしめき合っていた。
身動きができないほどに密集している彼らが見つめる先、そこにそれはいた。
神々しいばかりに光を放つその存在、その姿は大型の牛の魔物のようにも見えるが、時折その姿が揺らいで人間の女性のような姿になる。
そして、リュカルはその姿に目を奪われた。
(あの姿……まさか)
そう、目を奪われた理由は他でもない。その姿は前世の恋人であるダヤンを思い起こさせるものだったのだ。
(まさか……ヤンなのか? いや、そんなはずは)
驚き目を見開くリュカルだったが、直後、大型の牛の魔物の姿に戻ったその存在の背後から声が轟いた。
『よくぞ余の呼びかけに応じて集ってくれた、余の兵たちよ。これより余は大事な儀式に入る。これが終わるまで命ある限り余を護るのじゃ。余の周囲を固め、余の領域を広げ、余に仇なす人間を蹂躙し排除せよ。余に彼奴らの血を捧げよ。よいか? 蹂躙の限りを尽くすのじゃぞ? さすれば褒美をくれてやる。今目の前にいるこれは余の娘じゃ。使命を果たせたならば娘をくれてやろう。さぁ往け! 余の兵たちよ』
その言葉はその場に集まっていた多くの魔物たちの心に響いたのか、彼らはすぐに雄叫びを上げ、どこかに向かって一斉に駆けだした。
しかし、そんな彼らと違ってリュカルはその場に留まり、轟いた言葉を頭の中で反復していた。
(使命を果たせたなら娘をくれてやるだと? それってつまり……)
その言葉が発せられた以降、神々しい光は失われたが、それでも大型の牛の魔物は絶大な威圧感でもってその場に君臨していた。
リュカルはそんな大型の牛の魔物を見つめる事数秒、もうかつての……いや、前世の恋人の姿に似た人の姿を見せないとみるや、その場で片膝をつき忠義の姿勢を見せると。
「必ずや、あなた様のお役に立ってみせます」
そう口にして立ち上がり、踵を返してその場を後にした。
そして先にどこかへと向かった魔物たちの後を追いながらリュカルは心の中で誓った。
(今度こそ、絶対に護りきってみせる!! そう絶対に!! もう二度と、間違えてなどなるものか!!)




