運命の乙女(5)
「な、なんだ!?」
蒸気が店内に一気に充満し、視界を遮る。
「くそ! これじゃどこに何があるかまるでわからん! フミコ注意しろ! どこから襲ってくるかわからないぞ!!」
叫んだ直後、目の前に人影が現れる。
「な!?」
慌ててハンドガンを人影に向けて引き金を引くが、人影は素早い動きで光弾をかわすと、蒸気を斬り裂いてジャマダハルの刃先を突き出してくる。
咄嗟にハンドガンを盾代わりにしてこれを受け止めようとするが、そのまま後ろへと大きく吹き飛ばされてしまう。
背中に強烈な痛みが走り、何かが壊れる音がして、そのままガラスの破片が散らばる地面へと倒れ込む。
全身に激痛が走るも、なんとか起き上がって周囲を警戒する。
蒸気はすでに周囲を覆っていない、というよりそこはカフェの外の大通りだった。
「痛っ……くそ! さっきの攻撃で店の外に吹っ飛ばされたってか?」
なんて馬鹿力だあの貴族令嬢! と思いながらもカフェの方に目をやると、おそらく自分が吹き飛ばされた箇所であろう割れたガラスの窓から蒸気が漏れ出ている。
蒸気のせいで店内は確認できないが、人影がすぐに浮かび上がった。
ガラスの破片で体中傷だらけだが今は気にしている暇はない。
頬の傷から垂れる血を手で拭ってからアビリティーユニットの銃身を抜き取りレーザーの刃を出して構える。
「くるなら来い! 返り討ちにしてやる!」
「ふふ……威勢がいいこと。それでこそ倒しがいがあるってものですわ」
そう言って蒸気の中から姿を現し、大通りへと出てきたシャルルはさきほど店内で見せたメタリックな野球の硬式球のようなものを前に突き出すとおもいっきりそれを握る。
そして呟いた。
「スチーム、オン」
カチっと音がして球から蒸気が噴出し、シャルルの姿を隠す。
そして、次の瞬間には驚くべき速さでこちらに斬り込んでくる。
「な!?」
慌ててレーザーブレードを振るうが、これをシャルルは難なくかわしてこちらの心臓目がけて突きを繰り出す。
「まずっ……」
これを咄嗟に地面を蹴って真横に飛んで回避する。
結果、地面を転がることになったが、今は無様だとか考えてる暇はない。
(この女の速度、対応しきれないぞ!?)
無理な体勢での回避ゆえに地面を転がりながら、受け身も取れずに激痛に苛まれるが今はそれどころではない。
すぐに体勢を立て直さないと追撃される! そう思った直後、カフェの中からフミコも飛び出してくる。
「こいつ!! かい君を傷つけるやつは許さない!!」
銅矛を素早く突き出してフミコがシャルルへと攻撃を加える。
が、この攻撃をシャルルは刃先で軽く弾くと一瞬でフミコとの距離を詰め、銅矛の間合いの内側に入り込んでしまう。
「しまっ……!」
シャルルの驚くべき速さにフミコが青ざめる。
柄が長い胴矛は間合いの内側に入り込まれたらどうしようもない。
しかし、シャルルはフミコにジャマダハルの刃先を突き刺そうとしなかった。
それどころか、動きを止めて、地面を蹴ってその場から距離をとる。
一体どうしたのだろうか? そう思った直後、大通りに無数の発砲音が響き渡る。
音がした方を見れば、複数の車を壁にする形で黒い服に帽子という統一した服装の男達がエンフィールド銃のような小銃を構えてシャルルに銃口を向けていた。
「警察だ! 背徳の女神の信奉者に告ぐ! 今すぐ武器を捨てて投降しろ!! 繰り返す! 武器を捨てて投降しろ!!」
そう小太りの男が拡声器で呼びかける。
彼の周囲では男達がエンフィールド銃を構えて引き金の前で指を宙にぶらつかせながら、その瞬間を今か今かと待ちわびている。
そんな警察達を見てシャルルは鼻で笑った。
「まったく……ふふ、公安機関だからと身の程をわきまえない集団ってのも困りものね?」
そう言ってシャルルは警察たちのほうを向くとメタリックな野球の硬式球のようなものを前に突き出して握る。
そして呟いた。
「スチーム、オン」
カチっと音がして球から蒸気が噴出し、シャルルを飲み込む。
しかし、それだけでは終わらない。
蒸気がさらに噴出し続け、大通りに充満し、警察達もその中に飲み込まれる。
そして、悲鳴がこだました。
「ぎゃー!!」
「な、何だ!? 何がどうなってる!?」
「こいつ!! 俺の足を!!」
「腕がっ!! 俺の腕が!!」
「ひぃぃぃ!! た、助けっ……!!」
「あ……あぁぁぁぁぁぁ!!!」
「こ、このテロリストがぁぁ!! ぐはぁぁぁ!!」
蒸気に包まれた大通りから悲鳴や怒号、散発的に銃弾の音がする。
そして血の臭いが漂ってくる。
やがて大通りから悲鳴や怒号が途絶え、静寂が訪れると蒸気が風に流され引いていく。
そして視界が開けた時、そこにあった光景は凄惨なものだった。
警察が壁としていた複数の車は血で真っ赤に染まっていた。
道ばたには至る所にバラバラになったり、腸をぶちまけて臓器をぶちまけている警察官達の死体が転がっている。
もはや、誰の手足や胴体なのか判別は困難な様相だ。
そして、それらの死体には一切目もくれず、返り血で真っ赤に染まった顔でシャルルがこちらを見ていた。
「ふふ……さて、邪魔者もいなくなった事だし続きといきましょうか?」
そう笑いながら血で刃が真っ赤に染まったジャマダハルをシャルルは構える。
自分とフミコも迎え撃つべくレーザーブレードと銅矛を構える。
自分達とシャルルの間に沈黙が生まれ、つむじ風が吹き抜ける。
そして今にもシャルルがこちらへと仕掛けてきそうな時だった。
シャルルの背後、警察官達の死体の山の中でゴソっと何かが動いた。
それに反応してシャルルが振り返る。
そこには額から血を流し、大きく抉れて出血している右肩を左手で押えながら、恐怖に震えた顔で必死に後退っている若い生き残った警察官がいた。
シャルルは最初、その仕留め損なった警察官を踏み潰しそこねた虫けら程度にしか思っていなかったが、彼が発した言葉で表情を変える。
「あ……あぁ、あぁぁぁぁぁ!!! た、助けて……あかりさん、た、助けて!!」
「あかりさん?」
恐怖のあまり、子供のように涙を流し、お漏らしまでしてしまっている警察官にシャルルはニターっと笑って近づくと、懐からさきほどから使っているメタリックな球を取り出し警察官の額に押しつける。
「ふふ……あかりさんって運命の乙女の名前よね? ねぇ、あなたひょっとして運命の乙女の取り巻きかしら?」
「あ……あぁ、あぁぁぁぁぁ!!! やめろ!! 助けて!!」
「ふふ……これは確定ですわね? では運命の乙女に関する記憶、覗かせてもらうわ」
そう言うとシャルルは警察官の額に押しつけたメタリックな球を強く握ってつぶやく。
「スチーム、イン」
すると球はカチっと音がしたが、さきほどのように蒸気は噴出しない。
というより、押しつけた警察官の額から何かが噴出して球の中に吸い込まれていく。
それはとある記憶。
若い警察官にとって大切にしている、とある少女との記憶。
「や、やめろ!! 見るな!! 見ないでくれ!!」
「ふふ……それは無理な相談ね?」
そう言ってシャルルは意地悪く笑う。
笑って、若い警察官から吸い上げた記憶を覗く。
運命の乙女に関する記憶を……
「ねぇ、私は好きですよ? この街もこの景色も……確かに空気は汚れて、治安も悪い、住みにくいって言われる街だけど、それでも……あなたのような方が見守ってくれてるんです。きっと良くなりますよ!」
そう言って彼女は笑顔を向けてくれる。
その笑顔を見るだけで、明日も頑張ろうという気持ちになれた。
「うーん……確かに首都のほうがみんなと連絡を取り合うには理に適ってるんだろうけどさ。私はこの街の方が好きなんですよね……そりゃ空気は断然澄んでて過ごしやすいんだろうけど」
そう言って首都に行くかの相談を聞いて欲しいと言ってきた彼女に、ここに残って欲しいとは言えなかった。
背徳の女神との戦いを考えれば、拠点は首都であるべきだ。
でも、それは彼女に会えなくなるという事。
少し、いやかなり寂しいが仕方がない……自分には彼女の取り巻き達のような特別な力はない。
警察官として悔しい気持ちはあるが、自分では彼女を守れない。
だから、彼女の安全を考えれば首都に行くべきなんだ。
しかし、彼女はそんな自分の葛藤を優しく包み込んでくれた。
「私はあなたが頼りないなんて思ってないですよ? 当たり前じゃないですか! だってあなたは警察官なんですよ? この街の治安と平和を守る公人じゃないですか! だから私はあなたを尊敬していますよ? そして信じています! この街を守ってくれるって、その力があるって。だから自分は非力だなんて思わないでください!」
そう言って見せてくれた笑顔は今も心に焼きついている。
その笑顔を思い出すだけで頑張れる。
そう、口にはできない想いだけど、それでいいのだ。
自分はただ、見守れればそれで……
「ふぅん? つまらない恋慕な記憶ね?」
シャルルはそう言って警察官に押しつけていた球を警察官の額から離すと、顔を怯える警察官に近づけて耳元で囁く。
「そんな子供のような恋心で大人のあなたが本当に満足できているの? あかりさんを自分のものにしたい、無茶苦茶にしたい、抱きたいって思わないの?」
シャルルの囁きにビクっと震えながらも警察官は怒鳴って否定する。
「ふ、ふざけるな!! 彼女にそんな事、できるわけがないだろ!!」
警察官のその反応にシャルルはニヤリと笑う。
「ふふ……そうよね? 運命の乙女にそのような事、恐れ多いものね? 考えちゃいけないって思ってるのよね? 可哀想に……好きになった人とまぐわいたいって気持ちはごく当たり前な感情なのに、それが許されない事だって思い込んでるのよね? 可哀想な事……」
そう言ってシャルルは妖艶に笑うといやらしい動きで警察官の頬をなぞる。
「運命の乙女は清く純潔な存在、そりゃ犯せないわよね? しかも警察官であるあなたが……でも背徳の女神は違うわ。あなたのありのままの感情を……欲望を受け止める。あなたが望むならまぐわうことだっていたしてくれるわ」
そう言うと再びメタリックな球を警察官の額に押しつける。
そして囁いた。
「だから今日からあなたは背徳の女神の事を想いなさい。背徳の女神の事だけを考え、そして欲望を抱きなさい。それがあなたの糧となる」
「な、何を言って……」
シャルルは警察官の額に押しつけたメタリックな球を強く握ってつぶやく。
「スチーム、オン」
球からカチっと音がして蒸気が噴出する。
警察官はそのまま蒸気に包まれてしまった。
そして、すぐに蒸気の噴出は収まり、風に流されて蒸気は消える。
再び姿を現した警察官はさきほどと違ってどこか虚ろな表情をしていた。
瞳孔はさだまっておらず、口も半開きで意識が朦朧としているようだった。
シャルルはそんな警察官に立ち上がるよう促すと警察官はゆっくりとした動きで立ち上がった。
そんな警察官にシャルルは問う。
「ねぇ、あなたの想い人は誰かしら?」
問われた警察官は抑揚のない声で答えた。
「この世の担い手、背徳の女神さまです」
「ふふ……そう」
「はい、背徳の女神さまの導きのままに……」
そう言った警察官にシャルルはさきほどから使っている球とは色が違う、黒い球を手渡す。
警察官は渡された黒い球を強く握ると。
「スチーム、オン」
抑揚のない声でつぶやき、ロボットのような動きで黒い球を前に突き出す。
すると黒い球からカチっと音がして蒸気が噴出し、警察官の体を包み込んでいく。
そして蒸気が消えた時にはそこに警察官の姿はなかった。
「ふふ……まずは1人、運命の乙女側から奪い取りましたわね。背徳の女神と運命の乙女の争いは言うなれば駒の奪い合い……さぁ次はあなたの番ですよ?」
そう言ってシャルルは自分の方を向いた。
「かい君……どうする?」
フミコが銅矛を構え、シャルルを睨みながらも聞いてくる。
正直、シャルルのスピードとパワーに真正面からぶつかって勝てるような気がしない。
だからこそ、少し試してみたい事もあった。
「そうだな……実戦で使うのは初めてだが、あれを使ってみるか」
そう、まだ次元の狭間の空間のトレーニングルームでしか使った事がないが、実戦で試すなら今だろう。
レーザーの刃をしまい、再びグリップに銃身を取り付けてハンドガンモードとする。
そして、懐からアビリティーチェッカーを取り出してハンドガンモードとなったアビリティーユニットに取り付ける。
そんなこちらの準備などお構いなく、シャルルが再びメタリックな球を前に突き出して握りつぶやく。
「スチーム、オン」
球から蒸気が噴出し、シャルルの全身を覆う。
直後、蒸気を突っ切ってシャルルが恐ろしいまでのスピードでこちらに突っ込んでくる。
しかし、こちらも準備はほぼ完了している。
アビリティーチェッカーの画面上に浮かび上がった拳銃モードのエンブレムのスタイルの中からPDWを選択。
するとハンドガンの周囲の空間に紫電が迸り、何もない空間に細長い独特な形状の弾倉と外装が半透明に浮かび上がる。
やがてそれは完全に物質化し、一気にハンドガンの元へとくっついていきPDWへと姿を変えた。
それはFN P90。それを構えてシャルルを迎え撃つ。
「さぁ、きやがれ!! 蜂の巣にしてやる!!」
引き金を引き、FN P90の銃口が火を噴いた。




