ココ救出奪還作戦 (1)
それは微睡の中を落ちていく感覚であった。
意識はあり、カイトの声も聞こえているが、しかし、頭の中はどこかここではない場所にいるような……
言うなればそれは、深い深い底なしの沼の底へと落ちていくような、そんな感覚……
(カイト……さま)
ココはそんな感覚に全身を蝕まれながらも、しかし必死にカイトの呼びかけに応えようとする。
だが、声が出せない。
どれだけ出そうとしても、どんどんと意識が遠のいていく。
体の自由も徐々に奪われていき、もはや手足を動かそうにも動かせなくなっていた。
(カイトさま)
やがて眠気が頭の中を支配し、思考能力は完全に失われてしまった。
だが、どれだけ眠気が勝っても完全に眠りにつく事はなかった。
カイトの声はずっと頭の中に響いているし、周囲の状況もなんとなく理解していた。
それでも、意識を完全に取り戻す事ができなかった。
このままではまずい! このまま何もしなかったら、もう二度とカイトさまと会えなくなる! そう理解していながらも、頭も体も働かなくなっていた。
そんな時だ。
ココの心の奥底からどこか懐かしい、聞き覚えのある声がかすかに聞こえてきた。
その声の大きさは最初、隙間風にも掻き消されるような小さなものであったが、しかし徐々に大きくなっていき、ついには他の雑音が掻き消されて聞こえなくなるほどの無視できない大きさとなり、ココの心を蝕む。
その声とは……
「いつまで寝てるのこの愚女が!! いい加減自覚を持って種の役目を果たしなさい!!」
ココの母親の声であった。
ギガバイソンという種はヴィーゼント・カーニバルの時期しか発情期はやってこない。
いや、ヴィーゼント・カーニバルという言葉自体、人間側が勝手につけた言葉であり、ギガバイソンたちからすれば、ただの発情期でしかないのだ。
そして、一年に一度の発情期の時期にしかギガバイソンたちは子作りをしない。
つまりは種を存続させるためには、一年に一度の発情期であるヴィーゼント・カーニバルにおいて交尾する相手を見つけ、まぐわい孕む事は絶対に必須なのだ。
にもかかわらず、ココはそれをしなかった。
それどころか人間の雄に一目ぼれし、ヴィーゼント・カーニバルを放棄してギガバイソンの群れを離れ、彼の後に付いて行ったのだ。
それすなわち、ギガバイソンという種に対する裏切り行為だ。
何せ人間の元に行ったとして、そこにギガバイソンの雄はいない。
人間はギガバイソンという種を家畜にしていないからだ。
つまりは子を孕めない。
そしてヴィーゼント・カーニバルの期間は短い。結局は向こうで馴染めず人間の元を離れ、群れに戻ってきたとしても、その時にはもう発情期は終わっている。
つまりは子を孕めない。
それすなわち、種の存続という大事な役目を果たせないという事だ。
こんな愚かな事があろうか?
そして、そんな愚かな個体はあろうことか自分の子だ。
こんな不名誉な事があろうか?
ココの母は怒り心頭であった。
とはいえ、ココはカイトの元に向かう際に自然魔法に目覚めた。
それにより人体に変異する術を得た。
そして、それによってココはギガバイソンだけでなく人間ともまぐわう事が可能となった。
そう、異種交配だ。
そして人間には発情期という概念がない。
いや、ないというよりは年がら年中発情期と言うべきか……
いずれにせよ、人体に変異する事によってココにも人間のその特性が引き継がれ、結果ココは短いヴィーゼント・カーニバルの期間がすぎても人間と同様にいまだに発情期を維持していた。
であるならば、ココがカイトの子を身籠れば人間とギガバイソンのハーフが生まれ、結果的にココは種の役目を果たした事にはなるのだが、現在に至るまでそういった事にはなっていない。
だからなのだろうか?
心を掻き乱すまでに大きな声で母の声が次元を超えてココの頭の中に響き渡っていた。
「うるさいうるさいうるさい!! ココはカイトさまの子を産むのです!! それ以外なんて考えるのも吐き気がするのです!! だから少し黙ってるです!!」
ココは必死に叫ぶが、しかし母の声が掻き消える気配はない。
そうしてどんどん心は蝕まれ、やがてある変化が生まれる。
「黙れって言ってるです!! ココはもうギガバイソンなんて種に戻る気はないです!! いい加減もう干渉するなです!! ココはギガバイソンが嫌いです!! そんなバケモノのままだったら、カイトさまの傍にいれないじゃないか!!」
ココは心の中で叫び、自らの種を否定する。そして無理矢理に母の声を掻き消そうとするが、しかし、それでも声は消えない。
そんな時だ。
「ではその声を黙らせる方法を教えてやろうか?」
そんな声が聞こえた気がした。
いや、それは本当に「声」だったのか? ココ自身がそう理解しただけで、実際は声など響いてなかったのかもしれない。
ココの心の中に何かが干渉してきた事は確かだが、その何かを「声」だと、そう捉えただけかもしれない。
いずれにせよ、ココはその「声」に問いかける。
「黙らせる方法とはなんです? 鬱陶しい声を消す方法を教えるです!! はやく! でないと気が狂いそうです!」
これに対し「声」は応える。
「いいだろう。その方法とはすなわち、我らの主と成る事だ」
「はい? 何を言ってるです?」
「声」の返答にココが戸惑った直後、ココの心の中に何かが大量に入り込んでくる。
それは黒い靄であり、瞬く間にココの心の中を真っ黒に染め上げてしまう。
そして、黒い靄に心を染められたココはその思考能力をすべて乗っ取られてしまった。
ココを乗っ取った黒い靄の正体、それは今現在、スタンピードを引き起こしている暴走した迷宮の核だ。
本来なら安定しているはずの迷宮の核が暴走する事により、迷宮内の調和が乱れ、本来なら迷宮から外にでる事がない魔物たちが外へとあふれ出し、際限がなくなる。
こうしてスタンピードが発生するわけだが、今回のスタンピードは魔族側によって故意に引き起こされたものである。
そう、魔王軍最高幹部であるヘイマンが迷宮の核に干渉して暴走を引き起こしたわけだが、そのヘイマンや彼の部下の魔族たちはすでにカイトたちによって倒されている。
つまりは意図的に引き起こされた暴走は現在、それを引き起こしたものがいなくなり、誰にも制御ができない状況になっているのである。
また、干渉を受けて暴走した核は、その干渉してきた相手であるヘイマンがいなくなった事により、新たな干渉する相手を捜し出したのだ。
普通に考えれば、暴走するように干渉してきた相手がいなくなれば暴走が収まりそうなものだが、一度暴走をはじめた核は暴走を維持するため依存する存在を求める。
通常、長年の負荷の蓄積により自然発生した暴走であれば迷宮の主に依存し、迷宮の主がいなくなれば、主の次に強い、新たな主の候補に依存する。
だが、今回のように故意に引き起こされた暴走であれば、干渉してきた相手がいなくなれば、別の依存できそうな相手を見つけ出して依存する。
つまりは暴走した迷宮の核は死んだヘイマンの代わりにココを依存する相手に選んだのだ。
何せ、この場においてココが一番強い魔物なのだから……
ではこの迷宮の核の暴走を止めるにはどうすればいいのか?
それは暴走する核を破壊する以外に術はない。
そう、核を破壊しない限り、依存する相手を倒してもまた新たな依存する相手を見つけ出し、スタンピードは続くのだ。
迷宮内の資源が尽きるまで……
城塞都市テルカ、その都市内部の全体像や城壁外の遠く、地平線の彼方までの景色を望む事ができる高さを誇る監視塔。
その監視塔がある区画の様子を偵察する事ができる建物の屋上に今カイトとフミコ、寺崎歩美は陣取っていた。
「うーん……ココのやつ、まさか魔物の軍勢引き連れて監視塔に居座るとはな……」
この辺りでは一番大きい建物、恐らくは教会か何かであろうその建物の屋上から双眼鏡で監視塔を覗いていたのだが、双眼鏡から目を離さずそう口にするとフミコがため息をつき。
「まさかとは思うけど、あたしたちの当初の目的地があそこだったからってわけじゃないよね?」
そんな事を口にした。
これには少し悩んでから。
「どうだろうな? その可能性はあるし、ただの偶然かもしれない……何せあの監視塔がこのあたりじゃ一番高くて防衛もしやすい立地だからな……けど、俺たちの目的地があそこだったからあそこに居座ってるとすれば、ココはまだ完全に魔物化したわけじゃないって事にならないか?」
そう答えた。するとフミコは。
「なんでそう思うの?」
そうジト目で尋ねて来た。
なのでこんな推測を語ってみる。
「ひょっとしたらまだ意識がほんの少しだけ乗っていて、あの場所にいけば俺たちが何とかしてくれると思ったんじゃないか? でなければ、わざわざ俺たちの目的地に行くわけがない。そうじゃなきゃ本能の赴くままに都市内部を暴れまわるはずだ。だから、あそこでココは俺たちの助けを待ってるんだよ。何であぁなったかはわからないけど、あのクソリーマン以外の何かしらの力に拘束されてるのだとしたら、今ココは必死に抗ってるはずだ。だから俺たちがわかりやすい場所に陣取ってるんだよ」
しかし、これを聞いたフミコはため息をつくと。
「かい君、それはちょっと都合よく考えすぎ……本当にココの意識が残ってるならかい君から離れたりしないよ。その場に留まってるはず」
そう言ってから。
「だからこれは罠かもしれない……ココに何が起きたのかわからないけど、ココを完全に乗っ取った何かがココの記憶を覗いてそう誘導しているとか……そっちの可能性のほうが十分にありえるよ? それでもやっぱりまだココの意識があって抗ってるって信じてるの?」
そう尋ねてくる。
これに対し、双眼鏡から目を離してしっかりとフミコの顔を見て答える。
「あたりまえだろ、仲間なんだから!」
この返答にフミコは小さく「それもそうだね」と呟くと。
「わかった。それじゃ助けに行こうか、あたしたちの仲間を!」
そう言ってから寺崎歩美の方を向き。
「で、歩美はどうする?」
そう尋ねた。
尋ねられた寺崎歩美は戸惑った表情を見せた。
「え? どうするって、先輩それはどういう」
戸惑う寺崎歩美にフミコは告げる。
「ココはあたしとかい君の大事な仲間だから助けに行くと言うか、迎えに行くというか。正気に戻しに行くというかそんな感じだけど、歩美はそうじゃないでしょ? 歩美はあくまでかい君から指導を受けるという形で帯同してるだけ……つまりは異世界渡航者の役目とは関係ないと思ったら聞く耳を持つ必要はない。そして、これからあたし達がする事は異世界渡航者の役目とはまたく関係ない事だから、歩美が無理に付きあう必要はないんだよ。だから、どうする?」
これに対し、寺崎歩美は考えるそぶりを見せる事もせず即答する。
「まぁ、確かに異世界渡航者の役目とはまったく関係ないですね? けど、短い期間とはいえ、行動を共にした仲ですよ? それを役目と関係ないからって、部外者面して無視はできないでしょ! 傍観はできないでしょ! それにこうなった原因のひとつはあのおっさんですし、一様は歩美の関係者が迷惑かけたわけですしね。だから歩美も付いて行きますよ! お詫びの意味でもココさんを助けるお手伝いをします! 何より、歩美は一生先輩についていくと心に決めたんですから離れるわけないでしょ! どこまでもお供しますよ先輩!」
そう言ってニッコリ笑顔を見せる寺崎歩美にフミコは青ざめながら。
「噓でしょ……勘弁して」
そう口にした。
そんなフミコを見て苦笑しながらも、改めて監視塔のほうを向いて。
「よし、それじゃあココを連れ戻しに行くぞ!」
そうフミコと寺崎歩美に声をかけた。
迷宮の暴走、スタンピードに取り込まれたココを救出するための戦いが今はじまる。




