魔導書の世界(12)
「えっと新しい読者さん……だよね? 大丈夫? いや、大丈夫じゃないよね? 混乱してるよね? わけわからないよね? でも心配しないで! あなたが落ち着いて状況を理解できるまでわたしが傍にいるから」
あーちゃんは私にとって魔導書での最初の友達であり、大切な仲間であり、最も大切なパートナーだった。
「う、うん……平気だよ……あなたは?」
召喚陣の真上にいた妹のそよを押しのけて召喚され、魔導書にはじめてやってきた時、あーちゃんは私が状況を理解するまでずっと隣で寄り添ってくれた。
「わたし? あ、そうだよね、まずは自己紹介しないとね! わたしはアースラ、みんなからは”あーちゃん”なんて呼ばれてるけど、あなたの好きなように呼んでくれていいよ」
「あーちゃん……じゃあ私もあーちゃんって呼ぶ! あ、私は八重野伊代! 伊予って呼んでほしいな」
「うん、わかった。じゃあ伊予って呼ぶね!」
「やった! あーちゃん!」
「何? 伊予」
「ふふ、呼んでみただけ」
「何それ、変なの」
そう言って笑ったあーちゃんの笑顔に私は一目ぼれした。
それから魔導書の事、読者のお仕事や『ダニ』についてレクチャーを受け、栞突き刺さる頁内に拠点を築き、読者として活動を開始する。
最初の頃は失敗なども多かったが、あーちゃんや仲間のサポートもあって徐々に頁数を稼げるようになってくる。
そうして魔導書に来てから2年が過ぎた時、はじめてトップランカーとして報酬を得られるまでに至った。
「やったよあーちゃん!! 報酬!! 報酬だよ!! まだ信じられない」
「やったね、すごいよ伊予!! でも当然だよ、だって伊予ずっと頑張ってたもんね! わたしは知ってるよ。傍でずっと見てきたから」
「あーちゃん! そう面と向かって言われると何だが照れるな……へへ」
「ちょっと伊予にやけすぎ。せめて報酬を得られるランカーの威厳くらいはみせないと示しがつかないよ?」
「そ、そうだよね……うん、威厳は示さないとね? 同じグループを組むみんなのためにも!」
「そうそう、伊予はランカーとして堂々と胸を張ればいいんだよ!! だって伊予はわたしの……ううん、わたしたちみんなの誇りなんだから!」
「あーちゃん……! すき!!」
「わ!? コラ抱きつくな!!」
「やーだよ! だってこれはランカーが受け取れる当然の権利、報酬なんだもん! あーちゃんを抱ける権利~」
「伊予……あなたねぇ、せっかくのランカー報酬をそんなしょうもない事に使うな!」
「しょうもなくなんかないよ!! 私にとってはどんな報酬よりも尊いものだよ! はぁ、あーちゃん、好き」
「もう!! 伊予ってばぁ!!」
結局はじめての報酬は栞突き刺さる頁内の拠点を一等地に移す事にした。
本当はあーちゃんとグループを組んで最初に読破した頁内の思い出の地にあーちゃんとの住居を構えるつもりだったが、その頁内にはシバンムシアリガタバチ、しかも有翅型の目撃情報が多数寄せられていたため、まずは有翅型のシバンムシアリガタバチに対抗できるだけの装備と駆除の準備を整える事が先決と考え断念したのだ。
とはいえ、このままトップランカーの地位を維持し、より強力な武器を得られ続ければ、いずれは自分たちのグループだけで有翅型のシバンムシアリガタバチを駆除する事が可能となるだろう。
そして駆除する事ができれば、もはや自分とあーちゃんの新婚生活を邪魔できるものなどいない。
その目標のために頑張ろう、そう誓ったのだ。
この事をあーちゃんに話すと。
「伊予……わたしがいつあんたと結婚したの?」
そう言ってドン引かれた。
とはいえ、この魔導書の中では同性愛など珍しい事ではない。
むしろそれが主流だ。
なんでも、初期の頃の読者は普通に男女が協力し合う仲だったという。
そして栞突き刺さる頁は今のように男女でエリア分けされておらず、男女の読者の交流や恋愛も普通に行われていたそうだ。
しかし、当然ながらそういった交流の果てには恋愛絡みのトラブルが必ずと言っていいほどついてくる。
そして、魔導書にとってそれは好ましくない出来事だったようだ。
何せ魔導書からすれば、自身に記された世界の記録を観閲してほしい、ただそれだけなのに、それを無視して読者たちが痴情のもつれという新たな物語を刻みだしたのだ。これは許されざる行為なのである。
特にその行きつく先として、女の読者が子供を産むなど言語道断だ。
そう、魔導書は新たな命をこの滅んだ世界に生み出すために読者たちを招待したのではない。
滅んだ世界のそのすべての記録を観閲してほしいがためだけに招待したのだ。
そんな連中が新たな命を育もうものなら、それは滅んだ世界が再び新たな歴史を生み出す事に他ならない。
それはつまり、完成したはず記録が、再び未完成となってしまうのだ。
滅びた世界が復活するなら、それはいい事なのではないか? と思うかもしれないが、そもそも魔導書は世界の終焉までを記録するだけの存在である。
だから、そんな世界の再生などは望んでいない。
あくまで、世界の記録を観閲してほしいだけなのだ。それ以外は必要ないのだ。
それに滅んでしまった世界に新たな命を産み落とすだけならば、読者たちが『ダニ』と呼ぶ虫たちだけで十分なのだ。
歴史を生み出してしまう可能性のある知的生命体の新たな誕生は目障りでしかないのである。
だからこそ魔導書は招待する読者たちに基準を設ける事にした。
すなわち、異性と交流を持たない、持ちたくない者たちである。
異性を毛嫌いする者、異性を苦手とする者、異性に畏怖を抱いている者、異性に敵意を抱く者etc。
魔導書は男女ともに、そういった者たちを積極的に招待するようになる。
そして、魔導書の思惑通り、当初はこれで男女間のトラブル問題は解消された。
だが、いくら男女が互いを毛嫌いしていても、話し合い、お互いを理解し合えばわだかまりも消え、やがてその先に恋愛感情が発生する事態は避けられなかった。
ゆえに魔導書は栞突き刺さる頁内に男女それぞれのエリアを設け、互いのエリアに踏み込ませないような環境を整えたのである。
そして招待する読者の基準に新たに異性に興味がない者、異性が生理的に無理な者が設けられ、そして最終的に同性にしか興味がない者が主流となって招待される事となったのだ。
とはいえ同性にしか興味がない者は男女間で恋愛トラブルは発生しなくなるが、一方で同性間では恋愛トラブルが発生してしまう。
しかし魔導書はこの事には目をつぶった。
というか、まったく問題視しなかった。
というのも、そもそも同性愛では新たな生命が生まれないからだ。
魔導書内で新たな命が生まれなければ、新たな歴史が動き出す事はない。
そうして今の形が生まれたのである。
しかし、そんな魔導書の定めたルールも、ある頁内に記録されていた研究を私が観閲したによって大きく変わっていく。
「え? ちょっと待って……これって、もしかして!!」
そう、私はある事に気付いてしまったのだ。
というか、最初からその可能性に気付いていた。
現代の地球でも同性同士で子どもを授かる方法として人工授精という手があるが、これにはどうしても、体外受精であれ顕微授精であれ、男性側の精子の提供が必須となる。
そう、生命である以上、これだけは避けられない。精子と卵子が揃わぬ限り、新たな命は生み出せないのだ。
性別がない動物でさえ、産卵の時期には一時的に雄雌に分かれたり、自身の体の中で精子と卵子を生み出してセルフ受精するという行為にいたる。
どこまでいっても、この呪縛からは逃れられない。
では本当にそれしか方法はないのか? と問われると実は意外とそうでもない
女性同士であっても、卵子の中に直接遺伝子を結合させる事で子供を生み出せる事ができる可能性があるという。
あくまでこれは仮説であり、まだまだシミュレート研究の段階ではあるが、魔導書が記録している滅んだ世界では違ったようだ。
そう、この研究は完成に至らずとも、実現に近いところまでは迫っていたのである。
様々な理由や事情で結局は断念してしまったのだが、その足りなかった部分を補えるだけの材料を私は手に入れた。
時間をかけて、必要な情報と知識を得られる頁を読破し、ランカー報酬で必要な機材や材料を買いそろえられるだけのお金を得た。
そうして、いよいよ実現の目途がたった。
この事をあーちゃんに伝えると、いままで一番ドン引きされた。
「え? 何それ? 怖い……さすがにそれは引くわ」
そう言って青ざめた表情となったあーちゃんに力説する。
「何言ってるのあーちゃん!! 一緒にいるだけで幸せだなんて、それはそうなんだけど、そんなありきたりな言葉じゃ満足できないでしょ? だって、それが愛なんだから!! 好きな人の子を産みたい! そんな当たり前な幸せだけ手が届かないだなんておかしいでしょ!! だから産むんだよ!! 他人の子じゃなくて! 気持ち悪い男の精子なんか絡ませないで! 純粋な私たちだけのDNAを受け継いだ子を!! 私たちの子を産むんだよ!!」
そんな私の気迫にあーちゃんは押されて一歩下がるが。
「いや、でもさすがにそれは魔導書に追放されるんじゃない? だって、こどもが生まれるのが嫌で今の形になったんでしょ? なのに、そんな事しちゃったらわたしたち完全に異物判定されちゃうよ?」
そう訊ねてくる。
そんなあーちゃんの不安を払拭すべく。
「だからこそ、他の読者からも魔導書からも見つかりにくいマイナーでマニアックな頁を見つけて隠居して、こどもの事も偽装して完璧に隠蔽しないとね!」
笑顔でそう答えた。
これを聞いたあーちゃんは。
「はぁ……あなたねぇ」
頭が痛いと言わんばかりに大きなため息をついた後、あきらめたような表情になって。
「まぁ、言い出したら最後まで突っ走るものね? 言うだけ無駄か……だとしたら今から色々考えないと」
何やらブツブツと呟きながら思考を巡らせだした。
そんなあーちゃんを見てついつい嬉しくなり。
「ありがとう、あーちゃん! 愛してるー!」
抱きしめてキスしようした。
だが、張り手で阻止された。
「うざい。てか、子どもっていってもどっちが産むの?」
「え? 交互に産めばよくない?」
「は? 何言って……」
「だって、最低2人は欲しいでしょ? だから交互に産むの。互いが互いの子を産むって素敵じゃない?」
「……まぁ、それもそうね」
こうしてあーちゃんと秘密の将来の計画を立て、いずれ来るその時に備えていた。
そう、備えていたのに……
「あーちゃー--ん!!! いや!! いやだよいやいやいや!! なんで!? あ、あぁぁぁぁぁぁー-----!!!」
血まみれになってあーちゃんの首を抱きかかえ、泣き崩れる八重野伊代を見て、風の斬撃を放ったザフラは鼻で笑い。
「あーあー、なんてこった。これはひどい! すぐに反応できていれば、胴体から首がおさらばする事もなかったのにな?」
挑発するような言葉をかける。
「は? 今なんてった?」
ザフラのその言葉に泣き崩れていた八重野伊代がピクっと反応する。
が、ザフラは気にせず続けた。
「でも災難だったな? そこの簒奪者がここに来さえしなけりゃ、そいつが死ぬ事もなかったのによ? まったく、とんだ災厄だな、その簒奪者は! そうは思わねーか?」
そう言って煽り立てるザフラの言葉に八重野伊代は胸に抱いたあーちゃんの首をそっと地面に置いて上着を脱ぎ、その上着で優しく包む。そして。
「ごめんねあーちゃん、ちょっとこれで我慢しててね」
そう一言呟くと立ち上がってザフラの方を向いて睨みつける。
「何言ってるの? その言い草だとまるでフミコちゃんが悪いみたいじゃない? ふざけてるわけ?」
八重野伊代の言葉にザフラは。
「ふざけてない、事実を言ったまでだが?」
当たり前だと言わんばかりの口調で返すが。
「ふざけるな!! フミコちゃんが来なければあーちゃんは死ななかった? バカかあんたは!! あーちゃんを殺したのはお前だろ!! 何フミコちゃんに責任転嫁して罪をなすりつけてんだ!! いい加減にしろ!! 何をどう言い訳しようが殺したやつが一番悪いに決まってるだろうが!! この殺人鬼が!!」
これに激昂した八重野伊代がザフラに怒鳴りつける。
そして……
「あーちゃんの仇、お前だけは絶対に許さない!!」
その手に杖を構えた。




