魔導書の世界(11)
雪で覆われた降雪地帯で遭遇した巨大なジンサンシバンムシ、あれを倒した八重野伊代はあの時、あれをダニだと言っていた。
そして今、そのダニを読者の敵だと明言したのだ。
(敵……つまりはあの虫は組織的な動きを見せていて敵対してるって事? ……でも虫でしょ? それとも裏で虫どもを操ってる集団なり組織がいるって事なのかな?)
フミコがそんな事を考えているとあーちゃんが。
「フミコちゃん、何か勘違いしてるというか誤解させたかもだけど……私たちがダニと呼称してるあいつらは、まぁ遭遇したり、目撃情報や出没情報が出たら討伐する程度の相手だからね? 言うなればこちらから仕掛けるのではなく、その都度対処する駆除対象って感じかな? だから大規模な闘争を繰り広げてるとか、殲滅対象だとか、生存競争してるとかそういうのではないんだよね」
そう言って苦笑いを浮かべた。
そんなあーちゃんを見て、八重野伊代の言葉からすごく重い受け取り方をしていたのだと気付き。
「それって被害が出たら行う害虫駆除的な感じのやつ?」
そう訊ねると。
「そう! それが近いかな?」
あーちゃんが笑顔で肯定し、八重野伊代もうんうんと大きく頷く。
そんな八重野伊代を見て思わずため息が出た。
「じゃぁなんで敵だなんて大それた言葉使ったの?」
すると八重野伊代は。
「え? だって虫嫌いだし」
あっけらかんとそう答えた。
「は?」
「いや、きもくない? 私本当に無理なんだけど」
そう言って自らの体を抱きながら悪寒に震えるような表情になった八重野伊代を見てフミコは首を傾げながらも。
「まぁ苦手な人は多い……かも……ね?」
そう疑問系で同意した。
正直なところ、弥生時代の人間であるフミコからからすれば虫が苦手な意味がわからないのだ。
何せ、常日頃から虫が視界に入るのは当たり前な環境だったのが古代だ。
食料に虫が這っているのも珍しくはない。
さすがに物資や食材を貯蓄保存している倉庫は虫や鼠が侵入したり湧いたりしないよう工夫はされたが、一般の住居に虫が湧くことなど日常茶飯事だ。
カイトと出会ってから次元の狭間の空間に住むようになってからは、そういった環境とは縁がなくなり、多少免疫がなくなった部分もあるにはあるが、それでも常に清潔、虫1匹も湧かないなんて環境が当たり前だとは思ってはいない。
しかし、文明がある程度進み、害虫を駆除して最低限の清潔な環境を維持できる文明を手にした人類はそうはいかない。
いるとわかっていても、いざ目にすると嫌悪感が沸くのだ。
「そうだよ!! あいつらはきもいんだよ!! だから殺す!! 慈悲はない!!」
そう意気込む八重野伊代を見てフミコはふとこんな疑問を口にした。
「ところで、そのダニって結構な数いるの? 規模的にはどのくらい? 読者たち全員で力を合わせて大規模駆除をおこなったら殲滅できるレベルなの?」
これに対して八重野伊代は。
「さぁ? 無限に湧いてくるからねあいつら……想像しただけで気持ち悪い」
そう言って体をブルブル震わせ。
「正直、殲滅はできないんじゃないかな? それにどこに潜んでいるかわからないしね? 全体像が掴めないんじゃどうしようもないよ」
あーちゃんも苦笑いを浮かべながらそう口にした。
(全体像が掴めない、か……かい君はあの虫をスマホで撮影して調べてたけど、もしかしてスマホを使えば情報を検索できるのかな?)
そう思って、あのジンサンシバンムシについて少し調べようかと思ったところで。
「ところでさっきからダニってずっと言ってるけど、あの虫以外にも似たようなのが色々いるって事なの?」
そう訊ねてみると。
「え? ダニはダニだけど?」
八重野伊代が何を今更と言わんばかりの真顔で答えた。
「ん?」
なので思わず笑顔で首を傾げてしまったが、これにあーちゃんが慌てて答える。
「えーっとフミコちゃんは遭遇した相手以外の虫がいないかって事を聞いてるんだよね?」
「え。うん。そうだけど?」
あーちゃんの確認にフミコは思わず首を傾げてしまうが、そんなフミコを見てあーちゃんは引き攣った笑顔で。
「ですよねー? ダニの事を聞いたわけじゃないよねー?」
そう言った後、すぐに八重野伊代へと振り返り。
「ちょっと伊予! いい加減覚えたら? あいつらはダニじゃない!! ダニは本を食わない!! 何度言ったら理解してくれるの!? 恥ずかしいからちゃんと理解して!!」
そう怒鳴りつけた。
あーちゃんのその言葉を聞いた八重野伊代は驚愕の表情を浮かべ。
「な、なんですってー---!?」
と大声をあげた。
そんな2人の様子を見てフミコが思わず目を見開く。
(は? え? うそでしょ? なんでそこ知らないの? 仮にも本の中に入り込んで活動する読者でしょ? まず最初に理解してないといけない知識じゃないの?)
開いた口が塞がらない様子のフミコを見て、八重野伊代ははっとした表情になると。
「いや~ごめんごめん、だってみんなダニダニ言うからてっきりあいつらダニだと思ってた。うん、そうだよね? ダニじゃないよね? うん、ダニじゃない……ダニじゃなかったんだ……え? でもでも……」
慌てて言い訳をしだし、その途中でブツブツと独り言を言いはじめた。
あーちゃんはそんな八重野伊代を見て呆れたと言わんばかりにため息をつくと。
「と、とにかくフミコちゃんはわたしたちが『ダニ』と呼称してる虫たちがどれくらいの種類が存在してるのか知りたいんだよね?」
そう訊ねてくる。
「う、うん。そうだけど」
我に返ったフミコが頷きながら答えると、あーちゃんは笑顔で。
「わかった。とりあえず現時点で確認できてる範囲の連中の種類を言うね?」
八重野伊代を黙らせてフミコに話し始めた。
あーちゃん曰く。現状、魔導書内で確認できている虫は5種類ほどいるという。
それらの虫の中でも遭遇する可能性が高いものは3種類で、まずはカイトたちが遭遇したジンサンシバンムシ。
次に紙魚、そしてチャタテムシである。
基本的に読者たちが言うところの『ダニ』はこの3種類を差す事が多い。
何故なら、基本的に本の頁を食す害虫はこの3種類だからだ。
では残りの2種類は放っておいても平気なのか? と言われるとそうでもない。
残りの2種類は本の頁こそ食べないものの、遭遇した場合、積極的に読者に襲い掛かってくる好戦的で危険な連中だからだ。
その1種類がツメダニ。
ツメダニは紙を、本の頁を食べる事はない。
そういう意味では魔導書にとっては危害を加えられるわけではないので害虫に指定していないのだろう。
とはいえ、それはあくまでも、魔導書にとっての話だ。
ツメダニはチャタテムシを捕食するため、チャタテムシが発生したり、逃げられた頁には必ずといっていいほど発生する。
そのツメダニだが、捕食する対象に鋭い触肢の爪を突き刺して体液を吸うというのが捕食行動となるわけだが、その鋭い触肢の爪が稀に人の肌に突き刺さり、かゆみや皮膚炎が生じる。
とはいえ、これは本来のヒトとツメダニの体格差の場合の話だ。
魔導書の中に入り込んでいる状態では、ヒトとツメダニの体格差は逆転する。
ツメダニのほうが巨大な存在となるのだ。
では、そんな巨大なツメダニの鋭い触肢の爪にヒトが刺されたらどうなるか? 結果は言うまでもないだろう……
魔導書が害虫指定した本を食う虫たちの総称を『ダニ』と八重野伊代だけでなく、その他の多くの読者たちが呼んでいるのは恐らくはこのツメダニが原因だろう。
そういう意味では、この読者たちの天敵ツメダニを発生させないためにも、ツメダニの餌となるチャタテムシの駆除は読者たちの最優先事項といえる。
そして最後にもう1種類……シバンムシアリガタバチだ。
このシバンムシアリガタバチは外見は一見するとアリであるが、ハチの仲間であり、読者を見かけると積極的に毒針で襲ってくる獰猛で危険な相手である。
羽根を有した個体も稀におり、有翅型と遭遇すると読者の生存率は一気に下がると言われている。
このシバンムシアリガタバチ、名前の通りシバンムシの体内に卵を産み付けて、幼虫はシバンムシに寄生する形で成長する。
そんなわけで、やはりシバンムシアリガタバチを発生させないためには幼虫の宿主となるシバンムシを積極的に殺さないといけないのである。
ツメダニ同様、実際のシバンムシアリガタバチにヒトが刺された場合と、頁内で刺された場合では結果が大きく異なる。
実際のシバンムシアリガタバチがヒトを刺した場合はアレルギー反応による腫れとかゆみで済むが巨大な姿である頁内では胴体が真っ二つにされるのだ。
ゆえにシバンムシアリガタバチの存在が確認されれば、羽根のあるなしに関わらず大規模討伐隊を編成し総力戦で臨むのである。
「なるほど、つまりは魔導書にとっての害虫と読者にとっての害虫が存在するわけか……で、伊予はそれらをまとめて『ダニ』って呼んでるわけね?」
フミコが確認するようにそう訊ねると八重野伊代とあーちゃんは頷き。
「そう。魔導書からすればツメダニにシバンムシアリガタバチは自らにとっての害虫を減らしてくれる益虫かもしれないけど、読者にとってはそうじゃない。結局、わたしたちはすべての虫を見かけたら殺さないといけないってわけ」
そう言ってやれやれと言わんばかりに肩をすかして両手をあげ首を振るあーちゃんを見て思う。
そりゃトップランカーとなって、より強力な武器を報酬として求めるわけだと……
たとえ報酬で読破した好きな頁に住める権利が与えられても、そこにシバンムシアリガタバチが現れれば命を落とす危険があるのだ。
頁数を稼ぐ意味でも、引退後の余生を有意義に過ごす意味でも、より強力な武器は喉から手が出るほど欲しいアイテムだろう。
(まぁ、これで読者についての大体の事はわかったかな? あとは伊予がどれだけ魔導書の中で……読者の中でイレギュラーなのかがわかれば……)
そう思ってフミコは八重野伊代を見る。
異世界渡航者のターゲットに指定されるという事は、それだけこの世界ではイレギュラーだという事だ。
ジムクベルトを地球に出現させた原因である次元の亀裂を発生させてしまうほどに。
(まぁ、正直この次元の亀裂が云々は今となっては本当かどうか怪しいけどね)
カイト同様、フミコももはやカグをはじめとした神々を信じてはいない。
しかし次元の狭間の空間の行き先の舵取りを握られている以上、今はまだ表立った反抗はできない。
その手段が確立されるまでは、神が定めたルールに従わないといけないのだ。
(何にせよ、伊予が他の読者たちと具体的に何が違うのかがわかれば……)
そう思ったところで。
「っ!!」
背筋がぞっとした。
(な、何今の感覚!?)
嫌な予感がして咄嗟に腕に巻いた腕時計型のミラードラゴンの死体から回収した鏡の鱗を用いて作られた鏡をチラっと見る。すると。
「なっ!?」
そこにある人影が映っていた。
しかし、鏡には映っていて、現実にはそこに誰もいない。
そして、この鏡はミラードラゴンの鱗で作られている。そう、真実を見抜く鏡の鱗でだ。
つまりは……
(ザフラ!!)
フミコは慌てて皆に叫ぶ。
「まずい!! みんな伏せて!! はやく!!」
フミコが叫んだと同時に腕時計型の鏡に映るザフラは手にしていたクファンジャルを大きく振るう。
直後、強風が吹き荒れ、風の斬撃がこの場にいる全員を襲った。
「へ? な、何?」
突然の事に戸惑う八重野伊代であったが。
「バカ!! 何してるです!! はやく伏せるです!!」
ココがそんな棒立ちの状態の八重野伊代の頭を掴んで強引に地面に伏せさせる。
とはいえ、ココの怪力と力加減のなさによって八重野伊代はココに思い切り地面に顔面を叩きつけられる形となった。
「ぶほぉ!?」
そんな八重野伊代の事など気にせず自身も一緒に地面に伏せたココと、皆に叫んですぐに伏せたフミコの頭上を風の斬撃が通り過ぎる。
それを見て最初の奇襲はなんとか回避する事ができた。
そう思ったのだが……
ひとり、行動できていない人物がいる事にフミコもココもまだ気づいていない。
だからこそ、風の斬撃が去った後ですばやく立ち上がったフミコは皆の安全を確かめずにまず行動に移った。
まずは地面を蹴って後方に下がってザフラから距離を取り、腕時計の側面のボタンを押した。
すると、鏡がクルっと回って反転、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が姿を現し、それをザフラがいる方向に向け呪力を解放した。
眩しい光が周囲一帯を照らし、直後『インビジブル』によって透明化していたザフラの姿が白日の下に晒される。
姿を現したザフラはまたしても『インビジブル』が破られた事に舌打ちすると。
「っち! 相変わらず忌々しいやつだな簒奪者、とっととおとなしく殺されやがれ!」
そう言ってクファンジャルの剣先をフミコに向ける。
そんなザフラを見てフミコはその手に銅剣を構え。
「誰がおとなしく殺されてやるっていうんだザフラ! あの時の借りは返してやる!!」
そう意気込むが、しかし……
「あ、あぁぁぁぁぁ!!!! あぁぁぁぁぁ!? うそ!? うそうそうそ!? いやだ!! いやだよ!! なんで!! なんで!? いやー------!!!!」
フミコの後方で八重野伊代が錯乱して発狂していた。
一体何事かと思い、ザフラを警戒して構えを解かないままチラっと後ろに目を向ける。
すると……
「なっ!?」
思わず絶句してしまった。
そんなフミコの反応を見てザフラが鼻で笑う。
フミコが目を向けた視線の先、ココも茫然として立ち尽くしている。
そんなココの目の前で八重野伊代は大粒の涙を浮かべ、血にまみれた手で何かを抱きかかえていた。
八重野伊代が抱きかかえているもの、それは……
「あーちゃー--ん!!! いやー-----!!!」
さきほどのザフラの放った斬撃によって斬り飛ばされた、あーちゃんの首であった。




