魔導書の世界(2)
フミコとケティーが喧嘩をしている間、自分はいつものように心を無にして嵐が過ぎ去るのを待っていた。
こういう態度はいけないだろうとは思いながらも、下手に自分が口を挟むと余計に喧嘩が長引くので、喧嘩が終わるのはふたりのタイミングに任せているのだ。
そんなわけで絶賛思考停止中だったのだが。
「かい君? 聞いてる?」
「おーい、川畑くーん? 戻ってこーい!」
気が付くとフミコとケティーがふたりしてこちらの顔を覗き込んでいた。
どうやら喧嘩はいつのまにか終わっていたようだ。
「ん? あぁ、聞いてる聞いてる。井上〇弥の次のタイトル防衛戦がいつになるかって話だろ?」
なので適当にそう答えるとふたりから白い目で見られた。
「かい君、何の話してるの? というか誰それ?」
「なんで今ボクシングの話を? というか、今地球はそんな事できる状態じゃないでしょ……旅の目的忘れてない?」
そんなふたりに適当に笑い返し。
「ははは、そうだな、井上尚〇のタイトル防衛戦をはやく見れるようにするためにも、頑張らないとな!」
そう言って軽くストレッチしてから桟橋の先の歪んだ空間へと向かう。
喧嘩が蒸し返されても面倒なので何の話をしてたかの話題はスルーする事にした。
でないといつまでたっても前に進めない……まったく、毎度の事ながら、なんとかならないものだろうか?
そんな事を思っていると。
「かい君、だからそれ誰?」
井上〇弥氏を知らないフミコが訊ねてくるが、これもスルーする事にした。
そして桟橋の端まで進み、歪んだ空間の先まで来てから振り返り、皆の顔を見る。
「さて、それじゃあ行くとするか!」
これに皆が応え、そして先遣隊たる自分とフミコ、ケティー、ココ、ヨハンが歪んだ空間へと足を踏み入れた。
異変に気付いたのは歪んだ空間に足を踏み入れた直後だった。
桟橋の先に広がる歪んだ空間を超えればそこに広がるのは新たな異世界の景色……そう、通常だったらそのはずだ。
しかし……
「は?」
「へ?」
「え?」
「?」
「ちょ……これって」
そこには何もなかった。
空も山も川も海も大地も……本当に文字通り何もなかった。
広がるのはただ漆黒の闇のみ。その光景は異世界に足を踏み入れたというよりも、桟橋の先に広がる次元の狭間に飛び出してしまったという感覚に近い。
そして、その空間に何もないという事はつまり、踏みしめるべき陸地が存在しない事を意味する。
「っ!! みんな!! すぐに引き返すんだ!! はやく!!」
慌てて皆に叫ぶが、しかし……
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
「ダメだ!! 体が!?」
「いやー---!!! 落ちるー---!!」
すでに全員の体は自由落下をはじめていた。
「っ!! クソッタレめー!! みんな!! 手を伸ばせ!!」
叫んで飛行魔法を発動しようとするが、しかし……
「っ!? 魔法が発動しない!?」
まったく魔法が使えなかった。
その事実に驚きつつも、こちらに手を伸ばしてきたフミコの手を何とか掴み抱き寄せる。
「か、かい君!!」
「ぐっ!! フミコ!! 他のみんなにも手を」
フミコにも他の皆に手を伸ばすよう頼むが、直後、ココが背後から背中に勢いよく抱き着いてきた。
「カイトさまー--!!! ココ怖いです!! 落ちるの嫌です!! かわいそうなココを助けてください!!」
「わっと!? ココ!? そんな勢いよく飛びついたら落下速度がっ!!」
最後まで言う間もなく、自分とフミコ、ココの3人は速度を増して勢いよく落下していく。
「きゃー---!!!」
「いやー--!! カイトさまー--!!」
「おわわわ!! マジかよくそ!! ヨハン!! 召喚だ!! 飛翔系の魔物を頼む!!」
落下しながら同じく近くを落下しているであろうヨハンへと叫ぶが。
「すまないカイト!! さっきから何度も召喚しようとしてるがうまくいかない!! 召喚できない!!」
そんな返事が返ってきた。
「マジかよ!? クソッタレ!! どうなってんだ!?」
ヨハンの返事を聞いてフミコを抱き寄せ、ココに背中から抱き着かれている状態だが、こちらもなんとか召喚を試みるが、やはり飛行魔法同様に召喚ができなかった。
(くそ!! どうなってやがる!? というか、宇宙に放り込まれたような漆黒の闇の中だからどの方向かはわからないが、落下してるって事は重力があるって事だよな? つまりは地面は存在してると考えていいのか? けど……異能が使えないんじゃ、どの道このまま落下して地面に叩きつけられるだけじゃねーか!!)
そう思った時だった。
落下しながらも、ケティーが冷静に懐からグルグル巻きになったロープを取り出し、すぐ近くを落下しているヨハンへとロープを投げる。
それをヨハンはキャッチし。
「すまない、ありがとう」
ケティーに礼を言うが、ケティーは気にせず今度はこちらに向かってロープを投げてきた。
「川畑くん、掴んで!!」
「あぁ!!」
ケティーが投げてきたロープへと手を伸ばすが、しかし……
「くそ!! もう少し!!」
3人が固まっている影響なのか、落下スピードがさらに増しておりケティーが投げたロープに手が届かなかった。
「川畑くん!!」
「クソッタレ!! 届きやがれ!!」
必死に手を伸ばし、フミコとココも手を伸ばすが、しかしロープを掴む事はできなかった。
そして自分とフミコ、ココのグループとケティー、ヨハンのグループという落下速度が異なる2グループに完全に分かれてしまった直後だった。
落下する自分たちのすぐ真横で突如、目が眩むほどの眩しい光が発せられた。
「は!?」
「な、何!?」
「なんだかまぶしいです!!」
思わず目をつぶってしまうが、瞼を閉じる直前、一瞬だが眩しい光の先に巨大な本のようなものが見えた。
そして、その巨大な本が開かれ、ページがペラペラとめくれていく様子も。
確認できたのはそこまでであり、直後自分とフミコ、ココの3人は眩しい光の中に飲み込まれてしまった。
目が覚めた時には自分とフミコ、ココの3人は石畳の通路の上に倒れていた。
「いたたた……一体何が起こったんだ?」
体中に痛みはあるものの、耐えられないほどではない。
なので起き上がって周囲を見回す。
「ここは?」
周囲には何かしらの店が数軒、軒を連ねていた。
おそらくはショッピング通りか何かなのだろう。
道を行きかう人々が怪訝な目で自分たちを見てくるが、しかし「大丈夫ですか?」と声をかけてくる者は誰もいない。
というよりも、誰もこちらに近寄ろうとしなかった。
その反応を冷たいとは思わない。むしろこれが普通だ。
得体のしれない、道端に倒れていた連中に声をかけてくる人間のほうがレアなのだ。
(とにかく、状況を確認しないと)
そう思い、まだ隣で倒れているフミコとココの体を揺する。
「おいフミコ! 大丈夫か? ココも!!」
するとフミコが「いたた……」と言いながら起き上がり、ココも「うー、カイトさま、ココすごく体が痛いですー」と言いながら起き上がる。
そんな二人の様子に安堵の息を漏らし、再び周囲を見回す。
「しかし、ここが今回の異世界……で、いいのか?」
いくつかの店が軒を連ねるショッピング通りの光景を見ながらそう疑問を口にするとフミコが。
「かい君何言ってるの? 最初は地面も何もなくて、いきなり落下してビックリしたけど、こうして見た事ない町にいるんだからそうに決まってるじゃない」
眉をひそめてそう言った。
一方でココは。
「カイトさま! ココ、落ちてる時とっても怖かったです! カイトさながいなきゃ死んでました……そんなかわいそうなココを癒めてください! カイトさまの体温で」
などと言って目を閉じてこちらにキスしようと唇を寄せてきた。
そんなココの行動を見てフミコは慌てて自分とココの間に入ってココを自分から引き離す。
「おい! 何言っとんじゃこのギガバイソンは!!というか、かい君に近づくな! 離れろ! この発情期牛が!!」
「ココはカイトさまのものだから離れる必要ないのです! むしろカイトさまから離れるのはそっちです」
「何を!?」
フミコとココが言い合いを始めたのを見て、苦笑いしながらもポケットからスマホを取り出しケティーに連絡を取ってみる。
まだ周囲を探索していないから何ともいえないが、見える範囲にケティーとヨハンの姿を確認できない以上、こことは違う離れた場所に落下した可能性が高い。
ならば早急にスマホで連絡をとって合流を目指すべきだろう。
とはいえ、スマホがつながる保証はないのだが……
「頼む、繋がってくれよ?」
そう願いながらスマホ画面を耳に当てる。
呼び出し音が数回鳴り、ケティーの声が聞こえてきた。
『もしもし、川畑くん?』
「よかった! 繋がった! ケティー無事か?」
『うん、心配しないで! 私は無事だよ。彼もね』
「そうか、ヨハンも無事か! よかった……しかし完全に二手に分かれちまったな。どれくらい離れた場所にいるかはわからないが、とにかく今は連絡を密にとって早急に合流しよう」
そう提案するが、しかしケティーは。
『それなんだけど、ちょっと厳しいかも……』
そう告げた。
「厳しい? どういう事だ?」
『今回の異世界、何かが変なんだよね』
ケティーのこの言葉に、自身もさきほどから若干の違和感を感じている事を告げる。
「ケティーもやっぱりそう思うか? 実は俺も何か違和感を感じているんだ」
フミコもココも気にしていないようだが、どうにも目が覚めてから周囲の光景に違和感を感じるのだ。
『川畑くんもやっぱりそう思う? どうにもこの世界は……こういう言い方は変なんだけど、本物の世界って感じがしないんだよね』
「本物の世界って感じがしない、か……確認だけど、ケティーはこの世界を以前訪れた事はないんだな?」
この質問にケティーは。
『うん、ムーブデバイスに訪問履歴は載ってないし、世界地図も表示されない……』
そう答えてから、さきほど自分自身が体験した事を語る。
『で、ここからが重要なんだけど……さっき合流は厳しいかもって言ったよね?』
「あぁ、何か問題でもあるのか?」
『問題ね……そう問題だらけだよ』
「というと?」
『この世界……どうにもランダムで色んな世界に飛ばされるっぽいんだよね……私とヨハンもすでに2回別の世界に飛ばされてる』
「……は? なんだそれ?」
ケティーの言ってる意味が理解できなかった。
ランダムで色んな世界に飛ばされる? それは一体どういう事だ?
そう思って眉をひそめた時だった。
どこからともなく鐘の音が鳴り、本のページをめくるような音が聞こえた。
電話越しにその音を聞いたケティーは。
『っ!! 今の音!! 川畑くん!! 近くにフミコとココがいるならふたりの手を取って離れないで!!』
焦った声でそう言ってきた。
「どういう事だ?」
『さっきの音がしたら問答無用で次の世界に飛ばされるんだよ!!』
「なっ!?」
それを聞いて慌ててスマホをしまい、フミコとココの手を取る。
直後、自分たちの体が光に包まれて、どこか別の世界へと飛ばされた。
無限に広がる「無」の空間、そこには何もなく、ただ漆黒の闇が悠久の時を支配するのみである。
とはいえ、そこにはかつて宇宙があり、高度な文明が栄えた世界を有する惑星がいくつも存在した。
しかし、高度になりすぎた文明はやがて世界の心理、宇宙の理に手を伸ばし、その終焉を早めた。
結果、膨張しきって弾けて消えた宇宙の跡には何も残らず、ただ「無」が存在するのみとなった。
これが宇宙の行きつく先、世界の成れの果てだ。
そんな終わりを迎えた「無」の空間に、しかし、例外的に「無」に帰さず、終焉を乗り越え存在し続けるものがあった。
その例外は無限に広がる「無」の空間にあって、ひと際異彩を放つ。
とはいえ、その見た目は人類文明においてはどこにでもあるような代物だった。
どこにでもあるような代物だが、中身はそうではない。
その中身は世界を喰らう遺物。
では一体その正体は何か?
その遺物の見た目は分厚い書物の形をしている。
そう、書物……滅びた世界のすべてを記した魔導書だ。
その魔導書は無限に広がる「無」の中を彷徨い、その中に滅びた世界のすべての記憶を保存しているのだ。
とはいえ、滅びた世界の記憶をすべて記して保存していても、肝心の魔導書を手に取って観閲する者がいなければ保存媒体として意味がない。
ゆえに魔導書は招待する。その書物の中に記録を観閲できる者を。
無限に広がる「無」の外側にいる記録を観閲できる者を。
そうして招き入れ続ける。
魔導書に保存されたすべての記録を閲覧する者が現れるまで……




