霧の奥(2)
特権階級悪魔、それはこの世界ではギガントに次いで畏怖の対象となっている化け物だ。
とはいえ、ギガントどもがずっと封印されていたため、伝承でのみ語られる存在になりかけていたのと違い、特権階級悪魔はずっとこの世界に存在して社会に損害をもたらし続けてきた。
そういった意味では人類が最も忌み嫌い、畏怖しているのは特権階級悪魔であろう。
何せ彼らは前触れもなく突然現れ、村を街を国を焼いていく……
ただ破壊していく……
虐殺の限りを尽くしていく……
そして、それを事前に察知し、準備を整え万全な態勢で迎え撃つのはほぼ不可能だ。
そもそも、人類はいまだに特権階級悪魔の生態を理解できていない。
何が弱点なのか? 何が行動原理なのか? なぜ突如現れ人を襲うのか? そもそもどこからやってくるのか? 連中が普段暮らしている場所は一体どこなのか? それすらわかっていないのだ。
人はわからないもの、理解できないものを恐れ、拒み、忌み嫌う。
そしてコミュニケーションが取れない以上、相手を理解するのはほぼ不可能だ。
なおかつ、普段どこにいるのかがわからない以上、その生態を調査することもできないし交渉も当然ながらできない。
ゆえに遭遇してしまった、襲われてしまったら運がなかったとしか言いようがないわけだが、そんな特権階級悪魔をヨランダは従えている。
一体何をどうしたら、どこにいるかもわからず、意思疎通もできない人殺しの悪魔を従えられるというのだろうか?
困惑するウラス・ヨルドを見てヨランダは楽しそうに葉巻をふかすと。
「そんなに珍しいものかね? 特権階級悪魔なんぞ、どこにでも湧いて出る可能性がある存在だろうが。それを従えた程度で何を驚いている」
葉巻をくわえたままそう口にした。
ヨランダのその言葉にウラス・ヨルドは反論する。
「ふざけるな!! それが可能ならばそもそも人類はそいつらに怯える必要などなくなるだろ!! 従えられる? そんな事ができたならそいつらの住処を吐かせて駆除できるはずだろ!! だが現実にはそんな事にはなっていない!! そう、なっていないのだ!! 人類はいまだ特権階級悪魔という存在の核心に触れていない……なのに何故貴様はそいつを従えられている!? 貴様、一体何をした!?」
これを聞いたヨランダは鼻で笑うと。
「おいおい、邪神なんてものを復活させようとしている連中のナンバー2が何を言ってやがるんだ?」
そう言ってくわえていた葉巻を指で挟んで口から離すとふぅと一息つき煙を吐き出してから。
「人類はいまだ特権階級悪魔の核心に触れていない? バカか貴様は! そんなわけがないだろうが! まぁ、邪神の事ばかり考えていてそれ以外が疎かになっているのは致し方がない組織なのかもしれないが、ちょっと考えれば予測は立てられるものだがな?」
口元を歪ませて自らの心臓を拳でトントンと叩いて見せた。
それを見てウラス・ヨルドはある可能性に気付く。
「まさか……まさか貴様!! いや、しかし……しかしそんな事が? ありえん!! 断じてありえん!! だが通常の悪魔どもは……そうだとするならば、それを従えた? なんだそれは……いや、そうか……そういう事か! ふはは! 実に愚か!! 愚かすぎるぞ古き我が友よ!! まったくもって呆れてしまうわ! そうまでしてわしに復讐したかったのか!? たかがあの女のために!? どうかしてるぞ貴様、血迷ったか?」
そう言うウラス・ヨルドを見てヨランダはやれやれとため息をつくと。
「血迷ってる、ね……邪神なんてものを本気で復活させようとしてるイカレポンチにだけは言われたくないセリフだな? それと……たかがあの女とは俺の前でよく言えたものだ。この空間では特権階級悪魔を従えた俺は絶対だ、口を慎めよ? 早死にしたくなかったらな……まぁ、どっちにしろ貴様は殺すがな」
そう言ってヨランダは背後に控えている特権階級悪魔に軽く視線を向ける。
しかし巨大な角を生やした羊の頭に2本足で立つ巨大な牛の体とトカゲの尻尾を生やしたその化け物は視線を向けられても微動だにしなかった。
そんな特権階級悪魔から視線をウラス・ヨルドに戻しヨランダは口元を歪めると。
「しかしまぁ、かつてのユニオンギルドマスターと同じことを口走りやがるな? この裏切者は……まったくしょうもない事を思い出させやがって」
そう言って手にしていた葉巻を横にぽいっと放り捨てた。
ウラス・ヨルドはその言葉にはっとする。
「かつてのユニオンギルドマスターだと? 確か当時のマスターは突然の病で急死したはずで、周辺国の諜報機関や空賊に海賊、当然我らカルテルも知りえる情報からもそう判断したが、まさか!!」
ヨランダはニヤリと笑い。
「あぁ、俺が殺した。さっきの貴様のようにくだらん事をぬかしやがったのでな? ついついキレてしまったぜ。まぁ、おかげで俺にとって都合のいい新たなマスターと新体制を立てる事ができたがな? そうして俺はユニオンでのし上がり、今の地位を手に入れた。そう、俺の思いのままにユニオンとドルクジルヴァニアを動かせる今の地位をな!!」
そう言って両手を広げて一礼して見せた。
「あぁ、そういう意味では貴様には感謝しないといけないかもな? 何せ、貴様があの時仲間を……あいつを裏切って殺したりしなければ、今もずっとあのギルドで、あのメンバーでただ楽しく毎日依頼をこなし、楽しく酒場でバカ騒ぎしているだけの存在で終わっていたかもしれん……ユニオンのトップにのし上がって組織を掌握しようなどとは思わなかっただろうな? だから、一様は感謝を述べておこう。ありがとう裏切者、おかげでこの高みに上り詰めることができた。心から感謝する。あの日俺に復讐心を植え付けてくれて」
そんなヨランダをウラス・ヨルドは軽蔑した目で見ると。
「ふん、思ってもいない事をぬけぬけと……そもそも当時のマスターの死因を誰も見破れなかったという事はあの時から貴様は特権階級悪魔を従えていて、そいつに工作させたという事だろ? つまりは貴様とてわしをギルドの仲間を欺いていたわけだ。なら同じ穴の狢じゃ、わしを裏切者と糾弾する資格などない、あぁないとも!! それに特権階級悪魔をずっと従えていた事を隠していたというならば、貴様が今の地位に上り詰めるために何をやってきたか想像すると反吐がでる」
そう言って唾を吐き捨てた。
「おいおい、笑わせるなよ? その言い草だとまるで俺が不正をしてユニオンギルドマスターになったみたいなるじゃねーか」
そんなウラス・ヨルドを見てヨランダは小馬鹿にしたように笑う。
「ちがうのか?」
「ちがうな? 正当な手段だ」
「特権階級悪魔を使って好き放題組織を弄り回す事がか?」
やや批判めいたウラス・ヨルドの口調をヨランダが鼻で笑った。
「おいおい、何正義感ぶってやがるんだ邪教徒。今更倫理観振りかざしておりこうさん気取りか? お前も似たようなものだろうが! あぁ? それに俺らはアウトローだぞ? 誰もかれもがどうしようもないクズで救いようのないどもばかりだ! 貴様もカルテルなんて組織のナンバー2にのし上がったのならわかるだろ? そんなクズどもが集まるどうしようもない組織で行儀正しく正当な手段、真っ当な方法でトップに上り詰められるわけがないだろ!! 清廉潔白、清く正しく、道を外れるやつは許さない! そんなやつがクズどもをまとめあげられるわけがないだろ!! たとえそんなくそ真面目な人間がトップについたとして、すぐに精神に異常をきたして三日天下で終わるさ。ここはそういう場所だ。違うか?」
ヨランダのこのいい様にウラス・ヨルドは呆れた表情になると。
「それをギルドユニオンのトップが言うか?」
そう言うが、これをヨランダは鼻で笑い飛ばした。
「は! なんだそれ? ギルドは正義の立場に立っている組織だとでもいいたいのか? そんなお花畑な事を貴様が言うとはな? それにお前だって同じようなものだろ? 違うのか?」
「いや、そうは思わんさ。そしてわしとて同じようなものじゃろ。じゃが建前上はギルドユニオンの理念は民衆の正義に寄り添う。そうなっておるはずじゃがの? あぁ、そうなってたとも」
ウラス・ヨルドの指摘にしかしヨランダは。
「それを言うなら貴様らの組織とて同じだろ? 俺らや空賊、海賊どもは貴様らを邪神結社と呼んでるが貴様らが名乗っている正式名称は<聖教団体・人類救済機関カルテル>だったはずだ。何が聖教だ、救済機関だと思うがな? それに空賊連合も連中は義賊連合と正式名称は主張しとるな、海賊どもも活動の大義名分は無干渉地帯のシーレーンの確保だ。どいつもこいつも俺たちは正しいと勝手な正義を振りかざしてやがる。まぁ、それも間違いではない。正義や悪なんてもんは立場や見方によっていくらでも変わるもんだ。だが、それでも無干渉地帯に居座る俺らに正義や道徳があるとは思えんがな?」
そう言って、指摘し返す。
「そもそも、ここ無干渉地帯は隣接する周辺国がそれぞれ領有を主張する係争地だ。普通なら各国の軍がここに駐留してにらみ合い、やがて偶発的な衝突から大規模な戦争がはじまる。だが、そうはなっていないのは俺ら4大組織がにらみ合っているからだろ? だが、本当にこの地域の安寧を願うなら、俺らがどこかの国に肩入れするか、俺ら自身が独立国家を作ればいいだけだ。それだけの力が実際にあるしな。係争地でありながら、どの国も無干渉地帯に手を出せていないのがその証拠だ。だが……誰もそうしようとはしない。なぜか? 今の無政府状態のほうが都合がいいからだ。誰にとっても、どの組織にとってもな? そんな場所で今更正義も糞もないだろ」
そして、それだけ言うとヨランダはやれやれと言わんばかりに肩をすかし。
「まぁ、貴様にこれを言ったところでどうにかなるわけでもないな。それに所詮は時間稼ぎだろ? まぁ意味のない長話をしたところで貴様に逆転のチャンスはないがな? ここは特権階級悪魔が生み出した世界から隔離された空間だ。誰もここにアクセスなどできん。だからここで貴様が死んでも貴様らの盟主の能力……あの趣味の悪い、気持ち悪い生き物も貴様の首から出てこないぞ?」
そして背後の特権階級悪魔に視線を向ける。
すると、今まで微動だにしなかった特権階級悪魔がゆっくりとウラス・ヨルドに向かって歩き出した。
ヨランダはそんな特権階級悪魔からウラス・ヨルドへと視線を戻し、ニヤリと笑う。
「さて、それじゃお別れの時間だ。せいぜい最期に楽しく鳴いてくれよ?」
言われたウラス・ヨルドは迫ってくる特権階級悪魔に怯えながら、命乞いをはじめた。
「ま、待て!! わしを殺していいのか? カルテルに関する情報を欲しくないのか? あぁ欲しいだろ? 欲しいに決まってる!! だから助けてくれ!! そうすればわしは……」
「どうせ喋らんだろ? まったく今更見苦しいぞ」
そんなウラス・ヨルドを見てヨランダは楽しそうに笑うと。
「それに、正直どうでもいい。俺が聞きたいのは貴様が最期にあげる愉快な断末魔だ。それ以上に有益な事なんてないだろ?」
そう言って懐から新しい葉巻を取り出す。
そんなヨランダを見てウラス・ヨルドは後ずさりながら。
「そこまであの女をわしにとられた事、殺された事が憎いか!! 古き我が友よ!!」
そう叫ぶ。
これに対し、ヨランダは葉巻を口でくわえてからマッチを取り出し、ゆっくりとした動作で火をつけ、しばし葉巻をふかして天を仰いでいたが、やがて葉巻を指で掴んで口から離し煙を吐き出すと。
「あぁ、憎いとも……だから今、俺はここに立ってるんだ。貴様を殺すためにな」
視線をウラス・ヨルドに向け特権階級悪魔に命じた。
「やれ」
直後、特権階級悪魔は一瞬でウラス・ヨルドの目の前へと移動する。
そして……
「あ、あがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ウラス・ヨルドの悲鳴が空間全体に響き渡った。
ヨランダは葉巻をふかしながらウラス・ヨルドの最期を見届け、天に向かって煙を吐き出した。
そして小さく呟く。
「仇はとったぞロベロタ」
ヨランダはしばらくそのまま無言で何かに祈るように目を閉じていたが、やがて背後に特権階級悪魔がやってくると目を開けて再び葉巻を口にし歩き出す。
特権階級悪魔はそんなヨランダの後を何も言わずついていく。
ヨランダと特権階級悪魔が去っていくと、紫色の霧は晴れていき、後には何も残らなかった。
ただ、最後にヨランダの言葉だけが小さく響き渡る。
「さて、過去の呪縛は解けた……もう俺を縛るものは何もない。これでようやく邁進できるな。この俺の本来の野望に」
これより先、ヨランダは長年胸の内に秘めていた野望を隠さなくなり、それは無干渉地帯に混沌をもたらす事になるのだが、それはハンスを主人公に据えた物語で語られる出来事であり、カイトのあずかり知らぬ物語である。




