カイト/ハンスvsヤーグベルト(1)
神帝ゲノンは玉座の前の宙に投影された映像を眺めていた。
そして、それを見ているのはゲノンだけではない。ゲノンの前に集った神々が皆、その映像を注視していた。
その投影された映像とは言うまでもない、第45実験管区の202セクターに存在する役目を終え放棄された管理管制誘導塔。現地民がいうところのスロル山、その最深部の現在の映像だ。
さきほどまで議論になっていた廃棄処分するか、否かの対象であるGX-A03の適合者の行動に誰もが注目していたが、しかし、彼らの注目すべき点はすぐに別の物に切り替わる。
「お、おい……これはまずいんじゃないか?」
「いや、さすがに現地民の独学であれを動かせるとは……」
「しかし現に、機能を停止したはずの管理管制誘導塔に侵入されて再起動されているんだぞ? 万が一という事もありえるのでは?」
彼らはヨルドの末裔がとった行動にざわつき出す。
しかし焦る一方で、こんな風にも思っていた。
とはいえ、万が一にもヨルドの末裔がジムクベルトの仮の肉体を復活させ、自在に動かす事ができ、尚且つジムクベルトの降臨に耐えうる事ができたとすれば……アビリティーユニットを介するプロジェクト自体が不要になるのではないか?
凍結させられるのではないか?
リスクとコストだけがかかる、現行のプランを終息させ、ヨルドの末裔を利用する新プランを考えるべきではないか? と……
そんな彼らとは違い、神帝ゲノンは宙に投影された映像を何も言わず、ただじっと見つめていた。
とはいえ、感情の変化がないわけではない……
ほんの少し、眉間にしわを寄せて映像を注視していたのだ。
ウラス・ヨルドは自らの魔眼が放つ光と自らを包み込む異様なオーラの中に飲み込まれていく。
直後、遙か頭上の彼方にあったいくつもの培養器がウラス・ヨルドの周囲へと次々と落下してくる。
落下し、地面に激突した培養器は砕けてその中身をウラス・ヨルドの周囲へとブチ撒け、床には無数の臓器や体の一部が散乱しだす。
それらはウラス・ヨルドが全身から放つ光に呼応するように光り輝き、そして吸い込まれるようにウラス・ヨルドの体へと取り込まれていく。
「これだこれだこれだっ!! わしが求めていたのはこの感覚だ!! あはは!! 見える!! 見えるぞ!! 感じるぞ!! ジムクベルトの鼓動をぉぉぉぉ!!」
ウラス・ヨルドは歓喜のあまり叫ぶ。
叫んで彼は感じ取っていた、ジムクベルトの本体がどこにいるのかを。
遙か無数の宇宙を抜けた先、常人では決して越えられない次元の向こう側、その先に広がる宇宙の中にぽつんと浮かぶ小さな惑星。
その惑星の大地を我が物顔で悠々と闊歩するジムクベルト。
ウラス・ヨルドはこの瞬間、その姿を脳内にイメージできたのだ。
その他を圧倒する存在を感じ取る事ができたのだ。
その事にウラス・ヨルドは歓喜する。
ついに自分は神に手が届いたのだとむせび泣く。
そして、ジムクベルトも同じく、遙か遠くの次元から自らにアクセスしてくるウラス・ヨルドの存在を感じ取っていた。
地球の、かつて日本の大都市だった廃墟の中を悠々と歩いていたジムクベルトは立ち止まり、そして何かを睨み付けるように空を見上げる。
そんなジムクベルトの肉体の中ではある異変が起きていた。
ジムクベルトの体の中にある硬質化された心臓、その内部。そこはとても心臓の中とは思えないような異様な空間であった。
なにせ、心臓の内部であるにも関わらず全身に送り出すはずの血液が一切ないのだ。
では血液がないのであれば心臓の内部には一体何があるのか? と言われると、そこにあるのは果てなどない広大な空間である。
地面は真っ黒に塗りつぶされており、どういった素材で造られているのかわからない。
それが地平線の彼方まで広がっており、その景色を遮る構造物は何もないのだ。
そこは本当に心臓の内部なのか? そう疑ってしまうほどにその空間は広大で何もなかった。
心臓の内部だから当然なのだが、上空には雲も星も何も浮かんでいない薄暗い空が広がっているだけの不気味な空間。
そんな何もない空間の中心に気味の悪い、不気味なオブジェがぽつんと立っていた。
それは数秒でも凝視していたら、吐き気がこみ上げてくるようなグロテスクな見た目をした、何かのサナギのようにも見えるものであり、そのサナギの周囲にはサナギの表面から吹き出した謎の粘液が宙を漂っている。
その粘液は触れた物を瞬時に溶かす物質でできており、それに触れたら最後、この世に原型を留めておくことはできない。
そんな危険な物質を吹き出し続けているサナギだが、今は休眠状態にある。
だが、休眠状態のサナギを守る外殻であるジムクベルトが自らにアクセスしてくるウラス・ヨルドの存在を感じ取ると、連動するようにサナギも休眠状態から徐々に覚醒状態へと移行する。
グロテスクな見た目のサナギの表面に無数の目が浮かび上がり、ギョロギョロと目玉を動かして周囲を見回す。
浮かび上がったのは目だけではない、様々な形をした口が表面の至るところで開き、鋭利な牙を覗かせ、その中から粘液にまみれた長い舌が飛び出し、舌の先が裂け、また口となって牙を飛び出させる。
それだけに限らず、気味の悪い触手がサナギの表面のいたるところから生えだし、不気味に蠢き出すとサナギの表面の物質がボロボロと剥がれ出す。
そして、次の瞬間にはサナギの周囲に無数の魔法陣が浮かび上がった。
浮かび上がったのは魔法陣だけではない。
何かの記号や数式、シンボル、象形文字、見た事もない奇怪な文字や魔術暗号、印形、曼荼羅などなど……ありとあらゆる魔術的暗号が浮かび上がり、地平線の彼方まで何もない広大な空間全体を埋め尽くしていく。
それらのすべてが眩しく光ると、グロテスクな見た目のサナギの表面が砕け、中から怖気を物押す気味の悪い何かが這い出てきた。
その這い出てきた何かは空間中を埋め尽くす魔術的暗号の数々を見上げると、大きく口を開き、聞いただけで吐き気を催すような気味の悪い奇声を発した。
直視する事すら誰もが拒む、サナギの中から這い出てきた何かの正体、それは超高次元の存在にして、この世のありとあらゆる物質の始祖。
その名を原初の素獣、アディルハイト。
神帝ゲノンが最も恐れ、最も手に入れたいと考える存在。
すべての神を喰らい、すべての次元を蝕む存在……それがアディルハイトなのだ。
アディルハイトの前ではすべてが無に帰す。故に誰もそれを傷つける事はできない。
だからこそ、神々は手が出せないのだ。
そんなアディルハイトの放った奇声は、この空間を飛び越え、ジムクベルトの心臓を抜け、肉体を飛び出し、地球の空に、太陽系に、銀河系に響き渡る。
そして、その響き渡った奇声は次元に亀裂を広げ、その先に繋がる別次元へと振動していく。
多くの次元を揺らし、その過程で多くの異世界に異常気象を発生させ、やがて辿り着く。
こちらに……ジムクベルトの肉体にアクセスしてきた大元へと……
そして、大元に辿りついた多次元を震わせるアディルハイトの奇声は、そのアクセスしてきた大元の人物、ウラス・ヨルドの願いに同調する。
同調して、その体を書き換える。
自らの外殻たるジムクベルトの肉体そのままの姿に、ウラス・ヨルドの体を上書きする。
ウラス・ヨルドの骨格が、体細胞が、体内構造が変化し、ブチ撒けられた多くの培養器の中身を取り込んで同化し、バケモノへと変化していく。
やがて、その姿が完全に人間のものでなくなり、ウラス・ヨルドの姿はジムクベルトそのものとなった。
ウラス・ヨルドの発動した即興の異能と、それによって生じたアディルハイトの干渉によって発生した異様な光と空間の歪みの中から、ウラス・ヨルドは姿を現す。
人間だった頃の面影を一切残さない姿で。
「なっ!?」
その姿を見て思わず絶句してしまった。
そんな自分を見てハンスが冷や汗をかきながら尋ねてくる。
「カイト、邪神を……ジムクベルトってやつを知ってるみたいだったが、あれがそうなのか? そのジムクベルトってやつなのか?」
ハンスの問いにただ頷いて答える。
「あぁ……」
その姿を見て、一瞬思考が停止してしまった。
そしてすぐに脳が抉られるような、そんな感覚を覚える。
あの日の記憶が鮮明に蘇る。
嫌でも思いだしてしまう。
あの時の光景を……
目の前で一瞬で街が吹き飛んだ光景を。
街を火の海にして雄叫びをあげる、あの怪獣の姿を。
ジリジリと肌を焼く熱風、呼吸もできないほどに巻き上がる煙、空から降り注いでくる瓦礫や車や人の死体の数々……
一瞬にして文明を葬り去った、あの恐怖を……
(PTSD……まだ克服できてなかったか、これだけ旅を続けてきてもまだ……)
思わず歯ぎしりしてしまう。
その姿を見ただけで、日常を奪われた憎しみと抗えない恐怖が同時に内側からこみ上げてくる。
どうにかなりそうな気持ちを抑えるため、力一杯自らの胸を鷲掴んで呼吸を整える。
(落ち着け! 落ち着くんだ!! あれはジムクベルトじゃない……紛い物、ウラス・ヨルドだ! 思い出せ!!)
そうして、ようやく気持ちを落ち着かせたところで一息つき、前を見据える。
「ジムクベルト……あの時、見た姿とまったく同じだ……まったく嫌な事を思い出させやがってクソッタレめ!」
そう吐き捨てるとハンスは。
「そうか……」
それだけ言って、それ以上は聞いてこなかった。
そんなハンスの気遣いに感謝しながら、改めてジムクベルトの姿に変貌したウラス・ヨルドを見据える。
見た目はそっくりそのまま、日本に出現したジムクベルトそのものであったが、しかしその大きさはオリジナルとはまったく異なっていた。
日本に出現したジムクベルトの身長はおおよそ120メートルほどなのに対し、ウラス・ヨルドが変貌したジムクベルトはせいぜい5メートルほどに思えた。
とはいえ、これから巨大化する可能性も否定できない。
そうなると不用意に近づけば踏み潰されてしまう可能性がある。
今はこの場に留まって様子を見るべきだろう。
ならばハンスが無闇に突っ込んでいかないよう、ある程度情報を提供しておく必要がある。
試しに鑑定眼でウラス・ヨルドを覗いてみると、ハーフダルムの時と同じく、ステータスがすべて「?????」で表示されていて基本情報を確認する事ができなかった。
(まじかよ……けど、まだ中身がウラス・ヨルドのうちは何かしら突破口があるはずだ!)
そう思い、ハンスにジムクベルトの事を話す。
「ハンス、あれがジムクベルトと完全に同じ性質を持つかはわからないが……ただ、本来のジムクベルトは神ですら殺せない高次元の存在たる超上位種らしい……」
「は? 何だソレ? そんなのどうやって倒すんだ?」
「さぁな? 俺にもわからん」
自嘲気味に笑ってそう言うと、ハンスが焦った表情となる。
「おいおい、ならどうすんだ?」
「いや、だからわからんって言ってるだろ? ただ……」
「ただ?」
「現時点でのやつはそうじゃない……ウラス・ヨルド自身がそう言ってたじゃないか。自分が中身になって成長させるって。だからあれはまだジムクベルトの姿を模造しただけの存在……のはず」
その言葉を聞いたハンスがニヤリと笑い。
「なるほど、虚仮威しってやつだな? だったら、とりあえず試しにぶった斬ってみるか!」
そう言って2本の短刀を構えて、今にも斬りかかっていきそうになったので、慌てて止めに入る。
「待て!! 早まるな!!」
「あ? なんでだ? 何か策があるのか?」
「いや、それはないが……今はまだ無闇に近づくべきじゃ」
そう言ったところでウラス・ヨルドが体の動作確認をするように手足を軽く動かし、首を左右に振る。
そして興奮気味に叫んだ。
「ようやく体が馴染んできたぞ? 結構!! 実に結構だ!! はは!! しかし気分がいいぞ!! これが長年求めてきた神の体か!!」
叫び、そしてこちらへと視線を向けてくる。
「貴様、やはりジムクベルトの姿を知っているのか! どこで見たかは知らないが、まぁいい……貴様の言う通り、この体はジムクベルトの姿はしているが、それは外見だけだ。何せこの地にジムクベルトを降臨させるための器でしかないからな? だから言うなればこの姿はジムクベルト幼体……そうだな、ヤーグベルトといったところか」
「ヤーグベルトだと?」
「あぁ、そうさ! ヤーグベルトだ!! 今はこの地に生まれ落ちたばかりのジムクベルトの器は、これから生け贄を喰らっていき、成長し、そしてヤーグベルトからジムクベルトへと進化して真の降臨の時を迎えるのだ!!」
興奮気味に叫ぶウラス・ヨルド改めヤーグベルトはこちらを指差し、言い放つ。
「喜べ!! お前達が生け贄第1号と2号だ!! ジムクベルト降臨の糧となる事を光栄に思いながら死ぬがいい!! はは!! 結構!! 実に結構だ!!」
自分達を生け贄だと言ったヤーグベルトのその言葉を聞いてハンスがため息をつく。
「くだらねーな?」
「何?」
「カルテルのナンバー2がどんな大層な野望と策謀を抱いているのかと思ったら、何だその程度か」
そう言ってハンスは2本の短刀を重ねてまとめて右手で掴むと、空いた左手を真横に突き出す。
突き出した先の空間が歪み、その中に左手を突っ込んで、そこから2本の試験管を引っ張り出した。
「ジムクベルトだか何だか知らねーが、その程度のくだらねー浅はかな野望、俺が叩き斬ってやるよ!!」
ハンスは引っ張り出した2本の試験管を真上に放り投げ、2本重ねて右手に持っていた短刀を素早く両手で持って構え、こちらに視線を向けてきた。
「カイト!! いくぞ!! あんなやつの思考をいちいち深読みして後手に回るべきじゃない!! 主導権は俺たちが握るんだ!!」
ハンスの言葉で我に返る。
「あぁ、確かにそうだな……おっさんのくせに幼体だとかぬかすやつの行動を過度に警戒しても仕方ないな!! ハンスの言う通りだ!!」
そしてアビリティーユニットを構えレーザーの刃を出し、さらに出力をあげて光の魔法を纏わり付かせシャイニングブレードへと変化させる。
「いくぞハンス!!」
「当然!!」
こちらがシャイニングブレードを構えたと同時、ハンスは落下してきた試験管を短刀でたたき割る。
直後、たたき割られた試験管の中に入っていた液体が刃にこびりつき、属性添付が発動しようとしたところで。
「いかんな? 実にいかん……この地はジムクベルト降臨のための神聖な場所、そんな場所でジムクベルト以外の異能が蔓延るなど言語道断。不敬!! 実に不敬だ!!」
ヤーグベルトがそうつぶやき、そして……
「ジムクベルトの……否、わしの!! ヤーグベルト以外の異能をこの場で禁ずる!!」
そう両手を掲げて叫んだ。
直後、ヤーグベルトの足下から空間全体に強烈な波紋が広がっていく。
「おわ!! 何だ!?」
「っ!?」
その波紋を浴びた直後だった。
ハンスがたたき割った試験管の破片が床に落下し、さらに細かく砕け散る。
だが、ハンスが手にした短刀の刃には魔法は纏わり付いていなかった。
「は?」
「へ?」
その事にハンスは、思わず間抜けな声をあげて自らが手にする2本の短刀を見つめるが、それはハンスだけではない。
自分もまた、光の魔法を纏ったシャイニングブレードが突如消えたアビリティーユニットを見て、呆気に取られていた。
「さっきのは何だ? 何が起った?」
「どうなってる? なんでだ? なんで属性添付がされてない?」
ハンスは再び2本の短刀を重ねてまとめて右手で掴み、空いた左手を真横に突き出すが……
突き出した先に空間の歪みは生じず、何も起きなかった。
「は? なんでだ? 収納魔法が使えない!?」
「何!?」
虚空に何度も左手を振るって焦るハンスを見て、思わずヤーグベルトの方を向く。
すると鑑定眼がまったく発動しなくなっていた。
もしやと思ったところでヤーグベルトが口を開く。
「さきほどのわしの言葉を聞いていなかったか? ヤーグベルト以外の異能をこの場で禁ずると」
「まさか……」
「ここでは貴様達はもう異能は使えないぞ? ここで異能を使えるのは神であるジムクベルト、その肉体を持つわし、ヤーグベルトだけだ!」
ヤーグベルトの言葉を聞いて、慌てて懐からアビリティーチェッカーを取り出しアビリティーユニットに装着、液晶画面からエンブレムを投影させるが。
「おいおい……うそだろ?」
投影されたエンブレムのほとんどに大きな×マークがついており、ロックされており使用できない旨の注意書きが表示されていた。
これはつまり、フェイクシティーでゴブリン、ホブゴブリン、オークと戦った時と同じ状況に陥ったわけだ。
あの時は相手が異能がなくても対処が可能な雑魚のゴブリンどもであったが、今は相手が違う。
鑑定眼でもステータス値が「?????」となる相手でジムクベルトの幼体、ヤーグベルトだ。
ひょっとしてこれは絶体絶命の大ピンチな状況ではないのか?




