ドルクジルヴァニア防衛戦(49)
フェイクシティーにギガントどもが押し寄せていたその頃、ドルクジルヴァニア市内は静寂に包まれていた。
当然だ、何せ住民のほとんどは街の外へと退避し、市内には最低限の警備を行えるだけの戦力しか残っていないのだから。
そんなもぬけの殻同然の状態となったドルクジルヴァニア市内において、唯一多くの人が行き交っている場所があった。
それはギルドユニオン総本部の目と鼻の先にあるドルクジルヴァニア市庁だ。
フェイクシティーにほとんどのギルドが進出してからはギルドユニオン総本部は一時的に閉鎖されているため、現在はドルクジルヴァニア市庁が実質的なユニオン総本部となっている。
そのため、普段以上にドルクジルヴァニア市庁では人の往来が活発になっていた。
そんな慌ただしいドルクジルヴァニア市庁の中にあって、しかしドルクジルヴァニア市長であり、ギルドユニオンのトップでもあるユニオンギルドマスター、ヨランダ=ギル=ドルクジルヴァニアの執務室はそのような喧騒とは無縁であった。
本来なら、この緊急事態に最も慌ただしく、現場からの報告など情報が飛び交わないといけないはずの場所なのだが、この執務室は普段通り静寂に包まれ、訪れる者もいつも通りの調子で騒ぎ立てるような事はしない。
そんな静かな執務室の中でヨランダは椅子に腰掛けず、窓の前に立って葉巻を加えながら窓の外の景色を眺めている。
夜が訪れ、すでに窓の外は真っ暗であるため、窓はヨランダの姿を鏡のように映していた。
窓に映った自分の姿を見ているのか、それとも静寂に包まれたドルクジルヴァニアの街を眺めているのかはわからないが、どちらにせよヨランダは無言で葉巻をふかせていた。
すると窓に映るヨランダの姿の背後に別の部屋から慌てて出てきた、伸ばした髪を頭の後ろで一括にした眼鏡をかけた30代後半に差し掛かった男が映し出された。
ヨランダは焦った表情の彼を見ると、葉巻を指で挟んで口から外しゆっくりと振り返る。
「なんだ? 何か動きでもあったか?」
そして、そう尋ねると眼鏡をかけた男が焦った表情で報告しようとするが。
「大変です!! しっ……がぁ!?」
直後、眼鏡をかけた男の首元に突如黒い霧が発生し、それは太いロープのようになって男の首を締め付ける。
男はそのロープを掴んで必死に剥がそうとするが首から引き剥がれることはなく、男はその場に倒れてもがき苦しみだす。
そんな男の様子を見てヨランダは舌打ちすると視線を執務室の入り口へと向けた。
「まったく無粋な奴だ。こんな時間にアポなし訪問とは関心せんな? それもカルテルの幹部がたった1人でとは……いい度胸だ。よっぽど死にたいらしい」
そう言って葉巻を口にくわえると、直後執務室の入り口の空間が歪み、そこから1人の男が執務室の中へと入ってきた。
その男は身長が低く、体型は小太りで長い顎髭を生やし、まるで司祭のような法衣を纏っていた。
そしてその顔には豪華な装飾が施された灰色の眼帯が取り付けられている。
そんな特徴的な眼帯を取り付けている連中の事を無干渉地帯で知らない者はいない。
ギルドユニオン、空賊連合、キャプテン・パイレーツ・コミッショナーと並ぶ四大組織、邪神結社カルテルだ。
その中でも豪華な装飾が施された灰色の眼帯を取り付けているのはセフィロトと呼ばれる位を授かったカルテル幹部のセフィラーだけだ。
そして執務室に入り込んできたその男のは10あるセフィロトの中でも第2のセフィラである知恵を有する、カルテルのナンバー2である。
その男の名はウラス・ヨルド。
右手に豪華な装飾が施された司教杖を握ったまま、ウラス・ヨルドはわざとらしく両手を広げて笑顔でヨランダに語りかける。
「そう言ってくれるなヨランダ、古き我が友よ。確かに事前にアポは取らなかったが、そんなものは些細な事だ。そうだろ? 確かに昔と違ってわしらは立場も役職も大きく変わった……貴様はユニオンのトップに、わしは知恵のセフィラを有しカルテルのナンバー2に。くっく……お互い出世して嬉しい限りだ!! 素晴らしい!! 実に結構だ!! そう思わんか?」
「たわけ、裏切り者が。俺とお前を同格で語るな」
ヨランダは忌々しそうな表情で心底嫌そうに吐き捨てるが、ウラス・ヨルドは逆に愉快だと言わんばかりに肩を震わせて笑う。
「裏切り者? おいおい、そんな冗談言ってくれるな、わしがいつ何を裏切ったというんだ?」
「こいつ……ギルドを裏切っておいてよくもぬけぬけと」
「あぁ……まぁ、そう捉えてしまうのも無理はないか、古き我が友よ。しかし裏切り者というレッテルは心外だな? そもそも、わしは最初からカルテルに忠誠を誓っていた信徒だよ。だからユニオンに心の底から属したという事は一度もない。ユニオンに潜入したのはユニオンでなければ入手できない情報とアイテムが欲しかったから。ただそれだけだ」
「下劣なスパイめ……だから欲しいものが手に入ったからと用済みになったギルドの仲間を殺したのか? 恋人だった女まで手にかけて」
ヨランダはそう言ってウラス・ヨルドを睨むが、しかしウラス・ヨルドは愉快そうに笑うと。
「恋人だと思っていたのは向こうだけだろ? こちらは必要な情報とアイテムを入手するためだけの駒としか思ってなかったよ。そうそう、あいつが最後にわしに見せた顔は滑稽だったな? 裏切られたと知った時のあの絶望感に満ちた表情……今でも思い出すと笑いがとまらなくなる!! 滑稽!! 実に滑稽だ!!」
そう言って腹を抱えて笑い出したウラス・ヨルドを見てヨランダは葉巻を口から外しため息をつくと、誰もが凍り付いてしまうほどの殺気を放ってウラス・ヨルドを睨み付ける。
「外道め。それ以上言ってみろ……殺すぞ。ただ殺すだけじゃねー、この世に生まれてきた事を後悔するほどの苦痛と屈辱と侮辱を与えてじっくり殺していってやる」
そんなヨランダを見て、ウラス・ヨルドは何かに納得したように何度か頷くと。
「あぁ……そうか、そうだったな古き我が友よ。貴様はあの女を慕っていたのだったな? だったら尚更わしが憎かろう。友であったわしに女を奪われ、そして殺されたんだからな? そりゃこの手で殺してやりたいと思うのも無理はない。貴様は今はらわた中が煮えくりかえっているのだろうな? あぁ、結構!! 実に結構だ!! ははは!! いいぞ古き我が友よ! もっとその表情を見せてくれ!!」
そう叫んで何かに酔いしれたような表情になる。
ヨランダはそんなウラス・ヨルドを見て、殺気を放ち続けながらも表情は呆れたといわんばかりのものとなって再び葉巻を口にくわえる。
「ふん、随分古くさい話を持ち出しやがるわ、この裏切り者め。どうせあの時手にした情報とアイテムで持ってしてもカルテルは何も変わらなかったんだろ? せいぜいが貴様の地位を押しあげた程度だ。カルテルの崇高な目的とやらが達成される事はない」
そう言って鼻で笑うとウラス・ヨルドはやれやれといったジェスチャーで首を振る。
「わかってないな古き我が友よ。カルテルの目的はたった一世代で達成できるようなものではない。その目的を果たすために何百年、何千年かかるかわからない……そういったものなのだよ。だから何世代にもわたって目的を引き継ぐ。自分達の代では終わらないから次の世代へ、そのまた次の世代へとバトンを引き継いでいくのだ。わしらがやっているのは目的達成のための前段階の準備のそのまた準備のその前段階の事前準備の下調べ……そんなところだ。だからわしらの代で何か目に見えた成果を手にする事はできないだろうな? それほどまでに数え切れない多くの工程を、気が遠くなるほどの長い年月と世代をかけないと達成できないのだよ、カルテルの目的はな。だから、道半ばの今の状態でカルテルの総評をされても、それはズレてるってもんだろ?」
そう言ってニヤリと笑うウラス・ヨルドを見てヨランダはため息をついた。
「そんな生きてるうちに過程の段階しか楽しめない壮大な計画に嬉々として取り組むやつの気がしれんな? それの何が楽しんだ? 自分じゃ今やってる事の成果を確認できないんだぞ? それに何千年、何世代かかっても結局失敗するかもしれない、すべてが無駄だったとなるかもしれないのに? そんな計画に一生を捧げるなんてどうかしてるな」
ヨランダの言葉にウラス・ヨルドはやれやれと首を振る。
「それをどう思うかは本人の自由だろ? 信仰の自由は強権国家や独裁国家でもない限り認めるべきだと思うがね?」
「邪教徒がぬけぬけと……」
忌々しそうに言うヨランダを見てウラス・ヨルドは満足そうに頷くと。
「貴様もわしらの目的が達成され、邪神が復活した暁にはわしらが正しかったと理解するだろう。まぁ、今の代では達成できんだろうからこの目で見る事はできんだろうがな」
そう言ってニヤリと笑う。
「しかし、今回の一件でいくつかの行程と準備を数段階飛び越す事ができた……もしかしたら何世代か、何百年かは短縮できたかもな?」
ヨランダはその言葉に目を細める。
「ギガントか……お前らはあのバケモノどもを使って一体何をやらかすつもりだ?」
「それを素直に教えてやると思うか? 古き我が友よ」
「まぁ、言うはずはないわな?」
ふん、と鼻で笑いヨランダはくわえていた葉巻を指で挟み口から外す。
そして葉巻を挟んでいない方の手を真横に突き出すと、それを合図として執務室の至るところから今まで身を潜めていた黒装束の武装集団が飛び出し、一気にその姿を現す。
あっという間にウラス・ヨルドはその武装集団に取り囲まれてしまった。
まったく隙がない動きで自身を取り囲んだ彼らを見てウラス・ヨルドが鼻で笑う。
「古き我が友よ、これが貴様の懐刀か?」
「あぁ、そうだとも……S級ギルド<アサシン>、お前がいた頃にはなかったギルドだな」
「S級ギルドね……確かにユニオンのトップランカーギルドにはS級ランクの称号が与えられるが、近年はS級ギルドの存在は表だって公表されてなかったな……不在ってわけじゃないだろうから探りを入れたりもしたが足取りは掴めなかった……だから今はS級ランクに達するギルドはいないのだとばかり思っていたが……なるほど、こりゃ見つからないわけだ。何せこれじゃ暗殺集団じゃないか、ひひ! 最上位のS級ランクギルドというよりはユニオン暗部組織って感じだな? 一体どれだけ汚れ仕事をやらせてきた?」
楽しそうに語るウラス・ヨルドを見てヨランダは無表情で真横に突き出した手を下ろす。
それを合図としてウラス・ヨルドを取り囲んだS級ギルド<アサシン>の面々が一斉に腰から禍々しい輝きを放つ剣を引き抜いた。
その剣を見てウラス・ヨルドはわざとらしく怯えたジャスチャーをしてみせる。
「おぉ! 怖い!! 実に怖い! まさか呪いの剣を装備しているなんて!! こんなのをまともに相手していたら命がいくつあっても足りない!! 実に足りない!!」
そして芝居がかった動きでその場に片膝をつき、右手に握った豪華な装飾が施された司教杖を頭上に掲げる。
すると司教杖の先が眩しく光り輝き、部屋全体を眩しく照らした。
「っ!! こいつめ!! やれ!!」
ヨランダはS級ギルド<アサシン>の面々に攻撃を指示し、即座にS級ギルド<アサシン>の面々がウラス・ヨルドを斬りつける。
だが、一瞬にしてウラス・ヨルドはその場から姿を消した。
「そこか!!」
ヨランダが執務室の隅っこに目を向けると、そこにはウラス・ヨルドが司教杖をこちらに構えて立っていた。
そして、司教杖を握っていない手には豪華な装飾が施された金属製のキューブが握られていた。
それを見てヨランダが思わず舌打ちをする。
「お前、最初からそれが目的だったのか!」
「あぁ、そうだとも。スロル山の山頂に存在する古代の遺跡、その最深部に入るためのキーアイテム……わしが欲しかったのはこれだ!! ひひ!! ギガントどもをドルクジルヴァニアに進撃させれば、ユニオンは必ず総出でこれを迎え撃つ! そうすればここはガラ空き、大した抵抗を受ける事なくこれが手に入るってわけだ!! ひひ!! 素晴らしい!! 実に素晴らしい!!」
「そんな事のためにギガントどもを世に解き放ったのか、カルト集団め!」
「大事な事さ! このキーアイテムのおかげでスロル山の古代の遺跡の最深部に入る事ができる、そうすればカルテルは目的達成に大きく前進する!! 何世代か、何百年かはどれだけ短縮できるかわかったものではないぞ!! ひひ!! 結構!! 実に結構だ!!」
ウラス・ヨルドは両手を広げて大声で叫び終えると豪華な装飾が施された金属製のキューブを懐にしまい、そしてそのまま眼帯に手をかけた。
「さて、用事も済んだしもうここに用はない。久方ぶりに再会した古い友人ともう少し楽しく昔話をしたい気持ちもあるが、それはまたの機会にとっておこう……それじゃ、今宵はここらで失礼するとしよう」
ヨランダにS級ギルド<アサシン>の面々はウラス・ヨルドが眼帯を外し、何かしらの特殊能力を発動するのでは? と警戒するが、すぐにそれがブラフであると気付く。
何せ次の瞬間にはウラス・ヨルドの姿が消え、執務室から気配もなくなったからだ。
どういった逃走手段を使ったかはわからないが、逃げる準備が整うまで近づけさせないためのハッタリだったのだ。
ウラス・ヨルドがこの場からいなくなったからなのか、眼鏡をかけた男の首に巻き付いていたロープも消えており、眼鏡をかけた男は咳き込みながらもなんとか落ち着きを取り戻し、ヨランダに指示を仰ぐ。
「ゴホっ……ゴホっ……すみません、油断していました」
「構わん、俺もまさか直接乗り込んでくるとは思わなかったからな」
「それよりも、やつを追いますか?」
「それには及ばん、どうせ今から追いかけたところで捕らえる事はできんだろう。それに焦らずともやつの行き先はわかってるんだ。ならこの状況で無理する必要はない」
ヨランダがそう言うと眼鏡をかけた男は執務室の壁にかけられた無干渉地帯の地図に目を向ける。
「スロル山の古代の遺跡、ですか……となるとそれなりの準備が必要ですね」
「そういう事だ。だが、今は目の前の厄介ごとを片付けないとな」
ヨランダがそう言った直後、執務室の入り口をあげて、ユニオンの職員が慌てて伝令に入ってくる。
「ユニオンギルドマスター!! ギガントどもが街の真正面に!!」
その伝令に執務室内にいた誰もが緊張の面持ちになる。
「いよいよおでましか……で? 数は?」
「確認できる限りでは8体です」
その報告に眼鏡をかけた男が意外そうな顔になる。
「少ないですね……いくら少数精鋭の遊撃隊とはいえ、もう少し多いと思っていましたが」
「まぁ、内容によるだろ? で、そいつらはどういった個体だ?」
ヨランダの質問にユニオンの職員は一瞬困った表情を浮かべた後、こう答えた。
「伝承がそのまま真実とするなら、特徴が一致するのは恐らく……カイザーです」
その言葉に眼鏡をかけた男は一瞬呆気に取られた。
「は? 今なんと?」
「だから、カイザーです……ギガント・カイザー。すべてのギガントの頂点に君臨する個体です」




