海賊団ブラックサムズ(7)
光も届かぬ暗い海の底、人類がすべてを掌握する事が不可能な未知の領域たる深海の世界にそれは君臨している。
島のように巨大な体、多数の角と複数の吸盤がついた触手のような無数にある足を動かし不気味にうごめくその姿。
海上でひとたびそれと出くわせば命の保証はない。
船は壊され、触手によって海の底へ引きずりこまれ、四肢を食いちぎられ、散々もてあそばれた後に丸呑みにされる。
港町や漁村、沿岸部の多くの都市や集落でこのような言い伝えをいくらでも聞く事ができる。
それだけ恐れられているのだ。
その恐れられている存在の名はクラーケン。
巨大な海の魔物である。
「なぁ? クラーケンは好きか?」
フレデリカは海面から飛んできた小さな鍵のようなものを右手でキャッチする。
そして左手に巻いてある鍵穴のような装飾がついたブレスレットにその小さな鍵を近づけた。
するとブレスレットが呼応するように光り輝いた。
フレデリカはそんなブレスレットの鍵穴に小さな鍵を差し込み、捻る。
するとカチっという音がして船全体が一瞬だけ大きく震動した。
ストーンウォールの真下のはるか深い海の底。
そこは岩場だらけの場所であった。
しかし、フレデリカのブレスレットの鍵穴に小さな鍵を差し込みひねるという動作と連動するように海底の岩石が大きく震動しながら動き出す。
それはまるで穴を塞いでいた蓋を開けるかのようであった。
そして海底に岩石によって塞がれていた穴が岩石が動いた事によって姿を現し、その中から巨大な影が恐るべきスピードで飛び出してきた。
その巨大な影の出現に多くの魚が逃げだし道を開ける。
それは一瞬にして海面付近まで上昇し、無数の触手を海上へと、ストーンウォールの真横へと伸ばした。
「な、なんだ!?」
船体が大きく揺れて海面が迫り上がる。
一瞬津波か何かかと思ったが、違った。
海面下から巨大な何かが無数に飛び出してきたのだ。
「なっ……!?」
「あ、あわわわわわわ」
それは巨大な触手であった。
表面には鋭利なトゲが無数についており、裏面には巨大な吸盤がいくつもついている。
見るからにイカかタコの足を連想する触手であった。
「クラーケン……巨大なイカかタコの怪物ってわけか」
そんな海面から現れた巨大な触手を見てドリーはあわあわ言いながらその場にしりもちをついて動けなくなってしまった。
元海賊である以上、クラーケンの恐ろしさは身に染みてわかっているのだろう。
そして、味方のうちはいいが、それが敵となった時の恐ろしさも……
(まずいな、ドリーのやつ腰を抜かして動けなくなってるんじゃ……)
あの触手が攻撃してくる前にドリーの元に向かわないと!そう思ってドリーに声をかける。
「ドリー! 立てるか!? すぐにこっちに来るんだ!!」
しかし、ドリーはこっちに顔を向けるが、青ざめた表情で首を横に振るだけだった。
「ドリー!!」
「か、カイトくん……ごめん、体が動かない」
「っち!」
思わず舌打ちしてドリーの元へと駆け出す。
しかし、それと同時にフレデリカが命じた。
「クラーケン、やれ」
直後、海面から姿を見せていた無数の触手のうちの一本が甲板上にいるドリーを捕まえようと一気に迫ってくる。
「い、いやーーーーー!!」
「クソッタレが!! させるかよ!! エアクラッシャー!!」
目を瞑って叫ぶドリーを触手が捕まえようとしたところで、その触手に強力な風の魔法を放つ。
エアクラッシャーをくらった触手はグチャっと嫌な音を立てて触手の先の部分が木っ端微塵になる。
先が潰れたその触手はすぐさま海面下へと引いていく。
その間にドリーの元まで駆け寄り声をかける。
「ドリー、肩を貸す。とにかく甲板の中程まで移動するぞ! 船の端っこは危険だ」
「う、うん……ありがとう」
ドリーを立ち上がらせて移動しようとするが、フレデリカはその様子を見て鼻で笑う。
「元船乗りが素人の肩を借りるなんて情けないねドリー、とても見てられない……だからこれ以上サミューの子孫として恥をさらす前に死にな!」
フレデリカの言葉に呼応するように海面から姿を見せていた無数の触手が一斉に自分とドリーに向かって迫ってくる。
そのスピードは恐ろしく速かった。
「クソッタレ!! 仮にも自分が乗ってる船を攻撃させるか!?」
思わず叫ぶがフレデリカは鼻で笑う。
「まぁ、あたしにはセーレーンの加護があるから仮にストーンウォールが沈んでも問題ないしね? それにクラーケンはストーンウォールを攻撃してるんじゃなくて甲板上にいるお前らを攻撃してるんだ。だからストーンウォールが沈むような攻撃はしないんだよ」
「クソが!! こんなもん飼い慣らすとかそんなのアリかよ!?」
叫んで目の前に迫る触手を見て舌打ちする。
ドリーを抱きかかえて走ろうかとも一瞬思ったが、どう考えても素早く動けるわけがないし、逃げ切れるとも思えない。
ならば、もう迎え撃つしかないだろう。
「クソッタレ!! 通じてくれよ!?」
硬度を高めた魔術障壁を何重にも展開し、迫る触手に向かって風の魔法を放つ。
「吹き飛べ!! エアストーム!!」
右手を突き出し、巨大な竜巻を迫る触手に向かって放つ。
エアストームはエアクラッシャーよりも強力な風魔法だが、しかし無数に迫る巨大な触手をすべて粉砕する事はできなかった。
いくつかの触手は触手の先の部分が木っ端微塵になったり、海面から姿を見せているほとんどがミンチ状態となったりしたが、1つの触手だけは無傷でこちらに迫ってきた。
「ち!!」
その触手は魔術障壁に迫るとこちらを捕まえようとせず、そのままタックルをくらわせてきた。
「まずっ!!」
咄嗟にドリーを抱き寄せる。
直後、魔術障壁ごと船の外へと突き飛ばされた。
「え? い、いやーーーー!!」
ドリーが叫ぶが何か声をかける余裕はない。
ストーンウォールから突き飛ばされ、一瞬の浮遊感から一点、海面へと落下していく。
「クソッタレが!!」
なんとか浮遊魔法を使って海への落下を防ごうとしたところで、海面下に巨大な影が浮かび上がった。
嫌な予感がするが、直後、その巨大な影は海面上に姿を現す。
不気味な瞳と無数のトゲ。
そして巨大な牙が生えた大きな口が開く。
その口の中も無数のトゲで埋め尽くされていた。
クラーケンの頭部。
それが海面上に姿を現したのだ。
自分とドリーを食い殺すために。
(こいつは!)
無数の触手とともに海面上に現れたクラーケンの頭部、その大きく開いた口へと落下していく中、思考する。
ここで飛行魔法を使って落下を逃れたところで、触手に逃げ道を阻まれるのがオチだ。
さらに、飛行魔法で逃げるとなればクラーケンはすぐに海の中に顔を引っ込めるだろう。
一度海の中に逃げ込まれたら海上から海の中を泳ぎ回るクラーケンの居場所を探し当てるのは至難の技だ。
海の中に潜って戦うという選択肢もあるが、水生生物相手に泳ぎながら戦うのは得策ではない。
致命傷を与えられるとすれば、海面に顔を出している今しかチャンスはないだろう。
それには、ここで飛行魔法を使って落下を抑えるよりも、より口元に近づくほうが無防備な体内に攻撃を加えられる。
(ギリギリまで粘るか!)
大きく開いたクラーケンの口、無数のトゲがひしめく口内が迫る中、意識を集中する。
(まだだ! もっと近づくんだ!)
クラーケンの口内から放たれる異臭が鼻をつんざく中、もう手を伸ばせばクラーケンの体に触れられるという距離まで落下したところで右手を掲げる。
「今だ!! くらいやがれバケモノ!! フレイムシュート!!」
掲げた右手の先に高熱量の火球が発生する。
それを力強く、真下へ。
クラーケンの口の中へと投げ放った。
火炎の魔法は恐るべき速度と熱量でもってクラーケンの口内に突入していき、クラーケンの体内で大爆発を起した。
その大爆発によってクラーケンの体全体が大きく振動し、海面に姿をみせていた無数の触手が苦しむようにバシバシと海面を叩く。
そしてクラーケンは悲鳴なのか怒声なのか、どちらともわからない奇声をあげすぐさま海面下へと姿を消す。
「やったか!?」
飛行魔法で海面から少し上昇したところで、海面下に逃げ込む途中の触手の一本に叩きつけられた。
「ぐ!? しまっ!?」
魔術障壁のおかげでなんとか打撃そのもののダメージは免れたものの、叩きつけられた勢いのままストーンウォールから少し離れた中型帆船まで一気に吹き飛ばされる。
「うおぉ!?」
「きゃーー!!」
中型帆船のマストに激突し、そのまま真下の帆布へと落下する。
そのおかげか、飛ばされてきた勢いが殺され、怪我なく甲板上へと下りる事ができた。
とはいえ、落下した事に代わりはないのだが……
「いたた……くそ、別の船に殴り飛ばされたのか? ドリー、平気か?」
周囲を確認しながら抱き寄せていたドリーを離す。
ドリーは目をくるくるさせながらも、大丈夫と頷いた後、すぐに我に返る。
「はっ!! しまった!! カイトくんから熱い抱擁をもらってたのにその記憶がまったくない!? なんて事!!」
そう言って頭を抱えだした。
そんなドリーを見て苦笑してしまうが、この感じだと問題はなさそうだな。
「しかし、この船……無人なのか? 海賊が船内から出てくる気配がないぞ? それに……」
なんだろう?
先程からずっとギギギギと嫌な音が船体から響いてる気がする。
「なんだか嫌な予感がするな? この船もしかして」
その時だった。ギシギシと音を立てて、さきほどぶつかったマストがゆっくりと倒れだしたのだ。
「は?」
思わずそんなマヌケな声をあげてしまったが、マストはこちらへは倒れてこず、右舷に倒れこんだ。
その衝撃で船体が大きく揺れる。
そして折れて倒れたマストの帆布が海面に浸かって、船体が大きく右舷側に傾いた。
「おっと!?」
「か、カイトくん!! あのマスト、はやく海に落とした方がいいかも!! このままじゃ転覆する!!」
「あ、あぁそうだな」
ドリーの指摘を受けて、慌ててエアハンマーを放って倒れたマストを海面へと落とす。
すると船体の傾きは元に戻った。
しかし……
「な、なぁ……なんだがこの船安定してなくないか?」
「まぁ、マストの1本がなくなったしね……バランスが崩れてるのかも」
「それ以前に甲板もミシミシ言ってないか?」
「老朽化か腐敗しだしてるのかもね」
「というよりこの船誰も乗ってなくないか? 俺たちが甲板上に落下したのに誰も出てこないし、そもそも人の気配がないぞ?」
「うーん、もしかしたら用廃船かも」
ドリーが周囲を見回し、可愛らしく顎に指を当てながらそう言った。
用廃船、つまりは用途廃止となった船だ。
現代の船ならば、用廃船はスクラップとして解体され資源となる。
軍艦であれば標的艦として、兵器の性能チェックの実験台としての的として沈められる事もある。
ではこの異世界では用廃船はどういった末路を辿るのだろうか?
木製の船であっても解体して建築物の木材に再利用できるかもしれない。
しかし肝心の木材が腐敗している場合はどうなのだろうか?
暖炉の薪にでもされるのだろうか?
それとも、やはり標的艦として大砲の的になって沈められるのだろうか?
何にせよ、そんな船に乗っていてもいいことは何もない。
用廃船という事は、この船を動かしてこの海域から逃走する事もできないだろうからだ。
何より、無人船という事は乗船している仲間の事を気遣う必要がない。
海賊達は遠慮なくこの船を攻撃できるのだ。
厄介な場所に飛ばされてしまったなとため息をつきたくなった。
「さてと……どうする? 海賊ども、一斉にこの船に砲撃を仕掛けてくるか? それとも……あの一撃でクラーケンを倒せたとも思えない……クラーケンが仕掛けてくるか?」
そう言うとドリーが顔面蒼白となってガクガクと震え出す。
「え? カイトくん、クラーケンまだ生きてるの? ヤバイよそれ……あれは本当にヤバイよ」
「いやドリー、クラーケンを仕留めれたかどうかについてはドリーのほうが詳しいんじゃないか? てかそれなりのダメージは与えられたはずだけど、仕留めるまではいってないと思うな」
「あわわわわ……だったら余計にヤバイよ! 怒ったクラーケンって本当にヤバイから!」
ドリーがそう言った直後、何かが船底にぶつかったような音がして衝撃で船体が大きく揺れた。
「きゃ!?」
「な、なんだ!?」
思わず転けそうになるが、何とか耐えて周囲を見回す。
周囲の海賊船が砲撃を放ってきたわけではない、となれば……
「クラーケン……船底に張り付きやがったか!?」
「え、えぇ!? や、ヤバイよカイトくん!! わ!?」
ドリーがガクガクと震えだしたと同時に船体が大きく傾き、無数の触手が右舷側に張り付きながら甲板へと登ってきた。
ドリーはそれを見て悲鳴をあげるが、こうなった以上は腹をくくるしかない。
「クソッタレめ、上等だ!! 退治してやるぜクラーケン!!」
叫んでレーザーブレードを構える。
クラーケンとの戦闘が幕を開けた。




