ヴィーゼント・カーニバル(5)
コーサス要塞郡を構成する小砦のひとつ、そこには現在5頭ほどのギガバイソンが押しよせて、代わる代わる城砦に突撃を繰り返していた。
ギガバイソンたちが城砦に頭突きをするたびに砦全体が小さく揺れるが、小砦の中にいる誰も特に気にしてはいない。
せいぜい、コップ一杯ギリギリまで注いだ紅茶が少しこぼれたな程度の感想だ。
なんなら「今年のやつらは去年より威勢がいいな!」とまで言っている。
しかし、それはこのヴィーゼント・カーニバルに何度も参加している経験者だからこそできる反応だ。
ヴィーゼント・カーニバルに初めて参加した者はこうはいかない。
特に戦闘能力がほぼなきに等しい者だと尚のことだ。
「ひぃい!! ちょ、これ本当に大丈夫なの? すごく揺れてるんだけど!?」
そうビビりながら叫んでいるのはヨハンだ。
彼は今お腹に命綱のロープを巻いて歩廊の狭間胸壁に引っかけて、外壁を降りる懸垂下降を行っている。
何故こんな事を行っているかというと、城壁の補修をするためだ。
城壁はギガバイソンの群れが何度もぶつかってきて頭突きをするため、場所によっては亀裂が生じる事がある。
それは放っておけば、やがて城壁の破損や崩壊につながるため、すぐに補強作業や補修を行わなければならない。
とはいえ、日中はギガバイソンの群れが常に押し寄せるため応急処置しかできないのだが、それをするのとしないのでは夜間の作業量が決定的に違う。
いくら夜間にギガバイソンの群れがやってこないから安全に地上で作業できるといっても、日中傷んだ箇所を一から補修していたのでは一晩中作業することになり、ろくに休む事ができない。
人数が多いギルドなら夜間にじっくり時間をかけて補修作業を行う夜勤と日中に警戒と誘導を行う日勤といった具合に割り当てができるだろうが、少人数のギルドはそうもいかない。
なので、危険であってもその都度補修するしかないのだ。
しかし、コーサス要塞郡で一番大きいメインの建物である大砦ならいざ知らず、小砦はその名の通り、規模が小さい。
そのため、補修をどれだけ行ってもギガバイソンの群れの波状攻撃には追いつけないのだ。
だから人数が少ないギルドは手が回らなくなると隣の小砦やギガバイソンの群れが押し寄せていない暇な小砦に援軍を要請する。
こうして互いに手を取り合う事によって難局を凌ぐのだ。
逆に他のギルドや小砦からの援軍要請に応じなかった場合、自分たちに割り振られた小砦が猛攻を受けて手が回らなくなったとしてもヘルプ要請にどこも応じてくれない可能性もある。
故に応援要請にはできるだけ応じなければならないのだ。
というより、基本的に忙しいのはメインの大砦と、そこを中心とした周辺の小砦であり、そこから離れれば離れるほど基本的に暇になっていく。
南西、北西の最果ての小砦となればほぼギガバイソンの群れがやってこない超ド暇エリアだ。
そんな小砦を割り振られた暇を持て余しているギルドが応援要請に応じないなど、そもそもありえない話なのだ。
そういうわけで、最も暇な南西最果ての小砦を割り振られた自分達ギルド<ジャパニーズ・トラベラーズ>は現在、応援要請を受けてギガバイソンの群れが押し寄せている小砦にやってきているのだ。
とはいえ全員が応援に駆けつけているわけではない。
リーナとエマには留守番をしてもらっており、TD-66には小砦の警備、リエルには警備コントロール室で小砦周囲の警戒と情報収集を任せてある。
そんなわけで今応援に来ているのは自分とフミコ、ケティー、ヨハン、そして<明星の光>のフミカの5人だ。
そして5人の中で自分とヨハンの男2人が懸垂下降で外壁を亀裂が生じた箇所まで降りて補修作業を行っているのだが、ヨハンはどうにもビビりまくっていた。
まぁ、無理もないだろう。
何せ、ロープで降りていってるすぐ横でギガバイソンたちが普通に勢いよく突っ込んできて城壁に頭突きをくらわせているのだ、そりゃ常人なら誰だってビビる。
いくら懸垂下降している我が身にギガバイソンが突っ込んでこないとわかっていてもだ。
歩廊では元貴族が杖を持って魔法を発動していた。
この魔法によってギガバイソンは自然と亀裂の箇所まで懸垂下降してきた人間を避けるのだという。
おかげでギガバイソンたちが城壁へと頭突きを行う横で補修作業ができるわけだが、そんな便利な魔法があるならわざわざロープで懸垂下降などしなくても普通に小砦の外に出て、立脚を置くなりして足場を固めて作業したほうがいいのでは?と思うが、どうにもそうすると魔法の効果は発揮しないらしい。
なんとも使い勝手がいいのか悪いのかわからない魔法だ。
とにかく、魔法によるサポートもあって城壁の補修作業は順調に進んだ。
最初はすぐ横で突撃しまくるギガバイソンの群れやその度に振動する城壁にビビりまくっていたヨハンも1時間もすれば普通に気にせず作業が行えるようになっていた。
このあたりは異能は失えど、さすがは元冒険者サークルの代表という事なのだろう。
ちなみに自分は錬金術を使ってすぐ作業が終わってしまったが、さすがに他ギルドの元貴族の前でほいほいすべきじゃなかっただろうか?
歩廊で魔法を発動していた元貴族がビックリした顔でこちらを見ていた。
うん、次からは自重しよう。
そんなわけでヘルプの補修作業が終わったので自分達のホームである南西最果ての小砦に戻ろうとした時だった。
「すみません、誰か地上に出て戦闘を行える人いますか!?」
この小砦を担当しているギルドの人間が大慌てで砦の中から歩廊に出てきて叫んだ。
突然の事に歩廊にいた誰もそれぞれ顔を見合わせる。
「どうした? 何があった?」
歩廊にいた他のギルドの者が問うと、大慌てで出てきたこの小砦を担当しているギルドの人間は血相を変えて叫ぶ。
「隣の砦に群がっていたギガバイソンたちの一部が砦を離れて、そのまま草原に向かったようです! 放っておけば人里まで突破される危険が!」
「な!? 脱線だと!?」
歩廊にいた誰もが驚いた顔になった。
ヴィーゼント・カーニバル名物の「脱線」、これが発生すれば即座に地上に出てギガバイソンたちを止め、城壁まで誘導しなければならない。
とはいえ、これはかなり危険な行為であり、場合によってはギガバイソンの群れを誘導しきれず彼らに殺される事もあるのだとか……
なので「脱線」の対処は闘牛士ギルドのメンバーか、腕に自信のある者でない限り申し出る者はいない。
そして、この小砦にはそのような者はいなかったようだ。
誰もがお互いに顔を見やって。
「どうするよ?」
「俺は自信ないぜ?」
「お前が行ったらどうだ?」
「無茶言うな! そう言うお前が行けよ」
「あたしは後方支援の魔法しか使えない元貴族なのですから無理ですわよ?」
「じ、持病の癪が……」
などと言い合う。
そんな光景を見て呆れてしまった。
「はぁ……こいつらまじかよ? こんなんでよく定例クエストに参加しようとしたな?」
ため息とともにそう言うとフミカが。
「仕方ないでしょ。この砦に集まったギルドは皆Cランクで、今回の参加が初めてか2回目ってとこがほとんど。だからこんな暇なとこに割り振られてる。そんな経験の浅い集団の集まってる場所で脱線なんて発生すればこうなるのは必然」
頷きながら言った。
要するに、この場には脱線に対処した経験がある者がいないのだから冷静になれるわけがないという事だ。
うん、普通こういう時のために的確なアドバイスができるベテランが各砦に配備されてるんじゃないの?
どうなってるの定例クエスト主催者!抗議のクレームいれてやろうかな?
「なぁ、これって他の小砦にいる脱線対処経験者に応援要請出したほうがいいんじゃないか?」
「かもね……でもあの慌て具合だときっと応援要請は脱線対処経験者が多くいそうな経験豊富なギルドが担当する小砦方面からきたんだと思う」
「それってまさか……」
フミカの言葉で頭が痛くなった。
つまりはこの小砦から応援要請をさらに出すとなれば、より一層経験者がいない方面。
自分達の担当する南西の最果て方面となる。
つまりはこれ以上先への応援は期待できない。
となれば、応援要請をしてきた小砦のメンバーとこの小砦にいるメンバーで対処しなければ間に合わなくなる可能性があるわけだ。
「さ、どうする? <ジャパニーズ・トラベラーズ>のマスター?」
フミカがニヤニヤしながら楽しそうに聞いてきた。
「どうするって……フミカは経験あるんだよな? 脱線の対処」
「まぁね」
「だったらお願いできないか?」
「私は今回のヴィーゼント・カーニバルには<ジャパニーズ・トラベラーズ>のサポートって形で参加してるんだけど?」
フミカはニヤニヤした表情を崩さずそう言ってくる。
そんなフミカを見ていると思わずため息がでてしまった。
「わかったよ……俺が行けばいいんだろ?」
「ははは! よく言った! まぁ心配しないで? ちゃんとアドバイザーとして私もついていってあげるから!」
「あのなぁ……」
そう言うとフミカが笑いながら肩をぽんぽん叩いてきた。
やれやれ……この言い方だとついてきても何もしないだろうなこの子……
「はぁ……まぁ、そんじゃ行きますか」
ため息をついてそう言うとフミコが慌てて隣にやってくる。
「待ってかい君! あたしも行くよ!! いいよねフミカ?」
フミコがそう言うとフミカも笑顔で頷き。
「うん、一緒に行こう!」
とフミコの手を取って砦の中へと向かっていった。
うむ、フミコには頑張ってフミカをちゃんと働かせるよう仕向けていただきたい。
2人の後ろ姿を見てそう思い、ケティーとヨハンに声をかける。
「それじゃ俺たちは脱線の対処で外にでるけど、ケティーとヨハンは先に最果ての小砦に戻っておいてくれ」
しかしケティーは不服そうに頬を膨らませた。
「え? どうして? 私達ここに残って川畑くんたちの帰りを待っといたほうがよくない?」
そう言うケティーに説明する。
「ここにいてもまた別の応援要請が来る可能性があるだろ?」
「まぁ、確かに……」
「そしたら場合によってはヨハンが駆り出される可能性もある」
「僕の事ならそこまで心配しなくても……」
ヨハンはそう言うが、今日の仕事具合を指摘する。
「外壁の修復作業に慣れるのにどれだけかかったんだよ?」
「う……結構、それなりにはやく慣れたと思うけど?」
ヨハンは目を泳がせながら言うが、別に攻めているわけではない。
何せ心配しているのはそこではないのだから。
「まぁ、対処できる範囲ならいいんだけど。何にしてもヨハンが応援に駆り出された場合、ケティーが1人でここに残る事になる。この砦にいるギルドの面々を信じてないわけじゃないけど正直、防犯面からもあまりそれをしてほしくない」
女の子1人をここに残すケースを作りたくないとそう正直に告げた。
するとケティーが。
「なるほど! 川畑くんは私が1人この砦残って皆を待ってる間に欲情した男共に襲われないか心配してるのね? まぁ、他のギルドの女の人もいっぱいいるから心配ないけど、馬鹿な男グループに物陰に連れ込まれる危険性はゼロじゃないもんね? やーん、川畑くんってば心配性! でもそれだけ大切に思われてるってことだよね? うれしー! 私の貞操を心配してくれるなんて、もっとはっきりと好きな女の子には安全なところにいてほしい、自分以外の男に触れてほしくないって言えばいいのに! もー! それとも待ってる間、ヨハンと私を2人きりにさせたくないの? 嫉妬心なのね? 大丈夫! 心配しなくても私は川畑くん一筋だから川畑くんを待ってる間、長時間ヨハンと2人きりになってもヨハンに心動かされる事はないよ? 浮気したりしないから安心して? NTRされたりしないから!」
と両手を頬につけて身をクネクネさせながら言い出し最後にはサムズアップしてきた。
お、おう……いや、確かにケティー1人にしてケティーの身に何かあったらどうしようって心配はしてるんですけどね?
でもヨハンと2人きり云々の事は特に考えてなかったですね、はい。
というか同じギルドメンバーなら仕事内容次第じゃ2人きりになってもらう事もあるだろうに何言ってんだ?
てか付き合ってもないのにNTRも何もないだろ……
そして何もしてないのに勝手に目の前でヨハンをふってやるな!何だかいたたまれない気持ちになるだろ!
案の定ヨハンが何とも言えない顔になっていた。
うん、どうすんだこれ?
「何を言ってるかさっぱりだが、とにかく2人は先に戻っておいてくれ」
そう言うとケティーが笑顔でわかったと頷き、ヨハンも頷いた。
しかしヨハンはどこか苦笑いをしている。
うん、この後のギルド内の人間関係どうすりゃいいんだ?
ケティーとヨハンが地下道のトロッコに向かったのを見送って、フミコとフミカの元に向かうとフミコにジト目で睨まれた。
「な、なんだよ?」
「かい君、ケティーとなんだか盛り上がってたね?」
「2人に先に戻っててくれって言ってただけだろ?」
「その割にはケティーのテンションがおかしかったね?」
「ヨハンもちゃんと何かしらのリアクションしてただろ?」
「ケティーはきっとヨハンと帰り道にくっつくよ?」
「いや、ヨハンは何もしてないのに可哀想なくらいに勝手にフラれてたぞ?」
「……何の話してたの?」
「2人に先に戻っててくれって言ってただけだが?」
「じゃあ何故ヨハンが勝手にフラれるの?」
「……さぁ?」
そう言うとフミカがププっと言って両手で口を押えた。
うん、どう見ても必死で笑い堪えてはるやん。
「フミカさん……せめて笑い堪えるなら口元抑えるだけじゃなくて後ろ向いたほうがいいんじゃない?」
「いや、ごめん。なんだかうちのギルドマスターのハンスにマリとメリーのやり取りを見てるみたいでおかしくてさ」
そう言うとフミカは堪えきれなくなったのか声に出して笑い出した。
そんなフミカを見て自分もフミコも言葉をなくしてしまう。
フミカはそんなこちらの様子に気付いて。
「あはは、そう言えば2人ともうちのギルドの事知らなかったね? なのに勝手に身内ネタ思い出しちゃってごめん」
そう謝ってきた。
いや、まぁそれはいいんだけど……でも少し気になってたので聞いてみる。
「そのフミカのギルドメンバーのやり取りってどんなのなんだ?」
「あー、うちのギルドも5人と少人数だけどギルドマスターのハンスを巡って元貴族のマリとヴァンパイアのメリーがよく喧嘩してて、やり取りも各々の反応も君たちと似たような感じだね」
フミカはそう言ってまた思いだしたように笑い出す。
うむ、どうやらそのハンスという男は自分と似たような境遇らしい。
しかしフミカは。
「まぁ、うちのギルドの話は追々ね? でもハンスよりもカイトのほうがややこしいかもよ?」
そんな事を言ってきた。
「は? なんでだよ?」
「だって、ハンスより女の子に囲まれてるじゃん」
「?」
思わず首を傾げるとフミカは苦笑して「まぁ、こういうところもそっくりか」と小さく呟いた。
「さ、そんじゃ元気に脱線対処に行きますか!」
「え? いやフミカ? さっきのどういう事?」
「フミコいこ! 外に出たら周囲に気を配る事! 脱線現場に行く前にこの砦にいるギガバイソンたちを脱線させちゃうかもしれないから」
「な、なるほど」
「聞いてます? もしもーし! フミカさーん?」
こちらの呼びかけを無視してフミカはフミコの手を引いて小砦の入り口へ笑いながら走って行った。
ギガバイソンたちが群がって突撃を繰り返し、頭突きをくらわせている小砦の城壁とは反対方面の城壁に設置されている入り口、そこから密かに外へと出る。
そして、反対方面にいるギガバイソンたちに気付かれないよう、刺激しないように気を配りながら馬を走らせる。
小砦から脱線現場へ向かう馬は2頭。
1頭には自分が乗り、もう1頭にはフミカとフミコが乗っていた。
フミコは自分と一緒に馬に乗りたかったようだが、色々と誘導に使う道具を自分が運ばないといけないのでフミコにはフミカと乗ってもらう事にした。
さて、現場へと向かって馬を走らせる中、自分の背後に乗せた積み荷をちらっと見て思う。
本当にこんなもので誘導などできるんだろうか?と……
不安はあるが、経験者のフミカが言うのだ。
今は信じよう。
手綱を握りしめながらそう思うのだった。




