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「でっか…」
星宮家とかかれた表札の前に立ってもそんな言葉しか出てこなかった。公園から歩いて約3分。緑の生垣に囲まれた白亜の洋館は周りの家と見比べても圧倒的な存在感を放っていた。
「おねえちゃん、どうしたの?」
「んー、何でもないよ。ここのチャイムを鳴らせばいいのかな?」
るりちゃんの洋服はなかなか上等なものに見える気がしていたが、いいお家の子だったらしい。そのへんのセール品ばかり買ってきた私とは違うのだろう。なんだか面倒くさくなってきた。
「るりっ!!」
その時あたりに大きな声が響いた。大きな声を出すのはやめてほしい。こんな道端で大声を出すなんて非常識だ。チャイムを押そうとしていた指を戻し、そちらのほうへ顔を向ける。
そこには天使と見間違うほど可愛らしいるりちゃんに似た顔立ちの男性がいた。ちっ、こやつもしやイケメンと呼ばれる類のものか。大きな声を出すイケメンにはあまりいい思いがない。学校などではイケメンと呼ばれるのは大抵リア充で、スクールカースト上位の者が多い。そしてそういう者は時折ひっそりと過ごしている目立ちたくない私のような生徒に対しわざわざ大きな声で話しかけてくるのだ。別に私みたいな奴に話しかけなくても周りから十分慕われているのに。そもそも話もテンションも合わないだろ。
「おにいちゃん!」
それまでおとなしく背負われていたるりちゃんがパタパタと足を動かす。まあ、イケメン(仮)といえども相手は心配性のシスコン疑惑のあるやつだ。そこまで身構える必要はないかもしれない。年齢は私より上だろうか。男の人にしては少し長めのきらきらした高級素麺のような白い髪と、なにより夜に浮かぶ月の色をした瞳が印象的だ。
「瑠璃…。良かった、どこかで迷子になっているんじゃないかと心配したよ。」
「もー!すぐそこのいつもの公園にいただけだもん。」
息を切らせて走ってきた男の人がるりちゃんの顔へ手を伸ばす。これは私は邪魔なやつではないだろうか。居心地が悪い。家に帰りたい——いや、家は行方不明なんだった。逃げ場がない。そんなことを考えながら極力気配を消していたらいつの間にか言い争いがヒートアップしていた。
「ちゃんとママはいいよっていったもん!るりならそこの公園に一人でもいけるって、いってたもん。」
「外には危ないものがたくさんあるんだよ。瑠璃はまだ小さいんだから、大人の人に頼っていいんだよ。それに一人で公園に行っても大した用もないでしょう。」
「…おにいちゃんなんて、もう知らないっ!」
そう言うとるりちゃんは私の肩に顔を伏せてしまった。気まずい。顔を下に向けて絶対に目が合わないようにする。るりちゃんが一人で公園に行ったのはこのるりちゃん兄と仲直りをするために、本人にとっては意味のある大事なことだったのだろう。それを相手に大したことないと言われてしまっては辛いだろう。仕方なく口を開こうとしたとき、星宮家の玄関が勢いよく開かれる。
「あら、やっぱり帰ってきてた。二人ともおかえりなさい。そちらの方は?」
美女がいた。星宮家の顔面偏差値は皆こんなに高いのだろうか。遺伝すげえ。緩やかに弧をかいた唇、穏やかな瞳は見ていて安心感がある。白い肌に黒い髪がよく映えている。るりちゃんが大きくなったらこんな風になるのだろうか。るりちゃんが天使のような愛らしさならこの人はさながら女神のような美しさだ。いや、さっきまでの雰囲気を払拭してくれたこの人はまさしく女神だ。
「初めまして、ましろと申します。先程、公園でるりちゃんと少しお話をさせて頂いた者です。るりちゃんが転んで足を怪我してしまったので、ここまで送らせて頂きました。」
「えっ怪我!?」
るりちゃん兄の顔色がさっと悪くなる。元々色白だからか、まるで血が通ってないかのように真っ白だ。
「公園で傷口は洗いましたが、消毒などはまだです。消毒液やガーゼなどはありますか?…怪我と言っても深いものではありません。手当をすぐにすれば問題ないでしょう。」
はじかれたようにるりちゃん兄が家のなかへ入っていく。何やらガタゴトと音が響いているが大丈夫だろうか。
「注意を怠りけがをさせてしまい大変申し訳ありません。」
「いいえ、このぐらいの年であれば少しの怪我くらいよくあることです。謝られる必要はありませんよ。」
そうだろうか。美形の反応を見るとあまりこの子は怪我をしない子なのでは。
「ましろさんですね。わざわざ送ってくださりありがとうございます。よかったら上がっていってください。」
「いえ、本当に送らせていただいただけですので。気になさらないでください。」
お邪魔してたまるか。そのとき女神の後ろにあった黒い物体がのっそりと動いた。あれ置物とかじゃなかったのか。
黒い物体だと思っていた人がこちらへ近づいてくる・・・でかい。そして顔が怖い。近づくにつれ顔が見えるようになったが、明らかに不機嫌そうな顔をしている。黒髪黒目に鍛えているのかガタイの良い体。体育会系の奴も苦手だ。運動の苦手な者にとっては地獄の体育や球技大会のとき、体育会系のやつに言われるのだ。ちゃんとやれ、と。勘違いしないでほしい、ちゃんとやっている。ただこれは下手なだけだ。悪かったな!下手で。運動の得意なものにはわかるまいこの気持ち。
「おい」
黒い人が一言声を発する。威圧感が半端ない。
「おねえちゃんといっしょがいい・・・」
肩に額をぐりぐりしながらるりちゃんが呟く。今の一言でよく伝わるな。というか女神の隣に並んでいるとまるで美女と野獣だ。黒い人の顔の造りはすっきりした印象で悪くないが、いかんせん威圧感がありすぎる。もうちょっとフレンドリーな雰囲気を出してほしい。そこでふと自分の今の状態を考えてみる。美少女と大荷物を抱えたブ、もとい不審者——一発通報モノだ。人のことを言ってられない。早くここから退散せねば。
そのとき、ちっ!!と大きな舌打ちをした黒い人が私の荷物を奪い取る。ひったくりか!
「あの、荷物」
「お前急いでいるのか。」
嘘も否も言わせないという雰囲気がすごい。
「……いいえ、それほど。」
それを聞くとふんと息を吐いて家の中へ入っていく。おい、荷物おいてけ。
「ふふっすみません。あの子もお礼をしたいので上がっていってほしいんです。お急ぎでなければ少し休んでいってください。」
全然そんな風に見えなかったが。ため息をつきたいのを我慢する。
「そうなんですか。それでは少しお邪魔してもいいですか?」
「よかったです。ゆっくりしていってください。」
今日は家具家電を買いにいけそうにないな。さっきのメッセージにはまだ返信もないし、向こうもいそがしいのかもしれない。明日買い物を頼もう。
「ようこそ、星宮家へ」
「…お邪魔します」
そういって靴を脱いで家へあがる。さりげなく足元を確認する。良かった、靴下に穴はあいてなかった。