第四十二話 在りし日の影
「……こ、これで、転送対策は万全、ね。だって、ほら! 予想もつかない事故があっても困るし、刑期は多いに越したことはないワケだし、うん」
シアはしきりに自分の服の裾を引っ張りながら、照れ隠しのように口早にそんな弁解を繰り返した。
「そ、そう、だよな」
いや、本音を言えば、何をどう言い繕っても三百年はやりすぎだと思うのだが、お互いに歯止めが効かなくなっていた、と言うしかない。
「そ、それにしても、我ながらギャザルホルンの効果は恐ろしいわね。これだけ長い時間を過ごしてたのに、魔物一匹来ないなんて……」
熱くなった顔を冷ますように手で顔を煽ぎながら、シアはそんなことを言うが、それは誤解というものだ。
「流石にこれだけの時間一ヶ所にいて、モンスターが全然来ないなんてことはないよ」
「え、でも、実際……」
「いや、それは……」
口にしかけた時だった。
まるでその実例を示すかのようなタイミングで、獣の咆哮が荒野に響き渡る。
同時に、俺たちの目の前に、招かれざる客が姿を現す。
「あ、れは……」
それは、チュートリアルに出てきたイノシシとは比べ物にならないほどの迫力と巨体を備えた、体高二メートルほどもある巨大な獣。
「……クレイジーボア、かな」
その姿から、俺は魔物の種類をクレイジーボアと当たりをつける。
実際に視て情報を確認すると、その推測が間違っていないことが分かった。
「レベルは……まだ一万と少しか。低いな」
元からマーケットの近くにいたモンスターだからだろう。
マーケット付近の天秤値は、シアの努力のおかげでほかの場所よりもずっと低かった。
そのおかげで、マーケット付近の魔物だけ、ほかの地域と比べて平均レベルが低いのだ。
「な、何を呑気にしてるのよ! 今のわたしじゃあいつは倒せない! 早く、逃げないと……」
シアとつないだ手に、力がこめられる。
どうやら誤解しているようだが……。
「大丈夫だ。だって俺たちは――」
言い終わる前に、クレイジーボアが走り出す。
目標は、当然俺とシア。
「ルキ!」
シアの悲鳴。
低いとはいえ、レベル一万越えの攻撃力のこもった一撃が当たれば、俺もシアもただでは済まないだろう。
傍らに立つシアの身体が、緊張に強張ったのが分かる。
だが、心配はない。
だって……。
「――俺たちは、守られてるんだから」
瞬間、黒い風が吹く。
突進してきた獣の牙が、俺たちに届くこどはない。
「な……」
割り込んだのは、漆黒の影。
全身を真っ黒な鎧で覆い、しかし顔だけは無骨な鎧から解放され、艶やかな銀髪を風に晒している。
ボアよりも一回りも二回りも小さい「彼女」は、しかしボアの突進を左手一本で受け止めてみせた。
スキルで跳ね返した、とか、力比べに勝った、とか、そういった様子すらも微塵もない。
俺たちの前に割って入った漆黒の騎士は、真っ黒な籠手に包まれた手をかざすだけでボアの突撃を無効にしたのだ。
そして、唯一にして最大の攻撃手段である突進を封じられれば、ボアの行動はほぼ封じられたのも同然だ。
「…………」
スキルを使う必要性すらなかった。
漆黒の騎士は、逆手に持った剣をボアに向かって容赦なく振り下ろした。
まるで迷いのないその一撃は、正確にボアの弱点、その額を貫き、
「グアアア!!」
断末魔の悲鳴だけを残し、ボアはあっけなく消滅した。
「そんな! 一撃で、なんて……」
呆然と、シアはつぶやく。
「…………」
その言葉に応えるように、漆黒の騎士はゆっくりと振り向く。
陽光に照らされ、唯一露わになった頭部が、俺たちの前に晒された。
銀色の髪に彩られるのは、神に愛されたような凛とした美貌。
涙が出るほどに懐かしいその顔は……。
「――ルカ、さん? ううん、違う! あなたは……」
慄くシアと騎士の間に入るように、俺は口をはさんだ。
「念のため、紹介しておくよ。『彼女』は俺の長年の相棒にして、今回の切り札」
美貌の騎士の無機質な青い目が、俺を貫く。
ロコから借り受けたハンドベルを握り締め、俺はその名を呼んだ。
「――俺のガーディアンの〈ルカ〉だよ」
※ ※ ※
「……説明してくれる、んだよね」
「ああ」
シアと手をつないでその場から移動しながら、俺は考えをまとめながら話し始めた。
「まず、シアもガーディアンのことは知ってる、と思うんだが……」
〈ガーディアン〉とは、チュートリアル終了時に全プレイヤーに与えられるご褒美アイテム「守護者のハンドベル」で呼び出せる召喚キャラだ。
その初期レベルは驚きの百。
それは初心者プレイヤーとは比べ物にならないほどの耐久力を有し、その代わりにレベル百にしてはあまりに貧弱な攻撃を持っている初心者救済用の召喚キャラだ。
本来、このガーディアンが序盤以外で活躍する場面というのはありえない。
ハンドベルを使えるレベルは五十までであり、普通にジェネシスをプレイしていたらすぐに使えなくなってしまうからだ。
そして、仮にそんな制限がなくても、ガーディアンは弱い。
同じレベル百のモンスターや召喚獣と比べれば、その性能は雲泥の差。
わざわざ弱キャラを使う必要はない……と考える、普通なら。
「ガーディアンは確かに弱い。だけど弱いのは『初期能力値』だけだ」
「それ、って……」
「ああ。『ガーディアンのレベルは上げられる』んだ」
その成長値はほかのキャラクターと比べても遜色がないものであり、もしレベル千にまで上げたガーディアンがいれば、その能力はほかのキャラクターと同等以上の水準になる。
なぜ、その情報がプレイヤーの間に共有されなかったか。
そんなのは簡単だ。
レベルは上がれば上がるほど多くの経験値が必要になり、レベルが高ければ高いほど、弱いモンスターを倒した時の経験値は少なくなる。
初心者冒険者がレベル五十になるまでの経験値を全て足し合わせても、ガーディアンのレベルを百一に上げるまでの量を稼げない。
だが……。
ここに一人、どれだけ経験値を稼いでも、仮にレベルが数万を超えるほどの経験値を稼いでも、全くレベルが上がらないクラスを持つ人間がいる。
「それに、俺にはこの指輪があった」
「ソロモンの、指輪……」
シアのつぶやきに、うなずく。
ロコが俺にプレゼントしようとしてくれたこの指輪は、俺が一年以上前からずっとつけていたものだ。
召喚モンスターを永続的に召喚していられるこの指輪は、副次的な機能として、「最後に呼んだモンスターとのつながりを永遠に保持する」という効果を持つ。
「だから、ずっと俺の経験値を吸い続けた〈ルカ〉の力は、ここのモンスターにも引けを取らない、って訳なんだ」
俺は、そう言って言葉を締めくくる。
シアはしばらく、何も言わなかった。
「……でも」
そう口にしかけて、口をつぐむ。
「とにかく、〈ルカ〉がいれば、これからの旅は楽になるはずだ」
「それは……うん」
煮え切らない様子のシアを見ない振りをして、宣言する。
「二日だ。時間が経ってギャザルホルンの影響がなくなれば、闘技場まで行くのはさらに困難になる。だから、二日で闘技場まで辿り着こう」
「で、でも……」
渋るシアを横目に、俺は〈ルカ〉に命じて、シアを背負ってもらうように指示を出した。
小柄なシアはあっさりと黒の騎士に持ち上げられ、その背に収まる。
「〈ルカ〉の足は速い。大抵のモンスターが出ても、振り切って逃げられるはずだ」
「ルキは? 一緒に背負ってもらうの?」
シアの問いかけに、俺は首を横に振る。
「俺は走っていくさ。心配しなくても、一人で走るのは得意なんだ。……行こう」
背負われたシアから距離を取る。
そうして、ずっとつながれていた手が、離れた。
「あ……」
声が遠くなり、世界は色を変える。
景色は灰色に、視界は無限に広がって、意識は希釈されたように平坦になる。
――逃避行が、始まった。
今年の連続更新はこれで終わりです!
良いお年を!
更新再開は来年の1月1日を予定しています
あ、あと今までこっそり書いてた新しい作品を年変わった瞬間に公開するように予約してます!
正直そんな余裕ないんですけど、2020年1月1日0時0分連載開始、ってめっちゃかっこいいことに気付いちゃったんですよね!




