第三十九話 罪と罰と
昔の読み返したら天秤値の表記は小数点以下四捨五入じゃなくて切り捨てって記述が……
こういうミス絶対たくさんありそう
「――今日はみんなに、さよならを言いにきたの」
その、あまりに鋭すぎる一言が、俺たちを貫いて……。
「な、何言ってるんだよ。そんな、タチの悪い冗談……」
「冗談なんかじゃ、ないわ」
見たこともないくらいに狼狽したリューが、震える声で全てを嘘にしようとしても、シアは言下に否定した。
「今日の正午、マーケットは破壊判定を受けた。三時間後、いえ、今からだと二時間後の十五時ちょうどに、マーケットは破壊される。だから……」
そこで、今までずっと淡々と話していたシアの声が、ほんの少しだけ震える。
「これが、あんたたちとの、最後の会話になるわね」
「そ、んな……。どうしてそんな大事なこと、今まで……!」
目に涙を浮かべたリューが詰め寄っても、シアはあくまでも冷静な態度を崩さない。
「悪かったわ。あんたたちと話せるのは最後だから、ギリギリまで、いつも通りでいたかったのよ」
そして、
「……もう、時間ね」
視線をほんの少し横にずらして、シアは何でもないことのように言う。
「なっ! ま、待ってよ! まだ……」
「わたしはこれから、ギャザルホルンの魔法を使って一帯の魔物たちをおびき寄せるわ。役に立つかは分からないけど、もう、わたしがあんたたちにしてあげられるのは、これくらい、だから」
シアは一瞬だけ顔を伏せ、しかしすぐにいつもの勝気を取り戻して笑った。
まるでそれが最後だとでも言うように、俺たちの顔を見回す。
「リュー。あんたとはケンカばっかだったけど、あんたのこと、嫌いじゃなかったわ」
「な、なにを言って……」
「ミィヤ。あんたは気に入らない奴だけど、尊敬できる奴だとも思ってる。……あとは、任せたわよ」
「……ええ。任されました」
「ロコ。あんたには、もっと色々教えたかったけど。いえ、これからも、がんばりなさいよね」
「は、い……」
「それ、から……」
シアの瞳が、俺を捉える。
彼女は口を開いて、何かを言葉にしようとして、
「……ううん。今まで、本当にありがとう」
結局はそうつぶやいて、寂しげに笑った。
そして、シアの手がメニュー画面に伸びる。
決別の気配に、リューと俺が同時に口を開く。
「シア!」
「待ってくれ! 俺は――」
叫ぶ言葉は、届くことはなく。
「――じゃあ、ね」
シアは、消えた。
最後まで、綺麗な笑顔のまま。
俺たちに、弱音をこぼすことすら、せずに。
誰も、何も言わなかった。
チャットに虚脱と沈黙が満ちて……。
「…………」
俺は無言で、チャットを閉じた。
「え……」
隣に立つロコが、驚きの声をあげる。
チャットには、まだリューもミィヤも参加している。
俺が突然話を打ち切るとは思わなかったのだろう。
でも、今は時間がない。
「――外に出る準備をしよう」
言葉は、自然と口から出ていた。
「……ルキ、さん?」
「シアが言ってただろ。十五時までは、あと二時間ある。それまでにマーケットに着いて、シアを助け出せばいいんだ」
自分で言っていて、笑ってしまうほどの荒唐無稽な話。
けれどロコは、口を挟まずに聞いてくれた。
「ずっと、後悔してたんだ。俺がロコと出会ったあの日。ギルマスのいる図書館が崩壊した時、俺は何も出来なかった。図書館は遠すぎたし、周りに建物も何もない。俺一人が走ったって、どうやっても間に合わなかった」
だけど、今は違う。
「マーケットなら、まだ可能性はある。……だって、今俺は、一人じゃない」
これが、どれだけ残酷なことなのか分かっていながら、俺はそう口にした。
「――俺たちで、シアを助けるんだ」
※ ※ ※
遠征するなら、無計画ではいられない。
インベントリに重量上限はないが、品目数による所持制限はある。
こういう時のためにとまとめていた遠征用の荷物と、シアやリューに会ったら渡したいと思っていたものをロコと一緒にかきあつめ、取捨選択してインベントリに詰め込んでいく。
「こういうの、ピクニックみたいでワクワクしますね」
俺にフードポーションを手渡しながら、俺の小さな同居人は楽しそうに笑った。
「ロコ……」
知っているはずだ。
外にあふれている敵の強さは圧倒的で、ロコでは歯が立たないことを。
マーケットの場所はここから遠くて、どれだけ急いで走っても、俺たちの足では二時間で辿り着くのが到底無理なことも。
それでもロコは、俺の言葉にうなずいた。
ただ嬉しそうにうなずいて、そしてせいいっぱいの笑顔で俺の隣にいてくれた。
「ルキさんとの、はじめてのお出かけですね!」
まるで心の底から喜んでいるようにも見える笑顔で、そうはしゃぐ。
一緒に外に出たら死ぬと、何の意味もなく野垂れ死ぬだけだと、分かっているはずなのに。
それが単なる俺のワガママだと、そう理解しているはずなのに、それでも……。
「……っく」
呼吸が苦しくなる。
「……ごめん」
漏らすべきではない言葉が、口からこぼれた。
でも、そんな言葉すらも、ロコは優しく受け止める。
「えへへ。何を言ってるんですか。わたし、うれしいんですよ。ルキさんが、はじめてわたしにワガママを言ってくれたから。今までもらうだけだったわたしが、これでやっとルキさんにお返しができるんですから!」
「ロ、コ……」
だけど俺は、気付いてしまった。
荷物を仕分けるその手が、ほんの少し、ほんの少しだけ、震えているということに。
「……ごめん」
隣にいるロコにさえ聞こえないほどの音量で、もう一度そうつぶやく。
俺が口に出来る言葉は、もはやこれだけだった。
※ ※ ※
荷造りは、ほんの数分で終わった。
あとは……。
「あぁ、そうだ、ロコ。『守護者のベル』ってまだ持ってるなら、ちょっと貸してくれないか」
「え、と、ガーディアンを呼ぶやつですよね? いいです、けど、どうして……」
少し意外そうな顔をしながらも、ロコはハンドベルを手渡してくれる。
「こういうアイテムは隙が大きいと見せかけて、身動きが出来ないような状況でも使えたりするから案外役に立ったりするんだよ」
俺は答えにならない答えを言いながら、ハンドベルを手早くインベントリに詰め込む。
これで、準備は整った。
「……ロコ」
静かに、その名を呼ぶ。
同時に、俺の脳裏にこれまでロコと過ごしてきた思い出が、一気によみがえった。
いつのまにか、彼女は俺にとってとても大きな存在になっていたのだと、今さらになって気付く。
突然現れた小さな同居人。
愛すべき弟子。
かけがえのない相棒。
それから……。
「ルキさ――」
振り向いたその身体を抱きすくめ、俺はその小さな唇に、自分の唇を重ねた。
「……ぇ」
刹那の接触の中で、目と目が合う。
ロコは一瞬だけ驚いたように身体を強張らせ、しかしまるで俺を受け入れるように目を閉じて、もたれかかるように身体の力を抜いて――
「――!?」
突然、何かに気付いたように目を見開き、必死に暴れ出した。
だが、離さない。
安全地帯でフレンドリーファイアもオフにしている状況では、ゲーム的なステータスは意味をなさない。
ステータス補正のないロコは、俺が簡単に押さえつけられる非力な少女でしかない。
「――! ――!」
俺たちは必死に、泥くさく、生身のままで争い合う。
けれどもやっぱり、その結末は一つに決まっていて。
やがて、何かを悟ったようにロコの抵抗が止む。
俺はゆっくりと、自分の身体をロコから引き離した。
やがて……。
「……ひどい、です」
力なくうなだれたロコが、ぼそりと言葉をこぼす。
「わたし、ずっと、ルキさんのこと、好きで……。キス、だって、ずっと、憧れていて……」
その悲痛な声には、俺は目を逸らすことしか出来ない。
「なのに、なのにこんな! こんなのって……!!」
心を苛むその叫びを聞く間にも、状況は進む。
目の前に「CAUTION!」と書かれたポップアップが出現。
続いて俺の眼前にメッセージを表示させる。
《プレイヤーネーム〈ロコ〉にあなたの罪が告発されました!》
《あなたは二十秒後に牢獄に転送されます!》
ずっと求めていたはずのメッセージが浮かんでも、俺の心は動かない。
俺はただじっと、ロコを見つめていた。
「……初めから、このつもりだったんですね」
そして、誰よりも聡いロコは、これだけのやりとりで全てに気付く。
気付いてしまう。
「――ずっと、前。ううん、初めて話したあの日から! ルキさんはわたしを、シアさんを助けるための道具にするつもりだったんだ!」
顔を上げたロコの視線が、至近から俺を貫く。
そこに宿っているのは、彼女が今まで一度も見せたことのない感情……「憎悪」だった。
「……許してくれなんて、言わない。だけど、これしか思いつかなかったんだ」
ギルマスが消えたあの日。
まるで入れ替わるみたいにやってきたロコを見て、俺は考えずにはいられなかった。
シアがいるマーケットの近くには、犯罪を犯したプレイヤーを収容する「牢獄」の跡地がある。
だから……。
――もし、「次」に建物が破壊された時、この女の子を利用すれば、俺はその人を助けられるんじゃないか、と。
個人設定で「性的接触禁止」を設定した場合、他プレイヤーから性的とされる行為を受けた時、その相手を牢獄に送るかを問うチェックボックスが出現する。
そして、被害者が身動きが取れない状況も想定しているため、そこで「被害者が十秒以内にキャンセル操作を行わない限り、相手は牢獄に送られる」ことになる。
つまり俺は、「たったの十秒間、ロコの腕の動きを封じる」だけで、ロコの意志とは関係なく、牢獄行きを確定させることが出来るのだ。
「…………」
俺の言葉を聞いても、ロコはしばらく、何も言わなかった。
きっと本当であれば、彼女に全てを話すという道だって、あっただろう。
だけどロコは、きっと気付く。
……牢獄に向かって飛べるのは、何も一人とは限らない、という事実に。
だから結局、俺は安易な道を取った。
ロコを騙して利用して、自分の道を優先させる卑怯な道を。
二人とも何も言わないまま、言えないままに、沈黙だけが二人の間に横たわる。
それでも時は止まらない。
ただ、強制転移までの時間を示すカウントが、どんどんと減っていって。
「……わたしには、許せません。ぜったいに、許せない、です」
結局、噛み締められたロコの唇から漏れたのは、恨みの言葉。
(……そう、だよな)
諦念と共にうなずいて、そしてカウントが、0を示す。
その、直前、
「――だから、シアさんを助けて、ここに帰ってきてください! わたしに許されるために、ほかの誰でもない、わたしのために、帰ってきてください!!」
涙交じりのエールに見送られ、俺はその場から消え去った。
……空気が、変わる。
あたたかく、色鮮やかな塔の景色は幻のように消えてなくなり、今俺の眼前に広がるのは、見渡す限りの荒野と灰色の空。
――牢獄跡地。
かつて多くのプレイヤーを閉じ込めた堅牢な獄舎はもはやその名残すらなく、ただ俺がこの場に飛ばされたという事実だけが、その場所の来歴を物語っていた。
意識は冷え切って研ぎ澄まされ、胸に満ちた感傷も振り捨てる。
タイムリミットは近く、目指すべき場所はまだ遠い。
それでも……。
――助けるんだ、今度こそ!
空に輝くニセモノの太陽に背中を押され、俺は一歩を踏み出した。
次回更新は明日です




