第三十七話 大魔法使いリリシャ最後の戦い
プレイヤー 17.9 : 82.1 モンスター
わたしはメニュー画面に表示されたその数値を見て、ギリ、と唇を噛み締めた。
これは、昨日の昼に更新された、マーケット周辺のフィールドの天秤値だ。
わたしが拠点としているマーケットの強度は八十。
なので、天秤値がこの値を示す間、マーケットは常に2.1%の破壊判定を受けることになる。
もちろん高い確率ではないが、「たったの2.1%」だなんて笑うことはわたしにはできなかった。
一日なら、一回なら確かに脅威度は低いかもしれない。
でも、もし仮に2.1%の状態がずっと続いたとしたら?
十日もすれば二割に迫り、一月も経てば約半分の確率で破壊される計算になる。
(絶対に! 絶対に今日は、魔物を殲滅させないと!!)
昨日、天秤値をここまで上げてしまったのは、適切な魔法を使えなかったから。
詠唱短縮の効果を持つ世界樹の杖がなくなって、わたしが組み上げていた日々の魔法詠唱のサイクルは崩壊した。
どう計算しても次の魔法が間に合わなくって、今まで一度も使ったことのない水属性魔法を選んだら、大量の水属性モンスターを残してしまった。
魔物がフィールドに残れば残るほど、天秤値は上がり、次に出てくるモンスターのレベルも上がる。
わたしが生き残るためには、今日、このフィールドにいる魔物を殲滅する以外に、道はない。
「やれ、る。ううん、やるんだ!」
ドアを開けて外に向かって発煙筒を投げ、秒数を数える。
二十秒が経ったところで、大きく息を吸って、もう一度扉に手をかけた。
手が震える。
だけど、今だけは恐怖心を捨てる。
ここで下がったらそれこそ終わりなんだ。
だから、これで決める!
「――レインボウ・スパーク!!」
放つのは、虹色の輝き。
発煙筒に群がった魔物たちを、輝きが駆逐する。
(お願い! お願い! これで……)
永遠にも思えた光の奔流がやむ。
真っ白になった視界がやがていつもの色を取り戻し、そこに広がっていた光景は……。
「くっ!」
一匹。
ひときわ目立つ巨体のオーガが、その場に残っていた。
属性的に、悪手を打った覚えはない。
あいつが残ったのは、おそらくは単純な耐久力。
(やっぱり、わたしの攻撃力が、モンスターのレベルに追いつかなくなっている!?)
思考は一瞬。
ぐりん、とオーガがわたしに顔を向ける。
だがオーガの目がわたしを捉え切る前に、わたしはマーケットの中に避難していた。
ドクン、ドクンと臆病な心臓は脈を打っている。
足は今すぐにこの場を離れろと命じてくる。
(……でも!)
殲滅の場合と、魔物が一体でもフィールドに残っている場合では、フィールドの天秤値は大きく変わる。
あいつが残っているだけでも、天秤値が八十を切るのは絶望的になる。
「まだ! まだ終わってない!」
世界樹の杖がなくなったのは、わたしにとって大きな大きな痛手だった。
ただ、わたしだって、ただ座して死を待っているワケじゃない。
一択だった杖に選択の余地が生まれたことで、今まで気付けなかったことにも気付けた。
視野が、広がった。
わたしは傍らに置いていた「ファイアロッド+89」を手に取って、大きく深呼吸をしてから一息に外に飛び出した。
そして、いまだに元の場所に留まっていたオーガに、杖を向け、叫ぶ。
「火球!!」
すると、杖の先から火の玉が飛び出し、オーガの身体を打った。
(やった!)
これが、わたしの見つけた切り札。
はっきり言って、ファイアロッドの性能は低く、たとえ+性能がついていても実用に耐えうるほどの能力はない。
しかし、その初心者以外に見向きもされないようなファイアロッドのとある機能がわたしに最適だと、世界樹の杖の代わりの武器を探している間に気付いたのだ。
ファイアロッドに備えられた機能は、「火球」。
杖をかざすことで、魔法使いの初歩魔法「ファイアボール」を誰でも扱えるというもの。
もちろんこの程度の威力の魔法、魔法系ジョブなら誰だって使えるし、物理系ジョブであれば今度は魔法系の適性が低いために使ってもあまり意味がない。
そんな、まさに初心者を救うためだけにあるような、微妙機能だ。
けれど、その機能こそがわたしの窮状を打破する切り札に成り得るのだ。
わたしの所持する「大魔法使い」は大きな魔法を使える反面、大きなデメリットも抱えている。
「このアビリティを所持している者は圧倒的な力を持つ大魔法を使用出来る代わりに、ほかの魔法を一切使用出来ない。また、このアビリティはオフに出来ない」
というアビリティ効果がそうだ。
ただ、このファイアロッドを「使用」することで発動する「火球」は、アイテム効果であるがゆえにこの大魔法使いの禁じる「魔法」のカテゴリに分類されない。
つまりわたしは、数時間もの詠唱に縛られずに使うことのできる「魔法」をやっとこの手にしたのだ。
「火球! 火球!」
魔法使いの初歩の初歩、ゴブリンすら一撃では葬れないような魔法でも、大魔法使いのステータスで放てば、それは立派な攻撃魔法となる。
火球を受けたオーガは苦しそうな咆哮を漏らし、怒り狂ってわたしを攻撃しようと走り出す。
――怖い。
あの太い腕が振り回されたら、あの大きな足に蹴飛ばされたら、わたしは一瞬で命を落とすだろう。
今すぐに逃げたい、と心の底から思う。
でも、ダメだ。
魔物は、時間を置けば回復する。
大魔法を受けて弱っている今以外に、このモンスターを倒す好機はない。
わたしは恐怖を追い出すように、叫び続けた。
「火球! 火球! 火球! 火球! 火球!」
七度目の火球で完全に足が止まり、八度目の火球を受けてその巨体をゆっくりと前に倒し……そして、そのまま起き上がることはなかった。
「……やった、の?」
疑問の声に、応える者はいない。
けれどその事実が、わたしの勝利を証明していた。
粒子となって消えていくオーガの身体を見ながら、しばし放心する。
これで、天秤値は確実に下がってくれるだろう。
八十を割れるかどうかは五分五分といったところだが、今後のための大きな一歩となったことは間違いない。
じわりじわりと、喜びがこみ上げる。
「あ、はは。やった! ルキ、やったよ! わたし、やったから!」
もちろん、これでわたしを取り巻く危機が去ったワケじゃない。
これからも魔物は強くなっていくだろうし、効果的な魔法がなくなっていることもあるだろう。
それでも、今日は。
今日、だけは。
グッと拳を握り締め、勝利の余韻を噛み締めて、マーケットに戻る。
もうすぐ、十二時を迎える。
そうしたら、今の出来事を大げさに、自慢げにみんなに語ってやろう。
ルキは喜んでくれるだろうか。
リューは一体、どんな反応を……。
「え……?」
その時、だった。
《――CAUTION!! CAUTION!! CAUTION!!――》
目の前に、真っ赤な文字が浮かび上がる。
そして、
《マーケットが魔物の襲撃を受けました。マーケットは三時間後に破壊されます》
無機質なメッセージが、わたしの希望を根こそぎに奪い取ったのだった。
※ ※ ※
両足から、力が抜ける。
手が震えて、ファイアロッドが地面に転がり落ちる。
目の前がぐるぐると回って、何も分からなくなる。
初めに思ったのは、これは何かの間違いだ、という思いだった。
(だってあれだけ、がんばったのに。がんばって、魔物を全部、倒したのに!)
おぼつかない手つきでメニュー画面からフィールドの天秤値を呼び出す。
プレイヤー 20 : 80 モンスター
まず表示されたのは、そんな数値。
ドクン、と心臓が鳴る。
わたしは知っている。
この数値は簡略化のために小数点以下を四捨五入していて、だから正確な値ではなくて。
震える指先が、天秤に触れる。
そこで、現れた数字は……。
プレイヤー 19.6 : 80.4 モンスター
あぁ、という吐息が、口からこぼれた。
……たったの、0.4%。
二百回に一回、いや、それよりももっと少ない、普通であればほとんど無視してもいいような確率。
なのにわたしは、その0.4%に引っかかって、死ぬのだ。
「なん、で……」
口から、怨嗟の言葉が漏れる。
自然と目に涙があふれて、視界が歪む。
わたしはその場に崩れ落ちて……。
――バチン!
自分のほおを強く叩いた。
……甘えるな。
分かっていたはずだ。
それが今日になるとは思っていなかっただけで、いつか絶対にこんな日がやってくると、分かっていたはずだ。
「……やれることを、しないと」
ふらりと、力のない足で立ち上がる。
まだ足の感覚がなくてまるで自分の足じゃないみたいだったが、立つことはできた。
時刻を見る。
いつものチャットの開始時間をもう二分も過ぎていた。
リューは怒ってるだろうな、なんてことを思って、なぜだか涙があふれそうになる。
わたしはゴシゴシと目じりをぬぐうと、まずは食べ物を漁る。
こんな顔でみんなの前に出ていくワケにはいかない。
回復アイテムに辛い物、気付けになりそうなアイテムを片っ端から口に放り込んで、ひたすらに呑み込んでいく。
「あ……」
そこで見つけたのが、神酒ネクタルだった。
食事に分類される回復アイテムで、値段が高い分効果も高い。
「そうか。これなら……」
大魔法を使うためには、常に食事をしてHPとSPを回復する必要がある。
でも、このネクタルを使えばきっと会話をしながらでも十分な回復量が見込めるだろう。
こうなった時に使う魔法は、ずっと前から決めていた。
幸い、「あの魔法」は大魔法使いの中では初歩の初歩。
詠唱時間は、十分に足りる。
「ん、ぐ……ゴホッゴホッ!」
飲みなれないお酒に、わたしは大きくむせた。
でも、それでいい。
赤くなった顔がきっとわたしの臆病さをごまかしてくれる。
「よし!」
メニュー画面を前に、自分に気合を入れる。
これは、わたしにとって最後の戦いだ。
誰のためにもならない、誰のためでもない、ただ自分の意地を押し通すだけの、何の意味もない、けれど大事な戦い。
脳裏に浮かぶのは、ギルマスの最後の姿。
どんな時にもわたしの一歩先を歩いていたあいつは、最後の時にすら笑顔で、一度だって泣き顔を見せることなく、最後のチャットを終えてみせた。
もしも死後の国なんてものがあるんだったら、あいつはきっと、またわたしの真似をしてるのか、と笑っているだろう。
それでも、懐かしい彼女のことを思い出すと、最後の勇気が生まれた。
手の震えは、もう止まっていた。
最後にもう一度大きく深呼吸をして、わたしはチャット画面をオンにすると声の限りに叫んだ。
「――おっっっっはよー!! みんな、だいすきだよー!!」
ちょっと迷ったんですが、やっぱり少し長いのでここで分割
続きは明日




