第三十三話 それでも変わらぬ日常を
こまごまとした失敗のせいでこの辺どうしてもアクロバティックな構成に
矛盾なく最後まで詰められるかちょっと不安
最弱のはずのオークが実はキマイラより強い、というまさにオークらしい展開に打ちのめされたロコを連れ、俺たちはふたたび塔の内部、ラウンジまで舞い戻っていた。
ここからは、久しぶりの授業の時間だ。
「ええと、前に天秤の話をしたの、覚えてるか?」
「あ、最上階の時の話ですよね。だいじょうぶです! わたしがルキさんの言葉を忘れるなんて、ありえないです!」
「そ、そうか。そ、それは心強いよ」
と、いうことでいいんだろうか。
俺はなぜか背筋を走った悪寒に気付かないふりをして、話を続ける。
「前にも言ったけど、天秤がモンスター側にたくさん傾いていればいるほど、その地域のモンスターは少しずつ強くなっていくんだ。特にモンスターが倒されることなく天秤更新の十二時を迎えると、天秤は大きくモンスター側に傾くし、生き残っているモンスターは大幅に強くなる」
ここまでは前回のおさらいなので、ロコはふんふんとうなずきながらもきちんと分かっている様子で聞いていた。
「で、実際にモンスターの勢力がどうなってるかはメニューから勢力図を見ると分かる。青くなってるところがプレイヤー優勢な地域で、赤くなってるのがモンスター優勢の地域。さらに、プレイヤーがすごく優勢なら濃い青、若干優勢なら水色、みたいな感じで、色の濃さでも天秤の傾きが分かるんだけど……」
言いながら、俺はロコにも見えるように、天秤のマップを表示させる。
ロコはじっとマップを眺めたあと、おもむろに口を開いた。
「あ、あの……ぜんぶ、赤いですけど」
「そうだね」
「すごく……真っ赤ですけど」
「そうだね」
色分けも何もなかった。
いや、本来は便利機能なんだけど、しょうがないよね。
「正式稼働が始まる前は、世界の天秤は70:30でプレイヤーが優勢だった。それが、正式後のたった三ヶ月で35:65にまで逆転して、そして、今は……」
俺は、勢力マップの一番上を見る。
そこにはでかでかと、大きく右に傾いた世界の天秤が描かれている。
そして、そこに書かれてる数字は……。
プレイヤー 0 : 99 モンスター
「あ、あの! も、もう勝負ついちゃってるように見えるんですけど……」
「いや、ち、違う違う! もしそれならとっくにリセットが始まってるし、表示も0:100じゃなくて、99になってるだろ。このゲームでは小数点以下を切り捨てているため、実際は小数点以下の値が残ってるんだよ! と、そうだ」
俺が天秤のアイコンをぴこんと押すと、「プレイヤー 0.23 : 99.77 モンスター」という新しい表示が出てくる。
「ほら! まだ0.2も残ってる!」
「そ、そうです……ね」
我ながらこのフォローは強引だと思ったが、案の定ロコの笑顔も引きつっている。
「だ、大丈夫! 建物が建ってたり、プレイヤーが一人でもいる場所は、絶対にプレイヤー側の勢力が0にはならないんだ。世界の天秤は基本的に全部のフィールドの平均値になるから、これ以上下がることは……まあ、そんなにないって!」
「これ以上下がることも、あるってことですか?」
しかし、その言葉はロコの不安を煽ってしまったようだった。
やはり、心配そうに聞いてくる。
「今のこの値は、シアの頑張りのおかげだからな。ほら、一ヶ所だけ、ちょっとだけピンクっぽい赤のところがあるだろ?」
「え、ええっと……」
戸惑ったようなロコに焦れ、俺はここ、ここ、とマップの塔の南を指さす。
「あ、はい。……よく見ると、ここだけ色がうすい、ような?」
「だろ? ここはシアのいるフィールドなんだ。で、ここを見てみると……」
表示されたのは、「プレイヤー 28.91 : 71.09 モンスター」という表示。
「あっ! ここだけプレイヤー側ががんばってますね!」
「……七十一、か」
「ルキさん?」
ちょっと意外な数字を見て思わず固まってしまった俺に、気付くとロコが不思議そうな視線を向けていた。
「あ、悪い。そうなんだよ。シアだけは自分のフィールドのモンスターを倒して管理してるから、ここだけ天秤値はずいぶんよくなってるんだ。ただ、フィールドの天秤値ってのは所属しているエリアの天秤値に影響を受けるから、ここだけモンスターを倒してもプラスにまでは行かないけどな」
「じゃ、じゃあ、シアさんはあのレベルのモンスターを倒せてるってことですか?」
「うん。塔の周りのオークと違って、こまめに倒している分レベルの成長は抑えられてるんだけど、元のレベルが高い方が成長も速いから、たぶんそうだろうな」
説明をしたかったのは、ここだ。
「シアがモンスターを倒せてるのは、本人の努力とか相性の問題も大きいけど、ずっと敵のインフレに追随していたことにある。まず前提として、敵のインフレについていくには、インフレした敵を倒し続けていく以外に方法がないんだ」
天秤による敵の補正は異様な速度なので、自己鍛錬のような方法では絶対に追いつかない。
「そこで大事になるのが『火力』だ。いくら防御力が高くてもモンスターは倒せない。そして、モンスターが倒せなければ……」
「レベルのインフレに置いていかれる、ですか?」
「そういうこと。ま、その代償として、シアは防御力は低めなんだけど、それを殲滅力で補っている感じだな」
つまり……。
「もう敵とレベルが開いちゃってるわたしが、今からモンスターを倒せるようになるのは、難しいってことですか?」
「……まあ、そういうことになるな」
もしスタート地点がロコと同じだったら、シアだって今のモンスターたちには手も足も出なかっただろうし。
だが、そこでロコは首を傾げた。
「あの、でもルキさんはこの塔にいるってことはレベルは低いんですよね? でも、インフレした敵に勝ててたんじゃ……」
「ま、まあ俺はちょっと職業が特殊だからな。それでもオークを倒せるようになるまで、必死で努力したし」
「やっぱりルキさんはすごいです!」
いや、それをすごいですの一言で受け入れられるロコも何だか大概すごいと思う。
「ただ、俺は前に言っただろ。ジェネシスで一番大事なのは『格上を相手に立ち回る技術』だって」
「あ、もしかして、あの時の言葉は、これを見越して? すごいです!」
「い、いや。そりゃまあ、俺は敵が今どんな強さになってるか、知ってたからな」
別にすごくはないし、そんなことで尊敬の眼差しを送られると、逆に心苦しいものがある。
「だから、いっそもう敵に能力値で追いつくのはあきらめて、レベルに関係なく戦える方法を探すって手もある」
「レベルに関係なく、ですか?」
ピンと来ないロコのために、具体例を探す。
「例えば、『割合ダメージ』なんてのがある。『相手の最大HPの〇〇%のダメージを与える』みたいな奴だな。これだったら自分がどんなに弱くて相手がどんなに強くても、当たりさえすれば関係ない」
「な、なるほど!」
「それに『状態異常』の中には即死とか石化とか、発動すれば問答無用で敵を倒せるのもあるし、麻痺や鈍足も補助としてなら有用だろ? それからあとは、『敵が強いほど、自分も強くなるような能力』とかな」
「それって……」
いっぺんに話しすぎたかもしれない。
俺は意識して笑顔を作ると、出来る限り優しく言った。
「まあ、天秤に関係なく、この塔にいる限りは安全だからさ。時間をかけて自分のスタイルを探していけばいいさ」
「……はい」
どことなく納得し切れていない様子でうなずくロコに、これは気分転換が必要かな、と思う。
「……ま、せっかくこの時間に二人でいるんだから、ちょっと遅いけど朝ごはんでも作ろうか」
「あっ」
こういう時は、多少強引な方がいいだろう。
何か言いかけるロコを置いて、俺は調理場に入っていく。
「さて。今日のレシピは……」
朝ごはんだし目玉焼きメインでいいか。
シアもこの前ちょうど新鮮な卵が取れたって言ってたし。
そう思いながら、俺はレシピを決め、調理を開始して……。
「――て、てつだいに来ました!」
「う、うぇ!?」
エプロン姿のロコに、変な声が漏れる。
別に、ロコのエプロン姿が何か変だったとかそういう訳ではなく。
「あ、いや、だからその、料理は一人でやるって決まってるから、ええと……」
「で、ですけど、戦いで役に立てないなら、せめて料理くらいは!」
その意気込みは嬉しいが、事情はこっちにあった。
なんて言っている間にも、俺の手は器用に卵を割り、いい感じに温まったフライパンに投入していて……。
「あ、あの、ルキさん? 料理の方、見てなくて、いいんですか?」
その様子に、流石のロコも不審に思ったようだった。
そりゃまあ、そうだろう。
曲がりなりにも火を使って調理をしているのに、手元を一切見ずによどみなく作業をしていたら、俺だって変に思う。
「えーっと、その、さ」
「はい」
これはもう、観念するしかないか。
俺の手が勝手にフライパンの火を調整するのを眺めつつ、出来る範囲でロコに頭を下げ、言った。
「ごめん! 実はこれ、俺が作ってる訳じゃないんだよ!」
「……はい?」
※ ※ ※
「――レシピ再現機能、ですか?」
食事を終えて。
めずらしくじとーっとした目つきでこちらを見てくるロコに、俺は全てを白状した。
「そうそう! スキルの中には、プレイヤーの身体が勝手に動くのがあるだろ? あれの応用でほかの人が料理したのをスキルみたいに登録しておいて、ほかの人が使えるようにならないか、って要望があったらしくてさ」
本来なら、体格だとかの差もあるから実現しないと思うのだが、ジェネシスの謎の技術力によって正式実装されてしまったのだ。
「じゃ、じゃあ! わたしがずっとルキさんが作ってたと思った料理は……」
「シアが作ったもの、というか、シアが作った料理の手順を、そのままなぞったものなんだよ」
「む、うぅぅぅ!」
騙されていたことが気に入らないのか、ロコがめずらしく、俺に不満げな視線を送ってくる。
「わ、悪かったって。ロコがあんまりにもキラキラした目で見てくるから、今さら料理なんて出来ないって言えなくてさ」
「……うぅぅぅぅ。まあ、ルキさんが作ってくれてたのもまちがいじゃないですから、いいですけど」
と、言う割にまだ不満そうだが、ここは追及しない方がいいだろう。
「それにしても、またシアさん、ですか」
「あ、ああ! そうなんだよ! シアはすごいんだよ! ラストホープのみんなを、陰から支えてくれてる、縁の下の力持ちというか」
話を逸らす意図も込めて、力説する。
とはいっても、俺がシアに感謝をしているのは本当のことだ。
「レシピだけじゃないぞ。外に出られない俺たちの代わりに、食材やお金を仕入れてくれてるのもシアなんだ」
特に、闘技場にいて収入の全くないリューにとっては、生命線と言える。
……その割に、一番喧嘩ばかりしているが。
「で、でも、シアさんは遠くにいるんですよね。どうやって……」
「それは、ギルドのシステムを利用して、だな。その辺の説明は長くなるからまたあとにするけど、こうして俺たちがおいしい食事を食べられるのは全部シアのおかげなんだ。本当に、シアはラストホープの大黒柱……いや、その言い方はちょっと違うか。……うん。むしろシアは、ラストホープのみんなのお嫁さんみたい――」
「お母さんみたい、ですね!!」
突然、かぶせるように言われて、戸惑う。
「え、っと。ロコ――」
「みんなのお母さんみたいですね!」
「な、何で二回言ったんだ? そ、そうかもしれないけどさ」
やはり、母親に強いこだわりがあるのだろうか。
いつになく強い口調で主張してくるロコに内心気圧されながら、俺は曖昧にうなずいた。
「と、とにかく、俺たちもお世話になってるんだから、ロコも今日のチャットで会ったらお礼を言っておくんだぞ」
「それは……感謝はします、けど」
もごもごと、口ごもるようにロコ。
どうやら、まだ何か納得出来ないところがあるらしい。
ともあれ、もういい時間だ。
少し早いが、俺はチャット画面を呼び出した。
「あれ? もうつけるんですか?」
「ああ。言っただろ。初心者の塔ではチャットにお金がかからないんだよ」
「あ、そうでしたね」
だから本来、俺たちはお昼のチャットタイムにこだわる必要はないのだ。
いやまあ、塔にいる二人だけでチャットしても意味ないから、やらないけど。
「それに、個室にも通信機能はあるから、転職とかは無理でもチャットくらいは部屋でも出来るぞ」
「あ! じゃ、じゃあ、寝る前にルキさんとチャットすることも……」
「い、いや、それは俺にも用事があったりするから」
なんていつものようにやり取りをしていると、チャット画面に変化が起こった。
「おはよー。ルキ君が一番なんて、めずらしいね」
「まだ時間前だからな」
時間ぴったりに入ってきたのはリューだ。
こいつはたまに寝過ごしたりして遅刻することもあるのだが、今日はそんなこともなかったらしい。
「王子様、ごきげんよう」
数秒遅れでやってきたのはミィヤ。
リューと違い、ミィヤが遅れたのは俺は見たことがない。
……いや、俺が遅れた時の参加率はひどいらしいが、まあ、俺には確かめようもない話だし。
「あ、ということは今日はシアが最後か。めずらしいな」
「そうだねー。嫌味言ってやろ」
「……ほどほどにな」
ちらりと天秤を見ると、シアのフィールドの天秤値は下がっている。
どうやら寝過ごしたとかいう訳じゃないようだ。
「あー、それより、大事な報告があってさ。ついにロコに俺たちの事情を話したんだ」
「ああ。そうなんですか」
俺としては、重大発表、と思って口にしたのだが、すでに知っているリューはともかく、ミィヤも軽く流すだけだった。
「お、驚かないんだな?」
「時間の問題だとは思っていましたし。それに……ロコさんにとっては、何も問題はない、でしょう?」
ミィヤの視線が、ロコを貫く。
「あ、の……。わ、わたし、は……」
その眼光の鋭さに、ロコは何も言えなくなってしまっていた。
「な、何も問題はないってことはないだろ。ロコは驚いて泣いてたんだぞ」
「……ふふ。そうですね。ごめんなさい」
俺がロコをかばうようにそう言うと、ミィヤは素直に頭を下げた。
ミィヤは基本は常識人だと思うのだが、たまにヒヤッとするようなことを言うから困る。
「それで、ロコはちょっと今後の方針、というか、レベリングについて悩んでるみたいなんだけど、何かないかな?」
俺が話題を振ると、リューもミィヤも困ったように顔を見合わせた。
「うーん。僕はモンスターバトルで経験値をもらってるからなぁ。ルキ君が持ってきたオークを餌にしてるからモンスターのレベルの上がりはいいし、僕もその恩恵を受けてるけど、それでも全然今の環境に追いついてないし」
「わたくしは、リスカ……ああいえ、自己ヒールと、あとは周囲への継続ダメージがメインの収入源ですから。あまり参考にはならないかもしれませんね」
「あ、あの! 継続ダメージ、ってなんですか?」
ミィヤの言葉に、ロコの質問が入る。
「ああ。わたくしの職業は少し特殊で、いるだけで周囲のモンスターにダメージを与える能力を覚えるんです。わたくしがいるのはダンジョンの休憩ポイントですから、たまに周りのモンスターが死んで経験値が入ってくるんですよ」
「残念ながらボスには効かないのですけどね」と朗らかに付け加えるミィヤ。
ただ、ロコにはそれでは納得出来なかったようだ。
「あ、あの……ミィヤさんって、ヒーラー、なんですよね? それなのに、そんな能力が?」
き、切り込んでいっちゃった。
俺が冷や冷やとしながら見ていると、ミィヤは隙のない笑顔をロコに見せていた。
「ええ。でもわたくし、複合系のユニークジョブですから」
「ふわぁ。すっごいんですね!」
純粋に感心するロコと笑顔のミィヤを見ていると、不安材料は何もないはずなのに、地雷原を歩いているような気分にさせられる。
俺は慌てて割って入った。
「じゃ、じゃあ、やっぱり話はシアに聞くしかないかな。そ、そういえばシア遅いなー」
「あら。そうですね。五分以上遅れることは、今まで一度も……」
と、ミィヤがそこまで言った時だった。
噂をすれば影、という奴か。
シアのチャットウインドウが、俺たちの前に現れる。
「あ、シア! 遅かっ……」
口にしかけた言葉は、そのまま喉にはりついて動かなくなった。
「シ、ア、さん……?」
はっきり分かるほど、ロコの声が震えているのに気付いても、俺は何も言えなかった。
だって……。
「……あ、れ? ルキ?」
ぼんやりとこちらを見上げたその顔は、真っ赤に濡れていて、
「――どうしてそんな、はこのなかにいるの?」
純粋な、純粋すぎる笑みを浮かべるシアには、右の肩から先が、なくなっていたのだから。
続きは明日!




