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第二話 ロコ


「……それから、あの野郎には散々な目に遭わされたんだよなぁ」


 もう一年以上前のことなのに、あのチュートリアルについては、まるで昨日のことのように思い出せる。

 それは、あれが俺の人生を決定づける出来事だったというだけでなく、とにかく最低のクエストだったからだ。


 ジェネシスのプレイヤーのチュートリアルクエストとローミーに対する印象は決まっている。

 どんなベテランプレイヤーでも「あの」チュートリアルを忘れる人間なんていやしない。

 だからこそ、教えられた要素一つ一つがしっかりと頭に刻み付けられた、ということでもあるのだが……。


「それも含めて、憎ったらしいんだよなぁ」


 ゆえに、俺たちがチュートリアルを思い出す時、敬意と憎しみを込めて「あのクソみたいなチュートリアル」と呼ぶ。

 まあそれくらいには、あのチュートリアルクエストはひどかったのだ。


 ただ、俺にとっての本当の悲劇は、そこじゃなかった。

 チュートリアルの最後にして、メインイベント。


 ――それは、「初期職業の決定」だ。


 チュートリアルでの行動次第で、最初に選ばれるジョブが決まる。

 これは、単純にこれからのキャラクタービルドの方向性が定まるとか、そういう次元の話じゃない。


 初期職業に選ばれたジョブはその成長速度が一・五倍になるし、本来の転職条件も無視して一足飛びにそのジョブに就くことが出来る。

 稀にだが、初期職業で転職までに非常な困難が伴うはずの最上級ジョブや、転職条件が分からない複合ジョブ、ことによると「勇者」のような通常の手段では転職が不可能なジョブを引き当てることすらあるのだ。


 そういう「当たり職」をゲット出来た場合、その後の展開が劇的に楽になることは言うまでもない。

 初期職業決定はそれからのジェネシスでの今後を定める、大きな岐路の一つなのだ。


 俺は、その初期職業決定で、よりにもよって……。



「ぅ、ん……」



 だが、不意に耳に届いた小さなうめきに、俺の思索は中断されることになった。

 廊下からラウンジに運び込んだ、新規プレイヤー……かもしれない女の子。


 今まで昏々と眠り続けていた少女が、ついに反応を示したのだ。

 彼女は俺が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと目を開く。


「あ……」


 綺麗な鳶色の瞳と、目が合った。

 徐々にその焦点が合ってくると、その目が大きく、大きく見開かれ……。


「ひ、と……」


 彼女は呆然とつぶやくと、俺に向かってゆっくりと手を伸ばしてくる。


 それは図らずも、俺がこの子を見つけた時の再現のよう。

 俺のほおをペタペタと触れて、信じられない、という表情を浮かべる彼女に俺はしばらく呆気に取られていたが、ようやく我に返って声をかける。


「ええと、ここがどこだかは、分かるかな。ジェネシスの……初心者の塔、なんだけど」

「あ……っ」


 俺がおそるおそる声をかけると、


「その、驚かせたようなら悪い。俺はルキ。たぶん君と同じ、ジェネシスのプレイヤーで……」

「あ、う、うぁあああああああああああ!!」


 身構える暇もなかった。

 俺は突然女の子に飛びつかれ、背中から地面に倒れ込んでいた。


「な、何を……」


 一瞬、襲われたのかと思ったが、違った。


「あ、うあ、ああああああああああ!!」


 俺を押し倒したこの小さな女の子は、俺の胸にすがりついて、ただただ泣いていた。

 何があったのか、何が起こったのか、全く分からない。


 ただ、それでも……。

 すがるように必死で俺の服を掴んで泣きじゃくる女の子を見て、突っぱねることは俺には出来なかった。


「大丈夫、だから。もう心配、要らないから、さ」


 せめて、少しでもこの子が落ち着けるように、不安に感じないように。

 俺は彼女が泣き止むまで、不器用な仕種でその背中をぽんぽん、と叩き続けたのだった。



 ※ ※ ※



 それから……。

 ようやく女の子が泣き止んでくれたと思ったら、今度は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまった俺の服を気にして蒼白になる、どころかまた泣き出しそうになる、なんてハプニングを経て、俺はようやくその子と会話をすることが出来た。


「それで、君の名前は……」

「は、はい。小森、心です」


 俺の言葉にいちいちビクッとして、堅い調子で本名を答える女の子に、俺は少し言葉に詰まる。


「あー、いや、ごめん。言葉が足りなかった。ゲームの、ジェネシスでの名前を聞いたつもりだったんだけど」

「あっ! す、すみ、すみません! ロコ、です。ロコ、って言います」


 俺が指摘すると、女の子、どうやらロコという名前のその子は、こっちが驚くくらい狼狽し、この世の終わりみたいに怯えた顔で慌てて答え直す。


「あ、ああ。名前が『こころ』だから『ロコ』なのかな。か、可愛い名前だね」

「は、はいっ! ありがとうございますっ!」


 その空気に耐え切れず、俺が慣れないお世辞を言うと、今度は一転、尻尾を振る犬みたいに全力でぱあっと顔を輝かせる。


 ……なんだろうか、この感覚は。

 やりにくいというか、むずがゆいというか。


「それで、その格好。ロコは新規プレイヤー、なのかな? もしよかったら、事情を聞かせてもらいたいんだけど、ど、どうかな?」


 下手に突いてまた怯えられても困る。

 俺がおそるおそる問いかけると、案の定というか、ロコは顔をこわばらせた。


「あ、あの……。設定を……まちがえて、しまって……」


 設定なんてあったか、と首を傾げるが、ロコは焦ったように言葉を続ける。


「プ、プレイ時間の制限、です。それをいじったら、ログインしても、ずっと真っ暗な場所に行くように、なって……」

「真っ暗な場所……」


 そこでようやく、ああ、と思い当たる。


 俺は直接見たことはないが、正式前には三時間のプレイ時間制限があって、それを超えると強制ログアウト……されていたのが「急にログアウトされると困る」という苦情が来て、専用の待機場所に転送されるようになったとか。

 そこは真っ暗で誰もいない空間で、かろうじてメニュー画面を開く程度は出来るが、それ以外の行動はほぼ何もできず、結局ログアウト以外に何もやれることはないと聞いていたが、その場所のことだろうか。


「真っ暗な中で、でもログアウトするのもいやだなって思ってじっとしていたら、正式開始のアナウンスが始まって……。だから、ちゃんとゲームをやったのは、チュートリアルから数分くらい、なんです」


 プレイ時間制限があったのは正式稼働までのことで、正式稼働と同時に待機場所も役目を終えた。

 そのせいで、あの待機場所からジェネシスに戻れなくなったってことか?


 いや、だとしても何で今日になって急に戻れるようになったのか分からないし、そもそも……。

 と、考えを巡らせていた時だった。


「あ、あのときは、いきなりしがみついちゃってごめんなさい! この世界でひさしぶりに人に会えた、から……」


 真っ赤な顔で、本当に申し訳なさそうに謝るロコ。

 まだ何か隠しているような気もしたが、ここまで恐縮されてしまったら、追及するのも気が引けた。


「とりあえず、事情は分かったよ。そっちは、何か聞きたいことはあるかな?」

「き、聞きたいこと、ですか?」

「ああ。ずっとそんな状態だったなら、きっと尋ねたいこともたくさんあるだろ?」


 俺の提案に、ロコは忙しなく手を開いたり閉じたりすると、俺を窺うように上目遣いで何度も見て、何度も口を開いては、閉じる、というのを繰り返すと、やがておずおずと口を開いた。


「あの……ごしゅみ、は?」


 いや、そこで何でその質問が出てくる!?

 俺は内心は面食らっていたが、これ以上ロコを怯えさせないように、可能な限り優しく答える。


「趣味、かぁ。え、ええと今は……シミュレーター、かな?」

「しゅみ、れえた?」


 何を言われたのだか分からない、というようなその態度に、ああ、この子は本当に新人プレイヤーなのだな、と確信する。

 初心者の塔で時間を過ごしたプレイヤーなら、誰だってシミュレーターを知らないはずがないからだ。


「ここの塔にシミュレーションルームって場所があって、そこでええと……模擬戦みたいなことが出来るんだ」

「あ、つまり、そこで戦うのが趣味、ってことですか?」

「……まあ、ほかにやることもないからね」


 あ、まずい、引かれるかな、と思ったが、どうやら平気なようだった。

 まあ、ジェネシス自体がモンスターとのバトルを想定したゲームとして作られていたので、そこは今さらだったかもしれない。


「えっと、こんなもんでいいかな。ほかに、質問はあるかな?」

「じゃ、じゃあ!」


 俺が尋ねると、ロコはようやく子供らしさを取り戻したような明るい顔で、勢い込んで俺に尋ねた。



「――す、好きな色は、なんですか?」



 ……やっぱりこの子、ちょっとズレてるんじゃないだろうか。



 ※ ※ ※



 その後も怒涛のように繰り出される、好きな食べ物や好きな音楽や好きな本や好きな映画や好きな建物や好きな夕焼けや好きなセミの種類に関する質問に答えていく。


 しかし、案外自分の好みって分からないものだ。

 好きな色はとりあえず赤と黄色と答えたが、自分の好きな色が何かなんて聞かれるまで考えもしなかった。


 そういう訳で想像以上に苦戦した質問タイムではあったが、ロコがずっと楽しそうにしていたのが何よりの救いだった。

 いや、最後の方、夕焼けとかセミとか訊いてきた辺りでは彼女もだいぶテンパっていたが……。


 目をグルグルさせ始めた彼女をいったん落ち着かせ、深呼吸をさせたあとのことだった。

 なだめにかかった俺の手を握ったまま、すーはーすーはーやった彼女が、ふと、突然気付いたかのように、こう尋ねてきた。


「あ、あの……。ここって、初心者の塔の、ラウンジ、ですよね?」

「ああ。そうだよ」


 彼女の小動物めいた仕種にすっかりほだされていた俺は、完全に油断し切っていて、



「――だったらどうして、こんなに人がいないん、ですか?」



 突然飛び込んできたその爆弾に、一瞬息を詰まらせてしまった。


 ――とうとう、この質問が来たか。


 いや、ロコが特別であって、まず最初に飛び出すべき質問だと思ったりもするが、だからこそ、気を抜いてしまっていた。

 じっとりと、手に嫌な汗がにじむ。


 ……そう。

 一年と少し前、俺がジェネシスを始めたばかりの頃は、良くも悪くもこの塔には活気があった。

 数多くの初心者プレイヤーが歩き回り、情報交換をして、時には喧嘩もして……。


 だけどそれをものともしない包容力が、数十人、いや、数百人を収容してなお問題ないほどの設備とキャパシティが、この塔にはあった。

 いや、キャパシティ自体は、今もある。

 だけど……。


 さて、どう説明すればいいか、と俺が頭を悩ませていると、



「ご、ごめんなさい!」



 突然目の前の少女は、こちらが驚くほどの勢いで頭を下げた。


「ロ、ロコ……?」

「こ、困らせるつもりじゃなかったんです! すこしだけ、ふしぎに思っただけで! ごめんなさい!」


 あまりの剣幕に、こっちが驚いてしまう。


「お、落ち着いて。別に大丈夫だから! ちょっと説明の仕方で悩んでただけだから!」

「で、でも、怒って……」

「怒ってないって! 大丈夫!」


 これ以上ロコが委縮する前に、と俺はノープランで無理矢理説明に入ることにした。


「さっきも言った通り、ここは初心者の塔。ジェネシスを始めて間もない初心者が、まずジェネシスのイロハを学ぶところなんだ」

「あ、わたしみたいなプレイヤーさんのことですね!」

「うん、そうだね。だけど、ちょっと考えてみてほしいんだ。初心者、っていうのは、ゲームを始めたばかりの人のことだよね? でも、ジェネシスは新規キャラクターを作れなくなって、一年以上経つ。そうすると……」

「あ。初心者が、いない? じゃ、じゃあ、もしかして……」


 何かに気付いたように目を見開くロコに、俺は大きくうなずく。


 ――ガランとしたラウンジ。

 ――どこまでも続く無人の廊下。

 ――人の気配のないシミュレーションルーム。


 これが意味するところは、当然一つしかない。



「――うん。実はこの塔にいるのは、もう俺とロコの二人だけなんだ」



 ※ ※ ※



 まさに手に汗を握る場面になってしまったが、どうやらうまく説明出来たようだ。

 ロコは少し驚いた様子を見せたものの、驚くくらい自然に事実を受け止めてくれた。


「びっくりは、しましたけど、人が多いのは苦手、なので。この方が、よかったかもしれないです」


 なんて健気なことを言って、笑顔を見せてくれた。

 人恋しいのに人ごみは嫌い、ということだろうか。

 なかなかに複雑だ。


「とにかくまあ、ここの状況はそんな感じかな。あっ、でも、何かあったら俺が全力で何とかするから」

「は、はいっ!」

「そうだ。早速だけど、何かやってみたいこととか、してもらいたいことってあるかな?」

「え、えっと……これは、ちょっと、違う、かもしれないですけど」


 不安そうな彼女に、「何でも言っていいよ」と促すと、ロコは震える声で、言った。



「……もう、ひとりは、いやです」



 そう口にしたロコの顔が、あまりにさびしそうで……。

 俺は、ハッと胸を突かれるような想いがした。


「大丈夫だ!」


 気付けば俺は、ロコの両肩を、ギュッとつかんでいた。

 胸の奥から湧きあがる、熱い庇護欲がさせるままに、強く強く言い放つ。


「これからは、俺が傍にいるから! 絶対一人にさせないから!」


 俺の激しい口調に、驚いたのだろうか。

 ロコは最初こそ目を丸くしていたが、すぐにその表情は明るく花開く。




「――はいっ! よろしくお願いします、ルキさん!!」



 その、満開の笑顔を見て、俺はひそかに心を決めていた。

 それは、新人が出来たらやってみようとずっと思っていたこととも合致する。


 決めた。

 俺は絶対、この子を……。




 ――たっっっっっっっっっっっっぷり、甘やかしてやろう!!




 こうして、俺のグダグダでデロデロな新人教育が始まったのだった。

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胃が痛くなった人に向けた新しい避難所です! 「主人公じゃない!
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