第二十一話 月明かりの下で
王道を書きすぎて邪道の書き方を忘れ……あ、これでいいのか
空に浮かぶ真っ白な月に、手を伸ばす。
――初心者の塔、最上階。
全てのフロアの中で最小のその階には外に通じる扉があって、その先は小さなテラスになっている。
その狭くて小さな空間が、俺と彼女の待ち合わせ場所だった。
「……ルカ」
そっと、彼女の名前を呼ぶ。
俺と違って、彼女は全てが優秀だった。
優れた初期職業に、恵まれた初期装備。
さらには剣の扱いにも人並み外れた才能を発揮して、瞬く間に上達していく。
ルカと俺の差は開く一方だったし、ステータスの差を抜きにして戦っても、俺が彼女に勝てることはほとんどなかった。
天才という言葉は、彼女のためにあるのではないかと思ったほどだ。
彼女は一度たりともペースを緩めことなくあっという間に強くなって、あっという間に塔の外に巣立っていってしまった。
それでも、俺のパーティメンバーの欄にはルカの名前が今でも残っているし、彼女はわざわざ塔に残った俺に「戦利品」を渡すために、時々この塔まで戻ってきてくれた。
俺がいつも身に着けている「奇跡の指輪」だって、ルカにもらったものだ。
今の俺があるのは、あらゆる意味でルカのおかげだろう。
本当に、感謝している。
今も俺に力を与えてくれている奇跡の指輪をそっと撫で、最後に会った時の彼女の笑顔を思い出す。
ギュッと、心臓をつかまれるような焦燥。
ロコが来てからはあまり感じることのなかったそんな感情が、俺の胸を焦がす。
そういえば、と、そこでふと、想像する。
――初心者の塔に人が増えた、なんて言ったらルカはどんな反応をするだろう、と。
※ ※ ※
速いもので、俺がロコと出会ったあの日から、もう二週間が過ぎた。
そのたったの二週の間に色々なことがあって、そのどれもがまるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。
出会いの日、突然現れたロコにおそるおそる手を伸ばしたこと。
目を覚ましたロコにしがみつかれ、わんわんと泣かれたこと。
落ち着いたロコと手をつないで、仲良く塔の施設を巡ったこと。
ロコの事情を聞いて、彼女を守ってあげたいと決意したこと。
ちょっとしたすれ違いからロコが水着になって、焦ったこと。
その成長を祈って、ルカからもらった奇跡の指輪を手渡したこと。
それから最近は、オーディオルームのシートに並んで座って、手をつないだままライブラリの映像を見るのが日課で……。
…………。
…………。
うん、なんだろう。
なんでか分からないが、なんとなく、ルカにはロコのことを話さない方がいい気がしてきた。
まさか、今のルカが俺たちの様子を知っているはずがない……と思うし、うまく再会出来たとしても、わざわざ余計な話をして無用な波風を立てることはない。
うん、きっとそうだろう、うん。
それに……。
ロコがいつまでここにいるかは、分からない。
何しろ、ロコは逸材だ。
こと素質、という点においては、ロコはルカにも負けてはいないのではないかと、俺は思っている。
もちろんロコの適性は、ルカとはまるで違っている。
ルカが繊細ながらもダイナミックで激しい戦い方をするのに対して、ロコの戦い方はひたすらに小さな動きで最適解を積み重ね、相手を詰ませていく手法だ。
単純に優劣の比較は出来ない。
が、どちらも俺には計れないという意味において、同等程度には感じる。
本来であれば、ロコもきっとすぐに塔を卒業して、外に旅立ってしまうのだと思う。
ただ、ロコの育成には、あえて時間のかかる方へかかる方へ誘導して、ずいぶんと遠回りをさせている部分がある。
いや、無駄なことを教えている訳じゃない。
そうじゃないが、キャラクターの強化を目標とするなら、最適解を選んでないというのもまた事実。
これが俺のエゴだとは分かっているが、あと少し、あと少しと引き伸ばしてしまっているのが現状だ。
その最たるものが、映像記録の閲覧だろうか。
ロコにはあれから、ライブラリの中からほかのプレイヤーの戦闘映像を眺めて立ち回りの勉強をするように言っていて、ここに結構な時間を取られている。
あ、もちろん、見せてはいけないものもあるので、初見の映像にはロックをかけて、俺がよさそうだと思ったものだけを選んで必ず一緒に見るようにしている。
他人の戦闘なんて見てもすぐに飽きてしまうかなと思っていたが、意外にも「わたし、映画館って行ったことないですけど、きっとこんな感じですよね!」と大はしゃぎだった。
映像を見る時間になると、俺が提案するより先にオーディオルームに行こうと自分から言い出すし、映像の希望を聞いた時も「できるだけ長いものがいい」と非常に意欲的だ。
能力的な部分だけでなく、このやる気と素直さもやはりロコの武器ではないかと思う。
いっつもやる気のないリューに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいところだ。
それから、オーディオルームで映像を見るのはロコのささやかな趣味にもなったようだ。
テレビ感覚なのかな、と思って尋ねてみると、「お母さんには自分がいない時にテレビをつけちゃいけないって言われてたから、一人でこういうのを見てると何だかドキドキします!」と言っていた。
それだけだと何だかエッチなものを見ているようだが、ロコが見ているのは一度俺と一緒に見た戦闘がメインの映像と、観光関係の無害なものだ。
実際にエッチな奴も実はあったりするのだが、いつロコが来るか分からないので見れなくなった。
ちくしょ……ああ、いや、当然ロコの教育上問題なので、初期の頃のいくつか行方が分からないもの以外は全部秘密のフォルダの最下層に押し込めて、厳重にロックしている。
ま、まあそれは置いておいて。
ロコは特に、超不人気シリーズ「ジェネシスの車窓から」が好きだというから、世の中分からない。
この映像は、ちょうどワールドリセットの直後辺りに、「変わってしまったジェネシスの世界を紹介する映像がほしい」というプレイヤーの要望を入れて正式稼働前にシステム側が用意したものだったが、実際にこの映像を見る者は少なかったそうだ。
まあ常識的に考えて、正式前の三時間しかないログイン時間をわざわざ旅番組を見るために使うはずもない。
また、内容は名所紹介のようなものなのだが、その中身にそぐわない軽薄でありながらねっとりとした口調のナレーションもひどく不評だったらしい。
シリーズ公開時には苦情が殺到。
その内容も「旅情を粉砕するかのような粘着質な語り口、イラッとします」「声を聞いてるだけで吐きそうになる」「ただただ不快」「一言目を聞いた瞬間にクソだと分かった」「なんでこいつをナレーターに起用したのか理解に苦しむ」「殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺」「緑髪のエルフは殺せ!」と散々だったと聞く。
……まあ、気持ちは分かる。
そのせいで正式稼働前に続きは作られなくなったが、なぜか一日十話ずつ配信されていたため数百話あり、管理も杜撰だったのか、ライブラリの「ジェネシスの車窓から」フォルダを見てみると同じ話数がかぶっていたりもしている。
それでもまあ、ロコが楽しめる時間が出来たなら、それはきっと、正解なんだろう。
「……ふぅ」
考えることに疲れた俺は、手すりに身を預けるようにして、ため息をつく。
このテラスは一応は「外」に分類される場所だが、この付近に、空を飛ぶモンスターや、高い場所を攻撃出来るモンスターはいない。
だからここは、塔の外で唯一の安全地帯。
ゆったりとした時間が流れる中、空を煌々と照らす虚構の月を見て、俺は目を閉じる。
お昼のギルドチャットがギルドのみんなに会うための日課だとしたら、これはルカと、ルカと会うためだけの日課だ。
ルカは度々塔に戻ってきていたが、その時に事前に日取りを教えたりなんてことはしない。
彼女と会うのは、決まって深夜零時。
手すりに寄りかかり、こうして空を見上げる俺の傍に、羽を持つ彼女がふわりと降り立って囁くのだ。
『――待った?』
……と。
今だって、気付けばルカがいつの間にか隣に立っていて、前と同じようにささやきかけてくるような気さえしている。
でも、そうじゃない。
ルカは、いつだって俺に会いに来てくれた。
だから、だから次は……。
――次は、俺が会いに行く番だ。
目を開き、きっと彼女がいるである方角に向かって、手を伸ばす。
それはもちろん、簡単なことじゃないって分かっている。
彼女がいるのは、きっと彼女以外の誰もが足を踏み入れたことのないような、未踏の地。
未知の魔物が跋扈して、畏怖すべき怪物が待ち構える、正真正銘の魔境。
今の俺が行ったとしても、生きて帰れるか以前に、辿り着けるかすら分からない。
だけど、いつかは、きっと……。
虚空に伸ばした手は、今はどこにも届かない。
それでも俺は、その手をグッと、握りしめたのだった。
※ ※ ※
最上階からの階段を下りたところで、俺は襲撃を受けた。
「ルキさんっ!」
とは言っても、塔の中でモンスターが襲ってくるはずもなく。
バンッと飛びついてくる彼女を避けることも出来ず、甘んじて身体で受け止める。
「どうしたんだ、いきなり」
最上階に行く時に周りに人がいないのは確認したし、ロコと別れたのはもう二時間以上も前だ。
しかも、このタイミングと場所は、ちょっと偶然とは考えにくい。
「えへへ。この前、ルキさんがこの時間にここを通るのを見て、ここで待ってたらルキさんに会えるかなって思って」
「お前なぁ……」
張り込まれていた、って訳か。
いや、それでも最上階まで踏み込んでこなかったのは、ロコなりに配慮してくれた結果、なのかもしれない。
それでも、ここでは俺がロコの保護者代わりだ。
あまり甘い顔は出来ない。
「いい子はもう寝る時間だぞ」
「じゃ、じゃあわたし、悪い子になりますから!」
勢い込んで言うロコに、参ったな、と肩をすくめる。
現在時刻は深夜の零時半。
子供はもう寝る時間だ。
特に精神の安定のためには規則正しい生活が重要と聞く。
ここはきちんと説得して、ロコを寝かせるべきだとは思うのだが……。
「あ、あの。もうすこしだけ、ルキさんとお話がしたくて……ダメ、ですか?」
とはいえ、こうやって頼まれると、俺は弱い。
良識と誘惑の狭間で揺れ動いた俺は、結局は折衷案を出した。
「じゃあ、ラウンジの購買で飲み物でも買うか。あそこのココア、なかなかおいしいしな」
「はいっ! ココア、大好きです!」
嬉しそうなロコに顔がにやけそうになるのを我慢して、俺は厳しい顔を作って釘を刺す。
「ただし! その代わり、飲み終わったらちゃんと寝るんだぞ」
「わかりました! 十時間かけて飲みほします!」
「どんだけちびちび飲むつもりだよ! まったく……」
口では注意をしながらも、心の底から嬉しそうに笑うロコに引っ張られ、俺も自然と笑顔を浮かべていた。
――うん、そうだな。
ルカのこと、だけじゃない。
この笑顔を守るためにも、俺はもっと強くならなきゃいけない。
強くなって、強くなって、そしていつかは、ルカと肩を並べて……。
「……よし」
自分の中で湧きあがった決意を確かめるように。
俺はもう一度、ルカのいる方に向かって手を伸ば――
「はむ!」
「うひゃっ!? なっ? えっ!?」
――そうとしたところで、突然の刺激に、変な声が漏れた。
見ると、ロコが俺の左腕を甘噛みしていた。
痛くはなかったが、予想もしていなかったむずがゆさと温かい感触に背中が震えた。
「い、いきなり、何して……」
「にへへ。隙だらけだったので、イタズラです」
今は結構大事な場面だったはずなのだが、無邪気に笑うロコに、すっかり毒気を抜かれてしまう。
ロコはさらに俺の右側に回り込むと、さっきまで持ち上げていた俺の右手を、両手で抱えるようにしてぎゅうーっと握りしめる。
「ロ、ロコ?」
「これで、右手も寂しくないですよねっ!」
いや、別に手が寂しいから手を伸ばしていた訳じゃないんだが……。
こういうところ、やっぱりロコは子供なんだな、と思う。
「そりゃ、ありがとう。でも、歩きにくいからちょっと離してくれると嬉しいな」
「ダ、ダメです! ルキさんは目を離すとすぐよそ見しちゃうので、わたしがしっかりとつかまえておきます!」
「あ、あはは……」
ロコは俺の右腕を抱えるように抱きしめると、そのまま本当に歩き出してしまう。
年下の女の子に引っ張られるなんて、格好がつかないな、と思いつつ、楽しそうに俺の手を引いているロコを見ると、文句の言葉も引っ込んでしまう。
それに、初めは受け身一辺倒だったロコがこういうワガママを言い出したのは、きっといい傾向なんだろうと思う。
――ごめん、ルカ。もしかすると、もう少し時間かかるかも。
俺はルカに心の中で謝ると、ご機嫌な様子で俺の腕に顔をこすりつけているロコに腕を引かれ、ラウンジに向かったのだった。
ジェネシスの車窓からとか無駄なネタ入れてたら結局ロコといちゃいちゃしてるだけの回に
分割とか話の順序替えのせいで微妙な書き溜めが
これならあと二日は連続で更新できる……かも




