番外 最前線
閑話になる度にくっそ長くなって更新が遅れる病気が
今回は時間をちょっと戻して別視点
ロコたちとのギャップをお楽しみください
「リリ! まずいよ! 十二時まであと二十秒!!」
叫ぶ相棒の声に、わたしは焦りを募らせる。
それでも、わたしに出来ることはただ愚直に杖を構え続けるだけ。
「カウント! 残り十八秒、十七、十六……」
突き出した杖の先から、間断なく風の刃がほとばしる。
それは秒ごとにモンスターの生命を削って、けれどまだ、もう少し……!
「あとちょっと! 十三、十二、十一……」
効いては、いる。
確実に敵の数は減っている。
それは間違いない。
だから!
――間に合え! 間に合え! 間に合え! 間に合え!!
ただ、心の中で念じながら、わたしは折れそうな心を奮い立たせる。
今のわたしは、何も出来ない子供じゃない!
大魔法使いの「リリシャ」だから!
「あと一息だよがんばって! 十、九、八……」
もう、エリンの声も頭に入ってこない。
ただ杖を動かして、少しでも速く、少しでも多くのモンスターを倒すべく、集中する。
「四、三、二、一……」
あと少し!
あと少し、だから!
「間に、合えぇええええ!!」
叫びと共に、風の刃が最後に残った敵を討つ。
そして……。
「……敵、全滅したよ。たぶん、ギリギリ間に合ったんじゃないかな。おつかれさま」
ポン、と肩に乗せられた手のあたたかさに、わたしはその場にしゃがみ込んだ。
それを見たエリンは「仕方ないなぁ、リリシャは」とどこか嬉しそうにつぶやくと、メニュー画面を素早く操作して、わたしにその画面を突きつける。
「ほら。天秤値、プラス8。……やったね。これがわたしたちの、成果だよ」
かけられた声に、言葉に、成功の実感も湧かないまま。
わたしはぼんやりと、気の抜けた笑みを作った。
天秤値の書かれた画面をぼうっと見て、それからその上端に、現在の時刻が表示されているのに気付く。
そこには、「8月1日 12時01分 02秒」と書かれていた。
※ ※ ※
わたしの「リリシャ」というプレイヤーネームの由来は、子供の頃に読んでいた漫画のキャラクターだ。
リリシャは『エルフの森のリリ』という漫画の主人公で、わたしのプレイヤーキャラクターと同じ、エルフの魔法使い。
ただ、内面については、わたしなんかとは全然違う。
彼女はエルフにしては好奇心旺盛で、エルフのくせに魔法が苦手で、エルフなのに口が悪い。
だけど、彼女はいつだって全力で、自信に満ち溢れていて、どんな苦境も持ち前の明るさと機転で解決して、たくさんの人を笑顔にしていた。
ワガママで、頑固で、奔放で、喧嘩っ早くて。
でも行動力があって、前向きで、情に厚くて、絶対に他人を裏切らない。
そんな彼女に、わたしは憧れた。
――引っ込み思案な自分を捨てて、ゲームの中でだけは、あんな輝いた存在になりたい。
リリシャという名前を自分のキャラにつけたのは、そういう理由からだった。
ただ……。
わたしのその計画は、最初からつまずいてしまった。
ジェネシスは想像していたよりも素敵な場所だったけど、想像をはるかに超えた過酷な場所でもあった。
それを、わたしはジェネシスを開始したその日に思い知らされる。
チュートリアルは意地悪なものばかりで、一緒にチュートリアルを受けたヒリューという人は、わたしの目の前で大きな鉄の巨人に殺されてしまった。
それでも自分を奮い立たせ、何とかチュートリアルをクリアしたけれど、そのやり方がよくなかった。
その時期のチュートリアルでは、「クラッカー」という使用すると付近の敵だけに爆発ダメージを与えるという救済アイテムが与えられていたのだが、切羽詰まったわたしはこれを一度に爆発させてガーディアンを倒し、結果としてとんでもない地雷職を持ってジェネシスを始めることになってしまったのだ。
そんなわたしを救ってくれたのが、エリンだ。
ウサギの耳をつけた獣人のキャラクターを選んだ彼女は、わたしより半年も前からジェネシスを続けていたという古参プレイヤーの一人だ。
とはいえ、プレイヤーキャラクターの成長度合いからすると、そんなに差はない。
その原因は、世界を一度消し去ったワールドリセットだ。
ワールドリセットの影響はまさに全世界におよび、その時にログアウトしていたプレイヤーすら、ワールドリセットの光が初心者の塔に到達した瞬間に消失したという。
全キャラクターのデータは失われ、彼らが鍛えたレベルも、アイテムも、そして人間関係すらも全てがリセットされた。
なぜなら、ジェネシスでは日本の情報を話すことが出来ない。
つまり、ジェネシスで構築した人間関係はジェネシスで構築し直すしかなく、そのままジェネシスを辞めた人間には連絡の手段すらなかったからだ。
エリンはワールドリセットの時には別の固定パーティを組んでいたそうだが、すぐに新規で同じ見た目と名前のキャラクターを作って初心者の塔に行ってみても、前のパーティメンバーを見つけることは出来なかったそうだ。
彼らが引退したのか、あるいは別の人と先にパーティを組んで初心者の塔を出ていったのか、エリンは分からないと言っていた。
エリンはしばらくの間ソロでプレイをすることを決め、それでも時折、初心者の塔に戻っては元のパーティメンバーがいないか捜していたらしい。
そこで見つけたのが、不遇ジョブを割り当てられ、何も出来ずに泣いていたリリシャというプレイヤー。
……つまり、わたしだった。
エリンはあの『エルフの森のリリ』を読んでいたみたいで、すぐにその話から意気投合。
実は同い年だということも分かって、今ではお互いに遠慮はなく、わたしはエリンのことをそのままエリンと呼び捨てで、向こうは漫画のリリシャの愛称であるリリと呼ぶまでの仲になった。
わたしたちは二人でパーティを組み、ジェネシスの世界を飛び回った。
エリンはピーキーなわたしのジョブをうまくサポートして、大きな武器に変えてくれた。
ついに転職が出来る二十までレベルが上がった時は、ついエリンに抱き着いて泣いてしまったのも覚えている。
毎日、エリンと時間を合わせてログインして、エリンと一緒にバカをやりながら過ごしていると、三時間なんてあっという間で。
ログアウトする度に次にやりたいことがいくらでも湧き出てきて、ジェネシスにログイン出来る時間が来るのが本当に待ち遠しかった。
――それがわたしとエリンにとっての黄金時代で、けれどその時間は長くは続かなかった。
その幸せな時間を壊したのは、突然のジェネシスの正式稼働。
そのあとに巻き起こった混乱については、もはや言うまでもない。
それまでのジェネシスは安定していた、と言ってよかったと思う。
ワールドリセットの影響も落ち着いてきて、むしろ天秤や踏破済みダンジョンがリセットされ、プレイヤーがある程度のノウハウを持ってやり直しが出来たことがプラスに働き始めた頃でもあった。
もちろん、ワールドリセット前とはモンスターの分布やダンジョン配置なども変わっていたが、モンスター相手の立ち回りや冒険の定石が変わる訳ではない。
いわば世界単位で死に戻りしたプレイヤーたちは、効率よくジェネシスを攻略していき、このまま順調に進めば、今度は魔王を倒すことも可能なのではないか、という期待のようなものが高まってもいた。
しかし、そんな思惑は正式稼働によって一瞬でぶち壊された。
まず、正式稼働時にログインしていなかった、一部のトッププレイヤーを含めた全プレイヤーの三割近い人数が脱落したのは痛かった。
新規キャラクターが作成出来ないのだから、プレイヤーの数は減ることはあっても増えることはない。
プレイヤー陣営は、スタート地点からして大きなハンデを背負ってしまうこととなったのだ。
プレイ時間制限がなくなったのだから、モンスターとの戦いは有利になるんじゃ、なんて楽観論もあったが、もちろんそんな風には行かなかった。
もちろん、全体的に戦っている時間は伸びたとは思うが、ジェネシスでは夜の時間帯は視界が悪くなり、モンスターの強さも跳ね上がる。
一日中戦えるはずもないし、何よりプレイヤー全員が以前よりも死を恐れて積極的な行動を取らなくなった。
おそらく、現在のアクティブなプレイヤーの数は全盛期の二割程度。
プレイヤー陣営の支配領域は縮小し、正式稼働時は70:30で圧倒的にプレイヤーに有利だった『世界』の天秤は、今では37:63となり、もはやモンスター側に大きく傾いている。
このまま時間が経てば、この差はもっと広がっていってしまうだろう。
これを覆す最後の希望は、Xデー。
すでに現存プレイヤーの「ほぼ」全員が参加を表明している十月一日の大反攻作戦しかない。
それ、なのに……。
「こらっ!」
ぺちこん、と唐突に頭がはたかれ、わたしは何が起こったか分からず目を白黒させた。
顔を上げると、怒った顔をしたエリンが腕を組んでわたしをにらみつけていた。
「まーた余計なこと考えてたんでしょ! 今は食事の時間! ほら、食べた食べた! 食べないと大きくなれないよ!」
「し、身長のことは言わないでって言ってるでしょ!」
それに、どうせジェネシスでいくら食べようが大きくなんてならないし。
そんなことを考えたら、何だか涙が出てきた。
「な、泣くなよもー! リリは大魔法使いなんだから、シャンとしてないとさ!」
「う、うん。わかってる」
「明日もまたフィールド掃除するんでしょ。だったら余計に食べなきゃ、さ」
「わ、わかってるってば!」
わたしは、「モグラ」たちとは違う。
まだジェネシスを、この世界を、諦めてないから。
もしゃもしゃと食べ物を口に放り込むわたしをうんうん、と眺めると、エリンはメニュー画面を操作して、周辺の地図を出した。
あ、ちなみに今日のご飯は鶏肉と卵のサンドイッチ。
おいしい。
「それで、街の東側はあらかた片付いたから、次はこっち。ルクスの街の北の平原を攻めようと思うんだ」
「へ、へも……」
「口に物を入れたまましゃべらない」
「ん、んんー!」
ごっくんとパンを口の中に押し込んで、わたしは懸念を口にした。
「でも、こっちにはウルフ系のモンスターがいるんでしょ。大丈夫?」
「あー。ルーンウルフ系統はここにはいないはず。獣系モンスターは大抵火属性に耐性ないし、明日にはクールタイムも終わってるだろうから……」
「そ、そうじゃなくて、ウルフは足が速いから、囮になるエリンが……」
わたしがそう言うと、エリンはにやぁぁ、っと口を三日月形にした。
そのまま、その育った胸の間に顔を放り込まれる。
「はー! リリはほんといい子だなぁ!」
「や、やめてよ! 子供扱いしないでって! お、同じ年だし、誕生日はわたしの方が早いのに!」
「でも、わたしの方がジェネシスでは先輩だし、リリはちっちゃいしねー」
「ち、ちっちゃいって言わないで!」
じたばたと身体を動かし、どうにか拘束から逃れる。
ほんと、ひどい目にあった。
こういうのは好きな男の子にでもやってあげてほしい。
わたしと違って、需要はあるだろうに。
「ま、この一帯の天秤値を下げるなら、ここを押さえるのは避けては通れない、至上命題だよ。ルクスの街、守るんでしょ?」
「それは……」
わたしは、口をつぐむしかなかった。
そもそもこれだって、わたしから言い出したことなのだ。
「はー。この辺に『モグラ』の巣でもあれば、少しは楽できたんだけどなぁ」
それは分かっているはずなのに、続けて口にされたエリンのおどけるような言葉に、わたしはつい、ムッとしてしまう。
「……モグラなんて、当てにするだけ無駄だよ。天秤が赤くなったら、絶対出てこないに決まってる」
あんな奴ら、信用する価値なんて、ない。
「まぁたリリは、すぐそうやってすねる」
わたしのモグラ嫌いを知っているのか、エリンは苦笑気味だ。
モグラというのは、ジェネシスのプレイスタイルの一種だ。
ジェネシスのプレイヤーは、そのスタイルによって大きく三つに分類される。
まずは、常に最前線に潜入し、誰も入ったことのないダンジョンやフィールドに分け入り、時にボスを倒して大きく天秤を傾ける「冒険者」。
名実ともにトップのプレイヤーであり、ボスを倒す華やかさとそれにより得られる天秤値から、全プレイヤーの羨望を一手に集めている。
次に、天秤が赤い場所……つまりは魔物の支配が比較的強い場所に行き、そこでモンスターを倒すことでジェネシスを支える「最前線組」。
不利な場所で戦った方が天秤は大きく動くため、ジェネシスに貢献していると言えるが、その分常に転戦を繰り返さなければならず、危険も大きい。
それから。
最後の三種類目が、わたしが一番許せなくて大嫌いな存在である、モグラ。
モグラには二種類いる。
二種類いて、どっちも自分には許せないし、どっちも最悪だと思う。
一つは単なる臆病者。
戦うのが怖くて安全な場所に引きこもり、ジェネシスがモンスターに侵食されるのをただ指をくわえて見ている。
そしてもう一つは、利己的な効率厨。
世界の、ジェネシスの人たちのことなんて何も考えず、ただ自分がジェネシスにおける強者になるという目的のためだけに、安全な青い天秤の狩場で作業じみたレベル上げをする人たち。
MMOで必要なのは、英雄的な働きではなく、狩り効率だ。
腹立たしいことに、実際にこのタイプのモグラが、プレイヤーランキングのトップ付近を独占している。
……その気持ちが、全く分からないワケじゃない。
モンスターと戦うのは泣きたくなるほど怖いし、ランキングトップテンに載ってみんなに注目されたら、それは楽しいのかな、とも思う。
ジェネシスがただのゲームだったら、わたしだってそんな選択肢を選んでいたかもしれない。
でも、この世界の人間たちは、本当にこの世界で生きているのだ。
そして、その未来を決めるのは、わたしたちのがんばりだ。
わたしたちが拠点にしているルクスの街には、たくさんのプレイヤーと、それ以上の数のNPCの人たちがいる。
今日のサンドイッチに使ったパンを売ってくれたのだって、ルクスの街のNPC。
街のパン屋で働いている、気のいいおじさんだ。
街がモンスターに呑み込まれてしまっても、プレイヤーだったら逃げられる。
でも、NPCの中には、街から離れない人、離れられない人だって、いるのだ。
その人たちを見捨てるなんて、間違ってるし、やってはいけないことだと思う。
いや。
自分よりもNPCの命を優先しろ、なんて言えないし、もしかするとわたしの考え方の方が傲慢なのかもしれない。
それでもやっぱりモグラには共感できないし、少なくとも好きにはなれない。
「ま、いいけどさ。でもそういうことなら、やっぱりわたしたちが頑張るしかないよね?」
わたしの思考が一段落ついたのを見て取ったのか、すかさずエリンが言葉を差し込んでくる。
こういうところは本当にうまくて、ズルい。
エリンの浮かべるチェシャ猫のように悪戯な笑顔に、わたしはただうなずくしかなかったのだった。
※ ※ ※
赤くなった天秤を青くする、つまりモンスターの支配から地域を解放するには、モンスターを倒す必要がある。
しかし、ただ闇雲に倒しただけでは、効率が悪い。
結局ジェネシスを支配しているのはゲームのルールなので、その法則に則らなければ十分な効果は得られないのだ。
まず気を付けるべきは、隣接する地域や、エリアの天秤値。
仮にその場所だけでモンスターを倒し続けても、周りの天秤が赤、つまりモンスター側に傾いていたら、その場所もすぐにモンスター側に傾いてしまう。
今回のように街を守るなら、できればその周辺全てのフィールドの天秤を青くする方がよいのだ。
あとは、敵を倒す時間帯。
天秤値の更新は、そのほかの諸々の処理と同じく、まとめて正午ちょうどに行われる。
そして、天秤値は「その場所で敵を倒した数」のほかに、正午時点で「その場所に存在する敵の数」で算出される。
だから、同じ数の敵を倒した場合でも、夜に倒して正午までに敵が復活してしまえば天秤値はそんなに変わらないし、正午直前に敵を倒して、敵が復活する前に正午を迎えれば大きく変動する。
特に、正午時点で「敵の数がゼロだった」場合の天秤値の変動はすさまじく、わたしたちが狙っているのもそれになる。
そして、翌日。
わたしたちはまた一つの地域の天秤を青く染めるために、まだ日も登らないうちから、ルクスの街の近くの平原に来ていた。
「……うん。敵のヘイトも取ってないし、見晴らしもよさそう。じゃ、リリ。詠唱、始めちゃって」
エリンの言葉にうなずくと、わたしは目標地点に向かって杖を構え、そっと魔法の言葉を放つ。
「スキルコール:カラミティバースト」
言葉と同時にスキルの使用が承認され、わたしは魔法詠唱のエフェクトに包まれる。
それを確かめて、エリンも戦闘態勢に入る……ことはなく、よっこいせ、とおっさんみたいな声を出しながら、わたしの隣に座り込んだ。
……もともと、魔法というのは、物理職業の技と違って詠唱時間が長く、発動までに時間がかかる。
例えば、魔法使いの覚える最初の魔法であるファイアーボールはこんな感じの性能だ。
――――
【ファイアーボール】
威力:100
消費:10SP
詠唱:30s
冷却:5m
――――
詠唱というのはスキルの発動動作をしてから効果が発揮されるまでの時間。
冷却は一度スキルを使ってからもう一度同じスキルを使えるようになるまでの時間を表す。
このsとかmは秒とか分という意味で、これは要するにスキルをコールしてから三十秒の詠唱後、SP十を消費して威力百の魔法を撃ち出し、次にファイアーボールを使えるようになるまで五分かかる、という意味になる。
比較対象としてチュートリアルで使ったスナイプやガードを見ると、
――――
【スナイプ】
威力:1(固定)
消費:0
詠唱:0
冷却:5m
――――
――――
【ガード】
威力:特殊
消費:0
詠唱:2s
冷却:1m
――――
となる。
この二つは特殊なものだけれど、どちらも詠唱は短く、消費SPも少ないという傾向は物理職業のスキルと同じだ。
だけど、わたしの……。
わたしのユニークジョブである「大魔法使い」の場合は、さらに事情が異なる。
魔法使いの「ファイアーボール」に当たるであろう、大魔法使いが最初に覚えた「インフェルノフレア」というスキルの性能が、これだ。
――――
【インフェルノフレア】
威力:5000
消費:1000SP
詠唱:5h
冷却:5d
――――
いきなりとんでもない威力と、hとかdといった見慣れない表記が出ていて、初めて見た時は戸惑った。
ただ、答えは簡単で、hは時間、dは日を表す。
つまりこれは……詠唱に五時間をかけ、千のSPを消費して五千の威力の魔法を放ったあと、次に同じ魔法が使えるまで五日を要する、という意味になる。
正直に言おう。
アホじゃないかと思った。
まず、消費SPが千というのがおかしい。
初期のSPはどんなに装備で盛っても百にも届かない。
詠唱時間もおかしい。
詠唱中は、ろくに身動きを取ることが出来ないのに、そんな状況で五時間も待って、それでやっと魔法が一度だけ発動出来るというのだ。
どんなに威力があっても、見合うものじゃない。
そしてわたしは、大魔法使いのアビリティ欄を見て、さらなる絶望に落とされることになる。
アビリティ「大魔法使い」。
ジョブ名と同じ名前のこのアビリティの解説には、こうあった。
「このアビリティを所持している者は圧倒的な力を持つ大魔法を使用出来る代わりに、ほかの魔法を一切使用出来ない。また、このアビリティはオフに出来ない」
詰みだった。
わたしは魔法使いなのに魔法を撃てず、かといって物理攻撃が強いワケではじゃない、というかほんとにものすごく弱い大魔法使いというとんでもジョブのせいで、同じ時期にジェネシスを始めた人たちに見捨てられ、追い抜かされ、ひたすら孤独と不安の時間を過ごすことになってしまった。
ただ……。
それは、エリンという協力者を得て、大きな武器へと変貌した。
フィールドの端から端まで届くかという射程の長さに、一撃で敵を殲滅し得る威力と範囲。
それは、フィールドのモンスターを一度に殲滅する、という目的に適ったものだった。
こんな力技のような魔法は、機転と発想で苦境を乗り切り続けていたリリシャを目指す身としては不本意だけれど、使わない手はない。
わたしは一人じゃない。
二人で力を合わせれば、きっと……。
「あの、さ。リリ」
「ん? なにエリン?」
まるで以心伝心。
ちょうどわたしがエリンのことを考えた時に、エリンがわたしの名前を呼ぶ。
わたしは、自然と笑みを作ってエリンの方を振り向いて、
「暇だからちょっと寝ててもいい?」
やっぱり心は通じ合っていないかな、と思い直したのだった。
※ ※ ※
「リリ。そろそろ、SPまずいんじゃない? ポーション飲む?」
「う、ん。そうだね。ありがとう」
魔法詠唱中は、わたしはほとんど身動きが出来ない。
だからこそ、エリンの存在が大きな力になってくれる。
モンスターが襲ってきた時に、逃げることが出来ないだけではない。
大魔法使いの魔法の消費SPは膨大だ。
それは大抵の場合、現在の最大SPを上回る。
だが、魔法の消費SPは使用した瞬間に一気に減るのではなく、詠唱中に少しずつ減っていく。
だから、詠唱中に常にSPを補給することが出来れば、最大SP以上の消費の魔法も使用することが出来るのだ。
これがお荷物でしかなかったわたしが、本当の大魔法使いになれた秘密で。
わたしとエリン、二人の絆。
「あ、リリ。汗、拭いてあげるね」
「あ、ありがとう」
エリンは詠唱中で何も出来ないわたしのSP管理を含め、こまごまとした世話を焼いてくれる。
素直に口には出せないが、本当にエリンには感謝している。
「リリ。アメちゃん食べる」
「う、うん? ……ありがとう」
してる、んだけど……。
「あ、リリ。耳にふーってやっていい?」
「ありが……それはやめて」
時々行き過ぎるというか、たまに悪ノリするというか。
「ふーっ」
「ひゃぁあああ! やめてって言ったのに!!」
この悪ふざけだけは本当にやめてほしい。
しかし、いじめっ子の本能なのか。
わたしの素直な反応を見て、エリンの変なスイッチが入ってしまったらしい。
「ずっと思ってたんだけど、リリは詠唱中はほとんど動けないんだよね」
「そ、それは、そう……だけど」
エリンの目に変な光が宿っている。
身の危険を感じたわたしは、反射的に身をすくませた。
「ふへへへ。じゃあさ。わたしの手がちょーっと滑っちゃって変なとこさわっちゃっても、逃げられないよねー」
「な、なに言って……」
エリンは口元をだらしなく緩めると、ワサワサワサーと何だか生理的嫌悪感を感じさせる動きで手をうごめかす。
その視線の先にあるのは……胸!
エリンと比べればほんのちょっとばかし大きさの足りないわたしの胸を、エリンは猛禽の瞳で見つめていた。
「ダ、ダメ! それはほんとにダメだから!」
「えー? なにがダメなのかなぁ。わっかんないやー」
白々しいことを言いながら、手をワサワサとさせながら近づいてくるエリン。
危機感を覚えたわたしは、抑えた声で叫んだ。
「そ、それ以上近付いたら、大声出すから!」
「え? 大声出してどうするの?」
ぽかんとした顔でこっちを見てくるエリンに、びしっと言ってやる。
「そしたら、声でモンスターたちがこっちに気付いて……。気付いて……。動けないわたしだけ、殺され、ちゃう?」
「……そうだね」
静かにうなずいたエリンは、「さて」とばかりに、まるで仕切り直すように手のワサワサを再開させた。
そして、今度こそ獲物に向かって一直線に手を伸ばす。
「だ、だめ! ほんとダメだってば! こ、こら……んっ」
そしてついに、その手がわたしの胸にペタンと張りついて……。
「…………?」
唐突に、にやにやと笑っていたエリンが真顔になった。
「えっ? な、なに? えっ?」
真剣な顔のまま、手を戻すと、自分の育ちに育った胸をふみゅんと揉む。
何が何だか分からないわたしに、エリンは真剣な顔のまま頭を下げて、
「……ごめん」
謝った。
謝った!
謝った!!!
「いやぁ。今まで散々ネタにしてたけど、うん。実際にさわると、思った以上にその、えっと、ごめんね?」
申し訳なさそうな中にひとつまみの優越感を隠したその表情に、わたしの頭の中で何かがキレたのをはっきりと知覚した。
「エェリィンンンンン!!!」
「ちょっ! ダメだってば! 敵! 敵いるから! ほんとに大声は、ちょっ、ダメ―!!」
※ ※ ※
「どう? 魔法の方は、準備いい?」
「……詠唱は、終わったわ」
少なくないSP回復アイテムと心の傷を犠牲にして、詠唱は完了した。
正午を迎えるまで、あと五分。
時間としては、頃合いだろう。
「じゃ、ちょっくら行ってくるから、応援しててね」
エリンが軽い調子で言う。
でも、わたしはその手が小さく震えているのに気付いていた。
わたしの魔法の効果範囲はフィールド全域を覆うほどには広くない。
だから、その魔法でフィールドを制圧するためには、誰かが囮になって敵を一ヶ所に集めなくてはいけない。
そして、それができるのは……。
「もー。そんな顔しないでってば。わたしだってもう何度もやってるんだし、いのちだいじに、で行くからさ」
「わ、分かってる。分かってる、けど」
それでも割り切れないわたしの顔を、エリンが覗き込む。
普段見せない真面目な顔に、わたしはドキッとした。
「いい? 今のジェネシスで戦う以上、安全に、危険もなく、なんて訳には絶対に行かない。わたしたちは誰だってギリギリの綱渡りをしなくちゃならない」
「だからって、エリンだけが、こんな……」
「だけじゃない! わたしは、モンスターが来たら逃げることも出来ずに殺されるしかないリリが、そのリスクを負ってないとは思えない。……ううん。ずっと、わたしだけが楽をしていいのかって、そう考えてた。すごい力を持ったリリに寄生して、うまい汁だけをすすって。そんな自分が嫌だなって」
「そんなこと……!」
考えたこともない。
絶対に、そんなことはないのに。
また泣いてしまいそうになるわたしを見て、エリンは困ったように、でも少しだけ嬉しそうに、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回した。
「あー、もう! いい? 今はめんどうなことはいいから! とにかくわたしのためにも、ドーンと構えて笑顔で……え?」
突然に、エリンの言葉が途切れる。
「どう、し――」
そして、疑問を口にしかけたわたしの動きも、凍りつく。
いつのまにか、本当にいつのまにか、わたしの上に、大きな影が差していた。
「え……?」
それは本当に、あまりに唐突だった。
見上げたその先には、異形の頭と大きな羽、それから禍々しい尻尾を備えた巨大な怪物が、わたしを見て嗤っていた。
「なん、で? な、に?」
ジェネシスでは、理不尽は前触れなく襲ってくる。
いつか聞いた言葉が、とっさに頭に浮かんだ。
怪物は咆哮をあげると同時に、腕を振り上げ……。
その時にわたしはそのモンスターの正体と、誰かに聞かされたその生態を思い出していた。
――南エリアボス〈キマイラ〉。
レベル255という桁違いの基礎レベルを持つこのボスは、ほかのエリアボスと違って、エリアの各地を飛び回り、強者を求めて放浪している。
そのしなやかな体躯は音もなく地を駆け、その大きな羽は静かに空を舞う。
この巨獣に目をつけられたら最後、もはや命はないだろう、と。
わたしは、わたしたちは、派手に動きすぎた。
フィールドを染め上げるほどの大魔法を連日で使って、天秤を大きく変動させた。
それが、このエリアの主の目を引いてしまったのだ。
「あ、は……」
そんな、場違いなほど冷静な思考が自分にできたことが、何だかおかしかった。
キマイラの持ち上げられた腕の先、光るのはわたしの命を奪う爪。
魔法はまだ、放っていない。
わたしはまだ、身動きが取れない。
いや、仮に動けたとしても、この巨獣の前に一体どれほどの意味があるだろう。
わたしは、もう……。
「――スキルコール:スナイプ」
横から聞き慣れた声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「エ、リン……?」
エリンは言っていた。
いざという時のために、わたしはサブジョブに「駆け出し冒険者」をセットしておく、と。
ずっと、そのいざという時とは何か問い詰めたのに、エリンは答えてはくれなかった。
けれど、今……。
「だ、め……。そんな……」
最悪の形で、その答えが明かされようとしていた。
キマイラの振り上げた爪の矛先が……変わる。
「――リリ。いままで、楽しかったよ」
「エリ――」
振り向く暇すら、なかった。
それより前に、グシャッ、という鈍い音がわたしの耳に届いた。
「う、そ……」
やっと追いついた視界の中で。
エリンの身体が、ゆっくりと倒れる。
「あ、ぁ……」
その身体には右の腕がなくて。
ドクドクと赤い血が流れるその身体は、ピクリとも動かなくて。
「あ、ああああああああああああああああああ!!」
気付くとわたしは、キマイラを、わたしの大切な親友を奪った敵をにらみつけていた。
詠唱は、まだ途切れていない。
魔法はいつだって放つことができる。
この位置で大魔法を使えば、わたしだってきっと、ただでは済まない。
そこまでやっても、エリアボスなんてとんでもない相手を倒せるとは思えない。
それでも、せめて、せめて一撃だけでも!
「くら、ええええええ!!」
わたしが、自分ごと大魔法をキマイラにぶつけようとした瞬間、
「――スカイ・スティンガー」
目の前に、流星が落ちた。
「な……」
絶対的な存在だったはずのキマイラのあげる、痛々しい悲鳴。
だけど、それよりわたしは、目の前に落ちてきた「それ」に視線を奪われていた。
「……狙いは適当だったけど、案外当たる」
それは、空から堕ちてきた「天使」だった。
「彼女」は純白の羽をはためかせ、悠然とわたしの前に降り立ったのだ。
「あ、なたは……」
わたしの口が、ひとりでに開く。
知っている。
わたしはこの人を、知っている。
彼女はまごうことなきトップランカーの一人。
後発組であり、上位ランカーの中で唯一、「ソロ」で冒険をしているにもかかわらず、あっという間にランキング七位の座まで上り詰めた、正真正銘の天才。
「――閃光の戦乙女、〈ルカ〉」
全てのジェネシスプレイヤーの憧れの存在である彼女は、わたしの声に少しだけ視線を揺らめかせると、
「それ。恥ずかしいから、やめて」
と、言った。
主人公登場!!
王道過ぎて吐きそう
次回更新はたぶん今度こそ明日!




