第一話 始まり
「……ブイアール、エムエムオー?」
「そうそう! たくさんの人と一緒に、ほんとにゲームの世界に入り込んだみたいに冒険ができるんだ!」
俺が初めて〈ジェネシス〉という名前を聞いたのは、ゲーム好きのクラスメイトからだった。
ある日突然、「テストプレイヤー当選おめでとうございます!」と書かれたうさん臭さ満点の郵便が届き、その中にはゲーム用と思しきヘッドマウントディスプレイが入っていた。
当選おめでとうも何も、俺はそんなものに応募した覚えはない。
いかにも怪しいその荷物をどうしようかと思ったところ、ゲーム好きで有名なクラスメイトの桐生の顔が思い浮かび、もしかして何か知っているかも、と思って電話してみたのだ。
いや、俺としては、半分話のネタとして話してみただけで、桐生が本当にこの郵便について何か知っているとは思っていなかった。
だが結果は予想を裏切る大当たり。
俺が突然家に届いた郵便のことを切り出すと、桐生は「それってジェネシスだよ!!」とこっちが引くほどテンションで叫び、箱に入っていたゲーム、ジェネシスについて語り出したのだ。
「いや、VRMMOの意味は分かるけどさ。でも技術的にVRはまだそこまでリアルには作れないし、他のプレイヤーと遊ぶ場合さらに障害が増えるって……」
「そうだけど! でも、ジェネシスは違うんだよ!!」
それから桐生が熱く、かつ鬱陶しく語ったところによると、正式名称を「ワールドジェネレーター〈ジェネシス〉」というそのゲームは「間違いなく世界最高のVRMMO」で「数十年は未来を先取りしているとんでもない代物」らしい。
現実とまるで見分けがつかない高度なグラフィック、どころか、五感全てを完全に再現したバーチャル空間。
ゲーム用のコントローラーを用いず、まるで本物の身体を動かすようにゲームキャラクターを動かせる最強のインターフェイス。
そんな高性能なのに、一切のラグや処理落ちなどのバグはなし。
さらに、ユーザーへのアンケートを頻繁に行い、要望があればどんな無茶な願いでもすぐに反映させてくれる。
さらにさらに、テスト版のせいか月額課金もアイテム課金もなく、完全に無料でプレイ可能、ときたものだ。
「いや、それ逆に怖すぎるだろ。何か裏でもあるんじゃ……」
「そ、それは……」
急に勢いを失った桐生を問い詰めたところ、怪しい話が出るわ出るわ。
いわく、一日に最大三時間までしかプレイ出来ない。
キャラクターの蘇生手段はなく、死んだら即キャラデリート。
ここまでは普通のゲームでは考えられないとはいえ、まだ現実的な話だ。
しかし、ジェネシスのおかしなところはそれに留まらず……。
ヘッドマウントディスプレイの構造が完全ブラックボックスで、分解出来ないどころか破損報告すらない。
離れたプレイヤーと同時にプレイしているはずなのに、動作中の機器を計測しても電波を飛ばしている形跡もない。
そして、とびっきりにオカルトチックな話として、テスターに選ばれた人間以外にジェネシスの話を出来ない、んだそうだ。
実際、桐生も三ヶ月ほど前からジェネシスをやっているそうなのだが、その話が出来たのは俺が初めて、らしい。
その真偽は不明だが、話半分に聞いたとしてもどう考えても普通のゲームではない。
「と、とにかく! 面白いことだけは、保証するからさ! 気が向いたら絶対やってみてよ!」
「あっ! おい!」
旗色が悪くなったのを感じたのか、桐生はそこで通話を切ってしまった。
「……どうしろって言うんだよ」
そんな話を聞いたあとで、ほいほいとゲームをやる気にはなれない。
かといって、これを突っ返したり捨てたりしておかしな報復があっても困るし、あの桐生が絶賛するゲームというのも少し興味がないでもない。
「……よし! とりあえず、保留!!」
結果として、届いた装置は長らく部屋の隅でほこりをかぶることになったのだった。
※ ※ ※
それからも桐生はことあるごとに俺にジェネシスを薦めてきたし、俺も桐生に教えてもらったジェネシス当選者だけが見られるサイトなどを覗いて情報を拾ってみることはあったが、やはりプレイする踏ん切りをつけられなかった。
ただ、そんな状況を一変させる出来事が突然に起こった。
それは忘れもしない、五月最後の日の夜。
焦った様子の桐生から、今すぐにジェネシスのアップデート告知を見てほしい、と電話が来たのだ。
その勢いに押されるようにブラウザを起動し、ジェネシスのアプデカレンダーを開く。
―――――――
【アップデートカレンダー】
2020
6.1 【重要】ジェネシス正式稼働
7.1 エリア実装:ジュゴンの滝
8.15 闘技大会:リーグ「魔法禁止」
12.15 闘技大会:トーナメント「物理禁止」
2021
1.1 エリア実装:ミート・フォレスト
4.15 プレイヤーコンテスト
7.1 エリア実装:オーガの前線基地
8.15 闘技大会:リーグ「モンスターバトル」
12.15 闘技大会:トーナメント「デスマッチ」
2022
1.1 エリア実装:エルフの集落
4.15 プレイヤーコンテスト
―――――――
ほとんどがいつも通りの新エリアや闘技大会のお知らせだったが、その一番上に見逃せない文字列が見えた。
「ジェネシス……正式稼働開始?」
俺は、慌てて正式稼働のお知らせをクリックする。
―――――――
※重要※
2020年6月1日00:00をもちまして、ジェネシスは正式稼働を開始いたします。
正式稼働に伴い、開発によるサポートは終了し、一部機能はご利用いただけなくなります。
また、正式稼働と同時にキャラクターの完全コンバートを行うため、正式稼働時にプレイ中の場合にのみ継続プレイが可能になり、以降のプレイ時間制限はなくなります。
正式稼働後、利用不可能になる機能
・新規キャラクターの作成
・チュートリアルクエスト
―――――――
「なっ!」
新規キャラクターの作成が不可能になるということは、今まだキャラクターを作っていない俺は今後二度とジェネシスをプレイする機会はないということだ。
まさかそんな、とは思うが、その上に書いている「正式稼働時にプレイ中の場合にのみ継続プレイ可能」というのも、それを裏付けているように思えた。
俺は、反射的にスマホの日付表示を見た。
今は、二○二○年五月三十一日、二十二時三十五分。
そして、正式稼働が六月一日の零時ってことは……。
「あ、あと一時間半しかないじゃないか!」
その間も通話口の向こうでは、「ジェネシスの掲示板は大騒ぎで」とか、「もしかすると採算が取れないから畳むつもりかもしれない」とか、そんなことを騒ぎ続けていたが、俺はもう聞いちゃいなかった。
こうなっては四の五の言っては言っていられない。
二の足を踏んでいたとはいえ、桐生に散々自慢されたゲームを全く触ることもなく終わるというのは癪だ。
「悪い! 一度電話切るぞ!」
俺は一方的にそう宣言すると、なおも騒ぎ立てる桐生の声を無視して通話を終わらせ、電話をぽいっと布団に放ると、部屋の隅、ほこりをかぶった箱を取り上げ、ジェネシス専用ヘッドマウントディスプレイを取り出した。
接続方法や操作方法は事前に調べてある。
俺は手早く端末を接続すると、乱暴に電源スイッチをオンにした。
※ ※ ※
「お、おお。なんだこれ!」
ジェネシスを起動してみてまず驚いたのは、そのリアルさだ。
気付けば俺は、現実ではありえない一面に真っ白な空間にいたが、自分の身体を見下ろして驚いた。
現実世界と全く変わらない自分の身体が、そこにはあったのだ。
CGにありがちな作り物っぽさ、作りの甘さが全くない。
俺の身体は身長に体型、肌の色や質感、指紋やほくろの位置までも確かめた限りでは全部現実と寸分違わない。
それどころか、頭につけていたはずのヘッドマウントディスプレイがない以外には、ゲームを開始した時の服装すらも完全に再現されていた。
いや、本当に驚くべきは俺が自然と自分の身体を「見る」ことが出来ていることかもしれない。
俺は今、コントローラーのスティックを操作して視点を動かしている訳じゃない。
ただ、現実と同じように視線をこっちに動かそう、足をこう動かそうと思うだけで、その通りに身体が動く。
さらには、腕を振った時に感じる空気が肌に当たる感覚や、服の重ささえも、完全に現実としか思えないような感覚が再現されていた。
「これは確かに、規格外だ。普通じゃない」
呆然と、つぶやく。
この時点でもうSF、いや、もはやオカルト体験の領域と言ってもいいかもしれない。
桐生がしつこいほど推してくるのも、今なら分かる気がする。
そして、今まで無視していたが、この空間でひときわ異彩を放つのが、目の前に浮かび上がったメニュー画面だ。
ゲームの中なので当然かもしれないが、何の支えもなく空中に画面が浮かんでいるというのはなかなかシュールだ。
厚みの全くない、空中に浮かんだその画面に書かれているのは……。
「キャラクターメイキング、か」
事前に聞いていた通りだ。
ジェネシスを始めてまず出てくるのは、キャラメイク。
それが終わってからチュートリアルクエストに進むと情報にはあった。
じっくりと考えたいところだが、事前に聞いていた話では、チュートリアルクエストはかなり時間を食うらしい。
正式が始まってチュートリアルクエストが消えてしまうまで、もう一時間十五分しかない。
とにかく速度重視で終わらせることにした。
どういう理屈かジェネシスは基本の容姿や性別はゲーム側が勝手に読み取ってキャラクターに反映させるため、最初に決めるのは名前と種族程度だ。
名前は本名である流軌の読みを少し変えて「ルキ」にした。
本当は「リューキ」にしたかったのだが、残念ながらその名前はすでに使われていた。
一瞬だけ「‡リューキ‡」にでもしようかとも考えたが、名前と種族はあとから変更不可能だ。
あとで後悔しそうな名前はつけない方がいいだろう。
種族は直感で「クロウ」を選ぶ。
流し見したところでは、人間と見た目はそう変わらないが、背中に黒い羽が生えていて、防御に劣る代わりに速度に優れる、とあった。
空を飛びながら偵察と強襲なんてやれたら面白そうだし、これでいいだろう。
目の前に浮き上がったメニュー画面の決定ボタンを押した途端、背中にもぞもぞとした違和感。
首をギリギリと曲げて後ろを見ると、そこにはまさに濡れ羽色の黒い羽が!
俺の厨二心を十分に満足させる素晴らしい羽が生えていた。
ただ……空を飛ぶにしては若干小さい気がするが、大丈夫なんだろうか。
なんて思う暇もなかった。
「キャラクターメイキングが完了しました。チュートリアルクエストに移行します」
とのポップアップが出たかと思うと、一瞬にして景色が入れ替わった。
声を出す暇も、驚くほどの猶予もなかった。
真っ白な空間から出たそこは、一面の草原だった。
突然の場面転換に驚く俺に、いつのまにか正面に立っていた「誰か」が近づいてくる。
そうして「彼」、明らかに人間とは思えない尖った耳をしたその青年は、緑色の髪を揺らしながら、こう言ったのだ。
「――ようこそジェネシスの世界へ! 僕がチュートリアルを担当するローム・ミディアス! 気軽にローミーと呼んでくれ!」