第十二話 あのクソみたいなチュートリアル その三
ああ~
ドット打つのすごい楽しい(危険な兆候)
《チュートリアルエリアに『嘆きの鉄巨人(LV999)』が乱入しました!》
およそまともなチュートリアルではありえない暴挙。
突然現れたレベル差999のモンスターの情報を目にした瞬間、だった。
――突然、身体の内側が燃え上がる。
「な、ん……」
口にしかけた驚きの声は、のどの奥で潰れて消える。
それどころではない異変が、俺を襲ったからだ。
――世界が、姿を変える。
蝋燭の火が消えるように、世界から不意に色彩が失われ、替わりに果てなく広がっていく。
広がって広がって、モノクロの世界に脳に侵食される。
「あ、ぁああ……」
世界が気持ち悪いほどにくっきりと見える。
遠くにあるはずの鉄巨人の顔が、意識した瞬間にまるで望遠レンズでも覗き込んだように詳細に映る。
なのに、同時に鉄巨人を遠くから見ている視界もまた存在していて、食い違う視界に脳が悲鳴をあげる。
――なんだこれ、なんなんだよ、これ!
巨人の外殻の光沢も、地面の草の一つ一つも見ようと思えば気持ち悪いくらい細かく見えるのに、色だけが抜け落ちて判然としない。
全てがモノトーンになって、それがぐるぐると渦巻いて脳に刻まれていく。
気持ち悪い。
ただひたすらに気持ち悪い。
反射的に目をつぶる。
だが、視界は消えない。
首を振っても視界が消えない。
ただ、世界が揺れる。
揺れる。
揺れる……!
「う、ぁああ!!」
何が起きているのか。
何をどうすればいいのか。
まるで分からない。
――狂う。頭が、こわれ、て……。
視界だけじゃない。
その間にも身体は内から燃え上がり、同時に芯から冷やされていく。
混乱して狼狽する頭に一瞬だけ「ブースト」という単語が浮かんだが、脳がそれを認識し切る前に、異常が、まとまらない五感が、正気を押し流していく。
今までの身体感覚が完膚なきまでに破壊され、自分の身体が得体の知れない何かに変えられていく。
「ぐ、あ、あ、あぁ……!」
何か叫ぼうと開いた口からは、妙に間延びした音だけが流れる。
反射的に頭に添えようとした手は、まるで泥濘の中を泳ぐかのように鈍い反応しか示さず、どんなに力を入れても思い通りに動いてはくれない。
だが、無意識に拳を握り込み、さらなる力で無理矢理に動かそうとした瞬間、突如としてその動きが加速する。
それは思い通りの速度が出た、というのとはまるで異質。
動かそうと思った手が、俺の意志以上に「滑る」。
「がっ!」
頭に添えようとした手がほおの辺りをしたたかに打ち据えるが、笑うことも出来ない。
とにかく、このままでは駄目だ。
焦燥だけがいや増す中、俺は視界の外で大きく風が動いたのが「見え」た。
その、出どころは……。
――嘆きの鉄巨人。
異変のせいで存在すら忘れていたそいつが、手にした巨大な剣を肩の上まで振りかぶっている。
ほんの一瞬だけ、自分の状態も意識から消える。
ビィィィン、という耳鳴り。
それはまるで、俺に絶望の未来を告げる警鐘のようで。
――そして、次の瞬間、モノクロの世界に色が生まれた。
それは、不吉なまでの、赤。
剣の先から、血のように真っ赤な線が、いや、面が走っているのが見える。
それは、まるで俺と隣に立つルカの身体を真ん中から断ち切るかのように広がっていて……。
巨人がその剣を、赤い面になぞるように動かした瞬間、ぞくり、と心臓が縮み上がる。
その時俺は、理屈ではなく、直感で理解した。
俺の身体の中心を抜けるようなこの赤い面。
それは、これから鉄巨人が振るう剣の描く斬線であると、本能が認めたのだ。
「ぐ、ああっ!」
もがく。
必死にもがく。
視界がぐちゃぐちゃになって、自分がどちらを向いているかすら、分からない。
それでもこのままでは死ぬ、殺されてしまうと分かっていたから、じっとしてなどいられなかった。
「ああああぁああああ!」
咆哮と、共に。
俺は、必死に、普通の状態では考えられないほど、無様に。
けれど何とか、望み通りの方向に、跳んだ。
その、目標は……。
「――きゃっ!」
棒立ちになっていた、ルカ。
俺はルカの身体に死に物狂いでしがみつき、彼女と俺の身体を同時に赤い面から遠ざける。
――ブォオオオオン!!
本当に、紙一重だった。
俺が彼女に飛びつき、押し倒すと同時に、俺の近くを轟音が通り過ぎ、俺の頭のほんの数センチ上を、巨大な「赤」が通り過ぎていくのが、見えた。
「はぁっ、はぁっ!」
汚泥の中にいるようなコマ送りの世界の中で、それでも短く聞こえる自分の荒い呼吸。
ぎゅう、とした鮮烈な痛みにその出どころを探すと、俺の右手がルカによってきつくきつく掴まれていた。
痛みはある……が、なぜか不快には感じなかった。
なぜか、そこが自分の立脚点になってくれているような、そんな気さえした。
「ま、だっ……」
まだ、目の前の脅威が去った訳じゃない。
身体はあいかわらず訳が分からないし、近くには嘆きの鉄巨人もいまだに存在している。
次の一撃が来たら、倒れ込んだ俺たちは避けられない。
そんな予測が、現実を呼び込んだのか。
ふたたび、俺とルカの身体を、赤い面が両断する。
「視界」に映るのは、いつのまに構えたのか、巨大な剣を頭上に振りかぶり、冷徹にこちらを見据える巨人の眼。
これは、避けられない。
覚悟を決めた俺は、じっとその剣をにらみつけ、
「すぅ、きる、こ……」
一か八かの勝負に出ようと、回らない口を開いて……。
「――はい、そこまで!!」
その前に、時ならぬ声で、その緊張は一気に崩れた。
次いで、パチン、と指を鳴らした音が響いて、俺の目の前から、何の前触れもなく鉄の巨人が消失した。
同時に、俺の身体を襲っていた異変が収まって、普段の感覚が戻ってくる。
「いやぁ。お見事お見事。この試練で二人のうちどちらかは死ぬだろうなぁと思ってたから、嬉しい誤算だよ」
声の主は、やはりローミーだった。
さっきまでそこに俺たちの命を一瞬で吹き散らすような魔物がいたようには見えない、いつもと変わらぬほがらかな顔でローミーは笑った。
「今、のは、なんだった、んだ?」
まだうまく動かない口を必死に回転させ、尋ねる。
「あはは。だから、ブーストの試練だって言っただろう? ブースト状態で今の君たちでは絶対に敵わないモンスターを相手に、十秒の間逃げ切る。それが第三の試練の課題だよ。もちろん君たちは合格、ね」
「そう、か。今の、が」
身体の調子がおかしくなり、感覚が鋭敏になりすぎて、混乱した。
何か一つ間違えていれば、自分たちはあの巨人の剣に両断されていただろう。
「ああ、そうだ。ブーストで減った分を回復してあげるね」
そう言ってローミーが俺たちに手をかざすと、心なしか身体が楽になった気がした。
そういえば、ブースト中はHPSPが一割ずつ減っていく、と聞いていた。
試練の十秒制限というのは、ブーストによってHPSPが持つギリギリの時間、ということか。
「ふふ。どうやら身をもって分かってもらえたようだけれど、ブーストっていうのは恩恵を与えてくれる反面、とても恐ろしいものなんだ。このチュートリアルが出来る前は、安易にブーストに頼るプレイヤーが多くて、そのせいでたくさんの死人――まあ、こっちの世界での話だけど――が出ていたんだ。だから、ここできちっとブーストの怖さと、頼もしさを身体に刻みつけてあげようと思ってね」
「それ、は……」
確かにあの感覚は、やばい。
話を聞いているだけでは全く分からなかった「ブーストの恐ろしさ」は、いまや体験としてしっかりと俺の中に根を下ろしていた。
しかし……。
「恐ろしさ、は十分に分かったけどさ。本当に、あんなものが、役に、立つのか?」
今回生き残れたのは、単に幸運だっただけだ。
強敵と出会った時にまたあの状態になったら、もはや自滅するしかないだろう。
少なくとも、さっきの体験からは「頼もしい」なんて感想は全く出てこなかった。
「ああ、うん。まあ、それには少しだけ理由があるのさ。本来、ブーストっていうのは五種類のうちの一つを使えるようになるって言ったよね。そのそれぞれが『ステータスブースト』と呼ばれる主に数値面での強化と、『アクションブースト』って呼ばれる行動面での強化の二つの効果を持つんだ。さっき言った『アタックブースト』だったら武器の性能を五倍にするステータスブーストと、攻撃の速度を倍にするアクションブーストを持ってる」
「なる、ほど……?」
と適当にうなずいてみたものの、話の向かう先が見えない。
「基本的にデメリットのないステータスブーストはともかく、アクションブーストは使い方によってはとても便利なんだけど、問題もあってね。例えば、比較的安全と言われるアタックブーストやマジックブーストの攻撃や詠唱の速度アップも、やっぱりいつもと感覚が違ってくるからミスが起きやすい。ガードブーストの危機感知は攻撃が色付きのラインで見える便利な能力だけど、その代わりにそれ以外の色が判別できなくなる。ほかにもセンスブーストの望遠能力は慣れないと視界がぐちゃぐちゃになるし、テックブーストの思考加速は全てがスローモーションに見えるから、突然発生すると戸惑って……」
「ちょ、ちょっと! ちょっと待った!」
語られる効果全ては、実際に身に覚えのあることばかりだ。
便利な能力も、慣れるまでは使いにくいというのも理解出来るところではある。
……だが、待ってほしい。
ブーストで発動する効果は「そのうちの一つだけ」のはず。
なのになぜ、そのほとんどに心当たりがあるのか。
「なぁ。ローミー? まさかとは思うけど、お前……」
俺がみなまで話すまでもなく、ローミーはうなずいて、にっこりと笑った。
「うん。今だけの特別サービスで、全部載せにしといたよ!」
「お前アッホかよおおおお!!」
俺は絶叫した。
一個でも感覚がおかしくなるブースト効果を全部ぶち込めば、そりゃ感覚ぐっちゃぐちゃになるわ!
「あっはっは! 五種類のブースト効果を一つずつ説明されるのはめんどくさいかと思ってね! 僕の思いやりって奴さ!」
「お、お前! お前って奴はぁああああ!!」
そんな俺の様子をひとしきり笑ったあと、ローミーは笑いすぎて目に浮かんだ涙をぬぐうと、急に真面目な顔になって言ってくる。
「いや、それにしても、あの状況で他人を助けるために動いたのはルキ君が初めてだよ。君、やっぱりなかなかの逸材だねぇ」
「……それは、どうも」
急な落差に戸惑い、つい普通の受け答えをしてしまった。
今のは、俺が鉄巨人の攻撃からルカをかばった時のことを言っているのだろう。
もしかすると余計なお世話だったかもしれないが、あの時の彼女はブーストによる感覚の変化に戸惑い、鉄巨人の攻撃に意識を割けていないように見えた。
とっさに動いてしまったが、大丈夫だったのだろうか。
気になって、俺がちらりとルカの方を見ると、ちょうどこちらを見ていたらしいルカと目が合った。
あいかわらず隙がないくらいに綺麗な顔立ちに、思わず心臓が跳ねる。
そこで、今まで黙って、一言も発さなかったルカが、初めて口を開いた。
「……さっきは、ありがとう」
「え?」
それは、意外なことに感謝の言葉だった。
あ、いや、一応助けたかたちになるのだから意外でも何でもないのかもしれないが、ルカにお礼を言われるイメージがなかったため、つい驚いてしまった。
「あ、い、いや。こっちこそ、急に飛びついたりして……」
「そうね」
かと思えば、俺の弁解めいた言葉を何のフォローもせずに即答でぶった切ってくる。
うん、でも、なんとなくこちらの方が彼女らしい。
「でも、助かったのは事実だから」
「お、大げさだろ、そんな……」
死んでしまったとしても、単にキャラデータが消えるだけなのだから、そんなことを口にしようとしたが、それより先にルカの口が動いた。
「……忘れたの? 新しいキャラクターを作るには、最低でも二十四時間の間を置かないといけない」
「え? あ、ああ……」
そういえば、キャラクリエイトの時に、そんな説明事項があったような。
「さっき死んでいたら、私はこのゲームを二度と出来ないところだった。だから、ありがとう」
「……ルカは、何かこのゲームに思い入れがあるのか?」
思わず突いて出たのは、彼女の事情に踏み込む言葉だった。
言ってからしまったと思ったが、意外にも彼女は答えた。
「……別に。特に、何か事情がある訳ではないわ。凄いゲームだという話も、実際に見るまでは全く信じてなかったし」
「そ、そうか」
でも、と彼女は続ける。
「……冒険を、したいと思って」
「冒険?」
少しだけ照れたように、ルカは俺から目を逸らしながら、ぶっきらぼうに言う。
「このゲームを見て、現実では、向こうの世界では出来ないことが出来ると、やってみたいと思った。それだけ」
「……そっ、か」
なんとなくだけど、その感覚は分かる。
この瞬間、俺はこのチュートリアルが始まってから初めて、ルカという人間に触れられた気がした。
自然と口元が緩む。
「うん。そうだよな。俺はそこまで深く考えてた訳じゃないけどさ。その気持ち、分かる気がするよ。冒険って、いいな」
「別に、共感されたかった訳じゃ、ないけど」
戸惑ったように言うが、嫌がっている訳ではないようだ。
「このチュートリアルを始めた時は、早くこんなもの終わらせて一人で色々と試してみたいって、そう思っていたわ。でも今は、少しだけ……」
「少しだけ?」
「……何でもない。忘れて」
それきり、ルカはむっつりと黙り込んでしまった。
なんとなく重くなってしまった空気に俺が戸惑っていると、横からいつもの茶々が飛んでくる。
「ほっほーう。いいね、いいねぇ。まさに青春、といったところだねぇ」
「……ローミー」
あいかわらず過ぎるローミーの言動には呆れるが、正直助かったと思ったのも確かだ。
しかし、ルカはそうは思わなかったらしい。
整った眉を不快そうにゆがめて、真正面からローミーをにらみつける。
「盗み聞きを悪趣味だと思う感性もないのかしら」
「あはは。そういうつもりはなかったんだけど、何しろ耳が長いからね。つい聞こえてしまうんだ」
そう言ってエルフの尖った耳を指さすローミーには、まともに抗議をしても無意味だと悟ったのだろう。
ルカは不満そうにしながらも、追及を断念したようだった。
「下らないことを言わないで。それより、次の試練は?」
「まあ、まあ。生き急ぐのもいいけど、潤いのある会話が人生を豊かにするってものさ」
同感だけど、お前が言うと胡散臭さが尋常じゃない。
そんな俺たちの不審のまなざしを一身に受けてもローミーは微塵も動じず、気持ちの悪いにやにや笑いを浮かべながら、こう言った。
「と、いう訳でルキ君。……君の好みの女の子のタイプを教えてよ」
「……はぁ?」
こうして、チュートリアルは混迷を深め、さらに次のステップへと進むのだった。
※ ※ ※
「な、何を言ってるんだ、お前は」
思わず動揺し、口ごもってしまうと、それを見たローミーのにやにや笑いが大きくなる。
「おやぁ? おやおやぁ? 照れてるのかい、ルキ君」
「そ、そういうことじゃなくて……」
やはり気持ちの悪いにやにや笑いを浮かべていたローミーだが、そこで一転、真面目な表情になった。
「だけどね。この質問は、別に僕の興味本位だけって訳でもないんだ。人ってアメとムチ、両方がないと動かないものなんだろう? 今までムチばかりだったから、最後の試練を前にここでちょっとアメをあげてテンションを上げてもらおうかと思ってね」
「アメ、ねぇ……」
やはり、こいつが言うと胡散臭さが半端じゃない。
俺が警戒していると、ローミーは降参、とばかりに両手を上げた。
「そんな目で見ないでくれよ。君たちにとっても悪くない話だと思うよ。実は、このチュートリアルを突破した暁には、初心者期間にしか召喚出来ないお助けキャラ『ガーディアン』を呼び出せるようになるんだ」
「……それが、さっきの質問とどうつながるんだよ」
「君にしてはめずらしく察しが悪いなぁ。ガーディアンは、プレイヤー全員が同じアイテムを使って呼び出すんだけど、出てくる姿は一人一人で違うんだ。だから息抜きも兼ねて、それを今ここで決めてしまおうと思ってね」
そこでようやく、俺にも話が呑み込めてきた。
「つまり、そのガーディアンの外見を、俺の好みの女性にするって?」
「そういうこと。あ、もちろんそういう趣味の人向けに同性にすることも出来るよ」
「男を選んだら全部そういう人、みたいな決めつけはやめろ」
同性の方が気安いとか、頼もしいとか、そういう考え方もあるだろ。
「で、君はどうするんだい? ガーディアンは男と女、どっちがいい?」
「………………女、かな」
俺が口にすると、ローミーは例のにやにや笑いで俺を祝福した。
「うん、うんうん。ルキ君は実に正直だな。君のそういうところ、僕は好きだよ!」
いつにも増して楽しげに語るローミー。
心持ち、隣からの視線も痛いような気がする。
居心地悪いことこの上ない。
いや、でもさ!
だってその二択を聞かれたら普通、女キャラを選ぶだろ!
「じゃ、次は細部を詰めていこうか。まず体型は細身とぽっちゃりどっちがいい? 髪はロングとショートどっちが好き? 顔の造形から体型、ほくろの位置に至るまで、ルキ君の妄想通りのガーディアンを作っていこうね」
「いや、そういう人聞き悪い言い方はやめろよ!」
隣からの視線が一層冷たくなっただろ!
せっかくさっきの一件で少しだけ距離が縮まった感触があったのに水の泡だ。
「……でも、どうせなら、細身で髪が長い方がいいかな」
「ルキ君、君ってほんとに欲望に素直だね」
「いや、だって答えないと話が進まないだろ!」
だからルカさん、そんな目でこっちを見ないでほしい。
そして、隣の視線の冷たさに耐えながら、質問に答え続けること、しばし……。
「うん、うんうん。いいね。うんうん。そう答えるだろうと思ってたよ、うん」
やたら上機嫌、というか、質問に答える度に笑いがこらえられない、といった様子になっていくローミーは気になったが、ようやく全ての質問が終わった……らしい。
「それじゃ、さっきの質問を反映して、ガーディアンの容姿を作ったよ。これが、ルキ君の理想の女性だぁ!!」
「ちょっ! そういうこと大声で……」
ルカの手前、制止をしたが、どんなガーディアンが出てくるかは興味があった。
ローミーがパチンと指を鳴らすと、その隣に、真っ黒な全身鎧をまとった女性の姿が現れる。
いや、女性というより、少女、と言うべきか。
俺と同年代の、恐ろしいほどの美貌を持った少女が、そこにはいた。
「あ、あれ? でも……」
この子、何かに似てるというか、どこかで見た、ような……。
「……へぇ。これがあなたの理想の女性、ねぇ。なかなか興味深いわね」
斜め後ろから降り注ぐ、冷え切った声。
その声に、俺は「彼女」が誰に似ていたのか、「彼女」の姿をどこで見たのか、即座に悟った。
そりゃ、見覚えがあるはずだ。
――だってそのガーディアンは、顔かたちから背格好まで、俺の隣に立ったプレイヤー、ルカとそっくり同じだったのだから。
じっとりと冷や汗がにじみ出る。
隣のルカの顔がまともに見えない。
「あ、い、いや、ルカ? こ、これは、これは、その……ローミー!!」
そこでやっと俺は、ガーディアンの横に立ったローミーが、面白くて仕方ない、という顔で口元を押さえているのが見えた。
とにかく、こんなとんでもない悪ふざけをした責任は、こいつにとってもらわないと。
俺がそう思ってローミーに叫んだのだが、
「いやいや、ルキ君。今回ばかりは本当に、純度百パーセントの言いがかりだよ。僕は君の言った通りのガーディアンを作ったよ。この子の姿が彼女に似ているのは、質問に忠実に造形したせいさ」
「えっ?」
思わず固まった俺に追い打ちをかけるように、ローミーは話を続ける。
「いやぁ。君が自分では全く気付かずにルカ君の特徴を口にしていくもんだから、僕は途中から笑いを堪えるのがやっとでさ。というかルキ君、君は質問に答えてる最中のルカ君がどんな表情をしていたかも見えてなかっただろう? それも含めて面白くて面白くて……」
「ローミー!!」
今度顔を赤くして怒鳴ったのはルカだった。
普段冷静な彼女が怒ったのも意外ではあったが、この場では素直にありがたい。
「これでもう、ガーディアンは出来たのでしょう? 早く試練の説明をして」
「え? いやいや、ここはルカ君のガーディアンも作って……」
「試練の説明を、して」
静かなルカの迫力に、さしものローミーも気圧されたようにうなずいた。
「そ、そうだね。まあ、ルカ君のガーディアンについては後回しでもいいか。それはそれで面白そうだし」
ローミーが押し切られたのは初めて見たかもしれない。
だが、おかげでやっと針の筵の時間が終わって、いつもの空気が戻ってくる。
「次の試練のポイントは、『部位システム』だ」
「部位システム? それって本体を攻撃する前に尻尾を切っておく、とかそういう?」
「お、そうそう、そんな感じだよ。やっぱり察しがいいね、ルキ君!」
ローミーに褒められても裏を疑ってしまうが、まあ褒められて悪い気はしない。
「モンスターに限らず、この部位システムは人間、プレイヤーにもあるんだ。ルキ君、ステータス画面で出てきた君のHPは十だけど、これは君の本体、『胴体』のHPなんだ。それとは別に、五つの部位、右腕、左腕、右足、左足、頭……ああ、君たちの場合はそれに加えて右羽、左羽もかな。とにかくいくつかの部位があって、そこは本体の半分のHPを持っている。今の君のHPは十だから……」
「腕や足も、その半分。つまり五ずつHPを持ってるってことか」
さらっと語られたが、これは結構大事な情報ではないだろうか。
半分でも部位が五つあれば胴体の二・五倍のHPになる。
となれば、プレイヤーは最低でも表示の三倍以上のHPを持っていることになるはずだ。
「うん。遮断率、って覚えているかな。どれだけ本体への攻撃を肩代わりしてくれるか、という数値だけど、身体の各部位の遮断率は一律で50%。つまりは攻撃の半分は、本体のHPではなく、その部位が受け持ってくれる。例えば右腕に8の攻撃を受けたら、右腕に4ダメージ、胴体に4ダメージ入ることになるね」
「じゃあ、俺の部位は七ヶ所だから、実質的に俺のHPは表示されている五倍近くあるってことか」
「そうとも言えるね。ただ、部位破壊のリスクがあるから、ことはそう単純でもない」
そこで一度言葉を切ってローミーは俺たちが話についてきているのを確認すると、ゆっくりと話し始めた。
「さっきは8のダメージを受けた例を挙げたけど、ここで右腕に20の攻撃を受けたらどうなると思う? ダメージ配分は右腕が10、胴体が10になるから、当然……」
「腕に部位破壊が起こる?」
「正解。まあ現実っぽさとの兼ね合いで、HP全損=破壊とは必ずしもいかないんだけど、HPの二倍のダメージを受けたらまず間違いなく右腕は破壊される。攻撃の種類にもよるけど、たぶん、根本から吹っ飛ばされるんじゃないかな」
「うわぁ……」
ゲームの中とはいえ、こんなリアルな世界で想像したくはない。
「……余剰分のダメージは? 胴体に行ったりしないの?」
静かに聞いていたルカが質問をするが、それにはローミーが首を振った。
「あくまでダメージの分配が起こるのは攻撃を受けた瞬間だからね。右腕が5のダメージを受けようが1000のダメージを受けようが、あまったダメージが胴体に行くってことはないよ」
「そう」
「話を戻すけど、一つの部位に大きなダメージを受けると、部位破壊が起こってその部分は使えなくなる。ジェネシスの世界では痛みはかなり抑えられているけど、戦闘をする上で片足がやられたり利き腕が使えなくなったりするのは致命的と言ってもいい。だから、実際の戦闘では、最大HPよりも少ないダメージで戦闘不能になると考えた方がいいかもね」
「なるほど、な」
特に近接戦闘職で足や腕が使えなくなったらもう使い物にならないだろう。
例えば俺の場合、右手がやられてしまったら、残った左手で剣を振って戦える気はしない。
「それともう一つ。部位システムで無視出来ないのが、『弱点』の概念だ。攻撃を当てた場所によって防御力が変わったりするし、そこを考えて攻撃や防御をしないといけない」
「どういう場所が防御力が高いんだ?」
「まずは防具をつけた場所だね。とにかく大抵の防具には防御力を高める効果があるから、むき出しの場所を殴られるより、防具を殴られた方がダメージは少ない。それから、例えば右腕につけた防具に攻撃を受けた場合、ダメージは『右腕防具』『右腕』『本体』と三つに分散されるから一つの場所ごとのダメージは低くなる。さらに言うと防具にもHPと遮断率があるからね。遮断率が高いものをつけて防御性能を上げるか、遮断率が低いものをつけて長く戦うかなんてのも大事になってくる」
う、うーん。
話が少し複雑になって混乱してきた。
「あはは。実例を出せば分かるかな。じゃあ試しに、ガーディアンが今つけてる装備のステータスを特別に見せてあげよう。チュートリアル用の特別仕様だからね。はっきり言うけど、こいつは最強の鎧だよ」
ローミーがまたパチンと指を鳴らすと、目の前にガーディアンのつけた黒い鎧のものと思しきデータが浮き上がる。
――――
【ガーディアンの鎧(チュートリアル)】
種別:鎧
性能:0
耐久:--
部位:胴体
遮断:100%
――――
「これと大体同じものが腕と足にもあるけど、まあ一つで大丈夫だよね」
などとローミーが口にするが、それよりも俺は、その鎧のステータスが気になっていた。
「これが、最強……なのか? 性能が0になってるけど」
「なるほど、ね。これは確かに最強だわ」
俺と、ルカの声が重なる。
だが、口にした言葉はまるで正反対だった。
それを見て、ローミーは満足そうに笑う。
「ふふ。ルカ君は分かったようだね」
と言うが、俺には全然分からない。
助けを求めるようにルカを見ると、彼女は意外にも優しく俺に説明してくれた。
「この場合、防御力は重要じゃない。遮断率が100%で耐久が無限だから、どんな攻撃も無意味になる」
「……あっ! そうか」
例えば遮断率が50%の防具が10の攻撃を受けたら、防具に5、装備している人間に5のダメージが入るだろう。
だが、遮断率が100%ならたとえ100のダメージを受けようが、いや、一万でも一億でも関係ない。
全てのダメージを防具が受け止めて装備者には全くダメージは届かない。
だがそれでも、もしこの防具の耐久が低ければ、攻撃を引き受け過ぎるとすぐに壊れてしまうだろう。
しかしこの防具の耐久は「--」。
つまり、チュートリアルソードと同じ、耐久に制限がないチュートリアル仕様。
だとしたら、その防具はどんな攻撃を受けても完全に装備者を守り続けることになる。
最強と言われるのも納得だ。
「ふふ。まあ、その辺りはゲーム本編が始まってからゆっくり悩めばいいさ。今は深くは考えずに、防具のある場所ではダメージが減る、程度に考えておけばいいんじゃないかな」
「そうだな。じゃあ逆に、こういう場所を狙えっていうのはあるのか?」
話題転換を兼ねた俺の質問にローミーは上機嫌で答えた。
「それが今回の試練のポイントだね。さっきも言った通り、狙うべきは『防具のない場所』なんだけど、それ以外にもモンスターや人には特にダメージが通りやすい『弱点』が設定されていることが多い。人間の場合は、『頭』が弱点になる」
「それは分かりやすいな」
それに、フルフェイスの兜でも被らない限り、大抵は顔って露出してるもんだし。
「頭を攻撃すると、ほかの部位を攻撃した時の倍のダメージが出る。それに、人間は腕や足を失っても生きていけるけど、胴体や頭が壊されたら死ぬしかないだろ? だから、二重の意味で『弱点』なんだ」
「お、おう……」
そりゃまあ、頭をふっ飛ばされて生きてる人間はいないだろう。
ゲームでもその辺りは現実と同じようだ。
「次の試練は戦うKAKUGO……じゃなかった、覚悟を問う試練でもあるからね。擬似対人戦、といったところかな」
「擬似対人戦、ね。それで? 俺たちは一体何と戦わされるんだ?」
俺がそう言うと、ローミーはおなかを抱えて笑い出した。
「あはははは! ルキ君は冗談のセンスまであるんだね。試練の相手ならほら、さっきから『目の前にいる』じゃないか」
「……え?」
ローミーが指さした場所。
そこには顔以外を重厚な鎧で覆った、ルカそっくりのガーディアンがいて……。
「――チュートリアル用の特別装備をつけたガーディアン。それが、最後の試練の相手だよ」
大丈夫です!
次回更新は明日です!
大丈夫です!




