プロローグ
邪道もいいけどやっぱり王道もね!
ということで、正統派VRMMO俺TUEEEを意識して書いてみました!
見切り発車ですが、読んでくれた方に少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです!
「――全ては、いつか訪れる勝利の瞬間のために」
すでに口慣れてしまった祈りの言葉を唱え、俺は剣を強く握りしめた。
愛剣の切っ先の向こうに見えるのは、身の丈十メートルを超える鉄の巨人。
漆黒の巨躯には強者の風格が漂い、巨人の携える大剣からすれば、俺が持つ剣などただの木っ端のようにも思える。
ギョロリ、と兜に空いた十字穴から真っ白な光がこちらを覗き込み、俺は思わず身震いした。
もう数えきれないほどの回数戦っているはずなのに、いまだにこの迫力には気圧される。
それでも、臆してばかりはいられない。
恐怖は冷静さを奪い、勝利への道筋を遠くするだけだと、俺は痛いほどに知っていた。
――大事なのは間合い。それから、タイミングだ。
俺はゆっくりと右手を持ち上げ、剣の切っ先を鉄の巨人へと向けると、愛剣を強く握り込む。
直後、巨人がその巨大な足を踏み出し、手にした大剣を大上段に振りかぶる。
巨人の振りかぶった大剣に赤い雷光がまとわりつく。
その余波で、ちりちりと肌が焼け付く。
鉄巨人が持つ技の中で、最大の攻撃力を誇る振り下ろし攻撃。
相手が完全に俺に狙いを定めたのを感じる。
――来る!
俺の身体の何倍にもなる真っ白い刀身がにわかに赤熱し、はるか頭上からうなりをあげて迫ってくる。
しかし、俺は臆さない。
むしろ、その真っ赤な刃に自ら飛び込むように足を踏み出すと、
「お、おおおおおおおおおおおお!!」
気合の声と共に、巨人に向かって剣を突き上げる。
二振りの剣の軌跡が交差する、その、直前――
《――じゅうにじ!! じゅうにじ! じゅうにじ!!》
「う、うぇっ!?」
時ならぬ電子音が、俺の耳を打った。
――そういえば、タイマーを切るのを忘れていた。
そんな気付きが脳裏をかすめると同時に、
「――あっ」
俺は、自分の視界一杯に、縮尺がバグったみたいな馬鹿でかい剣が迫るのを見た。
そして、その一瞬後。
鉄巨人の振り下ろした巨大な剣によって、俺は脳天から真っ二つに両断されたのだった。
※ ※ ※
世界初のVRMMOとしてデザインされた「ジェネシス」の世界でも、「死んだら終わり」というのは現実と変わらない。
俺が身体を真っ二つにされたのが実際のジェネシスのフィールドではなく、死亡してもミッション失敗になるだけのシミュレーターの中だったことを感謝するべきかもしれないが……。
「まさか、あんな死に方するとはなぁ」
いくらシミュレーション上のこととはいえ、殺されるのは単純に気分が悪い。
それも、死んだ原因が「正午を告げるタイマーを切り忘れた」なんていうあまりにも間抜けな理由であれば、なおさらだ。
とはいえ、腐っている時間もない。
タイマーが鳴ったということは、もうそろそろ昼の十二時。
我がギルド「ラストホープ」の定例ギルドチャットが始まる時間だ。
転移などの便利な移動手段がなく、そのくせやたら広大なジェネシスの世界では、このチャットが遠くにいるギルドメンバーと話をする有用なツールとなる。
特に、正午からの一時間は通称「お昼のフリータイム」と呼ばれるチャットの通信料が無料になる時間帯。
その一時間を使い、俺の所属ギルド「ラストホープ」は全員参加の映像チャットを行うのがギルドの恒例行事となっているのだ。
どこまでも続くような灰色の廊下を抜け、ラウンジへ。
にわかに鮮やかな色を取り戻す部屋の景色に、俺は無意識に詰めていた息を吐く。
メニュー画面から現在時刻を呼び出すと、そこには「8月1日 12時01分 02秒」との表示。
何とか間に合ったなと思いながら、俺はメニュー画面をスライド、空中に投影された文字から「ギルドチャット」を選択する。
途端に中空に投影されたのは、三十センチ四方程度の大きさの二つのチャット窓。
どうやら、まだギルメンもあまり集まってはいないらしい。
と、そこで、俺の正面に投影されたチャット窓の一つに変化が起こる。
その窓に映し出されたきつい目つきをした金色の髪の少女が俺に気付くと、
「遅い!」
開口一番、怒鳴ったのだ。
いや、少しだけ遅れてはいるが、この時間にチャットをするのは規則という訳でもないし、少し厳しすぎるんじゃないだろうか。
「いや、大体時間通りだろ」
「大体時間通りってことは、時間通りじゃないってことでしょ!」
「ああ、なるほど」
見事な論理展開に思わず納得すると、なぜかシアは「あんたねぇ」と言いながらこめかみを押さえた。
素直に賛同したのにその態度はないんじゃないだろうか。
俺が抗議の意を口にしようとした瞬間、
「気にすることないって、ルキ。要するにルキと一秒でも長く話がしたいー、っていう好き好きアピールでしょ」
ぜんぜん通じてないみたいだけど、と皮肉っぽい口調で口をはさんできたのは、残ったもう一つのチャットウィンドウだ。
「リュー!」
左側のウインドウ、シアに大声で名前を呼ばれ、右側のチャット窓に映った妙に達観した目の少女が肩をすくめる。
よく見ると案外整った顔をしているのだが、ぼさぼさの髪と色気のない仕種、何より万事においてつまらなそうな態度がそれを感じさせない。
「て、適当なこと言わないで! わたしはただ、時間を守ってないのが許せないってだけで……」
「へー。この一分で五回も『ルキはまだなの?』『ルキ遅い!』って動物園の猿みたいに騒いでた人間の台詞とは思えないね」
「そ、そんなに言ってない! 精々、二、三回くらい……っていうか、人と話をする時くらいはゲームするのやめなさいよ! 第一、ゲームの世界でもゲームっておかしいでしょそれ!!」
シアに怒鳴られ、リューはもう一度肩をすくめるが、その目は前方、正確に言うと前方やや下の、俺たちには見えない場所にあるメニュー画面を注視したままだった。
そう、リューはチャットを開きながらも、別画面でゲームをやっているのだ。
「ジャンルが全然違うし、ジェネシスの方はもうゲームって感じじゃないし。第一、ボクら全員引きこもりゲーマーみたいなもんでしょ」
「わ、わたしはちゃんと、一日一回外に出てるわよ!」
「いやー、むしろその発言が完全に引きこもりの発想だと思うけど」
「ち、ちがっ!」
痛いところを突かれたシアは、なぜか俺を気にするようにチラチラと見ると、
「ほ、ほんとに違うからね! そういうんじゃないから!」
と、弁解するように早口で言う。
今さら何言ってんだろ、と思わなくもないが、ここはフォローしておくべきか。
「別に、いいと思うけど。あー、ほら。今はもう夏休みだし」
俺の援護を受け、しおれていたシアの勢いが戻る。
「そ、そうよ! 夏休みだもん! 合法よ合法!」
今まで違法だったのか、と言いたくなるようなシアの自己弁護は、当然ながらリューには通じなかった。
「でもさ。実際うちで一番ゲーマーなのはシアってことになるんじゃないかなー。この前のプレイヤーランキング、総合トップはまたシアだったし。……あ、言ってなかったけどおめでとう」
「え? あ、うん。ありが……って、それ嫌味で言ってるでしょ!」
「まさかぁ。……でもまあ、これはシアと全く関係ないただのたとえ話だけど、仮に新規プレイヤーがいなくなって一年も経ってて、プレイ人口も激減してまともに動いてすらいないネトゲの順位を誇ってる人がいたら、正直引くよね」
「かんっぜんにバカにしてんじゃないのよ!!」
リューの言動にいちいち踊らされるシア。
もはや見慣れた光景だ。
ちなみに、その話をしている間もリューは手元のコンソールで平然とゲームを続けているのだが、話を逸らされたシアは全く気付いていない。
「と、とにかくね! 他人の金で遊んでるあんたにだけはとやかく言われたくないわよ!!」
「そんなの、未来への投資だと思えば安いもんでしょ」
激昂するシアに、リューはしれっと答える。
「こ、この……! わ、わたしがどんな思いでお金を稼いで……」
そうして口論がまた激化の道をたどり始めた時、状況に変化が生まれた。
今までシアとリュー、二人分のウインドウしかなかったその場に、三つ目のチャットウインドウが開かれたのだ。
そして……。
「――ごきげんよう、王子様」
空気を読まずにぶっ飛んだあいさつをかましてきたのは、長い銀色の髪をストレートに伸ばした、西洋人形のような整った容姿の女の子だった。
気品すら感じられる顔立ちに、場違いなほど綺麗なドレス。
だが、その両腕に抱かれたキャラクターものっぽいぬいぐるみだけが、異様な雰囲気を醸し出していた。
しかし、彼女はそんなことを露ほども気にした素振りもなく、隙のない優雅な仕種で正面、チャット画面に向かって頭を下げる。
「今日もいい朝ですね、王子様。あ、もう昼ですけれど」
場違いなほどに丁寧なその口調に、口論していたシアとリューも言葉を止めていた。
ちなみに、ちなみに……だが。
このメンバーの中で、男は俺一人。
当然の論理的帰結として、彼女に「王子様」と呼ばれているのは俺、ということになる。
「遅刻よ、ミィヤ! あんたたちはどうしてそろいもそろって『時間を守る』って簡単なことができないのよ!」
ようやく我に返ったシアから放たれた苛烈な言葉に、第三のチャット窓の少女、ミィヤは「心外です」とばかり眉をひそめた。
「わたくしは、ちゃんと五分前から画面に貼り付いてましたよ」
「適当なこと言うんじゃないわよ! もう五分以上遅れてるじゃない!」
「誓って嘘ではありません。ただ、十二時ちょうどにチャットメンバー一覧を見たら王子様の姿がないようだったので、少し参加を遅らせただけです」
しれっと言い放ったその言葉に、シアだけでなく、リューさえも「うわあ」という表情を浮かべる。
正直俺もドン引きだ。
「あ、あんたねぇ! この定期チャットが一体何のための……」
「王子様とお話をするための場、ですよね?」
何を当たり前のことを聞いてるんでしょう、という顔で答えるミィヤ。
これには流石のシアも目を丸くした。
が、それで引き下がるような彼女でもない。
「あ、あんたたちはどうしてそう協調性ってもんがないのよ!」
「協調したって世界が救えるわけでもないしー」
「ですが、恋は戦争ですから」
顔を真っ赤にして怒声をあげるシア。
やたら壮大な反論を繰り出すリュー。
一人だけズレた返答をしているミィヤ。
「――ぷっ! あははははは!」
それがあまりにいつも通りの日常過ぎて、俺はつい笑ってしまった。
「きゅ、急にどうしたのよ」
怯えた顔でシアが俺を見て、俺はようやく笑いを引っ込めた。
「あ、ああ、ごめんごめん。……ただ、なんか、いいなって思ったんだ」
「……はあ?」
「王子様、ついにストレスで頭が……」
シアにはうさんくさいものを見たような顔をされ、ミィヤには頭の心配までされてしまったが、俺はいたって正常だ。
ただ、俺はやっぱり思うのだ。
正式稼働から一年が経って、ジェネシスの状況は悪くなるばかりだ。
正直に言えば、ジェネシスを始めたことを後悔したこともあった。
それでも、こいつらに、ギルドの仲間に会えたことだけは、本当に幸運だったと思っている。
……つまりストレートに言葉にするなら、「オレ、おまえらのこと好きだわ」なんて台詞になるんだろうが、流石にそれをそのまま口に出すのはためらわれた。
俺もこいつらもひねくれているし、俺ばかりが本音を語っても「聞けてよかった」なんてことは言ってくれないだろう。
「その……俺たち、いいチームだなって思ってさ」
少しだけ気持ちをぼかした言葉。
それを聞いた三人は「うえぇ」と言いそうな顔でそろって嫌そうな表情を浮かべたが、これは誤魔化しではなく、本当にそうだと思う。
口では文句を言いながらも、いつも仲間を支えてくれるシア。
一番長い付き合いで、俺と趣味を共有してくれるリュー。
ちょっと言動はおかしいけれど、いつも俺に前に進む力をくれるミィヤ。
それから……。
「――ごめんみんな! 遅くなっちゃった!」
噂をすれば影、と言うべきか。
「7777」とネームの入ったチャットウィンドウが新たに開かれる。
なんだこの名前、といつ見ても思ってしまうが、「四つの七」で「ナナシ」と読ませるらしい。
大変遺憾ながらこれが我がギルドのギルドマスターだ。
……ちなみに本人は、「若気の至りだった」と語っている。
「ナナナナ、遅い」
「あんた一応ギルマスなんだから、時間くらい守りなさいよね」
「う、うぅ……。その、ごめんね」
早速からかっていくリューと、早速噛みついていくシア。
対するギルマスが一番腰が低いのもいつも通りだ。
それでも彼女がバラバラだった俺たちをまとめあげたリーダーで、ギルドメンバー全員の心の支えだって、みんな知っている。
確かに、今のジェネシスの状況は、決していいとは言えない。
だけど、こいつらと、このラストホープのメンバーと一緒なら、大丈夫。
そう心の底から思えたから、俺は……。
……俺は、そんな日々があっけなく終わりを告げるなんて、思ってもみなかった。
だが、ギルマスは、彼女は困ったような顔で笑うと、はっきりとこう言ったのだ。
「――今日はみんなに、さよならを言いにきたんだ」
※ ※ ※
チャットが終わると同時に、衝動的に「塔」から飛び出していた。
目的地は、ない。
足は北に、ギルマスがいるはずの方向に向かって進んでいたが、間に合うはずもない。
意味なんて、何もない。
それでも、ただ足だけが動いていた。
「なんで、だよっ!」
思わず飛び出すのは、恨みの言葉。
だが、「なんで」も何もない。
そりゃ、そうだろう。
いつまでもずっと、こんな日々が続くはずがない。
だったらいつか、こういう日が来るなんて、分かり切っていたはずだ。
分かっていた、はずなのに……。
「何も、言えなかった! 何も!」
だけど、一体なんて言えばいい?
「もっと話したい」なんて、そんなの俺の我儘で。
彼女を引き止める言葉なんて、引き止められるだけの理由なんて、俺はこれっぽっちも持ってなくて。
そもそも俺は、ギルマスのことを何も知らない。
元々の知り合いでもなんでもない、ただジェネシスで出会っただけの間柄だ。
向こうでの住所や電話番号はおろか、何をして、どこにいたのか。
いや、それどころか本名すらも、聞いたことがない。
こっちの、ジェネシスの中でも、そうだ。
直接会ったことはほとんどない。
ただ、昼のチャットで話すだけのつながり。
「それ、でも……」
それでも、かけがえのない仲間だと思ってた。
ギルドにとって、絶対に必要な人だった。
俺にとっても、大事な人だった。
……好き、だったのに。
もやのかかったような思考の中で、彼女の声だけが、いやに鮮明に頭の中によみがえる。
――あ、はは。ずっと考えてたはずなのに、変だね。いざこうなってみると何を話したらいいか、分からないや。
同時に脳裏に浮かぶのは、彼女の困ったような笑顔。
それを振り払うように、俺は乱暴に歩を進める。
――みんなもたぶん、薄々とは、察してるとは思うん、だけど。
一年前の、ジェネシスを始める前の俺には、想像もつかないことに……。
俺は、ジェネシスで出会ったみんなを、ラストホープのメンバーを、最高の仲間たちだと、家族のような存在だと、いつしかそう思うようになっていた。
――その、ちょっと、さ。引っ越しを、ね。しなくちゃいけなくなっちゃって。
曲者揃いのラストホープのメンバーの中で、ギルマスは特に目立つという訳ではない。
だけど俺は、彼女の穏やかな声が、大好きで……。
いつだってその言葉は希望の象徴で、彼女が号令をかければ、不可能なんてないのだという気持ちになれた。
こんな終わってしまった世界でも、彼女だけは最後の瞬間までずっと、ずっと輝き続けていると、疑いもしなかった。
なの、に……。
――だから、ここでみんなとチャットするのは、これが最後……なんだ。
別れは、あまりにも突然で。
こんなこともあるのだと理性がいくら訴えても、感情が、全くついてこなくて。
――ごめん、ね。ほんとは最後の瞬間まで、ギルドのみんなを見守っていたかったんだけど。
「く、そおおおおおおおおおおお!!」
俺はこみ上げる想いに耐え切れず、気付けば声の限りに叫んでいた。
もちろん、「塔」の外で不用意な大声を出して、何も起こらないはずがない。
あげた声に反応して、塔の周りにいたモンスターたちが集まってくる。
俺を「獲物」として集まってきたのは、豚に似た顔をした醜悪な魔物、オークの群れ。
オークの数は目算で七匹。
いくら初心者向けのモンスターの筆頭であるオークといえど、数が集まれば脅威だ。
だが……。
「構う、もんか!」
今はただ、全てをぶち壊してしまいたい気分だった。
魔物も、自分も、この世界も、全部壊れてしまえばいいと、本気で願っていた。
俺は歯をむき出しにして笑うと、半包囲を仕掛けるオークの群れに向かって走り始める。
接近に気付いたオークの射手が弓矢で攻撃を仕掛けてくるが、飛んできた矢は想像よりもずっと少ないものだった。
「遅いんだよ!」
もちろん、こんなものに当たってやるつもりはない。
気合の声と共に、剣を一閃。
眉間めがけて飛んできた矢を打ち払う。
――あ、でも勘違いしないでね。また、みんなと会うのをあきらめたわけじゃないんだよ。
体勢を崩した弓持ちをにらみつけると、お返しとばかりに左手の指を突きつけ、撃つ!
「まず、一匹」
脳天を貫かれたそのオークは、抗う暇もなく四肢から力をなくし、その場に倒れ込む。
それを最後まで見届けることもなく視線を切り、群れに目を戻す。
――しばらくは、チャットする余裕なんてないだろうけど、無事に引っ越しが終わって、生活が落ち着いたら、絶対また連絡するから。
頭の中で再生される彼女の声を振り払うように、残ったオークたちに突貫する。
手始めの目標は、巨大な槌を持った、ひときわ大柄なオーク。
俺を獲物と見定めたのか、獰猛に笑うそいつに向かって足を蹴り出す。
――もう、みんな。そんな顔、しないでよ。
一蹴りごとに、オークたちとの距離が詰まる。
近付く俺に合わせ、俺の脳天に向かって繰り出される大槌。
――ほら! ジェネシスは、VRMMOなんだから、出会いと別れがあるのは、当然……でしょ。
真っ赤に染まる槌を目で捉えながら、俺は背中に力を込め、応じるように剣を突き出す。
接近する、大槌と剣。
――それにわたし、心が弱いからさ。このままずっと閉じこもって、チャットだけを楽しみにやってたんじゃ、いつか、ダメになってたと思う。
接触の、瞬間。
カァン、と硬質な音を立てて弾かれたのは、オークの持つ大槌の方だった。
大柄なオークの顔に浮かぶ、驚愕の表情。
武器を撥ね上げられ、体勢を崩すオークの身体に、半ば機械的に剣を振るう。
――だからこれは、わたしが前に進むチャンスなんだって、勇気を出して外に踏み出す絶好の機会なんだって、そう思うことにしたんだ。
剣が肉を切り裂き、骨を断つ。
相手の絶命を確認することもなく、俺は突撃の速度を殺さずに、そのまま脇を抜ける。
次の目標は、スパイクのついた防具でハリネズミのようになった、斧持ちのオーク。
俺の速度に対応出来ず、斧を振りかぶってすらいないそいつに向かって、先手を取るように剣を振る。
――みんなともチャットでしか話をしてないんじゃ寂しいし、この機会に突然お宅訪問とかしちゃおうかな、とかさ。
剣の先端がスパイクをしたたかに打ちつけ、斧持ちはコマのように回る。
晒された無防備な腹に剣を突き立て、その命を絶つ。
……これで、三匹目。
――ね? そんな風に考えると、夢が、広がるでしょ。
ここでようやくオークたちも我に返り、俺に向かって殺到してくる。
横から襲ってくる剣持ちの斬撃をさばいて首を切り裂いて四匹目。
逆側から突き込まれた槍を剣の腹で受け顔に刺突を返して五匹目。
――だから、だからみんなも、笑顔で送り出してくれると、うれしい、な。
斜め後ろから一匹のオークが手斧を投げつけてくるが、それも見えている。
手斧を弾いて左手だけを向けてスキルを撃って六匹目。
――もっと話をしたかったけど、もう、時間切れみたい。
最後に残った一匹は、一番簡単だった。
七匹目のオークが選択したのは、体当たり。
――それ、じゃあ、みんな……。
身構える必要すらない。
突進してくるオークをハエでも打ち払うように剣で退け……。
――また、ね。
「う、ああああああああああああああ!!」
彼女の最後の笑顔を思い起こすのと同時に、俺は最後のオークに剣を突き立てた。
※ ※ ※
「……情けないな、俺は」
やけになって塔を飛び出したはずの俺は、途中で右手をやられてうまく剣を振れなくなって、塔に戻ってきてしまっていた。
何も手に入れず、何も失わず、ただおめおめと逃げ帰ってきてしまったのだ。
今さらオーク程度のドロップアイテムに何か革新的なものがあるはずもなく、もちろんレベルが上がるはずもない。
強いて言うならお金とアビリティポイントが報酬だろうが、そんなものはシミュレーターでも手に入る。
一方で、負傷で戻ったのだから当然五体満足とはいかなかったが、オークとの戦闘でやられた右腕も塔の治療装置で一瞬で直った。
本来なら法外な値段であるはずの治療費も、俺には関係ない。
五体満足でいられることを感謝する場面かもしれないが、こんな時でも自暴自棄にすらなり切れない自分に嫌になる。
自分の行動が、ひたすらに無為、無意味だったと、突きつけられたような気がした。
「……そろそろ、か」
もうすぐ、時刻は十二時を回る。
お昼の定例チャットの時間。
本当であれば、もうラウンジに向かわなくてはいけない時間だ。
だけど……。
「一体どんな顔して、みんなと会えばいいんだよ」
そんなことを思うと、俺の足はどうしても前に進んではくれなかった。
だったらもう、いっそ……。
今日、くらいは……。
「今日くらいは、いいよな」
自分を誤魔化すようにそう言って、俺はラウンジに背を向けた。
後ろめたい気持ちを抱えながら、どこまでも続く灰色の廊下に足を踏み出した、その時……。
「――え?」
突然、廊下の奥に光が見えた。
「……なん、だ?」
久しく感じなかった不安感と、相反するような期待感。
気付けば俺は光の源に向かって走り出していた。
今まで起こったことのない、起こるはずのない変化。
不安げに見守る俺の視線の中、突如として生まれた光は、やがて明確に一つの形を作る。
「……ひ、と?」
そうして出てきた「それ」は、どう見ても人間。
おそらく十二、三歳くらいの女の子だった。
いや、しかも、それだけじゃ、ない。
「この、装備……」
見たこともないキャラクター。
明らかに初期装備としか思えない低レベル帯の装備。
「新規、プレイヤー?」
まさか、と思う。
理性はそんなはずがない、と言っている。
だが、直感はそれが正しいのだと、いや、そうあってほしいと全力で叫んでいた。
確かめるのは、簡単だ。
俺はおそるおそる、地面に横たわる少女へ、手を伸ばす。
まるで作り物めいた安らかさで眠る女の子のほおへ、俺の震える手がまっすぐに伸びて、そして……。
「――ッ!!」
触れ、た。
触れることが出来て、しまった。
「あ、ああぁ……」
その瞬間、閉塞した、どこまでも続く灰色の世界が、突然鮮やかな色を取り戻す。
今確かに、俺にとっての世界が変わった。
そんな風に、感じた。
間違いない。
彼女は実在している人間。
それも、このジェネシスの「プレイヤー」だ。
そう、確信しても、なお……。
「あり、えない……」
俺の口から漏れるのは、そんな言葉。
「……ありえないんだ」
だって……。
「だって俺が、ジェネシス最後のキャラクター作成者なんだ、から……」
そうして俺の意識は、はるか過去に……。
あの、運命の日。
俺がジェネシスを始めたその日に飛んでいた。
感想は大歓迎ですが、修正報告以外の返信は行わない方針です
ご了承ください