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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

戦場のハッピーニューイヤー

作者: 夢見 絵空

「ねえエンビ、もうすぐ新年だよ」


 この世の地獄には似合わない、満天の星空の下で、聞きなれたゆるい声がのぼってきた。


 思わずため息をつくと、白くなったそれはここの寒さを象徴するようにしばらくは消えなかった。


 私は覗いていたライフルのスコープから顔をはずし、ギシギシと音をたてながら梯子を上ってくる彼女を待った。


 するとすぐにひょこんと、ソシエが顔を出して、まだ梯子を上っている途中だというのに、分厚い迷彩柄の手袋をした右手を振ってくる。


 まだあどけなさが残る、小柄な少女。笑うと八重歯をのぞかせるところが、猫を彷彿させる。ただそんな彼女も背中には私と同じライフルを背負っている。


「……休憩中じゃないの? 休みなよ」


「えー、エンビまで隊長みたいなこと言うんだ。せっかくの年越しなのに」


 ソシエは私の小言にそんな風に唇を尖らせ、いいじゃんいいじゃんと、私の横に座った。


「ほら、あと一〇分だよ」


 連日続く戦闘で傷だらけになった懐中時計を嬉しそうに見せてくる。ひびわれたガラスの向こうにある針は、確かに十一時五〇分を示していた。


「あってるの、それ」


 フフッとからかうように言ってみると、ソシエは笑って「たぶん」と答えた。


「いいじゃん。こーいうのって、フインキだよ」


 年明けだと騒ぐわりに、ソシエは全く気にしていないようだった。


 今の時間は私が見張りで、この陣地を守っていた。やぐらの上で、スコープで敵がいないかを確認するだけ。順番が決まった任務で、たまたまこの時間は私だった。


 だけど気にしなかった。こんな戦場で、カウントダウンなんてする気になんてなれなかったから。


 対して、同じ隊のソシエは休憩のはずだった。


 まあ、彼女がじっとているなんて、本当は思っていなかったけど。


「ソシエがここで遊んでたら、私まで隊長に怒られるんだけど」


 ソシエの横に座ると、まるで当然というように彼女は身をよせてきた。


 真冬の戦場のど真ん中で、私たちは何をしてるんだろ。


「フツーさあ、恋人とはこうやって年越しするもんじゃん。なんで怒られなきゃいけないの」


「命令違反だから」


「あーあー、恋人も冷たーい」


 そんなことを言って拗ねてしまうソシエに、つい吹き出してしまった。


 二年前、こんな戦地に放り込まれ、そして出会ったのが彼女だった。私と同じで、無理やりこの地に送り込まれた子。


 二人で一緒に過ごしているうちに、いつの間にそんな関係になっていた。


 別に女同士とかは気にならなかった。一緒に過ごした時間が濃すぎて、そんなのどうでもよくなっていたから。


 拗ねたソシエの腰に手を回して、ぴったりと体をくっつける。彼女の体温が伝わってきて、こんなに寒いのに、とても暖かい気持ちになっていくのが感じられた。


 ソシエも拗ねていたくせに、そうするとくすぐったそうに笑う。


「ま、命令違反もこんな時くらいいか」


「そーだよ。たまには、こんな感じで休まなきゃ」


 ソシエが私の頬に顔を寄せてくるので、お互いの頬をこすり合わせる。


 お手入れなんてしてない、お互いに傷もあるし、ガサガサの肌だけど、それが私たちを繋げているものなんだと思う。


 たくさんの血に汚れた手を握り合っていたら、私はまた、あのことを思い出した。


「ソシエさ、覚えてる?」


「何を?」


「私を撃ったこと」


 するとさっきまで甘えていたソシエが動きをとめて、上目遣いで「うわぁ」という目線を向けてくる。


「まだ言う? しつこい女は嫌われるよ」


「嫌うの?」


「嫌わないよ。でもあれは……仕方ないじゃん」


 別に責めるつもりなんてなかった。ただ、あの時のことを思うと今こういう関係になっているが、不思議で仕方なかった。


「うん。いいよ、いい思い出だし」

 





 ソシエと部隊に入って、三か月目だった。ある程度、戦地に慣れてきたのがいけなかったんだと思う。


 ある戦闘で後れをとった私たちの部隊は、結果として敗走することになった。


 私とソシエ以外はなんとかそこから脱出できたようだが、戦闘で疲弊していた私たちはそうはできなかった。


 敵に包囲された廃墟の一室で、私たちは身を潜めて、息を殺しながら、迫りくる死を覚悟した。


 そんな絶望の中だった。


「……ねえ、何歳か聞いていい?」


 二人で銃を抱えながら、黙ったままだった空間に、ソシエの冷えた声が響いた。


「……一八」

 私も同じような声でとても端的に答えた。


「そっか。じゃ、同い年だ」


 ソシエとはその時に初めて言葉を交わしたと思う。だからこそ、驚いた。私より頭一つ分ほど小柄な彼女を、勝手に年下だと思っていたからだ。


 その短いやりとりのあと、私たちが潜んでいる部屋の外で誰かが動く音がした。


「……いる」


 ソシエがそう短く告げた。私はうなずいて、そっと彼女の袖を引っ張った。


「たぶん、私たちの捜索にはそんなに人員はさかれてないと思う」


「わかってる。向こうも疲弊してたし、本隊はもう逃げたから」


「そう……だから、あなただけ逃げて」


 暗闇の中で、ソシエが私を驚いた眼で見た。私はそんな彼女に残っていた一つだけ手榴弾を見せて、少しだけ微笑んでみた。


「私が囮になって、自爆する。その隙に逃げて」


「……何いってるの」


「部隊の損失を少なくするための、最善策の提案」


 嘘だった。ただ、別に彼女に助かってほしいとか、そんな意思もなかった。あの時、私はただただ、死ぬ好機をうかがっていた。


 こんな戦場に送り込まれて、辛く苦しい日々の訓練や戦闘、先の見えない戦争そのものに、ただただ絶望していた。


 だから、もう、死にたかった。


 彼女を助け、敵を巻き込む自爆なら、最低限の供養はしてもらえるだろうし、国の家族も肩身の狭い思いをしなくて済むと思った。


 ソシエは私を信じられないという目で見つめたままだった。


 また、部屋の外で足音がした。確実に、もうすぐそばにいた。


「さ、はや——」


 彼女に早く決断してもらおうとすると、ソシエの目が急にカッと大きく開いた。


 私が疑問に思う間もなく、彼女は突如、私に銃口を突きつけてきた。


「——え」


 そんな間抜けな声が出た。全く、予想していなかった展開で、頭がついていかなかった。


 ズダンッと、この三か月で耳に張り付いてしまった銃声が響くと同時に、私は反射的に自分の脇腹を抑えて、その場に倒れこんだ。


 彼女が私を撃ったんだ。肉を少しだけかするくらいの、明らかに威嚇的な射撃。ただそれでも痛いことに変わりなくて、激痛で顔が歪んだ。


 だからそこから私が見た景色は、少しかすんでいた。遠のきかけた意識の中で、視界にとらえたものは、ソシエの怒りに震えた顔だった。


 彼女はその表情のまま、倒れた私から手榴弾を奪い取った。


 そして、それとほぼ同時に部屋のドアがけ破られて、武装した敵が小銃をこちらに向けて、はっきりと聞き取れない彼らの母国語で、こちらに向かって叫んでいた。


 そんな彼らに向かってソシエが、まるで雄叫びをあげながら、私から奪った手榴弾を放り投げた。


 小銃を構えただけで、発砲をしていなかった彼らはソシエの手榴弾を目視すると、すぐさま部屋から一度出て、爆破の影響が少なそうな場所で、頭を抱えて伏せた。


 まだ声をあげたままのソシエが、そんな彼らに向かって銃を構えて駆けていった。


 彼女が投げた手榴弾には、安全ピンがされたままだった。そのことに敵が気付いて、起き上げるのよりも早く、ソシエが彼らに向かって引き金を引いた。


 敵とソシエの叫び声と、何十発という銃声が私の鼓膜をこれでもかというくらいに揺らしていた。


 最後の薬莢が落ちたカランッという音がすると、ハァハァと息を切らせたソシエがゆっくりと銃を下した。もう敵の兵士が動く気配はない。


 それを確認すると彼女は弾切れで使えなくなった銃をその場に捨てて、手榴弾を拾い、私のもとに戻ってきた。


「……これが、最善策じゃない?」


 いまだに彼女に撃たれた脇腹を抑える私を、からかうように見て、敵の血で汚れた顔で弱弱しく笑った。


 返す言葉もなかった。なんとも、無茶な作戦で、敵が少しでも冷静なら二人とも今頃ハチの巣にされていたはずだ。


 ただ今は、そんなことはどうでもよかった。


「……なんで?」


 涙をこらえながら、震える唇で本心からそう訊くと、彼女はさきほどの怒った顔になった。


「許さない。一人で逃げるなんて。そんなの、絶対、許すもんか」


 彼女はそう言いながらも私を起き上がらせると、肩を担いで歩き出した。


 彼女に少し引きずられるような形で、私も歩いていく。重たくて、辛い一歩一歩だったけど、自分の安易な気持ちが見透かされていたことで、抵抗する気をなくしていた。


「私はあなたのこと、何も知らない。でも、ここにいるってことは、自分と同じような人だと勝手に思ってる」


「……うん」


「だから、わかるよ。私だって、死にたい。でも……ダメ。生きて、幸せにならなきゃ、負け。だから——帰ろ。一緒に」


 どこに、とは言わなかった。国に、なのか、部隊に、なのか。


 それでも私は、頷いていた。それでいいと思ったから。こんな彼女となら、それでいと思ったから。






「あの時のソシエは恰好よかったよ」


「……人の黒歴史を蒸し返すの、いい加減、やめてよぉ」


 あれからソシエとよく話すようになって、こんな関係になった。あのとき、怒ってくれた彼女が、いざ素に戻ると、こんなに子供っぽくて甘えん坊とは思わなかったけど、そこも含めて好きになった。


 彼女曰く「あのときはエンビにむかついて、必死だったの。忘れたい」だって。だけど、私はきっと死ぬまで、いやもしかしたら、死んだって忘れない。


 手を握り合いながら、星空を見上げる。星の名前なんて知らない。星座なんて覚えてない。ただ、夜の闇に輝く数多の光をきれいだと、生きててよかったと思う。


 さらに隣に彼女がいてくれて、幸せだと感謝したい。


「エンビ、あと一〇秒」


「うん」


 そこから二人で、一秒ずつ、時計の秒針に合わせて声をそろええてカウントダウンをした。


 この戦場で数を数えるなんて、いつもはろくでもないものばかりだけど、この時ばかりは、私は幸福に満たされていた。


 最後——。


「いぃーち……ゼロッ」


 声を揃えた最後の数は、白い息になってまた消えた。


 歓声も花火もあがらない、寂しい年越しだけど、隣に彼女がいるならそれでもよかった。


「エンビ」


 星空を見上げていたソシエが私を呼んだ。彼女と目を合わせると、何か物欲しそうに、顔を赤くしていた。


 私はクスッと笑ったあと、彼女の唇に自分の唇を重ねた。


 この世のものとは思えない柔らかい感触に、心の芯を熱くするほどの体温が感じられる。二人でそのままカウントダウンより長い時間を過ごした。


 そっと顔を離して、また彼女と見つめあう。お互いの紅潮した顔を見つめながら、私たちはこの戦場に似合わない感情を抱いていた。


「ねえ、エンビ」


「なに」


 照れくさそうに笑って、ソシエが言葉を続ける。


「国に帰ったらさ」


「うん」


「二人で暮らそうね」


「うん」


「二人だけの家を買ってさ」


「うん」


「一緒にあったかいご飯を食べよ」


「うん」


「一緒の布団で寝てね」


「うん」


「朝も一緒に起きよ」


「うん」


「たまに二人で出かけてさ」


「うん」


「服とか雑貨とか一緒に選ぼ」


「うん」


「時々は喧嘩してさ」


「うん」


「また仲直りしよ」


「うん」


「子供はつくれないけどさ」


「うん」


「——死ぬまで、一緒にいよ」


「……うん」


 たくさんの約束をして、希望的な夢を見て、私たちはまたぎゅっと手を握った。


 再び、見つめあって、今度はソシエから唇を重ねてきた。


 戦場の星空の下、私たちは今できる精一杯の愛を確かめた。







 その三日後、私たちの部隊は敵襲を受けた。


 結果として、私とソシエは国に帰ることも、二人の家を買うことも、そこでご飯を食べることも、一緒に寝ることも起きることも、二人で出かけることも何か買うことも、喧嘩さえできないまま終わった。


 でも、たった一つだけ、死ぬまでに一緒にいようという約束だけは、果たすことができた。

1月1日の夜に、カウントダウンをした後、ふと思いついたネタを短編としたものになります。

思いついたのは、少女たちが暗いところでカウントダウンするものということ。

去年もカウントダウンで短編を書いていて、ふと「カウントダウンといえば、爆弾だな」と連想し、

そっかから「爆弾=戦場」となりました。

むかし、「戦場のメリークリスマス」って映画があったことも影響されていたり。


百合というちょっとあれなジャンルでしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] ううん、面白いです。面白いんですけど……二人を幸せにさせてやってくださいよう! 
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