第81話 「レベッカ」
「あ……フォックス……ガソリンが……」
ニニコの小さな体が、どんどん渇いていく。
体中を浸していたガソリンが、重力を無視するように水な義肢に集まりだした。
肌も、髪も、衣服も、床も、すっかり乾いてしまった。
水な義肢だ。
水な義肢の表面に、ガソリンの膜が出来た。
「な……な……」
唐突に起こるいろんな出来事に、ニニコはきょろきょろする。
一方、フォックスは……泣いてよろこぶマリィを見て、なにが起きているのかを悟った。
アタシを、レベッカと混同している。
ニニコを、フゥと混同している。
「マリィ、お前……ハイドランジアを吸ってるな。いったい今を、いつだと思ってんだ……?」
声をしぼり出す。
今をいつだと思ってるのか―――?
間違いない。
マリィは、あの日の記憶と混同している。
コレラで、村のみんなが死んだ日。
アタシがみんなを火葬した日。
レベッカが、憲兵隊に殺された日。
そして、事態は変わる。
通路から絶叫が聞こえた。
十数人の、男らの声だ。
「艦長どの!」
「少佐、ご無事で!」
「ひどいヤケドだ、すぐに医務室へ……」
「いや、医官を呼べ!」
乗組員たちが駆けつけてきたようだ。
彼らはそのまま、司令室になだれこんできた。
「博士!」
「な、なんだ、これは……」
兵隊たちが、めちゃくちゃになった司令室に驚きの声を上げる。いや、司令室の状態なんかどうでもいい。
巨大な腕みたいなものを装備した女がいるではないか。
明らかに侵入者だ。
しかも、博士とその妹が襲われている。
「だ、誰だ! なにをしている!」
「博士から離れろ! 拘束しろ!」
「貴様、そこを動くなよ!」
屈強な大男たちが、マリィに掴みかかった。
だが……
「私たちに触るなアアアアアアア!」
ドガドガドガ!!
飛びかかってくる海兵たちを、マリィは振り払う。
いや、振りはらうなんてもんじゃない!
水な義肢の両アームを、鞭のようにメチャクチャに振りまわした。
「ぐわあ!」
「うおお!」
海兵たちが宙を舞う。
ガソリンの雫が飛び散る―――
「離れろ! レベッカとフゥに触らないで!」
水な義肢をひろげて、マリィは威嚇する。鬼気せまるその顔や、女とは思えないほど怖い。
「レベッカ! フゥ! こっちに来なさい、はやく!」
「行くか!」
怒鳴るレベッカ……じゃない、フォックス。
「貴様!」
「よくも……ちょ、ちょっと待て。な、なんだそりゃ?」
「つ、翼? 天使……?」
海兵たちが拳銃を抜いた。
シャキン、ジャキンと全員の銃口がマリィに向けられる。
「私たちが、いつまでも憲兵を恐れると思ったら大間違いだ! 党の犬め……!」
怒鳴るマリィ。
ギチギチギチ!
アームが縮んでいく。
……水な義肢による、パンチの構えだ。
「け、憲兵?」
「なに言ってるんだコイツ……おい、貴様! おとなしくしろ」
「その腕、いや……なんだかわからないものを下ろせ!」
海兵たちは、水な義肢の動きを見て、ギョッと固まった。無理もない、あまりにも非現実的な光景だ。
「マリィ、よせ! 全員伏せろォ!」
フォックスの叫び。
殺される。
海兵たちが、殺される――――――
いや!
いいや!!
「俺じゃあああああ! マリイイイイイ!」
窓の外に、トラが来た。
登ってきやがった!
「殺す――――――!」
咆哮。
窓に貼りついたトラが、絶叫する。
「ッッッ! なによ……」
振り返ったマリィが、トラに向けて水な義肢を伸ばした。
ボッ!
風切り音。
槍のごとき速さで、マジックハンドがトラに襲いかかる。
ドガァ!
直撃!
……してない!
長靴を盾にして、水な義肢を防いだ!
ガチリ!
アームが、長靴に貼りついた。
「うぅりああああああああああ!」
トラが渾身の脚力で長靴を振り回した。
半回転……
勢いそのままに転落する。
ちがう。
飛び降りやがった!
「道連れじゃアアアア!!」
「トラ!」
「トラぁ!」
フォックスとニニコが、同時に叫んだ。
しかしもう遅い。
再登場して、6秒で退場するトラ。
奈落から這い上がり、ふたたび奈落へ落ちていく。長靴に、水な義肢を貼りつけて。
ギャリギャリギャリギャリ………!!
水な義肢のアームが窓枠に擦られ、すさまじい音をあげた。
「うわッ!」
引っぱられたマリィの体が、宙に浮く。
窓に向かって。
いや外に向かって、引きずられていく。
「あ……」
ちいさな悲鳴をひとつ漏らし、マリィはふたたび甲板へと落ちて行った。
司令室に残された全員が、いっせいに叫ぶ。
「トラ! きゃあああああ!」
「マリィ……!」
「うそだろ……!」
「落ちやがったぞ!」
「下だ! 下へ……」
悲鳴、絶叫、悲鳴、悲鳴……
直後――――――
ドオオオオオオオオオオオオオン!
轟音が鳴り響いた。




