第61話 「カミング スーン」
ガツン、ガツン!
せまく長いミサイル艦の通路に、長靴の音がひびく。
「やれやれ……一服するのもひと苦労だぜ」
当然ながら、艦内はどこでも喫煙可能というわけではない。喫煙所が3か所に設けられており、そこ以外でのタバコの使用は厳禁となっている。
現在地からもっとも近い喫煙ルームは、船体左部の第2甲板にある。
そこまで足を運ぶついでだ。
トラは第1甲板に出て、外の空気を吸いたくなった。
……ぜんっぜん話に関係ないので、さらっと読んでほしい。
船のフロアについて補足説明をさせていだたきたい。
船の甲板と言えばふつう、外に面する「第1甲板」をイメージするだろう。
その下の階を「第2甲板」「第3甲板」と呼び、船底に行くほど数字が増えていく。
そう。
外から見えない、内部のフロアのことも甲板と呼ぶのだ。
知ってた?
ややこしいのは艦橋とよばれる、ビルのような建造物だ。第1甲板の上にそびえる塔のことだ。
駆逐艦の艦橋は3~5階建てになっているのが一般的だが、1階はさっきも言ったように「第1甲板」である。
じゃあ2階はというと「01甲板」。
3階を「02甲板」という。
ややこしいでしょ?
とりあえずトラはいま、あえて遠回りして第1甲板、つまり艦の外に出ようとしている。
「ふあ……うお、暗いな」
外に出ておどろいた。
もうとっくに日は落ち、空も海も真っ暗だった。海風がトラを包み、ばさばさと髪を揺らす。
直角に等しい艦橋を見上げると、あちこちに赤いライトが灯っていた。真っ黒にそびえる鉄の化け物が、無数の赤い目を光らせているみたいだ。
あまりの巨大さ、おそろしさにトラはゾッとした。
聞こえるのは猛烈なエンジン音、風を切る音、波の音だけだ。はるか遠くで無線機で通信する水兵がいるが、そんな小さな声は聞こえない。
言うまでもなく甲板は、夜であろうと無人ではない。
当番の水兵が、何人も任務についている。
「よう学生、散歩か?」
「昼間はさんざんだったな」
「あ、こんばんわっス。お疲れさまス」
途中で声をかけられ、トラは簡単にあいさつを返した。
海を見たトラは、また背中がぞわっとなった。
なんと不気味でおそろしいのだ。
360度、見渡すかぎり海しかない。
それがどこまでもどこまでも真っ黒に広がっている。そしてこの船以外、なんにもない。なんかこの世界に、自分たちしかいないような気がしてきた。
(この船の連中は、よくも平気な顔で仕事してるもんだぜ)
絶対にオレは海の男になれねえな。
ていうか泳げねえし。
それにしても、海ってのは広いもんだなあ……
……ちょい待ち。
ちょっと待ってくれ。
「なんだありゃ……」
なにげなく眺めた海上に、信じられないものを見た。
水面に、人間が立っている。
「うそ、だろ?」
海の上を、巨大な腕の人間が歩いている。
いやちがう。
巨大な腕で、海上を歩いている。
真っ暗な海。
そいつの姿は、シルエットしかわからない。
トラは子供のころテレビで見た、手長猿の芸を思い出した。
その腕はサル自身の体長よりもながく、地面におろすと腕だけで体を浮かすことが出来た。足を地面につけることなく、腕だけで歩くユニークな猿。
そんな珍獣でも、地面を歩くしか芸がないのに。あろうことか海の上を……妖怪じみたなにかが、こっちに歩いてくる。
「俺もラリっちまったのか……?」
いっそ幻覚の方がいい。
トラがごくりと生唾をのむ。
ちっとも笑えない。
こわい。




